#34 反撃の狼煙
結果。
俺は会議室に戻ってきたアイリスの姿を認めるや否や彼女に抱きつきかけたが、なんとかかんとか寸前でこらえた。
だけど彼女の姿を見るなり駆け寄ることは止められず、全身から湧き出してくる喜びも止められず、葛藤に震える俺を前にアイリスは完全にドン引きしていた。
「アイリスさん、すげーーーーーよ! おかげで全部、事件解決だ!」
「はあ?」
俺は親の都合も考えないアホな子供みたいにアイリスを引っ張って、マリナ先輩のそばへと連れていく。そこにはすでに新事実発覚の熱気に目を覚ました捜査員たちが、目だけをぎらぎらと輝かせた猟犬の様相で集結していた。
そこにいる全員は一秒でも早くマリナ先輩のハッキング結果とそこに付随する新事実を知りたかっただろう。だけどそのお披露目に、どうしてもアイリスを欠くことはできなかったのだ。これはきっと、彼女がいたからこそ見つかった真実なのだから。
「……結論から言えば、たぶんアタリですわね」
そして、照明が落ちる。先輩はアイリスが来るまでに簡易にまとめたデータをプロジェクターから投影し、何人かはスクリーンの方へ目を向けたが、残りは全員先輩とPCのモニターを食い入るように見つめている。首を動かすのも面倒なんだろう。
「警察庁にバレれば絶対に怒られる手段で調べてみた結果。スクリアルワールド・ジャパンからは、毎月ほぼ1000個単位でマッディ・マッドランのぬいぐるみ……略してマッディ人形が出荷されています」
こういうの得意なんだろうか。マリナ先輩が簡易にまとめたデータには、月々のマッディ人形の販売数がグラフ化されている。毎月だいたい1000個とか2000個で、そこに百個に満たない端数がくっついている。
「土産物……という可能性はないのかな。老若男女に大人気の遊園地というし、来場者数から見れば、自然な数と思うんだが」
この手がかりを裏付ける意味もあるのだろう、ナイトラスが反論を呈してきた。マリナ先輩はそうはいきませんとばかりに微笑んで、「観行さん」と俺に振った。
「えーと……もしもご本人がいたら申し訳ないんですけど、このマッディ……さんは、ファンの中では結構な不人気キャラなんです。商品化されてるのも原作者のワガママって説があるくらいで。だから彼本人にはとても失礼なんですが、この販売数はいくらなんでも不自然だと思われます」
俺は本当にこの多世界のどこかにいるだろうマッディに心の中で謝りながら残酷な事実を述べた。たぶん地球人的見地からの解説が欲しかったんだろう、マリナ先輩はうなずいて、
「アイリスが観行さんの命を救ったのは、結果的にレプリカ作戦以上の功績でしたわね。おかげでこうして、マッディ人形がエーテルジャム輸送のカムフラージュに使われている可能性が浮上しました」
もちろん、これだけではまだ可能性だ。証拠としては弱い。弱いが――
「そのぬいぐるみの行き先も、すでにつまびらか」
芝居がかった男の声が入り口のほうから聞こえて、誰もがそちらへ目を向けた。見ればそこではウロギリさんが、腕を組み壁にもたれて格好つけていた。
「警察庁のほうに頭を下げて、資料をいただいてきたでござる。結論から言えばこっちもほぼほぼクロでござるな」
部屋に照明が戻る。ウロギリさんはすし詰め状態だったマリナ先輩の席までやってきて、みんなに見えるように数枚の写真を並べて置いた。
写っていたのは、いかにもな怪しい倉庫である。剥き出しになったコンクリの壁にヒビが入ってるわ蔦が這ってるわで、むしろ廃墟と言ったほうが適切かもしれない。これがマッディ人形の行き先か。
「登記簿の上ではとある貿易会社の所有になってるでござる……が、実はこの会社。どうにもこうにも営業の実態が見当たらぬ。ひょっとすればここがカノプスの拠点であり……この局の地下にあるような、異世界への転移ゲートを置いているのやも」
言われて思い出す。そういえばあの転移、結局一度も慣れなかったなあ。通るたびに物語というか、感情というか……そういうものの洪水でつらくなりっぱなしだった。
「……なるほど。ここまでくると、『それなりに有力』のゾーンにも入ってくるか」
ナイトラスが鋼鉄の腕を組み、しみじみと呟いた。
それもこれも何もかも全部――俺は感極まってアイリスを見た。そう、すべて彼女のぬいぐるみを見なければ思いつかなかったことなんだ。
「ね? 全部アイリスさんのぬいぐるみのおかげなんだよ!」
謙遜しているのか俺に引いているのか、アイリスはやたら苦々しい顔をしていた。
「ぬいぐるみも何も、あなたの手柄でしょう。単に、わたしと逢う前に見たものを思い出したからで……」
そうかもしれない。だけど、そうじゃないんだ。
「違うんだよ! マッディ人形を思いついたのは、そもそもアイリスさんのぬいぐるみがここにあったから!」
「半分はあなたの百円でも――」
「百円くれたのも外に連れ出してくれたのも命を助けてくれたのもアイリスさん!」
「ああもうわかったわよそれでいいわ」
アイリスは疲れ切った嘆息を白旗に換えて、それからちょっとだけ恥ずかしそうに微笑んだ。俺も嬉しくてしょうがなかった。
二枚の百円玉とぬいぐるみ。俺とアイリスのどちらが欠けても、きっと見つからなかったであろう真実。それはまるで、俺とアイリスの出逢い自体に、物語みたいな意味があるという証みたいに思えたから。
アホみたいに騒ぎ散らした俺と同じくらいに事件解決の兆しに盛り上がる会議室の中、ナイトラスがぽつりと言った。
「……しかし、どっちを攻めてみたものかな。遊園地と、貿易会社」
その言葉に、会議室が一斉に静まり返る。そうだな。どっちかがカノプスの本拠地であるか、またはそこに繋がっている可能性は決して低くない。貿易会社はもちろん、スクリアルワールドの方も一枚噛んでいたっておかしくはないんだ。
「現実的には、二班に分けるべきでしょうな。現状比較的ヒマな我々を主として」
いつもながらに恰幅のいい教授が言った。風紀課の責任者であるナイトラスもうなずく。それから班決めをするぞという段になって、俺たちはいったん部署ごとに集まった。
そこで、ナイトラスはまず俺を呼んだ。
「観行くん。君はどっちに行きたい?」
え。俺が行っていいのか。さすがに今回は役に立てないし、留守番だとばかり思っていたのに。
「戦闘以外にもいろいろと人手が要るからね。もちろん、無理にとは言わない。嫌ならここにいてくれていいんだ」
その優しい物言いに、俺は思わずローンニウェルで箱詰めされた恨みを忘れそうになった。まったく、ムチは下手くそで飴が甘いな、この人は。
「俺は、スクリアルワールドの方に行けたらなと思います」
「そうね。たぶん安全なのはそっちでしょうし――」
レプリカ作戦が終わった今、俺を危険に晒すという発想がもうないのだろう。納得するアイリスだけど、理由はそうじゃない。
「……いや。俺的にはこっちが本命」
俺が言わなくてもいいことを言ったので、アイリスの目が険しくなってこっちを向く。くじけそうになるけれど、俺はあえて胸を張った。
「根拠はなんだい?」
「最初に捜査局が秋葉原にあるって知ったとき、俺は心底意外に思ったんです。なぜならこの街は、アニメやゲームや漫画で溢れてるから」
そう、意外も意外だった。だって秋葉原だぞ。昔は電気街、今はオタクの聖地……なのか? それもちょっと下火だって言うけど、印象としては間違ってないだろう。
とにかく。
「ややこしい話ですけど、そういう創作物ってのは……俺たち地球人の基準では『その物語が、現実じゃない』からこそ存在するもので。だから物語にどっぷり浸かっている人ほど、捜査局の存在なんて信じられない。俺がそうだった」
初めて捜査局に来たあの日、マリナ先輩を目の前に、異世界の本当の姿について聞かされたあの日。俺はいくらなんでもブッ飛びすぎだろと思ったものだ。
この街に、この世界に満ちてる物語は
「スクリアルワールドもそういう意味じゃ似ているんです。物語に……その、偽物にあふれた場所。あそこに『本物』がいるだなんて、きっと誰も思わない。たとえばボスみたいなロボが歩いて通り過ぎても、きっとみんなアトラクションだと思うはず」
カノプスと真っ向から対峙した身から言わせてもらえば、あのクソ野郎はいかにもそういう小ずるいことを考えてほくそ笑んでいそうな気がする。遊園地にホンモノの悪の居城を築いて、訪れる人々を嘲笑っていそうな。そんな気がするのだ。
ナイトラスは「ふうむ」と唸って、ウロギリさんを、そしてアイリスを見た。忍者はおどけて肩をすくめ、銀髪大食い警察少女は嘆息する。
「じゃあ、個々人の意見を募ろうか。スクリアルワールドに行こうと思う人」
しばしの無言が続いて、ナイトラスがそう切り出した。最初にさっそうと手を上げたのはウロギリさんだ。
「拙者は、楽をしたいでござるから」
……俺の言い分を信じてくれてのことではないのか。複雑である。
ナイトラスは課長としての立場ゆえか、それともウロギリさんと同じ見解なのか、挙手をしない。俺はスクリアルワールド本拠地説とかいうトンデモをぶち上げた以上、手を上げないわけにはいかない。
じゃあ、アイリスは倉庫のほうか。少し寂しい気もするが、しょうがないか――と消沈しかけたとき、ゆるゆると手が挙がった。いつものダウナーな表情をオマケにくっつけて。
「誰かひとりくらいは信じてあげないと、かわいそうだから」
このとき、俺はほんの少しだけ思ったのだった。
もしかしたらアイリスも俺と同じように、俺たちが出逢ったことに、二枚の百円玉に何かの意味があると思ってくれているんじゃないかと。
とはいえそれはあくまで一瞬だけで、俺はすぐにその考えを否定した。
まさかだよな。アイリスがそんな乙女な思い込みを仕事に持ち込むわけがない。
……たぶん、それはもっと単純な話で。
ただ、彼女が俺を信じてくれたという、ただそれだけなんだろう。
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