戦争の悪魔と少女

ろくなみの

戦争の悪魔と少女

「2時の方向に敵が2名。射殺します」

無線で本部にそう伝え、スナイパーの引き金にゆっくりと指を伸ばす。

「初の現場だ。緊張はしないのか?」

ボスは休日のコメディ映画のようにそう尋ねる。

「我々が悪魔と呼ばれているのはご存知でしょう? 無意味な質問は控えてください」

「お固いねえ。まあいいや、とっとと綺麗にしてくれ。私たちの勝利は君たちにかかっていると言っても過言ではないんだぞ?」

 戦場の匂いは初めてだった。荒廃した血と硝煙の香りが鼻腔に入り、どことなく馴染む。遺伝子から戦場を好むように作られていることをこういう時に実感する。

「ねえおじさん! 私のお父さんを知らない?」

 戦場に似つかわしくない明るく眩しい声が耳に飛び込んできた。照準が乱れかねないため、指を引き金からそっと離す。構えたうつ伏せの姿勢のまま声の方向を見ると、金色の髪がカーテンのようになびいていた。見上げると青いガラス玉のような瞳の幼女がそこにはいた。

「ここをどこだと思っているの? 君はまだ子どもだ。避難してろ」

「ひなん?」

「どこかに逃げてかくれてほしいということだ」

「私の話聞いてた?  お父さんがいないの!  お父さんがここにいるかもしれないのに隠れるわけにはいかないでしょ?  銃で打たれてお父さんが死んじゃったら悲しいじゃない」

 本当なら今すぐ任務の邪魔になるこの子を排除するべきなのだが、戦争の悪魔として作られた私としたことが彼女の保護を優先すべきという自己判断をすることにした。

「ボス、子供の民間人がいたため彼女の保護を優先します。子どもは殺せません」

「あ? さっきの2時の敵はどうしたんだ」

「すでにスキャンしています。ゴーグル上のマップに表示されているのでいつでも殺せます」

「……便利なもんだな」

ボスの通信はそこで途切れた。

「君」

「君じゃないわ。お父さんがつけてくれたジェニーって名前があるのよ」

「そうか、ジェニー」

子供の意地っ張りなところは理解できない。

「それで、お父さんの特徴は?」

「私が小さい頃から仕事ばかりで覚えてないの。でも今帰ってきてるって話なのよ。家に写真があるわ。ついてきて」

 ジェニーは戦争兵器の私より軽快な動きで荒廃した住宅街へと駆け出した。重々しい武器を背負いながら彼女のペースに追いつくにはなかなか根気がいる。ただ彼女の背中はどこか頼もしく、一人の戦士のようにも見えた。

 たどり着いた家は緑色の屋根に白い壁といった二階建ての一軒家だった。本部の寝床とは大違いだ。こんなところで寝て起きて、飯を食えたらどれだけいいだろう。

「だめだ!」

 自分でそう叫んで頭を殴る。

「私は戦争のために生まれ、戦争のために死ぬ悪魔。それ以上のことを望んではならぬ。望んでは」

「おじさん、自分を叩いちゃダメよ」

 いつのまにか先に進んでいた彼女は私の前に立っていた。

「自分を大切にしないと」

「私はそのような存在ではないんだ。人間じゃないんだよ、ジェニー」

「人間じゃないの? ロボットってこと?」

「ああ、そうだよ」

 正確には半分といったところだが、ジェニーの理解度に合わせるには肯定した方がいいだろう。

「これ、お父さん」

 ジェニーはガタイのいいたくましい男の写真を見せてきた。目元はどこか優しい。以前見たことがある気がする。

「どう?」

「いいや、知らないな」

ジェニーはするとどこかやりきれない表情を浮かべた。

「ご飯食べていかない?」

「携帯食料がある」

「作りすぎちゃったのよ」

 ジェニーはそう言うと小走りで家へ戻り、皿の上にパイを乗せてやってきた。赤々としたジャムが太陽のように輝いていた。戦場の血生臭さとは対照的なほど甘い香りが鼻をくすぐる。

「お父さんもこれが好きだったんだ」

 ジェニーが差し出すパイに口をつける。

「どう?」

「ああ、世界一だ。ジェニーの作るパイは世界一だな」

「ふふふ、お父さんと同じこと言ってる」

 ジェニーは目に涙をためながら笑った。

「君のお父さんとは気が合いそうだね」

「君じゃないわ、ジェニーよ」

「そうか。いい名前だな、ジェニー」

「当たり前でしょ? お父さんがつけてくれたんだから」

 わたしには悪魔として改造される前の記憶はない。だがもし人間だった頃に、人間の人生であればジェニーのような子と一緒に暮らしたいなと思った。

「ジェニー。よかったら、また来てもいいか?」

「うん、いつでも帰ってきて。待ってるから」

「ここはジェニーとジェニーの家族の家だ。私の帰るところじゃない」

「ううん、帰るところよ」

 ジェニーはそう言うと私をそっと抱きしめらた。戦争の悪魔として私は作られた。涙が出るのは不合理なはずなのに、どうしても目から滴る熱い雫を止めることはできなかった。

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