孤高の魔女の誕生譚 1

 セルベリア大陸の中央には、魔の森が広がっている。

 様々な魔物が生息するがゆえに、一般人は滅多に近付かない。そんな森の遺跡にある隠し部屋はいまなお、大気中の魔力素子(マナ)を吸収して光る魔導具に照らされていた。


 そんな部屋の真ん中に設置された、巨大なクリスタル。周囲の光に照らされて虹色に煌めくその中には、一人の女の子――フィーアリーゼが閉じ込められている。


 そのクリスタルに、ピシリとひびが入った。


 最初は小さな一筋のひびに過ぎなかったが、続いてピシッ、ピシシッと亀裂が幾筋にも入り、それがクリスタル全体へと広がっていく。

 亀裂で真っ白に染まった直後、凄まじい音を立ててクリスタルは砕け散った。


 突然の浮遊感に驚いたフィーアリーゼは膝を折り、ペタンと硬い床に座り込んだ。一難去ったことで息を吐いた彼女の肺に、かび臭い空気が入り込んでくる。


(なに? どうなってるの? 私は、たしか……)


 脳裏に流れ込んでくるのは、彼女にとっての直前の記憶。


 アリアを傷付けられて我を見失ったフィーアリーゼは横暴貴族の策略にはまって濡れ衣を着せられ、重犯罪人として永久封印の刑に処せられた。

 その事実を思い出して唇を噛む。


(でも、どうしてまた目覚めたの?)


 永久に目覚めないから永久封印というのだ。本来なら目覚めるはずがない。

 封印が失敗したのだろうかと辺りを見回すが、フィーアリーゼの封印に立ち会っていた面々はおろか誰一人いない。

 そもそも、周囲の景色が先ほどまでと違う、シンプルな部屋に変わっている。


(封印がなんらかの理由で解けたのかしら?)


 濡れ衣だと証明されたのなら、封印を解いた先生なり騎士なりがいなければおかしい。にもかかわらず、この場にはフィアリーゼの他に誰もいない。


 だとしたら、フィーアリーゼの封印が解除されたのはイレギュラー。封印が解けたことを知られたら、また封印を施されるかもしれない。

 そうしたら、今度こそ二度と目覚めることはないだろう。


(ここから逃げないと……)


 脱出に役立ちそうなものはなにかないかと辺りを見回したフィーアリーゼは、机の上に腕輪型の魔導具があるのを見て息を呑んだ。


 それは、フィーアリーゼが封印される直前、アリアと作り出した試作品第一号だった。

 それが完成したとき、フィーアリーゼはアリアと友達になるはずだった。だが、横暴貴族の策略によって、その小さな願いは無残にも潰された。


 その試作品がここにある。平民の暮らしを豊かにするために生まれた試作品。それがここに置かれている理由は……分からない。


 フィーアリーゼはアリアに会って話をしたいと心から願った。だが、そうしたらフィーアリーゼは捕まるし、今度こそ・・・・アリアを巻き込んでしまうだろう。

 だから、いまは逃げるしかない――と、フィーアリーゼはぎゅっと拳を握り締めた。


 試作品の腕輪を手に取って、こっそりと部屋の外へと顔を出す。そこに広がる光景を目にしたフィーアリーゼは思わず息を呑んだ。


 最初、そこが学校の地下であることすらも分からなかった。廊下は埃が積もって荒廃し、部屋という部屋が荒らされている。

 廃墟さながらの光景がそこに広がっていた。


「なによ、これ……」


 校舎自体に魔法陣が組み込まれている学校が、こんな風に荒廃するなんてありえない。なにがどうなったらこんなことになるのかと、フィーアリーゼは混乱する。


 ただ、なんらかの異常事態が起きたことだけは間違いない。

 フィーアリーゼは必死になって周囲を探索したが、アリアは無論のこと、人っ子一人、そして死体一つ見つけることは叶わなかった。


 それどころかすべての部屋が荒らされていて、机のような家具まで持ち去られている。

 フィーアリーゼの目覚めた部屋が無事だったのは、隠し部屋になっていて外から発見されなかったのが原因のようだ。


 そして、建物が荒廃しているのは、建物を維持する魔法陣に魔力が供給されていないことが原因のようだ。しかも、供給が止まってから、少なくとも百年以上は経っている。


 つまり、当時の人間がいまも生きているなんてことはありえない。アリアはもう、この世界のどこにもいないのだと、否応もなく理解させられた。


 せめて、アリアが幸せな一生を過ごしたことを願う。

 祈るように目をつぶり、これからどうするかを考えた。


 百年以上過ぎていることを考えれば、フィーアリーゼが罪に問われる可能性は低い。だが、学校は廃墟になっていて、工房にはなにも残っていない。

 それどころか、食料だって残っていない。

 このままここにいても、なにも為し遂げられずに飢え死にするのが関の山だ。


  ねぇ、フィーアリーゼ。

   私と一緒に、平民の暮らしを豊かにする魔導具を作ろうよ。


 脳裏をよぎったのは、アリアの口癖だった。

 あのころのフィーアリーゼは曖昧な返事しかしなかった。一緒に開発を進めながらも、自分から一緒に作りたいと口にすることは出来なかった。


 だけど、心の底ではずっと一緒に頑張りたいと願っていた。

 自分にはない才能を持つアリア。貴族の地位にありながら、平民であるフィーアリーゼにも普通に接してくれる女の子。彼女と、友達になりたいと願っていた。

 だから――


「……平民の暮らしを豊かにする魔導具、か」


 いまの世界がどうなっているのかは分からない。

 もしかしたら、フィーアリーゼの知る魔術は時代遅れになっているかもしれないし、もっと別の技術が台頭しているかもしれない。

 フィーアリーゼは必要とされないかもしれない。


 だが、フィーアリーゼに残っているのはアリアと果たせなかった約束だけ。だから、フィーアリーゼは試作品の腕輪を腕に付け、人里を探すべく学校を後にした。




 だが、学校の外は相変わらずの魔の森で、行けども行けども森から出られない。明らかに、フィーアリーゼの記憶にあるよりも森が深くなっていた。


 それだけでなく、大気中の魔力素子(マナ)が濃くなっている。

 魔術や魔導具の行使に必要な魔力の元となり、魔物の生命の源ともなる力。それが大気中に満ちていることで、周囲の魔物も増えている。


 まともに戦って負けることはないが、気の休まる時間がない。このままだと、目的がどうとか言う以前に、森の中で朽ち果ててしまう。


「お腹、空いたよぅ……」


 フィーアリーゼは泣き言を漏らした。

 森には木の実や果物なんかもあるが、見たことのない品種ばかり。どれが食べられて、どれが食べられないのか分からない。

 下手に食べて食中毒になったら目も当てられない。


 もちろん、いざとなったら食べるしかないのだが、それは最終手段だ。フィーアリーゼは農村出身であるがゆえに、知らない果実の怖さを良く理解していた。


「たしか、こっちの方に行けば森の外に出られたはずなんだけど……」


 歩きながらサーチの魔術で周囲を探索しているのだが、探知できる範囲には森と魔物以外には見つけられない。


 水は魔術で生み出せるが、食料を生み出すことは出来ない。空腹が限界に達したとき、フィーアリーゼは覚悟を決めて果物を手にした。


 出来るだけ毒がなさそうで、鳥とかに食べられている種類を選ぶ。

 一般的に食されるような果物でも、種や皮には毒がある場合があるので、慎重に慎重を重ねて、フィーアリーゼは果実を一欠片だけ口に含んだ。


 完熟な果物の味が口の中にぱぁっと広がる。そのままむさぼりたい衝動に駆られるが、我慢して吐き出す。そうして、じっくり数分ほど待って、口が痺れないことを確認。

 ようやく警戒心を緩めて、果物にかぶりついた。


 甘くて美味しい――が、万が一を考えて食べるのは一つで我慢。大丈夫そうなら後で食べようと、二つほど果物をもいで制服のポケットに入れる。


 それから少し休憩して、再び森の中を歩き始める。

 何時間ほど歩いただろう? 太陽が西に傾き始めた頃、サーチの魔術の限界範囲、数百メル先に森の外縁部が掛かった。

 しかも、その外縁沿いに街道らしき道が走っている。


 フィーアリーゼは最後の力を振り絞って街道を目指した。


「……たしか、ここら辺だったよね」


 再びサーチを使った瞬間、「えっ!」と声を漏らす。

 街道のサーチ範囲内に、馬車らしき反応が十台ほど。しかも周囲には魔物の反応。馬車が魔物に襲われているのを察知したからだ。


「せっかく見つけた救いの手、全滅されたら大変だよ!」


 精神的に追い詰められていたフィーアリーゼは、善意三割、欲望七割で駆け出した。魔術で身体能力を強化して数百メルを一気に駆け抜け、馬車が見える距離にまで接近する。


 馬車を襲っているのはブラウンガルムの群れだった。魔術師にとって物の数ではないが、平民にとっては脅威となり得る魔物だ。


 現に護衛らしき剣士が十数人ほど、馬車を護りながら戦っているが、ブラウンガルムの機動力と数に翻弄され、苦戦しているようだ。

 いまのところ負傷者はいないようだが、戦闘が長引けばそれも分からない。


 フィーアリーゼは魔術で魔物を薙ぎ払おうとして――腕輪の存在を思い出した。

 実験するのに、これほど最適な状況は他を置いてない。さっそく実戦テストをするべく、魔力を魔導具の腕輪に流し込んだ。


 本来は魔石に込めた魔力を消費するのだが、魔石の魔力が空っぽだったので、今回は自分の魔力を直接流し込む。

 冒険者達に襲いかかっているブラウンガルムを余さず視界に収めて、打ち抜く対象だと認識する。その敵意に反応して、魔導具が正しく敵だけをロック。

 それを確認した彼女は、魔導具の攻撃魔術を発動させる。


 魔導具の腕輪から幾筋もの光が飛び出して、ブラウンガルムを打ち抜いていく。

 獣の勘か、とっさに回避したブラウンガルムもいるが、光は弧を描いてブラウンガルムを追尾、決して周囲の人間を巻き込むことなく、ロックした対象だけを貫いた。


(うん、完璧。さすがは私とアリアが共同製作した試作品だね)


 二つの魔法陣は正しく起動し、その展開速度にも特にストレスはなかった。

 むろん、フィーアリーゼの本気の魔術には及ばないが、魔導具として考えれば、ありえないほどに高性能だ。


(まぁ、ここが数百年後の世界なら、技術が時代遅れになってる可能性があるんだけどね)


 だが、人々の暮らしが良くなっているのならそれでも問題ない。そう考えたフィーアリーゼだが、同時にそれはなさそうだという結論にも至っていた。


 もしこの試作品が量産されて平民の手に渡っていれば、目の前の者達がブラウンガルムの集団ごときに苦戦しているはずがないからだ。


 ――と、フィーアリーゼが考えているあいだにも、突然目の前の敵達が打ち抜かれたことに、護衛の剣士達が動揺していた。


「な、なんださっきの攻撃は! 誰がやった!」


 剣士達が周囲の警戒を始める。


 フィーアリーゼにとっては基本的な攻撃で、脅かすつもりは全くなかった。

 魔導具の魔術でここまで驚かれるのなら、フィーアリーゼ自信が魔術を行使していたらもっと警戒されていただろう。腕輪を使って良かったと胸を撫で下ろす。


「落ち着け! 詳細は不明だが、魔法は敵だけを貫いている! 周囲を警戒しつつ、ブラウンガルムに生き残りがいないか確認しろ!」


 リーダーらしき精悍な青年が周囲に命令を飛ばす。他の護衛者達はその声に従い、周囲の警戒をしながらブラウンガルムにとどめを刺して回る。

 その頃には、フィーアリーゼに気付いた剣士が現れた。


「そこの娘、何者だ!」

「落ち着いてください。こちらに敵意はありません」


 ちょっとお礼に食料が欲しいだけです――なんて内心はおくびにも出さずに、ふわりと微笑んで見せた。その瞬間、剣士達がざわめき始める。

 それらの声を拾って纏めると、少女がこんな場所に一人でいることが不自然らしい。


(たしかに道中が退屈だし、女の子の一人旅は珍しいかもしれないね)


 フィーアリーゼは少しずれたことを考える。

 そんな中、さきほどのリーダーらしき青年が仲間達に静まるように号令を掛け、静かになったところでフィーアリーゼへと視線を向けた。


「さきほどの攻撃はおまえか?」

「ええ。苦戦しているようだったので援護したんですが……余計なお世話でしたか?」

「いや、あれがなければ負傷者が出ていたかもしれない。感謝する」


 精悍な青年が茶髪に縁取られた表情を少しだけ和らげた。顔立ちこそ荒っぽい感じだが、笑顔は意外と優しげだ。魔術学校のご令嬢達が見れば、黄色い声をあげるだろう。


 なお、フィーアリーゼはご令嬢に含まれない。彼女が思ったのは(優しそう、ご飯分けてくれるかも)だった。

 まだまだ色気より食い気なお年頃。

 ……いや、単純にお腹が空きすぎているだけかもしれないが。


 それはともかく、フィーアリーゼは安心しましたと会釈する。


「あらためて、商隊を救ってくれたことに感謝する。俺はこの商隊の主であるセドリックだ」


 名乗りを上げた彼は護衛のリーダーではなく、商隊のリーダーだったらしい。

 フィーアリーゼは少し迷った末に本名を名乗った。


 封印されてから100年以上。よもや自分の素性がバレるはずがない。

 偽名を名乗って返事が遅れるなどの失態で警戒されるよりは、本名で堂々としていた方が怪しまれないだろうという判断である。


「そうか。では、フィーアリーゼ嬢。さきほどの攻撃はもしや魔導具か?」

「ええ。この魔導具の腕輪です」


 試作品なんです――なんてことは言わない。一般に出回っていなくても、既に型遅れになっている可能性は捨てきれないからだ。

 だが、フィーアリーゼの予想に反して、セドリックはギラリと目を光らせた。


(あ、これはまずったかも)


 さきほどのセドリックは、もしや魔術か? ではなく、もしや魔導具か? と尋ねた。フィーアリーゼが魔導具を使ったかも知れない事実に驚き、もしやと確認したのだ。

 つまり、彼にとって魔導具はありふれた道具ではなく、高級品だと言うことだ。


 だが平民とはいえど、商隊を率いる者なら魔導具の一つや二つ持っているはずだ。少なくとも、裕福層が買える程度には出回っていた。


(もしかしたら、封印されているあいだに魔導具の価値が上がってるのかもしれないわね)


 セドリックが魔導具を奪いに襲いかかってくることを警戒してさり気なく後ずさる。それから、こっそりと攻撃魔術と防御魔術をいつでも展開できるように備える。


「おっと、警戒させてしまったようだな。すまない。商人として珍しい魔導具が気になっただけで他意はないんだ。どうか許してくれ」


 セドリックは戦う意思はないとばかりに両手を上げた。

 これで、周囲の連中がさり気なく距離を詰めてきたら真っ黒だが、幸いにして他の者達も大人しく待機している。

 少なくとも、この場で襲ってくるようなことはなさそうだ。


(不安だから、防御魔術だけは待機させておこうっと)


 こっそり準備していた攻撃魔術はキャンセルして、表向きはもう警戒してませんよと平静に振る舞い、内心では出来るだけ情報を引き出すために考えを巡らす。


「魔導具が珍しいって言いましたけど、商隊を率いるのには便利ですよね? セドリックさんはお持ちでないんですか?」


 セドリックの反応から、絶対に所持がありえないレベルではない。商隊でなら持っていても不思議ではないと判断して探りを入れる。


「俺も常々手に入れたいと思っているんだがな。品薄でなかなか手に入れられないんだ」


 やはり商隊規模であれば、所持していてもおかしくないらしい。

 だが、品薄というのが良く分からない。


 フィーアリーゼが封印された時代であれば、試作品が珍しいというのは分かる。だが、それから少なくとも百年以上は過ぎている。

 アリアが普及させなかったとしても、いままで誰も開発しなかったなんてあるだろうか?


 自分が封印されているあいだになにがあったのかと、フィーアリーゼは首を傾げる。


「ところでフィーアリーゼ嬢は、どこへ行く予定なんだ?」

「え? あぁ……えっと。あてもなく旅をしていたんですが、森で迷ってしまって、途方に暮れていたんです。もしよろしければ、馬車に同行させてくれないでしょうか?」

「ふむ? こちらとしても、恩人に恩を返す機会を得られるのならありがたい。同行を歓迎しよう。ほかに、なにかお礼となるものはないか?」

「あ、それでしたら――」


 フィーアリーゼのお腹が可愛らしく鳴った。

 その顔が真っ赤に染まっていく。


「そ、その、食料を少し分けてもらえないでしょうか?」

「い、いいだろう。大至急手配させよう」


 セドリックの頬が引き攣っていたのは、おそらく笑いを堪えたからだろう。

 どうせ笑いを隠すなら、こちらには分からないようにして欲しかった――と、フィーアリーゼは羞恥にその身を震わせた。

 

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