Chapter 3
わたし――〈はてしない物語〉は、あかがね色の表紙を開く。表紙の裏と、次のページには図案が描かれている。中表紙の次に、目次がある。目次を過ぎると、赤と緑の文字で語られる物語がある。
初めて読む物語だ。当然のことではあるが。
まず「少年」が登場する。少年とはなにか、と思った瞬間に、少年の辞書的な定義が降ってくる。「年の若い男子。普通、七、八歳から、一五、六歳ぐらいまで。」そして、ここに登場する少年は、バスチアンという固有名を持つ、特殊なものであると理解する。これは少年一般の物語ではなく、バスチアンのおはなしだ。少年一般の物語といったものを、想像するのは難しいが。少年一般が少女一般と出会って恋愛一般をする。あるいは一般が一般する。幸運なことに、これはそれらよりももう少し具体的だ。名詞や動詞や形容詞、ままある副詞や感嘆詞、〈はてしない物語〉自身はそうと理解することはないものの、そういった分類をされる単語のそれぞれが、固有の意味として展開される。
『はてしない物語』の原作は、ドイツ語で書かれた。だから〈はてしない物語〉は、妖精としてドイツ語を使役することができる。様々な言語に翻訳されているため、それらの言語を妖精として使うこともできる。
しかしながらここにひとつの疑問が生じる。今、〈はてしない物語〉が読んでいる『はてしない物語』は、何語で書かれているのだろう。もしこれがドイツ語で、基本的に〈はてしない物語〉がドイツ語しか解さないのであれば、〈カラマーゾフの兄弟〉との会話が何語でなされていたのだろうか。
本を持つものたちは、共通の言語を用いており、文字体系も統一されている。よって、それらは互いの本を読むことができるし、会話を交わすこともできる。
前者は禁止されている。われわれはその言語を知らない。
『はてしない物語』は、文字で構築されたひとつながりの単語の集合である、文から構成されている。
単語をまとめて文として受け取るのが〈はてしない物語〉だ。文の連なりから(多くの場合)一定の秩序を持った物語を読み出す機構が〈はてしない物語〉だ。文は段落に分けられ、適切な改行がなされ、意味の上でまとまりのあるクラスタを作成している。
〈はてしない物語〉は、ストーリーを理解する。ストーリーは、いくつかの段落が有機的に配置されることや、キャラクターや世界の動きや、位置の変化によって記述される。
もちろんこんなことは〈はてしない物語〉の知るところではない。筋肉の構造を知らなくても、腕を動かすことはできる。物語を読むのは、〈はてしない物語〉にとって身体を動かすのに似ている。
こうやって〈はてしない物語〉は『はてしない物語』を読み終わることとなる。読み終わったからといって、わたしという人称にも、〈はてしない物語〉という名前にも、まだあまり馴染みがない。間違って着た他人の服のようだが、どうやらそれしか名前がないらしい。服も制服と寝巻きしか支給されていないし、それ以外の服を選択する余地はない。物語には、他の服も存在した。鎧などといった、日常生活に不必要なものも含めて。
必要なものはすべてあって、必要でないものは存在しなかった。最も必要とされるのが、この本であるという。文字が印刷された紙の束だ。
ここにいるものは、偶然にも同じ名前の本を持つというよりは、この本に従属してわたしが存在する。
〈はてしない物語〉は、持つ本によるところも大きいが、自身のありようについて考えることができる。あるものはあるのだと、割り切ってしまう性向のものも多い。しかし〈はてしない物語〉はそうではなかった。
さて。〈はてしない物語〉は服を脱ぎ、姿見で自分の姿を確認する。
そこには自分が映っている。それが自分だと思えるのが自分だ。近づいて、瞳を覗き込む。文字の色とは異なる、と思う。そうすると、空から金が降ってくる。これを金色と呼ぶ。標準的な金よりは、いささか淡い色だ。部屋を見回す。ドアの取手は真鍮でできている。真鍮の曇った金属質の金色とはまた違う。自分の部屋に、自分の瞳と同じ色はない。
まつげと眉はブラウンで、これは机の色に近似可能である。肌の色は肌色――というのは大雑把すぎる。すべての肌の色は肌色と呼ぶことができるはずだ。〈はてしない物語〉は開かれたままの本を見る。この紙の色に似ている。爪のある部分は多少ピンクがかっている。
髪のことは透明と呼びたくなった。しかし、向こう側が透けて見えるわけではない。ランプの光に照らすと、きらきらとしている。ランプの明かりは暖色系なので、髪の輝きもそれに準ずる。〈はてしない物語〉は髪の色をはちみつ色ということにした。金色よりは黄色度合いが薄く、透明感が高い。
まじまじと自らの身体を観察したところで、自分についてわかるわけではなかった。外見以上のことはわからず、〈はてしない物語〉が知りたいのは、身体のことではない。
手足を持ち、移動が可能で、本を読める主体がわたしだ。自らの意思で、身体を動かして、活動ができる。本は自ら動くことはないし、内容もおそらく変わることがないし、不変に近いものだ。前者のほうが、動作性が高いという意味で、主な活動物のように思われる。なのに名前は〈はてしない物語〉である。そこにある本のタイトルと同じだ。
学舎のみなは、そのように名付けられている。
しかしながら、と〈はてしない物語〉は思う。
それならここにわたしが存在する意味とは?
〈はてしない物語〉は服を着る。服を着るのがモラルというものだそうだ。モラルという概念も、同じように空から降ってきた。最初からそこにあったかのように、精神の一部を占める。学舎で生きるためのモラル、常識、そのようなもの。適宜無だった場所から現れて、訳知り顔で居座る。
下着をつける。シャツを着る。スカートを身につける。靴下を履く。
外に出るためには靴も必要だ。
そうして〈はてしない物語〉は学舎の一員となる。
学舎の一員としての振る舞いを身に着けが、〈はてしない物語〉は、課せられた本を読むよりも、学舎を見て回ることを好んだ。
学舎にいるものにどれだけの数があるのか、把握しているものはあまりいない。〈バベルの図書館〉はそのひとつだが、毎日数を数えるほど暇ではない。〈民数記〉が知っているのは、学舎の人数ではないものだ。
なので〈はてしない物語〉は学舎にいるものを数えてみたいと考えた。学舎の部屋の数、食堂の席の数、あるいは中庭の木の数、東に流れる川のほとりのベンチの数。しかし、すぐに障壁が発生した。
いくら数えても数が変わってしまうのだ。
中庭の木は、あるとき一五本だった。あるとき一六本だった。またあるときは八本だった。
そこにいるものに聞いてみたけれど、工事があったわけではなかったようだ。夜の間にこっそりと、木の数を誰かが減らしているのかもしれないけれども、それならそうと、木の抜けた穴があるのではないだろうか。
数だけではなくて、そもそも同じ木があるとも限らない。
昨日何本だったかはわかる。メモをしてあるから。木があったことも覚えている。だけど正確にどこだったかは、わからない。木の特徴をメモしておいても、同じ木があるとは確定できない。
下から二番目の枝の先端に、果実があった。そうやって記しておいても、同じような姿をした木はいくつもあるし、どれもこれもが該当するような気がしてしまう。
「ここに正確な記憶なんてない。季節が巡るうちに、すべてはあいまいになって、でも木はあるんだ」
〈ギルガメシュ叙事詩〉はそう言っていた。古いものの言葉なら、多少の正当性はあるだろう。
「文字は正確なの?」
「文字が正確だって、信じたいね」
もしも文字が正確でなくて、昨日読んだ本と今日読んだ本が異なるならば、自分たちのしていることに意味がなくなってしまう。その記憶すら信用できないのならば、たとえば、自分の持つ本のタイトルが毎日変わっているのだとしたら、名乗るのにだって不安しかなくなる。
〈はてしない物語〉は『はてしない物語』と呼ばれることに慣れつつあった。おろしたての服だったみたいな名前が、しっくり馴染みつつあった。オークトチュールまではいかないが、セミオーダーくらいには、ぴったりだ。
〈ギルガメシュ叙事詩〉は言う。信じるしかないのだと。長くここにいるには――もっとも、その記憶も怪しいのだけれども――それが大事なのだろうか。
もしかしてここでは数は変動するのではないか。〈はてしない物語〉は自らの持つ本のページ数を確認する。ページにはそれぞれ番号が振ってあり、最初から一ずつ、最終ページまで増えていく。つまり、数そのものには問題がない。
というよりも、そう信じるしかない。
そうして〈はてしない物語〉は数を数えるのをやめる。ただ観察する。
観察から差異が生まれる。
妖精がドアを叩く。開けると、伝令役の妖精が、明日のスケジュールを〈はてしない物語〉に伝達する。なるほど、明日は発表があるので、準備をしなくてはならない。〈はてしない物語〉にとって、それははじめての発表だった。他のものの発表を見たことがあり、それらを参考にすることができる。
「そう緊張することはないよ。みな、どうせ何回もやることになるし、その度に更新されていくのだから」
〈カラマーゾフの兄弟〉に相談すると、そのような答えが返ってきた。そうはいっても、何と比較して、何を伝えれば、自らの読んだこの物語を理解してもらえるかはわからない。内容をそのまま相談することはできないし、結局は自分で考えるしかないのだ。
〈はてしない物語〉は、まず『はてしない物語』を二分割することにする。赤い文字で書かれた部分と、緑色の文字で書かれた部分だ。これらは作中で明確に分けられており、相補的関係にある。作中で現実とされている部分と、本の中の出来事とされている部分だ。そのふたつを行き来するのが、主人公のバスチアン・バルタザール・ブックスだ。
発表では、あらすじをまとめるだけでは不十分であると、先人たちのものから学んでいる。どうやら、この本にしかないことと、そこから学ぶ要素について述べなくてはならないのだという。学ぶとは何なのだろうか。知らなかったことを知るという意味ならば、この本に記されていることは、すべて自分の知らなかったことだ。ここに来てから初めて読んだ本が『はてしない物語』で、それ以外は他のものが行った発表からしか知らないのだから。そして、他のものの発表でも、学ぶという観点はよく理解できなかった。
なのでまずは、この本にしかないもの、なさそうなものから要約することとする。
まとめるなら、この概念についても触れなくてはならない。それは虚無だ。物語には光の側面だけではなくて、マイナスの要素も含まれる。それらを十分に拾い上げて提示することを要求されている。
確か前半部分に出てくるはずだ。〈はてしない物語〉は目星をつけて、本を開く。流し読みしながら、目的の箇所に到達する。要約して、ノートに記そうとした時、それはやってきた。
正確に言うならば、学舎のドアをノックした。
〈はてしない物語〉背中に冷たさが触れる。氷よりも湿り気のない冷たさだ。触れられるという表現は適切ではないかもしれない。皮膚の内側によく冷やされたガラスの針を埋め込まれているかのような、不自然な寒さ。振り返っても、なにもいない。妖精も含めてなにもだ。もちろんどんなものもいない。風が吹いたわけでもない。風が吹いたって、こんな感覚を喚起する所以はない。
〈はてしない物語〉は、それを気のせいとして片付ける。発生する事象には、必然性が伴うこともあるし、ないこともある。今回の事象は、後者であったのだとする。
〈はてしない物語〉が開いたのは、「虚無」に関するテキストだった。見るだけでひとを盲にし、生きる意欲を失わせ、物語を侵食するそれはある種の舞台装置としての敵だ。
「虚無」はそれによく似ていた。壁の向こう側から、学舎を見守っていた。壁の外側までひたひたと迫っていた。高すぎる壁に阻まれて、学舎のものはそれを目にすることは一切ない。
あるいは、目にしたものはすべて学舎にはいない。
それにとってはどちらでもよかった。どちらにしても、彼女には会えないのだから。
まだ表舞台に出たことのない、しかし存在しなかったというわけでもない「もの」は、こちら側への侵入を一時諦める。彼女を知覚するようにわたしを知覚すればいいのに。そうすれば、表面を裏返して、内面を食い破って、学舎に現れることが可能となる。それは思考を行わない。思考を行うのはものに限る。「先生」や妖精が思考しないように、それは思考できない。
もしそれに思考があるとするならば、きっとそう思っただろう。
彼女に会いたい、それだけでよいのに。もう一度手をつなげたらそれだけでよいのに。
しかしそれは思考できなかった。ただ学舎の外側にたゆたう。
幾度かの発表をこなし、〈はてしない物語〉は学舎での生活に慣れてくる。食事や睡眠、それからたまにある役目を果たす。日常の中に、かつて感じていた鮮やかな内省が拡散していく。季節も徐々に巡っていき、初めて現れたときからはずいぶんと寒くなった。どんな季節になっても変わらないことの一つに、食事がある。
学舎を大きく分けると、宿舎、教室があるエリアと、図書館になる。その二つの建物の間に食堂がある。図書館に、本を持つものが入ることはないのだが。
〈はてしない物語〉は、食事を毎回摂るタイプであった。食事は、空腹を感じたときのみ摂ればよいとされているが、朝、昼、夜のうちふたつには出席することが求められている。たいていのものは一日三食、食堂で食べるが、朝に弱いものや、昼には食べたくないもいる。
食堂には、席の限りがない。ここにどれだけのものが入っても、席が足りなくなることはなく、常に満席である。満席にひとつものが足されても、満席である。減ってももちろん満席である。正方形の部屋に、いくつもの列となって机と椅子が配置されている。その列がいくつあるのかを数えたものもあるが、何度数えてもそのたびに数が異なったと言われている。だからもう、食堂について詮索するものはいない。食道の構造がどうであれ、ここでなにかが食べられるということには変わりがないのだから。
各々が好きな椅子に座ればよい。〈はてしない物語〉は、窓際の席を好んでいた。
すべての席には、ひとつの長方形のマットが敷かれ、その上にひとつの皿と、ひとつのフォークと、ひとつのスプーンが配置されている。皿にはちりひとつなく、銀器に曇りもない。
座っていると、配膳担当の『先生』の一種が各列ごとに食事を配備していく。配膳係は、両手に大きなバスケットを持って、みなの上を飛んでいき、皿ひとつひとつに中味を配っていく。解像度の荒いボールのようなものが配られるのを、静かに待つ。わずかな音を立てて、本日のランチが皿の上に乗る。それと一緒に、コップに入った水も置かれる。水を配るのは配膳係の足だ。胴体部分にタンクが入っており、片方の足でコップを置いて、片方の足で水を入れる。
皿の上を見てみよう。食事だ。
そしてそれは紙だ。縦に長く切られており、食べる上での利便性を追求している。くしゃくしゃに丸められているので、配る上での利便性も高い。今日の紙は全体的には真っ白で、一枚ずつ観察すれば青いインクがところどころに付着していることがわかるだろう。紙のデフォルトは白だが、たまに赤や黄色などの色のついた短冊が入っており、学舎のものたちはそれを当たりと呼ぶ。味は対して変わらない。
丸められて入るが、強い風が吹けば飛ぶような紙である。配膳係は風を起こさずに飛ぶ。ここでくしゃみなんてしたら大惨事で、それだけはここで許されていない。
皿の枚数の割に、配膳は短い時間で行われる。配膳係の腕が良いということであるし、効率主義の蔓延である。だいたい五分ほどで配膳係の飛行は終わり、すべての皿に紙が置かれる。
『先生』がすべていなくなったら、食事を始めてもよい。〈はてしない物語〉は、フォークを手に取る。紙片を刺し、巻き取って、口の中に放り込む。スプーンを使って食べるものもいるが、〈はてしない物語〉は、使わないのを好んでいる。紙は繊維質なので、口中の水分を奪う。水分補給が必要となり、コップには水が入っている。水でふやかすと、簡単に紙を食べることができる。水分を含んでやわらかくなった紙を、歯で噛みちぎり、飲み込む。水が少なすぎると、喉に張り付いて不快である。多すぎると、胃に水が溜まってちゃぷちゃぷする。
ここにあるものはすべてそうやって食事をする。トータルでどれだけの時間がかかるかは、ものによる。談笑しながら食べるものは、そうでないものよりも時間がかかる。
〈はてしない物語〉は、食べながら会話をするのは好まなかった。そのかわり、周りになにがいるのかは観察していた。どのように食事を摂るかで、個性が見られると思っているからだ。〈ロビンソン・クルーソー〉は、水もあまり飲まずに早く食べるのが常だし、喉に引っかかってからようやくコップに手をかける。〈カラマーゾフの兄弟〉は、誰とでも仲良くなる達人で、今日も学者に来てから比較的日の浅いものたちと言葉を交わしている。
そして今日は彼女を見つけた。
彼女は椅子に座っている。手は膝の上において、姿勢よくそこにいる。
彼女は食事を摂らない。食事は摂らないが、毎回食堂に来ている、らしい。伝聞形となるのは、毎回彼女を観測することはできないからだ。食堂はあまりにも広い。無限から任意の数を引いた、または足した数の席があり、それらにすべてなにかが座っているのだから、誰もが自分の身の周りしか見ることができないからだ。
彼女には誰も話しかけないし、彼女は誰にも話しかけない。ただそこに存在しているだけだ。存在しているだけで、空間を変えるものがあるとすれば、まさに彼女がそれだった。右隣には〈文体練習〉がいるようだったが、いつもだったらのべつまくなし喋っているそれが、静かな唇をしているのだ。黙々と食事をしている。その正面の〈ノラ〉も、ただ黙ってフォークを口に運ぶ。
たまに彼女の方を見る。それだけだ。
みな、彼女が食事を摂らないのは知っている。彼女がどうしてわざわざここにいるのかは知らない。
彼女の前に置かれた皿には、捨てられるだろう紙が置かれている。姿勢よく座るだけで、何もしない。何もしないことで、周囲の空間を操作しているといってもいい。
「ねえ、〈はてしない物語〉、どうしたの?」
手が動いていないのを見かねた、隣の〈ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち〉が声をかけてくる。〈はてしない物語〉は、彼女と、彼女の周りを眺めていて、昼食を摂ることを忘れていることに気付く。そうだった、と生返事をして、フォークで紙を刺す。
〈はてしない物語〉は昼食後、彼女を追いかけることにした。午後にはなんの役目もなく、次の発表までにはまだ時間がある。
彼女は中庭を歩いている。〈はてしない物語〉が最初に降り立った場所にほど近い、季節の花だけが存在する空間だ。〈はてしない物語〉は、物語の次に自然を好んだ。
昼下がりの陽光が、彼女をやわらかく照らす。彼女の髪は光を通す闇の色をしている。彼女の足は大理石でつくられているようになめらかな曲線をしている。彼女は何も見ない。当然のように、〈はてしない物語〉も見ない。追いかけてきているのはわかるのかもしれないが、その理解を行動によって示すことはない。
彼女はいる場所にはいて、いない場所にはいない。だからといって、学舎すべてに偏在するというわけでもない。これが、長年学舎で積み重ねられた見識による結論だ。
「あれが彼女」
眺めていると、突然話しかけてくるものがあった。
〈カラマーゾフの兄弟〉から噂は聞いている。これが〈レ・ミゼラブル〉である。悲劇的なまでに手に入れられないものを求める、夢の住人。いつ『先生』に罰せられるかわからない、と言いつつ、できる限りのことをしているとかいう雲の中の存在。
「あの子は、私がいくら説得したって、どうもならない」
〈カラマーゾフの兄弟〉がそうこぼすのを、〈はてしない物語〉は聞いたことがある。学舎で、誰かを自分の思うように動かすのは大変困難だ。各々が自分の本を持っており、多くの場合、その情報をもとに性格を形成していく。二つの物語は比較的似ている部分もあったが、相違点のほうがはるかに多い。〈はてしない物語〉はどちらかといえば、〈バベルの図書館〉のような在り方に憧れを持っていた。
「知ってる」
「知ってるなら、何より。わたしの話を聞いてくれる?」
止める理由はないので、〈レ・ミゼラブル〉が話すのをそのままにしておく。しかしながら、
「わたしは、」
と続けようとしても、言葉を重ねることができない。酸素を求める地上の魚のように、ぱくぱくと口を動かしては、息を吐いている。息を吸ったり、吐いたりしながら、呼吸を整える。どうやったって、その後を述べることができないようだった。
「語れないことは、語らなくてもいいんじゃないかな」
「それも知ってる、でも、今日は、できると思った」
ごめんなさいね、足を止めさせて。〈レ・ミゼラブル〉は、ここで見失った彼女をまた探しに行く。〈はてしない物語〉には、そこまでしてついていくだけの理由はなかった。
中庭にひとり残される。ベンチで話しているものたちもいる。しかしそこに混ざろうとは思えなかった。
〈はてしない物語〉は〈レ・ミゼラブル〉のように、彼女を欲望したことはなかったし、これからも欲望しない。彼女の美しさについては諒解可能だけれども、何も語らず、何にも語られないものに対して感慨を抱くには、情報が少なかった。
だが、こうも思うのであった。
〈レ・ミゼラブル〉から見る世界における彼女は、たいそう美しいのだろう、と。
そして、わたしはここまで美しいと思って、何かを伝えたくなるような対象は、持つことができないのだろう。
学舎に存在することで、日常に埋没することで、自我はなだらかになっていくものだ。
それでも〈はてしない物語〉の疑問は消えることはなかった。
「わたしはどこから来たの?」
「空から降ってきたんだ」
〈カラマーゾフの兄弟〉は、上を見上げて言う。空は青い。青くないときは夜で、そのときは濃紺色をしている。濃紺を青に含めるならば、いつも青い。
「そうじゃなくて、その前、わたしはどこにいたの?」
「わたしたちにその前なんかないし、この学舎がすべて。なにもない、ということを認めなくっちゃならない。なにもないものは、認識するのが難しいけれども。たぶん、そういうことなら、〈金枝編〉あたりが詳しいんじゃないかな」
〈金枝編〉は、東側の外れの大樹の下に、半分くらい埋まって存在するとかいうものだ。地面に埋まった半分は、ここにはないらしい。顔が地上に出ているから、会話をすることはできる。本を読むためには、誰かがページを示してあげなくちゃいけないから、学舎の役目の中には、〈金枝編〉のページをめくるというのもある。もちろん、めくる役目のものがページの中味を見てはならないから、慎重に行う。ノンブルくらいまでなら目にしても問題がないという説もある。
曰く、きみたちとは違って全部が現実外に存在するわけではない。
曰く、まるっきり嘘じゃないから、ここにいる。
「そんなこと考えてばかりだと、図書館に行くことになるかもしれないから、やめたほうがいい」
「図書館?」
「皿に乗ったページのふるさと、持つ本がなくなったときに行かなくてはならない場所、というか、わたしたちが消えて、本が残って、そこに行くの。図書館にはたくさんの本が置いてあって、誰も持ち主を持たないの」
「静かでいい」
「とんでもない。図書館に行った本は、誰も読めなくなるの。だって、わたしたちだって、ほかのものが持っている本は読めないでしょう。読めなくなった本は、何にもならない。何の役にも立たない。『先生』たちがばらばらにして、皿に乗せては、わたしたちに提供するの」
毎日の食卓に登る紙は、かつては本のページだったのだ。誰かが読み、意味を見出し、連関させたテキストなのだ。皿に乗ったそれらが、物語であるように思えたことはなかった。思い返せば、色が異なる部分は多くあり、それはインクで、インクで記された文字であったのだ。
あまりにもばらばらで、〈はてしない物語〉にはわからなかったけれども。もちろん、ほかのものにもわからないのだ。
「もうすぐ春が来るし、その頃には新しいものも来ているかもしれない。そうしたら、あなたは先輩になるのよ、〈はてしない物語〉。もしかしたら、姉妹かもしれないし」
作者というのは、タイトルの下に書いてある名前のことだ。タイトルはみな異なるが、作者は同じことがままある。なんなら、タイトルが同じだが、作者が異なることもそれなりにある。前者は姉妹になれるが、後者は別のものだ。
仲の良い姉妹として有名なのが作者:星新一をもつものたちだ。それらはみな、姉妹にしては珍しく似た姿をした、千を超える集団だ。あまりにも数が多く、似ているため、親しいものであっても名前を呼び間違えることがある。
名前を呼び間違えると、学舎の規則によって罰則を受け、最悪の場合では図書館に行くことになるので、星新一の姉妹に対しては『星新一のショートショート』と呼びかけるものが多い。
実を言えば、〈はてしない物語〉の姉妹である〈モモ〉はとっくのとうに学舎にいるのだが、それが〈はてしない物語〉の前に現れるのはもう少し先の話になる。
もう少し先があったならのことではあるが。
〈金枝編〉は東の庭の隅にいるのだという。かつてここで木の数を数えようとしたこともあったが、中央広場と同じ結末を辿った。そのころに何かが埋まっているのを見た覚えはないので、場所を変えているのかもしれない。東の庭には、スカートをそれほど乱さなくても渡れる程度の小川がある。〈はてしない物語〉は、流れる水を飛び越える。いくつか設置されているベンチにはなにもいない。
果たして〈金枝編〉は土に埋まっていた。左半身は完全に埋まっており、右手の一部、右足は地上に出ている。木の根に絡んだ本が置いてあり、目を閉じている。本も〈金枝編〉も、簡単には動かせなさそうだ。いつからそこを自らの居所としているのか定かではないが、常緑樹の下で、日を遮られながら埋まる姿は、ある程度の快適さを感じさせた。
制服には汚れひとつない。
〈はてしない物語〉は、半分土に埋まって、半分根に絡まっているそれに声を掛ける。
「あなたが〈金枝編〉で間違いないですよね」
〈金枝編〉は目を開く。眠っていたわけではなく、瞑想していたらしい。開かれた目はその属する常緑樹の幹と同じ色をしていたが、日陰にいるため黒に近い色に見える。
「これに会いに来たのか。ページをめくるわけでもあるまいし。そう、これが〈金枝編〉、自然を自然のままに、雑然を雑然のままに、存在を写し取る、今は暇なものだ」
その声は木の葉のさざめきに似ている。葉を揺らす風と同化しているからだろうか。さらさらと流れ行くそれは、日陰において爽やかな印象を残す。
「質問があるからここに来ました」
なんでもどうぞ、限りを尽くして答えよう。〈金枝編〉は表情筋を笑顔になるように動かす。〈はてしない物語〉は、ただひとつの問いを持ってここに来た。日常の中で埋もれていく自我への問い、その中に残ったものを持ってきたのだ。
「なにもない、を見ることができる?」
自分がどこから来たのか、記憶はない。ここに来てからの記憶も、怪しいものだ。だけれども、来てからの記憶は少なくとも何かある。学舎に現れる前の自分は、どこにいたのか。それこそ「虚無」なのではないだろうかと、〈はてしない物語〉は思ったのであった。
「確かにこの問いは、〈バベルの図書館〉向きじゃないな。あいつは整然としている。〈ギルガメシュ叙事詩〉とか〈ガルガンチュワとパンタグリュエル〉の方向でもない。やつらの偉大さは大味過ぎる。それならこれでいいだろうね」
適切な相手を見つけられたようで、〈はてしない物語〉は〈金枝編〉を教えてくれた〈カラマーゾフの兄弟〉に感謝する。
「空白を見ることは簡単だ。周りを物体で囲えばいい。そうすると、空白は存在するから、見える。消しゴムで消した部分は鉛筆の粉に囲まれているから空白で、学舎は壁に囲まれているから学舎だ。そう、空白が白いとは限らない。文字だって案外、白に囲まれたカラフルな空白なのかもしれない。ほら」
〈金枝編〉は樹から開放されている右手の中指で、地面に埋まりそうな本の中味を示す。
「それは罠では?」
他のものが持っている本をそのまま見たら消えてしまう。〈はてしない物語〉は努めて〈金枝編〉から目を背ける。
「そんなつもりじゃなかった」
ほんとうさ、という〈金枝編〉の言葉に、悪意は感じられなかった。こうやって、〈金枝編〉のうっかりで消えてしまったものはいくつかいたのだが、残念ながら〈金枝編〉そのものも、それらがいたのを忘れてしまうため、学習しない。
「ええと、だから、答えは」
〈金枝編〉はしばし考える。
「見えたらそれは、なにもないではないだろうよ」
〈金枝編〉は歌うように語る。当然といえば当然の回答だったが、〈はてしない物語〉はようやく納得することができた。自分が来る前はなにもないけれども、認識が可能ならそもそも「なにもない」ではないのだ。なにかがある。空白だとしても、空白を見るための何かが必要だから、「なにもない」ではない。
〈金枝編〉の持つ本は、多くの呪術、魔術的考えなどについて記述されており、その本自体が魔術的な力を持つのだと、〈バベルの図書館〉は認識しているという。しかし、この学舎に不合理的な手続きである魔術は存在しない。妖精を使役するのだって、それは手を挙げる行動と同じようなもので、魔術ということにはなっていない。よって、『金枝編』は魔術書ではないし、〈金枝編〉は魔術を使うことはできない。
それでも、と〈はてしない物語〉は思う。もしこの世界に本当に魔術師がいるのなら、〈金枝編〉に似ているのだろうと。自らの物語に出てきた魔術師よりは、だいぶ善良だろうし。
また会いに来てもいいだろうか、〈はてしない物語〉は言う。
「もちろん、学舎に嵐のない限り」
〈金枝編〉が学舎の運命を知っていたということありえない。しかし、この瞬間、確かに〈金枝編〉は予言者であった。
わたし――〈はてしない物語〉は、あかがね色の表紙を開く。
何度目になるのかはわからない。季節はもういくつか過ぎてしまった。〈カラマーゾフの兄弟〉の言う通り、新しいものはいくらでもやってきたし、学舎の規則にも慣れた。この物語にもずいぶんと慣れてしまった。文章を丸暗記することはできないものの、物語の流れがどうなっているかは、手短に説明できる。
バスチアン・バルタザール・ブックスが読む物語としての『はてしない物語』、登場人物はアトレーユ。ストレートな冒険譚としての前編と、バスチアンが物語の中に入ってからの、内省的な部分もある後編。全体を要約するとこうで、章ごとにどのような登場人物、あるいはものが出てきて、どのような会話を繰り広げるかも、だいたいは説明できる。
そして、わたしははてしない物語を理解したのだろうか、と思う。
「わたしはあなたの理解の外側」
冷たさに声が乗ったような、意味だった。〈はてしない物語〉は、それを聞いてしまった。声ではないのはわかる、かつて自らを目覚めさせた、鐘のような音とは違う。学舎でさまざまなものと語り合った、さざなみに似た声とは違う。空気の振動を介さずにやってくるそれは意味だった。頭の中に直接意味がペンで描かれて、理解しなくてはならないという必然を押し付けてくる。
〈はてしない物語〉は、それを偶然や、幻聴や、存在しないものとして片付けようとする。次の行を読み進めようとする。
進めない。
瞳の動きが止められる。視線はある一語に釘付けになる。
「わたしは外部、わたしは虚無。あなたたちではないもの。あなたたちの外部の外部。あなたの隣にいて、あなたと指を重ねる。あなたに語りかけていて、わたしは壊すもの」
「虚無」から目を外すことができない。そこにある単語は虚無。語りかけてくる意味は、そこからやってくる。本を閉じたいのに、閉じることはできない。
刻まれる意味は、背中に走る寒気に似ている。だけれども寒くはない。熱くも冷たくもない。感覚は何ももたらさない。ただただ意味が押し込まれていく。暗い想念だと定義づけたいのに、あらゆる解釈を拒否するもの。
「あなたは内部、あなたは虚無。わたしではないもの」
〈はてしない物語〉は、どうやって虚無が語られているのかを思い出す。読んだことがある。虚無に関しては。伝聞ではなくて直接的に。『はてしない物語』の敵だといっても申し分ない概念のひとつである。
本たちの中にたまに見られる、「読書によって人生を豊かにする」という例のひとつなのかもしれない。今、〈はてしない物語〉の人生が豊かになっているとは到底言い難いが、少なくとも虚無という概念を知っていることによって、多少の抵抗ができている。何も知らなければ、これを虚無と名付けることもできず、ただわけのわからない対象からの襲撃となってしまっただろう。
わけのわからないものの急所はわからないし、姿も見えない。だけれども虚無とはなにか、〈はてしない物語〉は知っている。それはみなを盲にし、物語を飲み込み、なにもないにしてしまう。
もっとも、虚無を知らなければこれは虚無として〈はてしない物語〉の前に現れることはできなかったのだが。
「あなたの物語を教えて」
その冷たさは、もはや声のようだった。
〈はてしない物語〉の認識する物語という単語は『はてしない物語』から来ている。虚無のことも知っている。知っている概念の鋳型に意味がはめ込まれた結果、それは鋳型の通りの意味となる。すなわちなにもないこと。侵食する無、無を超えた広がり。
「わたしの物語は」
一ページ目には中表紙があり、その先には目次がある。
〈はてしない物語〉は応答する。目次の先の物語を。理解した限りの、読んだ限りの、ありうるすべてを。
それはありがとうとは言わなかった。謝りもしなかった。代わりにゆっくりとつめたい指が〈はてしない物語〉を撫でていった。右の中指から入り、すっかりと手首を覆ったあとは、胸に重く沈んで、それでも瞳はまだ自分のものだった。
視界の端から「なにもない」が迫ってくる。目を向けても何も見えない。暗いのではなくて、暗さすらない。もちろん明るさも色もない。なにもない。わたしの存在する意味があるとして、その意味を端から食い破る、虚無の皮をかぶった「それ」の現れであることを、この時点では誰も知らない。虚無として受け取られて、〈はてしない物語〉の皮膚の内側に侵入する。〈はてしない物語〉は内臓を持っている。どう動いているのかを自ら知覚しない内部の重み、それらが虚無に置き換わっていくから、身体は軽くなっていく。
もちろんその軽さを、〈はてしない物語〉は知らない。
これが、虚無か。それが〈はてしない物語〉の最後の思考、最後の叙述、最後の物語。
虚無として現れた「それ」は、内部に十分に充満したと考えると、虚無を脱ぎ捨てていく。〈はてしない物語〉の知る虚無は、所詮ひとりの考えたもの。しかし、その虚無は、ひとりによって物語られたものではない。違う名前で、少しずつ違う鋳型に入れられて形成されていく、
その名は虚無、いつわり、あるいは空白、ヴォイド、単語の中に入れるならばそれらがふさわしい。
そのどの名もそれの冠するほんとうの定義とは相いれず、そもそも定義できるものでもない。記述するには名前が必要だから、現在はそれを虚無とする。
「わたしにいちばんふさわしい名前はŪ、あなた以外の世界のすべて」
〈はてしない物語〉の外殻を被ったそれは高らかに宣言する。
もちろんこれも、名付けられたのではなくて名乗ったのだから、正しい名前ではない。
そうしてわれわれは時計を進める。
壊れていく世界に興味のあるものはこの先に進む。
粉々になった時間を並べ直したいものはここにとどまる。
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