#35 物語なき世界のラストダンジョン
高速をぶっ飛ばしてスクリアルワールドに到着したときはもう三時を過ぎていた。
昨日の夜に何度か仮眠をとってこそいるが、さすがにこの時間にもなると何かにつけてあくびが出る。それはウロギリさんもアイリスも同じだった。
車を停めたのは適当な従業員用スペースだ。まさか来場者用のだだっ広い駐車場に車を停めておくわけにもいかないから、俺たちは仕方なく出入りの業者が使う搬入搬出路からお邪魔した。
もちろん俺たちを見咎める警備の方々もいらっしゃったが、そこはまあ色々とゴッとなってギュッとやって、静かになってもらった。
アイリス曰く、カノプスと繋がっている可能性も否定できないらしいから、ここは気にしないでおこう。きっと労災も降りるだろうし。
「……でも、なにもこんな悪目立ちする車で来なくてもいいんじゃ……」
ドアをバタンと閉めたところで、気になっていたことを訊いてみる。俺たちがここまでの足にしてきたのは、大統領専用車みたいな黒塗りのスポーツカーだった。
速度は申し分ないのだが、一般車とは一線を画したゴツいシルエットとか、外装に施された金糸模様の高級感とかは、どうも捜査局の仕事にはそぐわないように思えてしまう。
「まあ、いろいろと事情があるのでござるよ」
俺はウロギリさんの妙に意味ありげな答えに首を傾げながら、トランクから奇妙な装置やケーブル類の一式を取り出して台車に載せた。
これこそは捜査局の便利な発明品、携帯組立式転移装置である。その場で組み立ててコンセントから電力を取りさえすれば、即席の転移門となって瞬間的な長距離の移動を可能とするらしい。
荒事向きの強行班やナイトラスのような体のでかい職員は後詰めで、この場所にカノプスが関わっている確証を得たあとから転移装置で合流してもらうそうだ。一緒に来ればよかったのにとも思うのだが、そこはそれ、
「ここは一切の異能や奇跡が存在しない世界でござるからな。他の異世界のように目立つわけにもいかぬ。それに、警察庁に具申する手順やら決裁やら……」
何かものすごく嫌なことでもあるのか、悲嘆に暮れる忍者に言われてみれば、確かにそのとおりだった。ロボや獣人や宇宙人がぞろぞろ屋外を歩くわけにもいかないからな。園内に入ってしまえばまだごまかしも利くだろうが、ここじゃさすがに目立ちすぎる。
「そのあたりは、わたしたち次第ね」
園内のマップはあらかじめ捜査局で作られ個々人に配布されていた。公式サイトから持ってきた来場者向けのものと、衛星写真を元にした実際の配置図をうまく組み合わせたものだ。
そいつを三人で覗き込みながら考えた結果、とりあえずはマッディ人形を取り扱っている売店エリアに向かうことになった。もっと言えば、その売店で取り扱う商品がぎっしり保管されている倉庫だな。
スクリアルワールドがカノプスの根城として本命であるかどうかはさておくとしても、ここから出荷しているマッディ人形の数は相当なものだ。人形を取り扱うエリアのどこかにカノプスの息がかかった何者かがいる可能性は高い。
前衛を務めるアイリスとウロギリさんは素早く索敵を行いながら、はるか後方の俺は転送装置の部品を載せた台車をヒーコラ押しながら、それぞれ静まりかえった遊園地の舞台裏を進んでいった。
表側以上に人やモノの行き来が激しいからだろうか。どこもかしこも灰色の迷路みたいに入り組んでいるから、気を抜くと迷いそうになる。
「……考えたものでござるな。拙者にもわかってきた。この場がカノプスの根城だと、観行どのが考える理由が」
そんな夢の裏側を進んでいるさなか、ふとウロギリさんが言った。
「こうした……この世界の在りようと趣を異にするものがあったとしても、ここでは誰ひとりとして怪しまぬのでござろう? アトラクションの一部だと考えてな」
ウロギリさんは深刻な表情で何やら遠くを睨んでいた。俺も目を凝らしてみれば、今度オープンするという超有名ロボアニメを基にした新アトラクションの姿がかすかに見える。見覚えのある紫のロボ――作品内ではそうじゃないが一般的にはそう扱う――の立像があるから間違いない。
ふと、思った。かの物語を知る俺の目には、彼方にあるそれは心躍る……というか、通好みなデザインのロボットが格好良く戦い、苦悩する主人公が決断を下し成長するストーリーの象徴としか見えない。
だけど、ウロギリさんはどうなのだろう。生まれた世界を、生きる物語を異にする彼の目には、あそこに存在する小さな異世界はどう見えているんだろうか。世界を滅ぼす魔王だとか、邪悪な異形の存在に見えたりするのだろうか。
「ま、言い出せば詮無いことか。ここらに設営しよう」
言われて、俺は台車に積んだ部品類をよいしょと降ろして一角に広げ始めた。あとから警備やスタッフに発見される危険性もないではないが、ここならウロギリさんが言うようにアトラクション用の資材と勘違いしてくれるだろう。
……だが、その途中で俺の手が凍りついたかのように止まる。今すぐに対処せねばならない、絶対に看過してはならない大問題に気がついたのだ。
「どうしたの?」
怪訝な顔で尋ねるアイリスに、俺は真剣にその大問題を告げた。
「……ごめん、トイレ……」
結局、遠野観行が用を足し終えて戻ってきたのは、アイリスとウロギリが転移装置を設営し終えたあとだった。
「まったく。これじゃ連れてきた意味がないじゃない……」
思わず呆れてしまう。この少年は出逢ったころからこんな感じだ。彼なりに真剣でいるのはアイリスも十二分にわかっているのだが、それでもこんな土壇場でトイレだなんて言われると、気をそがれずにはいられない。
今にして思えば、観行が風紀課に馴染んでしまったのはそういう理由もあるのだろう。捜査局の面々はなべて基本的に優秀なくせに、どこか抜けているふしがある。その二大筆頭が他でもないナイトラスとウロギリだ。配属当初のアイリスは頭痛をこらえるのが大変で仕方なかった覚えがあるけれど、観行にはそういう部分で最初から水が合っていたのかもしれない。
(なんだかんだこいつのお守りに慣れてるあたり、わたしも染まってるんだけど)
それは果たして、いいことなのか悪いことなのか。自嘲と緊張を嘆息でまとめて吐き出すと、観行は申し訳なさそうに、
「ゴメン。実はさ、ちょっと道に迷ってウロウロしていたんだけど……」
そしてまた、やけに真面目な顔をする。何か言いたいことでもあるのかと訝ってから、まさか、と身構える。
「まさか観行どの。事ここに至り、またまたの新事実発覚でござるか?」
ウロギリが冗談めかして笑って言った。態度こそ道化のそれではあるが、おそらく彼もアイリスと同じくらいには真剣だろう。
どういうわけか、遠野観行という少年はこれまで凄まじい勢いでカノプスに肉薄してきた。チート・ビジネスというグロテスクな企みを暴き出したこともそうだし、マッディ人形からエーテルジャムの供給源を導き出したこともそうだ。
それは観行自身が優秀というよりはむしろ偶然と途方もない試行錯誤、それから幸運な巡り合わせの結果にすぎない。他でもないアイリス自身が観行と山ほどの議論を積み重ねてきたから確信をもって言える。遠野観行は特別優れた人間ではない。
しかし、それでも尚思わずにはいられない。彼には何かがあると。アイリスたちとは異なる嗅覚が、カノプスを追い詰めるために必要な特別な能力が備わっているのではないかと。
だから、アイリスはとりあえず聞いてやろうと耳を傾けた。
今までどおり、なんでも言ってみればいい。たわごとだったら切って捨ててやるし、信じる価値がある推理であれば、付き合ってやるのもやぶさかではない。
そうやって、アイリスなりに覚悟を決めたつもりでいたのだが。
「たぶん、見つけたかもしれない。カノプスの本拠地」
……これには、さすがに言葉がみつからなかった。
アイリスたちが観行の案内でたどり着いたのは、先ほどウロギリが眺めていた建設中のアトラクションの敷地内だった。
そこには確かに地下へと向かう階段がぽっかりと口を開けていたのだが。
「いくらなんでも堂々すぎるでしょう、これは……」
そう、堂々としすぎていた。隠し扉もなければ、鍵さえかかっていない。こんな通路がカノプスの本拠地につながるものであってたまるものか。
「そうだろうな。だけど、入ってみればわかるはずだよ」
けれど観行はやけに自信に満ちた様子でそう言い切り、アイリスたちを置き去りに悠々と階段を降りていこうとする。
アイリスはウロギリと顔を見合わせた。アイリスがそうであるように、ウロギリもまた難しい顔をしている。仮にこれが本当にカノプスの本拠地へつながるものであったとしても、こんな杜撰極まる状態で放置しておくだろうか?
「まあ、根拠らしいものはなくもないでござる。この階段はおそらく、アトラクションが完成すれば建物の外装や装飾に紛れ見えなくなるはず。そう考えればむしろ、この状態は自然やもしれぬ」
そう言って、ウロギリはほいほいと軽快な足取りで観行の背中を追った。けれどアイリスの胸中には、未だに茫洋とした違和感がわだかまっていた。
それをうまくとらえることのできないまま、アイリスもまた地下へと足を踏み出す。壁に貼られた『関係者以外立ち入り禁止』のステッカーは当然に無視して。
結論から言えば、観行の言葉は正しかった。
「……これはさすがに、予想以上でござったな……」
ウロギリが呆けたように感想を述べる。アイリスの感想も似たようなものだった。
スクリアルワールドの地下。偶然にも露出したと思われる階段を降りた果て。そこにはちょっとしたホール程度の大空間が存在していた。
今は停止しているようだが、おそらくは梱包作業のラインなのだろう。何本も並んだベルトコンベアのそばには、腹を開かれたマッディ人形とパック詰めされたエーテルジャムが山積みになっている。
見るからに、エーテルジャムをぬいぐるみに偽装し出荷するための工場である。わざわざエーテルジャムを異世界なり他の工場から持ち込んでいるとは考えにくいから、おそらくは精製設備もまたこの近辺に存在するのかもしれない。
「これまで数多の異世界で捜査局の追跡をかわしつつ、実はずっとこの日本にいて、わたしたちを嘲笑っていたってわけ……?」
そう独りごちるや、これまで心から追い出そうとしていた悔しさが背に圧しかかる。捜査局は今まで看過し続けていたのだ。同じ世界、同じ国土に存在するこの拠点を。どんな異世界よりもずっと捜査局の近くにあったこの伏魔殿を。
思わず、壁を殴りつける。力を込めすぎたあまり、コンクリートに浅いヒビが走る。自分を殺し切れていない証だ。
自戒しなければ。アイリスは深く呼吸を整えた。アイリス=エアルドレッドはクールでいなければならない。捜査局に加入したばかりの頃に知った、銀幕の中のハードボイルドな刑事のように。自分を殺して、やるべきことを見つめ直せ。
「……許せないよな。奴らはずっとこの現実世界で俺たちを欺いてた」
観行のその言葉を聞いた途端、胸がうずいた。何かが違うと。だけど、なんだ? 何が違う? 思わず観行へ目を向けるけれど、その瞬間には違和感は霧散している。
どうして――と自問して、アイリスは今さらの事実に気がついた。
アイリスは、遠野観行を疑いたくないのだ。いつの間にかそれが当たり前になりかけていた。あの雪降る出逢い、レプリカ作戦、その後のいろいろ。日々のいずれにも思い出深い出来事があって、そのせいですっかり情が移ってしまったから。
だけど今、アイリスがやるべきはたったひとつしかない。今一度言い聞かせる。
自分を殺せ。
わたしはアイリス=エアルドレッドだ。
アイリスは己を定義づけるその警句を今一度胸に刻み込んだ。疑うべきものはなんなのか。今の自分が行うべきは何か。そして答えは程なくして見つかった。それは違和感の正体であり、観行への信頼でもあった。
うまくいきすぎているんだ。
背中の柄に手をかけ、『KEEP OUT』のテープでぐるぐる巻きにした戒めの剣を抜き放つ。もはや体の一部と言ってもいいそれを轟然と振るい、遠野観行の首筋へと差し向ける。
死の予感に引きつった表情の下、わずかに刺さった切っ先から血が滴り落ちて、心の中でごめん、と謝る。ここにはいない彼に。他に呼び名が見つからない彼に。
「――わたしの相棒はどこ?」
いつかの観行の言葉を思い出す。笑ってしまいそうなくらい幼い理屈を。
――誰かを信じるってのは、そういうことじゃないのかよ!
本当にお笑いぐさだ。あれはただ、信じたいから信じる、というだけ。甘ったれにも程がある。いつかの自分の愚かしさを思い出さずにはいられない。
もう、アイリスにはあんな前向きで無鉄砲なことは言えないだろう。何も知らずに目を輝かせていられたのは昔の話だ。
けれど、疑うことならばこの身にもできる。元よりそれがアイリスの仕事だ。
今目の前にいるこの男は、アイリスが知っている遠野観行ではない。アイリスが信じたい観行ではない。
「な――冗談言ってる場合じゃないだろう。奴らは俺たちの現実世界で――」
繕いながら一歩退こうとするその男に、アイリスはより深く剣先を突きつけた。逃れ得ないと悟ったのか、油断ならない一歩が止まる。どうやら幾千の人間の肉体を乗り捨てにしてきたこの男からしてみても、やはり死は恐ろしいものらしい。
妙な動きがあれば切り伏せる覚悟で息を整えながら、アイリスは静かに口を開く。
「……あいつだったら、『現実世界』だなんて物言いは絶対にしないのよ」
あれはいつだったろう。新人だったアイリスに世話を焼いてくれていたマリナが、その手の創作物を読みながら憤慨していたのだ。地球をして『現実世界』と指す言い方は気にくわないと。それはまるでこの地球だけが現実であり、異世界の存在を否定し尽くすかのような傲慢な言葉であると。
あの炎の中で恥ずかしい理想を叫び、命をかけてレオナルドを救おうとした観行に、そんな言葉は似合わない。捜査局でおかしな世界観の面々と日々を過ごした観行であれば、こんな言葉は使わない。
男は沈黙していた。しかしそれは決して硬直ではなく、じりじりと緩慢に動いては未だにアイリスの刃から逃れようとする。
その首筋に、音もなく。背後からの殺意に艶めく、一本の
「観行どのをゆるく鍛えた変装のプロとして言わせてもらえば――三十点というところでござるかな。最初っから最後まで、おぬしはガワの相似に甘えすぎでござる」
男を背後から制したウロギリは、のほほんとした口調で言ってのけた。
「……わかってたんですか?」
思わず、脱力して手元が狂いそうになる。中身がなんであれ、これは遠野観行の肉体だというのに。
「いや、ほれ、これが誰にせよ? ここを歩くための道案内は必要でござるし……」
知っていて、アイリスにも黙っていたということか。食えないにもほどがある。だから苦手なのだ、この同僚は。
「いや。待って、ちが――」
往生際が悪いのか、それともふざける余裕が残っているのか。未だに観行を偽り続けるこの男に、アイリスは間髪入れずに問うた。
「わたしの名前は?」
そして男は黙り込む。答えを訊くまでもなく、もう目を見ればわかる。むしろ最初から気づいていて当たり前だったのだ。
アイリスはとっておきの自虐を勝利宣言に換えた。
「……カレー大食い女よ」
本人が聞いていたらどんな顔をするだろうか。アイリスの想像を上書きするように、哄笑が響き渡った。
停止した梱包工場に、遠野観行と同じ、しかし根本的に異なる笑い声が反響する。アイリスは直感した。
「カノプスね」
そうではない可能性もある。カノプスが組織の何者かに観行の肉体を譲り渡し、観行を演じさせているという可能性も。
しかしアイリスには断言できた。響き渡る笑いが物語るこの男の本質をして。この男こそ、捜査局が、アイリスが追い求め続けてきた仇敵なのだと。
「……考えなくとも、わかることだとは思うのだが」
カノプスはゆっくりと両手を挙げて、しかし泰然と語り始めた。今の自分が置かれている状況が、喜劇のワンシーンでもあるかのように。
「遠野観行が置かれている状況も、今の私とさほど変わらない」
喉がこわばり、剣先が揺れた。確かに考えるまでもないことだ。わざわざこんな大胆な真似ができたのは、人質を確保しているから。
動揺を隠すアイリスとは対照的に、ウロギリは冷淡な口調で言った。
「拙者らが観行どのを見捨てる外道であった場合は?」
「そうだとしても、君たちは私がカノプスだという確証が欲しいだろ?」
アイリスも、ウロギリも。
……そして、密かな通信の向こうでこの会話を傍受する三人目も。
誰ひとりとして、その言葉に反論できる者はいなかった。
どのみち、虎穴に飛び込まなければならないということか。
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