6.まだ、ティーブレイク

「あぶないわ、逃げて」

 突然シュワノールが、今日はいいお天気ね、という調子で言った。

「なあに?」

「だから、あぶないの。逃げてね」

 シュワノールの視線を追うと、また、あの金属の管の先端が、天上から顔を出している。

「なに言ってるの。二度、同じ手には引っかからないわよ」

 すると、いきなり熱い液体が、頭の上から降ってきた。

「きゃー! 熱い!」

 あわてて飛びのいたが、すでに全身がびしょ濡れである。私は、あわてふためきながら、叫ぶ。

「熱い! 服がものすごく熱い!」

「だったら、脱いだ方がいいわ」

 言われなくても、もはや限界を突破している。乙女のたしなみも、人前である恥じらいも、構っている余裕は、ない。必死で着ているものを全部脱ぎ捨てる。下着まで茶色くぐじょぐしょなのである。耐えられる熱さではない。

 くつの中まで、池、というより、温泉のわき出る泉みたいだ。無我夢中で、くつを脱ぎ、くつ下をはぎ取る。

 シュワノールが、子供をあやすように言う。

「しょうがない子ねえ。脱いだものをちゃんとたたんで、洗濯室まで持っていってちょうだい」

 私は、煮えたぎるような熱さから解放されて、生まれたまんまの姿で、シュワノールに食ってかかる。

「持っていった服を捨てるんじゃないでしょうね」

「そんなことしないわ。ただでさえ、この街の廃棄物処理システムが、限界に近いっていうのに」

「私の制服は、廃棄物か!」

「だから、廃棄しないって」

 私は、恥ずかしい格好なのも忘れて、ともかく抗議をする。

「だいたい、何で紅茶が、頭の上から降ってくるのよ」

「だって、退屈しなかったでしょ」

「じょうっだんじゃないわよ。だいたい私は、あんたに相談しに来たのよ。こんな目に合わされる理由がないわ」

「世の中、理不尽なことは、いくらでもあるわ。それより、いつまでそんな、ぶざまな格好しているつもり?」

「あんたのせいだろーが!」

 ともあれ、シュワノールが床やテーブルに飛び散った紅茶の始末をしている間に、私は脱いだものを運び、そのまま冷たいシャワーをあびる。熱い思いをした肌に、冷たい水が心地よい。汚れを流すというより、熱をさますために、普段よりずいぶん長く水の流れにみをさらす。

 ……そしてなぜか、私は豚の着ぐるみを着て、元の椅子に座っていた。

「なんか、もっとほかに、着るものないの?」

「ないわ。いやなら、ずっと裸でいることね」

 顔の部分はくりぬかれていて、私の顔がそのまま出ているのだが、さっき鏡で見たら、ブタ以外の何者にも見えない。

「あんたねー。だいたい、あんたがあんなバカなことをするから、こんなことになっちゃったんじゃないの!」

「でも、やけどしなかったでしょ?」

「ああ、そういえばそうね。すぐに脱いで、シャワーを充分に浴びたからかしら」

「ううん。やけどしない、ギリギリの高温に設定してあるから」

「なにー! あんた、こりゃ、犯罪だぞ!」

「それでね、相手の話を素直に聞くということは、自分の内面に、自分の考えとは別に、もうひとつ場所ができることになるの」

「ふむふむ」

「昔は、他人の話を聞かないっていう人が、いたものよ」

「話には聞いてるわ」

「まあ、聞かないっていうより、聞けないっていうのが、正しいんじゃないかと思うんだけどね。そういう人は、認識が分化していないから、他人の考えを受け止める場所がない」

「なるほど」

「まあ、他人の話を聞かないから、認識が分化しないのか、認識が分化していないから、他人の話を聞くことができないのか」

「とり肉が先か、卵料理が先か、みたいな話ね」

「ニワトリが先か、卵が先か、よ。認識な分化していないと、他人の話を聞くという、一番基本になることすら、できないことになるの」

「基本、ってことは、その先があるの?」

「もちろん。ここから先がだいじになるんだけど。元々の自分の考えと、新しく入ってきた他人の考えとが、自分の認識の中にあったら、ジュミちゃん、どうなると思う?」

「そりゃ、二つを比べてみることになるでしょうね」

「御名答。ここにおいて、人間は、はじめて考える、ということを覚えるの」

「でも、他人の意見を聞かない人だって、考えることはするでしょ?」

「それは、他人の意見を聞かないんだから、ひとりよがりよ」

「なるほど、片寄っていても、間違っていても、修正する方法がないのね」

「で、元々の考えと、新しい考えを比較すると、結果は三つのパターンにわかれるの」

「三つ?」

「そう。細かくいうと四つなんだけど、最後の一つは認識できないから、実質的には三つ」

「で。なにと、なにと、なに?」

「まず第一。元々の自分の考えが正しかったという場合」

「じゃ、他人の意見を聞いたのが、損になるじゃない」

「ううん、そんなことないの。比較するってことは、両方の同じところを見つけたり、違うところを探したりすることでしょ」

「それは、そうね」

「そして、どうして元々の考えが正しいのか、ちゃんと理由を考えて、決めるの」

「なるほど」

「だから、考える力をつけるし、どうして元々の考えが正しいのか、理由がよりはっきりするわけ」

「そうか。考える力がつくと同時に、自分の考えがよりしっかりするわけね」

「その通り。で、二番目のパターン」

「はいはい」

「これは、さっきとは逆に、新しい考えが正しい、というパターン」

「なるほど、第一のパターンと、まったく反対ね」

「この場合も、比べる力、考える能力は、向上するわ。そしてもう一つ」

「もう一つ?」

「今までの考え方が間違っていて、それより良い考え方を知ったことになるわけ」

「なるほど。そりゃ、大もうけだ」

「ね、ひとりよがりにならないでしょ?」

「そうね。しかも、それがずっと続くのね」

「そう、長い人生においては、大きな差になるの」

「で、第三のパターンは?」

「どちらも正しい場合」

「なんじゃそりゃ?」

「たとえば、ゾウっいう動物がいるでしょ?」

「子供たちに、人気よね」

「ゾウって、どう説明する?」

「そうね、すごくおっきいわ」

「ほかには?」

「そうねえ。えっと、鼻が長い」

「そう。たとえば、元々の認識が、ゾウは大きい、ということだったとするわね。そして、新しい認識が、ゾウは鼻が長い」

「なるほど、どちらも正しいわね」

「そう。そして、この比較をして、考えることによって、知能水準も高まるし、ゾウというものを、より深く認識できることになるわけね」

「ふーん。で、認識できないパターンってのは?」

「第四のパターンね。これは、今のと逆。どちらも間違っている場合」

「たとえば、元々の考えがゾウは小さい、新しい考えがゾウの鼻は短い」

「その場合は、比較して考えるだけじゃ両方間違ってるなんてわからないから、第一から第三の、どれかのパターンになってしまうのよね」

「それって、問題じゃないの」

「でも、考えることはすごく大事だし、ここで考えておくことで、将来正しい認識と出会った時に、より深いレベルで、その正しさがわかるようになるわ」

「まあ、一度真剣に考えてるわけだしね。それにしても、知能水準っていうのは? 頭がいいってこと?」

「違うの。まあ、認識がどれだけ分化しているか、っていうことね、知能水準っていうのは。他人の話を素直に聞いて、認識が分化していくと、たとえば、二人の意見を聞いて、元々の考えと合わせて三つの考えを比べることができるようになるの」

「それはまた、難しそうな」

「あなたには、そうでしょうね」

「なにー!」

 歯をむき出して怒ってはみるが、さっきの認識スキャナーで、認識が二つにしかわかれていないと言われたことを思い出す。なあに、この女のハッタリだ!

 シュワノールは、こちらの激怒にも気がつかぬように、平然と続ける。

「だから、認識が分化していればいるほど、知能水準が高いって思ってもらえれば、いいの」

「でも、他人の意見を聞こうとしない人のなかにも、頭がいい人だっているはずだわ」

「頭の良さと、知能水準の高さとは、別なの。他人の意見を聞かなくても、それなりに自分の考えを組み立てたり、それなりに立派に生活している人もいるわ」

「そうでしょう」

「結局、頭の良さで、知能水準の低さを、カバーしているのね。でも、それって結局、ひとりよがりなのよ」

「そうかしら。たとえそうだったとしても、見分けはつかないわね」

「あなたには、そうでしょうね」

「なにー!」

「そもそも、人の話を聞く力はないし、自分の考えと比べて相手の考えの弱いところを指摘する、なんて能力はないから、よく見ていればわかるわ」

「そんなもんですかね」

「まあ、一般的には、自分の考えだけを主張して、他人には意見を言わせないようにするわね」

「でも、相手が意見を言ったら?」

「それは全然違います。もっと勉強してください、なんて言うわね」

「うーん。なんとなく、納得できない」

「ともかく、相手の意見や考えを受け止めて、それに対して具体的に答えられるかどうか。そのあたりを、じっくり見ることね」

 どうも、この、ウサギの着ぐるみの言うことは、うさんくさいような気がする。そういう私も、決して自分の意思ではないけれども、今は豚さんなんだけれども。

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