乙女心よ ムーンキャット
「諸君、本日は重大な話がある。心して傾聴してくれたまえ」
放課後の教室。部員の前でお話をしているのは文芸部部長で二年生の
「先日園芸部から話があった。ひと月ほど前から畑が荒らされ、丹精込めて育てた野菜が盗まれている。是非とも犯人を突き止めて欲しい、との依頼である」
えっ、ちょっと待って。どうして文芸部が犯人捜しなんてしないといけないの、と思うでしょう。理由は簡単、部長の犬童先輩が推理小説大好き人間だから。今年の六月、三年生が引退して新しく部長となった時の犬童先輩の挨拶の言葉がこれ。
「文章ばかりに埋没していては推理小説を究めることはできぬ。実際の事件にかかわり、己の頭で考え、謎を解き明かし、事件を解決してこそ推理小説を真に味わえるのだ」
この謎理論によって、あたしたちは本の世界を離れて探偵の真似事ばかりやるようになってしまったの。この方針転換によって文芸部員の九割が退部してしまい、残ったのはあたしたち三人だけになってしまったのはツライ思い出のひとつ。
「ふあ~」
いっけない、つい欠伸がでちゃった。隣に座っている
「
「わ、わかってるわよ」
寝子はあたしの幼馴染。そして肉親以外にあたしの秘密を知っている唯一の人物。
まだ幼稚園児だった時、寝子があたしの家にお泊りしたんだけど、うっかり月を見詰め続けて猫になっちゃったの。それでバレちゃった。でも大丈夫。寝子はその頃から大人びた思考の持ち主で、
「ねえねえ依夜ちゃん。これって他の人にバレるとまずいわよね。下手すれば研究所に送られて生体実験とかされちゃうかも。安心して。あたし誰にも喋らないから。約束する」
なんて言ってずっと秘密にしてくれているの。あたしの一番信頼できるお友達よ。
「こら、そこの二人。無駄口は慎みたまえ」
きゃー、犬童先輩に怒られちゃった。どうしよう!
「はーい、すみませーん」
「……」
悪びれることなく謝る寝子。一方あたしは無言で顔を赤くするだけ。
普段のあたしはすごく引っ込み思案なの。親友の寝子の他にはほとんど話をしない。特に犬童先輩とは一度も満足に会話したことがない。
どうしてかって。それは犬童先輩に絶賛片思い中だから。今だって叱られただけなのに頭の中は真っ白になっているのよ。
「話を続けよう。園芸部の案件を引き受けたその日のうちにボクは単独調査を開始した。そしてある程度の目星はついた。畑に残された足跡。荒らされたキャベツに付着していた体毛。鼻を突くような独特の臭気。これらから判断するに畑を荒らした犯人は野良猫であると推測される」
真っ白だった頭の中が一瞬で晴れ渡った。野良猫が犯人? そんなはずがないわ。
町内の野良猫は全てあたしの仲間。ゴミ漁りや庭での脱糞、放尿の禁止、夜間に鳴いたり騒いだりしない等々、町の住人への迷惑行為は厳に慎むようにときつく言い付けてある。あの子たちが畑を荒らすなんて考えられない。
「異議あり。それだけでは野良猫が犯人とは決めつけられないと思います」
寝子があたしの気持ちを代弁してくれた。さすが持つべきものは友、ね。
「ほう。ではどのような証拠が必要だと考えるのかね」
「言うまでもなく犯行現場を押さえることです。監視カメラを設置しましょう。赤外線照明付きなら夜間撮影も可能でしょう。映像で記録してしまえば犯人は一発でわかります」
「うむ、その通りだ。実は園芸部の部長はここへ来る前に電気部へも相談を持ち掛けていたのだ。監視カメラを設置してくれとね。そして電気部も快くその頼みを引き受け、畑に夜間専用カメラを二台設置したのだ」
「なーんだ。じゃあもう話は終わっているんじゃない」
「いや、残念ながらそうではない。監視カメラは役に立たなかったのだ。盗難が発生した日に限って、カメラのレンズに葉っぱがくっ付いていたり、停電が起きたりして、犯行現場の記録には一度も成功していないのだ。そして一晩きちんと動作していた日には盗難は起きていない。それで電気部も匙を投げてしまってな。困った園芸部の部長はわが文芸部へ助けを請うてきた、という次第なのだ」
おかしな話ね。盗難があった時だけ映像が記録されないなんて。野菜の盗難よりそっちの現象のほうが気になるわ。
「う~ん、監視カメラがダメとなると……あたしたちが一晩監視するしかないわね」
ちょ、ちょっと寝子、いきなり何を言い出すの。
「ふむ、それは名案だな」
まずいわ。犬童先輩まで乗り気になっているじゃない。
「わかった。ならば張り込みをしようではないか。ボクら三人で園芸部の畑を一晩見張るのだ。学校側にはボクから許可を取っておこう。君たちも保護者から同意をもらってくれたまえ。それで異存はないね」
えっ、それって犬童先輩と一緒に一晩過ごすってこと。やだ、考えただけで動悸が激しくなっちゃう。
「はーい、異議なし。依夜、あんたも賛成でしょ」
「あ、あたしは……」
口ごもっていると寝子が耳元で囁いた。
「何を迷っているのよ。二人の仲を親密にするチャンスじゃない」
「で、でも……」
「万波さんも異議ないそうでーす」
勝手に賛成させられてしまった。もう寝子ったら強引なんだから。
「了解。では園芸部畑盗難事件張り込み作戦、本日より決行だ。日時等詳細は後日連絡する。まあ、結局のところ野良猫を捕まえて終了するのは目に見えているけどね」
犬童先輩の言葉を聞くと悲しくなる。畑を荒らすのは猫だけではなく、犬や狸だって可能性があるのにどうして猫と決めつけてしまうのか。それは犬童先輩が大の猫嫌いだから。
「あれは四才の時だったかな。幼稚園の帰り道、近所のおばさんにアイスキャンディーをもらったんだ。ペロペロ舐めながら家路を急いでいると一匹の野良猫が出現した。まるで極悪人みたいな目付きでこちらを睨みつけている。あっちへ行けって追い払おうとしたけど全然逃げようとしない。完全にボクを舐めている。当たり前だよね。こちらはこの世に生まれてまだ四年。あちらは五年か六年は生きている。生きることに関しては明らかに向こうが先輩と言える。しかも幼稚園児にとっては猫でもでかい。四歳児の平均身長は約百cm。一方、猫の体長は約五十cm。頭から尾の先までの全長は八十cmを越える。大人にとって小さめのチーターに出会ったような感覚だ。それがアイスキャンディーを狙って執拗に追いかけて来るんだ。結局ボクはアイスを投げ捨てて逃げてしまった。あの時の恐ろしさ、悔しさ、情けなさは一生忘れられないと思うよ」
猫をどう思うかって寝子が尋ねた時の犬童先輩の回答がこれ。
あたしはショックだった。そして胸が詰まった。
もしあたしが猫に変身するちょっと変態チックな女の子だと知ったら、犬童先輩はあたしを嫌いになるはず。それだけは絶対に避けたい。あたしの秘密は絶対に知られたくない。でも犬童先輩には言って欲しい。あたしを普通の女の子に戻す唯一の言葉、
「人の姿でも愛しているよ」
って。
「猫なんかどうでもよくなるくらい依夜に惚れさせちゃえばいいのよ。あたしも協力するわよ」
寝子はそう言うけどあたしには勇気がない。だって頭も運動も容姿も人並みで何の取柄もないんだもの。
ああ~、猫に変身した時に宿る何物をも恐れない強靭な精神力が、人状態のあたしにもあればいいのになあって思いながら、今日も無言で犬童先輩を見詰めるだけのあたしなのでした。
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