孤高の魔女の誕生譚 2
フィーアリーゼ十七歳。
背中まである青みがかった銀髪に、吸い込まれそうな深緑の瞳。魔術学校の制服を身に纏う彼女は現在、馬車に乗せられてドナドナされていた。
いや、セドリックに騙されて拘束されたとか、そういう訳ではない。ただ、用意された食事に釣られて、行き先も知らない馬車にひょいひょい乗って運ばれているだけだ。
セドリック達もなにか聞きたそうにしていたのだが、美味しそうに食事をしているフィーアリーゼの姿を目の当たりにして、生暖かい視線で見守っている。
そんな視線にようやく気付いたフィーアリーゼが、一息ついて顔を上げた。
「ごちそうさまでした。この馬車はどこへ向かっているんですか?」
「貿易都市アルヴィスだ。積み荷を持ち込んで商売をする予定だ」
貿易都市と言うからには大きな都市のはずだが、フィーアリーゼは寡聞にしてその都市の名前を知らなかった。
いや、彼女は魔術が専攻とはいえ、学年主席の成績だったのだ。その彼女が知らない大都市なんてあるはずがない。
つまりは、封印されてから出来た都市、ということだ。
(都市なんて、そんな短期間で出来るものじゃないわよね)
「私を拾ってくれた付近の森に、朽ち果てた遺跡があるの、ご存じですか?」
「ああ、もちろん。朽ちた魔女の都市のことだろう?」
「……魔女の都市、ですか?」
「ああ、フィーアリーゼ嬢は知らないのか。あの森にあるのは――」
セドリックが、朽ちた魔女の都市について説明してくれる。
どうやら、魔術を学ぶ大きな女子校の跡地を見て、いまの人々は魔女が暮らしていた都市だと語り継いでいるらしい。
魔術を扱う女性ばかりが暮らす場所という意味では間違っていないが、問題はそんな誤解が生まれるのに、一体どれだけの時間が過ぎたのかと言うこと。
「魔女の都市にいつごろまで人がいたか知ってますか?」
「300年前だろうな」
「300年前……」
思った以上に時間が流れていて、フィーアリーゼは身を震わせた。
「では、300年前になにがあったかご存じですか?」
「ああ。魔女の都市でおこなわれた魔術実験で魔法陣が暴走して、大気中の魔力素子(マナ)が枯渇したという話だ。というか、フィーアリーゼ嬢は、なぜそんなことも知らないんだ?」
「あ、いえ、その……ちょっと田舎から出てきたもので」
これ以上は疑われそうだと判断して質問を切り上げる。
だが、いまの質問だけでも、かなり重要なことが分かった。
フィーアリーゼが封印されてから最低でも300年は過ぎている。それだけの年月が過ぎているのに魔導具が出回っておらず、むしろ品薄にまでなっている。
そして――魔術実験の暴走で大気中の魔力素子(マナ)が枯渇。
魔力素子(マナ)がなければ魔術は使えない。魔術が使えなければ技術を伝承するのも難しい。長い年月を経て魔術が衰退し、魔導具の製作が困難になることもあり得るだろう。
ただ、先ほどは問題なく魔術が使えたし、以前よりも魔力素子(マナ)の濃度が上がっている。一度枯渇した後、徐々に回復したのだろうとフィーアリーゼは当たりをつけた。
ついでに、実験に失敗して魔力素子(マナ)の枯渇という結果にも心当たりがあった。
国の主要な拠点に設置されている礎の間には、国を支える巨大な魔法陣が設置されている。
普通の魔導具は、術者が魔力を込めるか、魔石に込められた魔力を消費して動く。だが、礎の間にある魔法陣は、大気中の魔力素子(マナ)を魔力へと変換することを目的としている。
そうして生成された魔力によって、国の公共施設を維持する魔法陣は動いている。
要するに、礎の間にある魔法陣は魔力素子(マナ)から魔力を作り出すことが可能で、人では発動できない、大量に魔力を必要とする魔術を継続的に発動させることすら可能になる。
もし、その魔法陣を不用意に使えば、周囲の大気から魔力素子(マナ)が枯渇する。ましてや、不完全な魔法陣で暴走させた日には、大陸中の魔力素子(マナ)が一時的に消滅してもおかしくない。
だからこそ、礎の間は厳重に管理されている。
本来なら、ごく一部の者しかはいることが出来ない。
だが、フィーアリーゼに着せられた濡れ衣は、その礎の間への不法侵入なのだ。
フィーアリーゼは侵入していないが、礎の間から証拠となるフィーアリーゼの持ち物が発見されているので、誰か他に侵入した者がいるのは間違いない。
もし礎の間に侵入した犯人が魔法陣を不完全に写し取り、実験して暴走させたとしたら、大陸中の魔力素子(マナ)が枯渇してもおかしくはない。
(パメラ……あなたなの?)
フィーアリーゼを陥れたベルディア侯爵家のご令嬢。
もっとも、礎の間にある魔法陣を流用してバレないと考えるのは浅はかだ。だから、本当にパメラがそんなことをしたかは分からない。
もしかしたら、暴走はまったく違う理由なのかもしれない。
ただ、フィーアリーゼにとってはつい先日の出来事で、偶然とは思えなかった。
「ところで、今度は俺からも質問して良いだろうか?」
セドリックが問い掛けてくる。
考え込んでいるあいだ、ジッと様子を探るような視線を向けられていたことは気付かずとも、さきほどの質問で警戒されている自覚のあるフィーアリーゼは背筋を正す。
「もちろんです、なにに答えれば良いんでしょう?」
「色々と聞きたいことはあるが、まずはフィーアリーゼ嬢の着ている服のことだ」
フィーアリーゼは内心でびくりと震えた。
彼女がいま身に纏っているのは、魔術学校指定の制服なのだ。もしかしたら、魔術学校の生徒であることがバレたのかもしれないと思った。
「これは、その……」
「そのチェックの模様は、一体どうやって染めているのだ?」
紺を基調としたタータンチェックのスカートが珍しかったらしい。
たしかに、彼らの着ている服はほとんどが単色の生地を使っている。ちょっと変わった染め方、こった刺繍を使っている物もあったが、制服のような生地は見当たらない。
素性がバレたわけではないと知り、思わずホッと息を吐いた。
「これは染めたわけじゃありません。最初に複数の色の糸を用意して、この模様になるように編んでいるんです」
「ほう……そうなのか。そうなると、かなり手間が掛かりそうだな」
「……そうですね」
どうやら、タータンチェックの生地を作って、販売するところまで思考を飛ばしているらしい。かなり商魂たくましい性格のようだ。
(少しは役に立つところを見せておけば、待遇を良くしてもらえるかな?)
お腹も満たされて余裕が出てきたフィーアリーゼは、周囲に視線を巡らせる。
魔導具を持っていないと言っていたセドリックだが、灯りで周囲を照らしたり、火を熾したりするような魔導具は揃っている。
「フィーアリーゼ嬢、なにか興味のある物が……あぁ、それか」
「あれも魔導具ですよね?」
「普通の魔導具なら比較的安価にで手に入るからな。一度使ったら便利で手放せん。もっとも、魔石をたくさん持ち歩かなくてはいけないのが玉に瑕だがな」
どうやら、一定のランクを越えると入手難度が跳ね上がるようだ。魔術の衰退で、製作難易度の高い魔導具が品薄になったのだろう。
「魔術師でなければ、魔石に魔力を込めるのは難しいですからね。……そうだ、食事と馬車に乗せてもらったお礼に、魔石に魔力を込めましょうか?」
「……む? それは助かるが……フィーアリーゼ嬢は魔術師なのか?」
「ええ。卵ですけどね」
魔術師であることを明かしつつ、それほどの力はないと主張する。そうして、魔術の現状についてあれこれ聞く作戦である。
「そういうことならよろしく頼む。――おい、おまえ達。今日はこの辺りで野営とする。それと、魔力のなくなった魔石を持ってこい!」
セドリックが馬車の外に向かって叫ぶと馬車が停止。護衛として外を歩いていた男が、他の馬車へと走って行った。
それからほどなく、その男が木箱を抱えて戻ってくる。
その箱を荷台に置いて蓋を開けると、中身はすべて魔石だった。それぞれが当たって割れないように布を挟んではあるが、かなりの数がある。
純度もそこそこで、決してクズ魔石ではない。
馬車が十台ほどと考えても、使い道を考えると少々多すぎるように思えた。
「ずいぶんとたくさんあるんですね?」
「もちろん、すべてに魔力を込めてくれとはいわん。無理のない範囲でも十分だ」
「いえ、これくらいなら問題ありませんよ」
木箱の下に魔法陣を展開して、箱の中にある魔石すべてに魔力を注ぎ込む。さすがに箱一杯の魔石のチャージは大変で、作業を終えたフィーアリーゼは「ふぅ」と吐息を漏らす。
「これでチャージは完了です。……セドリックさん?」
作業を終えて顔を上げると、なぜかセドリックが固まっていた。
「フィーアリーゼ嬢、確認させてくれ。いま、すべての魔石に魔力を注いだのか?」
「え? そうですけど……なにか、おかしかったですか?」
「い、いや、そんなことはない。……いたって普通の出来事だった」
「……ですよね?」
なにを驚かれているか分からなくて小首をかしげる。だが、考えても分からなかったので、まあ良いかと流すことにした。
「ところで、さっきの話ですが」
「な、なんの話だったか?」
「魔石の数です。使用する魔導具に対して、魔石の量が多すぎじゃないですか? 少し、魔導具を見せてもらっても良いですか?」
「もちろん、構わないが……」
セドリックの許可を取り付けて、火を熾す魔導具を手に取って魔力を流し込み、そこに込められている魔法陣を解析する。
(うわぁ……なにこの歪みまくった魔法陣。無駄も一杯あるし、魔石の使用量が増えるはずだよ。半分くらいの魔力が無駄に消えてるんじゃないかな?)
従来の火を熾す魔術に必要な魔力の倍以上は消費している。
デバイスの性能が低いのは安物だから仕方ないとしても、せめて魔法陣くらいはまともな物を刻むべきだろうと呆れ返る。
「……もしかしてこれ、お子さんからもらったプレゼントだったりしますか?」
「は? 俺は結婚していない。そもそも、そんな年の子供がいるように見えるか? それは店で買った品だ」
「では不良品を掴まされたんですね。それか、魔法陣を刻んだのがモグリの魔術師だったか」
粗悪品だと断じる。
取り敢えず、思い出の品ではないことを確認したので、魔法陣を書き換えても問題ないはずだと判断して、魔力を流し込んで魔法陣を消去。
新しく、火を熾すための魔法陣を魔力で焼き付けた。
ついでにもう一つの灯りを付ける魔導具を見ると、こちらもわりと酷かった。火を熾す方ほどではないが、使用時間が長いので相当に無駄が大きいだろう。
という訳で、フィーアリーゼは灯りを付ける魔導具の魔法陣を書き換えておく。
「これで大丈夫です」
「あ、ああ……えっと、もしや……魔導具を調整、したのか?」
「え? そうですけど……あ、そうですよね。私みたいな見習いに弄られたくはないですよね。勝手に弄ってごめんなさい」
許可を取ったのは、見せてもらうことだけだった。
見習いに弄られるなんて、不快に思われても仕方ないと頭を下げる。
「それは良いのだが……いや、なんでもない。魔導具の調整をしてくれたことに感謝する」
セドリックが感謝の言葉を口にするが、その表情はどこかこわばっている。どうやら気を使わせてしまったようだと、フィーアリーゼは少しだけ反省した。
そして、あまり迷惑を掛けないように大人しく野営の準備を見守ることにする。
真っ赤に染まった太陽が、遠くの丘に消えてゆく。
丘が真っ赤に染まり、そして空には夜が広がっていく。西の空には昼と夜の境界線が紫に染まっているのが見て取れた。
一日で最も美しいとされるマジックアワー。
「セ、セドリックの旦那、火を熾す魔導具の火力がむちゃくちゃ安定しているんですが!?」
「う、うむ、そのようだな……」
「それに魔導具の灯りも、一個だけ物凄く安定して光ってますぜ!」
「う、うむ、そのようだな……」
野営の準備をする者達が慌ただしそうに騒いでいるが、フィーアリーゼは邪魔をしないように美しい地平線をぼんやりと眺めていた。
それからしばらくして、野営の準備は完了。
更には熾された火を使って作られた料理を、みんなで集まって食べ始める。といっても、護衛は半数ずつの交代制のようだが――とにかく集まって食べる。
フィーアリーゼもまた、そんな輪に入って一緒にご飯を食べる。だが、周囲から向けられる視線が、こう……なんと言うか、ちょっと珍獣を見るような感じがした。
(なんだろう? あ、もしかして、さっきもご飯を食べてたのに、とか思われてるのかな?)
お腹いっぱいご飯を食べてから、まだそれほど経っていない。そう考えれば、続けて夕食を食べている小柄な姿は奇異に映るだろう。
だが、先ほど食べたことを考慮して、フィーアリーゼの皿に装われているのは少なめである。いくらなんでも、ジロジロと見られるほどではないはずだ。
(だとしたら、野営の準備を手伝わなかったのに、とか?)
その可能性はありそうだ。
もっとも、商隊のピンチを救って、魔石に魔力も込めた。そう考えると、働かざる者と分類されるほどではないはずだ。
やはり理由は分からないが、視線が集まっていて居心地が悪いことに変わりはない。誰かになにか言われる前に夕食を切り上げて、少し周囲を散歩することにした。
とはいえ、周囲は森に沿った街道で、反対側は平原が続いているだけだ。星空が綺麗だとは思うが、他に見るべきものはなにもない。
……いや、街道らしき道は、どうやら踏み固められているだけらしい。
街道の太さや、十台にも及ぶ商隊が通行するような道であることを考えれば、決してこの辺りが田舎というわけではないだろう。
だとすれば、道を作る技術すら低下していることになる。
もっとも、大きな街道を整地するのは魔術が主流。なので、低下しているのは魔術の技術だろう。魔導具だけでなく、魔術すべての技術が衰退しているのかもしれない。
そう考えれば、フィーアリーゼの行動に彼らが驚いていたことも理解できなくはない。
きっと、フィーアリーゼが魔導具を調整したり、魔石に魔力を込めたのは、この時代の魔術師の卵には出来ないような作業だったのだろう。
フィーアリーゼは学年主席であったが、他の学年や別の学校にも優秀な生徒はいた。
そんなフィーアリーゼが学生とは思えないレベルに見られているのだとしたら、相当に魔術の水準は低下している。
本当になにがあったんだろうと、フィーアリーゼは散歩をしながら考えた。
(こっちの素性を話しても問題のない情報源が欲しいわ)
セドリックは悪い人間じゃなさそうだが、商人として利益を優先する可能性は否定できない。すべてを打ち明けるには信頼が足りない。
この時代に魔導具が出回っていないのなら、アリアが果たせなかった夢、平民の暮らしを豊かにする魔導具を作りたいとフィーアリーゼは考えている。
だが、いまはこの時代に対する情報が不足しすぎている。フィーアリーゼが全力で魔導具を製作したら、厄介事が起きるかもしれない。
「うぅん、これからどうしようかなぁ」
「なにかお悩みのようですわね」
独り言に答える声があった。
フィーアリーゼはとっさに防御用の魔法陣の展開準備をして一瞬だけふらついた。
もしかしたら疲れているのかもしれない。そんなことを考えながら周囲の気配を探り、側に止められている馬車に人の気配があることを察知する。
「そこに誰かいるの?」
「ええ。でも、私が出ることは出来ないから、もしよろしければあなたが馬車に入ってきてくれないかしら?」
「……どういうこと?」
「入れば分かるわ」
入れば分かるが、入らなければ分からない。というか、説明するつもりはないらしい。
少しだけ警戒したものの、馬車の荷台は布で目隠しされているだけで、特に施錠されているわけではない。セドリックの馬車であることも考えれば危険はないだろう。
そんな風に判断して、フィーアリーゼは恐る恐る馬車の中へと顔を覗かせる。
「あなたは――」
フィーアリーゼの瞳に映ったのは、桜の色味を帯びた金色の髪を持つ少女。黒く吸い込まれそうな瞳でこちらを見つめる彼女は――みすぼらしいローブ姿で、鎖に繋がれていた。
「初めまして。わたくしはセシリア。見ての通り、奴隷ですわ」
「奴隷? どうしてあなたみたいな女性が……」
「理由? 理由は……騙されたから、かしらね」
「まさか――」
フィーアリーゼの時代から、奴隷の売買は国で認められていた。
だから、奴隷がいること自体は、驚くべきことじゃない。だが、奴隷がどこかのご令嬢のように品がある女性で、その口から零れた騙されたという言葉。
セドリックの商隊が、非合法な奴隷商である可能性に思い至って戦慄する。
「フィーアリーゼ嬢、どうかしたのか?」
「――っ」
いつの間にか背後にセドリックが立っていた。
とっさに防御用の魔法陣を展開しようとする――が、さっき以上にふらつく。というか、急激に意識が朦朧としてきた。
(まさか、食事に毒が!?)
セドリックが一歩近付いてくる。
もはや迷ってる時間はない。フィーアリーゼは歯を食いしばって自分に敵意を抱く者を寄せ付けない結界を展開しようとする――が、その前にへたり込んだ。
「――フィーアリーゼ嬢!」
セドリックは抵抗出来ないフィーアリーゼの身体を捕まえる。自分も奴隷にされちゃうんだと、フィーアリーゼは絶望を抱きながら意識を手放した。
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