貿易都市アルヴィス 前編 1

 朝日が地平線から顔を出した頃。

 魔の森の外縁沿いにある街道近くの野営地で、フィーアリーゼはセドリックと相対して、セシリアの買い取りについての話し合いを続けていた。


「セシリアさん……いいえ、セシリア。あなたを購入する以上、私があなたの主人となるわけだけど、それは理解しているわね?」

「もちろんですわ、フィーアリーゼ様。あなたに購入して頂くためにわがままを申しましたが、これ以降はそのようなことも申しませんわ」


 別に文字通り奴隷としてかしずいて欲しいわけではなかったのだが、亡国の姫である自分の方が立場が上だと勝手をされては困る。

 そんな警戒を抱いていたのだが、セシリアは思った以上に謙虚だった。


「あなたの民を幸せにしたいという願いは尊重するけど、私にも目的がある。あなたの目的を優先して叶えることは出来ないけど、構わないかしら?」

「そのお言葉だけで十分ですわ。他の誰かに買われていたら、考慮もして頂けないと思います。わたくしは、あなたに従うことが、一番だと考えています」


 フィーアリーゼは安堵して、青みがかった銀髪を風になびかせながら微笑んだ。それから成り行きを見守っていたセドリックに視線を向ける。


「ということだから、セシリアを譲ってくれますか?」

「ああ、もちろんだ。フィーアリーゼ嬢の魔導具と引き換えに、セシリアの所有権と、半年間、住居と食事の提供で問題ないな?」

「それともう一つ、出来れば聞いて欲しいお願いがあります」

「……ふむ、言ってみろ」

「腕輪の販売先を押さえておいて欲しいんです」


 これまでのやりとりで、セドリックがこの商談を纏めたがっているのは分かっている。対価の上乗せも可能なはずだが、別にギリギリまで値段をつり上げようというわけではない。

 文字通り些細なお願いだった。


「販売先を押さえろ、だと? なにをするつもりだ?」

「他の人にとって、この腕輪はただの魔導具でしかないと思います。でも、私にとっては掛け替えのない思い出の品なので、いつか別の魔導具と交換してくれるように交渉したいんです」


 そのお願いに、セドリックは狼狽える素振りを見せた。だから、フィーアリーゼは少し慌てて、相手に強制するつもりはないと付け加えた。


「……それはつまり、いつか対価となる魔導具を用意すると、そういう意味なのか?」

「ええ、そのつもりです」


 セドリックはなぜか目をつぶって、目頭を指で揉みほぐした。


「あの……別に、その交渉に断られたとしても、文句は言いませんよ? ただ、機会を残しておいて欲しいと言うだけなんですけど……ダメですか?」

「あぁ、いや、それ自体はなんの問題もない」

「……それ自体は? なにか他に問題が?」

「こっちのことだ。フィーアリーゼ嬢は気にしなくて良い」

「はぁ……」


 良く分からないが、とにかく販売相手の情報は押さえておいてもらえることになった。

 これで、いつかアリアとの思い出の腕輪も取り戻せるかもしれない。少なくとも、その可能性を信じて頑張ることが出来るとフィーアリーゼは微笑んだ。


「ひとまず契約を済ませてしまおう。セシリア、所有権の譲渡をするのでこっちへ来なさい」

「はい、かしこまりました」


 セドリックがなにやら呪文らしき言葉を呟くと、セシリアの胸元に奴隷契約の魔法陣が浮かび上がった。そこそこ緻密な魔法陣だ。


 フィーアリーゼが奴隷契約の魔法陣を目にするのは初めてだが、魔法陣の扱いに関してはずば抜けている。魔法陣の全貌はすぐに読み解いた。


 内容自体にはそれほど問題ないが、魔力消費の効率が悪い。これでは、奴隷契約をされているセシリアは、魔力が枯渇状態に陥っているだろう。


「セドリックさん、契約はこちらでさせてください」

「……は? なにを言っている? 既に為されている契約を譲渡するだけだぞ?」

「その契約は破棄します。構いませんよね?」

「……そんなことまで出来るのか」

「はい?」

「いや、なんでもない。セシリアは既にお前のものだ。好きにするがいい」


 許可を取ったフィーアリーゼはセシリアを呼び寄せ、奴隷契約の魔法陣に指を添えて魔力を流し込む。一応のプロテクトは掛かっているが、子供だましでしかない。

 一瞬でプロテクトを突破して契約を破棄し、あらたな魔法陣を刻み込んでいく。


「……身体が熱い、ですわ。これは……奴隷契約をしたときと、同じ?」

「ええ、そうよ。契約内容は私を決して裏切らない。私の厳命には絶対服従。普通の命令には命の危険がない限り従う。問題なければ、契約を受け入れて」

「ええ、分かりました」


 意外とあっさりと、契約は成立した。

 この手の契約は、相手が少しでも抵抗すると時間が掛かるのだが……どうやら、セシリアは言葉通り、フィーアリーゼに心から仕えるつもりのようだ。


「これで……終わりですの? いままでより、身体の負担が減った気がするんですが」

「魔法陣の無駄をなくしたから、負担が減ったんじゃないかな。元々の魔法陣は、魔力を搾り取るような仕様だったからね」


 セシリアはなんともいえない顔をした。横で見守っていたセドリックからも、なにやら溜息が聞こえる。

 なにか問題があっただろうかと、フィーアリーゼは小首をかしげる。


 ただ、せっかくセシリアと奴隷契約を交わしたのだ。セドリックがいないときに、ゆっくりと、なにがおかしかったのか聞けば良いだろうと判断する。


「それでは、約束の腕輪です。……これで契約は完了と言うことで、構いませんか?」

「ああ、もちろんだ。これで取り引きは成立した。残りの住居と食料については、街についてから準備させよう」

「はい。よろしくお願いします」


 こうして、フィーアリーゼはセシリアという奴隷を手に入れた。



 契約を終えた後、商隊は朝食を取って野営地を出発した。

 フィーアリーゼは変わらず客人として、そしてセシリアはその奴隷としてセドリックの馬車に乗せてもらい、ゆっくりと流れる景色を堪能する。


 セドリックはフィーアリーゼの素性が気になるようだが、300年眠っていたと打ち明けるわけにもいかない。

 セシリアの故郷について話題を振ることで難を逃れる。


 その会話で分かったのだが、ローゼン公国は魔術師が少なくて、魔導具の類いがほとんど手に入らない。その代わり、魔術を必要としない道具の開発に力を入れていたらしい。


「といっても、それほど多くを作れたわけではありませんわ。ひとまず形になったのはポンプという、井戸の水を汲み上げる道具くらいです」


 ということらしい。どうやらその開発にはセシリアが関わっていたようで、原理も分かっているようだ。フィーアリーゼに分かりやすく説明してくれる。

 フィーアリーゼも知らない原理だったが、セシリアの話を聞くうちになんとなく理解する。


「なかなか面白い発想ね。魔導具と組み合わせたら、コストが抑えられるかもしれないわ」


 管の中を真空にして水を吸い上げる。その機構を魔導具にすれば、従来の魔導具よりも低コストで、街に水を届けることが出来るかもしれない。


「フィーアリーゼ嬢、さっきから気になっていたのだが……やはり、魔導具を作れるのか?」

「ええ、作れます。……といっても、その腕輪はデバイスが特別製なので、私には再現できません。私もデバイスは作れるけど、人並み以下なんですよね」

「……それはつまり、同じデバイスがあれば、同じ魔導具を作れる、と」

「作れますけど……?」


 なぜそこまで気にするのか――は、考えるまでもない。

 小隊を率いる者として、魔導具を作れるものに興味があるのだろう。問題は、セドリックがどこまでの価値を、フィーアリーゼに見いだしているいるのかと言うこと。


「……すまない、性急すぎたようだな。隠したいと思うことには応えずとも良い。だが、もし魔導具を作るつもりなら、うちの商会で扱わせてもらえないだろうか?」

「えっと……そうですね」


 フィーアリーゼにはその提案を判断するだけの情報が圧倒的に足りてない。どうすれば良いかと、セシリアに視線を向けた。


 セシリアにはまだ、フィーアリーゼの事情も素性も話していないのだが、なんとなく察してくれているようで、その視線にこくりと頷いた。


「フィーアリーゼ様、発言を許して頂けますか?」

「あなたには今後も相談すると思うから、いちいち許可を取らなくても大丈夫よ」

「では……もしわたくしがフィーアリーゼ様の立場であれば、その提案を受けると思います」

「理由を教えてくれるかしら?」


 セシリアはこくりと頷き、セドリックのことを教えてくれた。

 セドリックの商隊は、グロリア商会という、この国でも有数の大きな商会に所属していて、いまから向かう貿易都市で非常に大きな影響力を持っているらしい。


 かくいうセシリアも、ローゼン公国で執務をしていた頃は取り引きをしていたそうだ。

 それを聞いたフィーアリーゼは少し考え、セドリックへと視線を向ける。


「あなたの商会が非常に大きな力を持っていることは分かりました。もし条件が折り合うのなら、魔導具を扱って頂きたいと思います」

「ふむ。その条件とは?」

「それは――」


 フィーアリーゼの目的はお金儲けではなく、平民の暮らしを豊かにすることである。

 魔導具一つに数ヶ月分の生活費、みたいな値段を付けて売るつもりはないので、その辺りの折り合いが付かないのではないかと尋ねた。


「平民の暮らしを豊かにするために安く売りたい、か。たしかに受け入れられないな」

「やはりそうですよね」

「ああ。だが、それは金儲けをしたいからだけではない。平民の暮らしを豊かにするためだというのなら、むやみに安く売るべきではないと思うからだ」

「……どういう意味ですか?」


 魔術学校で首席を取っていても、商売に精通しているわけではない。その辺りのことについての知識がないことを自覚しているフィーアリーゼはコテリと首を傾けた。


「高価な魔導具を、平民が買えるような価格で売ったらどうなるか分かるか?」

「……平民が喜ぶ訳じゃない、と?」

「確率の問題だが、おそらくは買い取った者が、他人に相場通りの価格で売り飛ばして大もうけして、贅沢をするだけの結果になるだろう」

「……なるほど」


 セドリックの言い分はフィーアリーゼにも理解できた。だが、それならばどうすれば良いのかと言うことが分からない。

 教えて欲しいと、セドリックに続きを促した。


「安価で売ることを定着させるには、その価格で欲しがる者の数と同じだけの魔導具を用意する必要があるが……それは無理だろう?」

「……そうですね」


 フィーアリーゼが自分一人で作れば、材料費と少ない手間賃で作ることが出来るが、一日に何個も作れるものではない。

 いくらフィーアリーゼが数を作っても、平民が気軽に買える価格にはならないだろう。


「じゃあ、平民に魔導具を行き渡らせるためにはどうすれば良いんですか?」

「それは簡単だ。いや、口で言うのは簡単という意味だが、先ほど言ったとおり、その価格で欲しがる者と同じだけの魔導具を用意すれば良い」

「でも、私は……ああ、そういう意味ですか」


 魔導具の製作に必要な、魔術師とデバイスの技師を増やす。もしくは、簡単に作れるように工程を見直す。前者は競合する結果になるが、後者は販売する側の利益にも繋がる。

 組み合わせれば、利益を損なうことなく単価を下げることも出来るということ。


 もっとも、魔導具の制作者を増やす方法や、工程を見直すことが難しいのだが――わざわざそれを口にしたと言うことは、なにか考えがあるのだろう。

 フィーアリーゼは視線でどうするつもりなのかと問い掛ける。


「フィーアリーゼ嬢の作った魔導具を俺の商会で扱わせてくれるのなら、それで得た利益を使って、魔導具の量産に必要なことに投資すると約束する」

「それは……」


 いまの話をそのまま受け取ると、セドリックはフィーアリーゼ達の、平民の暮らしを豊かにするための計画に協力すると言っているに等しい。


 事実なら非常にありがたい話だが、特権階級の汚い一面を知ってるフィーアリーゼは鵜呑みにすることが出来なかった。


「セドリックさんが大きな力を持つ商人なのは、お金儲けをしてきたから、ですよね?」

「そうだな。商人とは基本的に、金儲けのことしか考えていない」

「だったら……」


 金儲けを度外視の話は信じられないとフィーアリーゼが口にするより早く、セドリックは「だからこそだ」と続けた。


「個人の商人なら、ぼったくることで利益を得ることも出来るだろう。だが、大きな商会を維持するには信用が必要だ。そして、取引相手が金を持っていればなお良い」


 信用を損なうようなことをするつもりはなく、平民の暮らしをよくすることは、自分達の利益に繋がると言いたいらしい。

 その考えは、フィーアリーゼにもそれなりに納得のいくものだった。


「分かりました。では、私が作る魔導具の販売は、セドリックさんに任せます。ただし、あなたの言葉が嘘だと分かったら、そのときは取り引きをやめさせて頂きますね?」

「ああ、それはもちろんだ。どのような商品が必要かは提案させてもらうが、いつ、なにを、どれだけ作るか、基本的にはそちらで決めて問題ない」

「助かります。……といっても、取り引きを始めるには少し時間が掛かると思います。残念ながら、いまの私には工房がないので」

「その点なら心配しなくて良い。用意する住居は工房付きを選ぶ予定だ」

「……そ、そうですか」


 どうやら、セシリアを魔導具と引き換えに譲ると提案したときには既に、フィーアリーゼを自分達の活動している街に滞在させることを念頭に置いていたようだ。


「……セシリア。少し気になったんだけど、あなたはどうして私に買ってもらいたいと言いだしたのかしら? 私となら夢が叶う気がするとか言ったけど、勘だけじゃないわよね?」

「セドリック様に、あなたに買われる利点を説明されたから、ですわね」

「……やっぱり」


 セシリアが倒れた時点で、既にセドリックの計画は動き始めていた。もしくは、フィーアリーゼが散歩をするまえから動き始めていたのかもしれない。


「フィーアリーゼ嬢、一応言っておくが……」

「分かってます。お互い……いえ、この場合は三人の得になるように動いたんですよね。私としても納得のいく取り引きなので問題ありません」


 取引自体にはなんの問題もない。

 そう仕向けられたことに対しても悪感情は抱いていない。


 ただ、すべてがセドリックの手のひらの上であることを知り、自分が思ったよりも無防備であることに気付いて少し不安を感じただけである。

 出来るだけ早く、セシリアから現在の常識を習うべきだと心に刻み込んだ。


「そういえば、いま向かっている街はどんなところなんですか?」

「貿易都市アルヴィスだ。この国の中でも指折りの大都市で、主に中央との取り引きや、近くの国々との取り引きをおこなっている」

「へぇ……私は田舎から出てきたのでそれは楽しみです」


 わざわざ口にしたのは、アルヴィスという大きな街を知らない言い訳である。


 もっとも、この国で有数の商人であるセドリックや、お姫様だったセシリアが見たこともないような服を身に着け、聞いたこともないような魔術を行使する。

 そんな田舎者がいてたまるかというのが二人の素直な感想なのだが、当の本人は気付かない。実際に農村出身の彼女は、世間知らずな田舎娘として振る舞えているつもりである。


 これ幸いと、都会のことには疎くてと言い訳をしつつ、貿易都市について尋ねる。


「貿易都市アルヴィスか? 人口は最近増加傾向にあるが正確な数は分からない。上下水が存在するが、水質汚染が問題になりつつあるようだ」

「……それはもしかして、水質を改善する魔導具を作れって言ってます?」

「いや、さすがにそこまで言うつもりはないが……出来るのか?」

「……残念ながら。起動には魔力が足りないですね、きっと」

「そ、そうか。それはたしかに残念だ……」


 魔力があれば可能なのか? というのはセドリックとセシリア、共通の疑問だろう。だが、当の本人はまるで気付かず、これからやることに思いを巡らした。

 

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