TF探偵 ムーンキャット

沢田和早

月夜に見参 ムーンキャット

 九月の夜風がひげを撫でていく。

 まだ温もりの残るスレート屋根が肉球に当たる。

 月光が行く手を照らす。

 しなやかに尻尾を振りながら猫の体を疾走させる。

 この高さから眺めれば見慣れた町並みが見知らぬ風景に変わる。


「あそこね」


 見つけたわ。目的のアパート。

 素早く屋根から飛び降りて草ぼうぼうの庭に降り立つ。

 カーテンに映る人影。ヤツは在宅中ね。計画通りよ。


「にゃあー、にゃあー」


 庭に面した窓に向かって大声で鳴いてやる。マジカルパワーを使えば人の言葉も発声できるけど、今はまだその時ではない。正体を明かすのは全てが終わってからよ。


「おやおやカワイイ白猫ちゃんだねえ。おいでおいで」


 リビングの大きな窓が開いて男が姿を現わした。手に持ったエサからはまたたびの香りが漂ってくる。

 にこやかな笑顔と丁寧な口調。外見は単なる猫好きの中年オヤジ、けれども目付きを見ればそれが大間違いだとわかる。

 ふん、あたしは騙されないわよ。


「にゃおーん!」


 ひと鳴きした後、開いた窓から室内へ飛び上がった。

 床は雑誌、空き缶、コンビニの袋なんかで埋め尽くされている。おまけにヤニ臭い。典型的な男一人暮らしの部屋ね。

 その片隅に金属製の檻。中には一匹の猫が閉じ込められている。

 待っていて、すぐに助けてあげるから。


「さあて、君はどんな風に苛めてあげようかな」


 男の手にはもうエサはない。代わりに持っているのはスタンガン。遂に正体を現したわね。なら、こっちも本気を出すわよ。


 月よりの使者ムーンキャット見参!

 マジカル猫パーンチ!


 と心の中で叫ぶと、テーブルに置かれていた男のスマホをぶん殴る。プロボクサーの右フックを食らったようにスマホはすっ飛び、壁に叩きつけられた。


「ああ、俺のスマホがあー」


 男が叫んだ。スマホの画面は蜘蛛の巣のようにひび割れている。

 ふふ、いい気味だわ。

 このスマホで猫を虐待する動画を撮ってネットにアップしていたんでしょ。あんたの悪事はバレバレなのよ。


「このクソ猫、懲らしめてやる」


 男はスタンガンを振りかざして襲いかかってきた。ふん、人間如きが猫に勝てると本気で思っているの。甘いわ。

 さてと、次のターゲットはあれね。


 マジカル猫キーック!


 デスクに飛び乗ったあたしはノートパソコンを思いっきり蹴っ飛ばした。プロサッカー選手のフリーキックみたいにパソコンは吹っ飛び、壁に当たって二つに折れた。


「う、嘘だろ、おいおい冗談はやめてくれよ。会社から借りてるんだぜ」


 男は泣き声になって壊れたパソコンをいじっている。

 あらあら借り物だったの。ちょっとやり過ぎちゃったかしら。ま、自業自得と思って諦めてちょうだい。

 さあて、お仕置きはこれくらいにして閉じ込められた猫を助けて脱出しなくちゃ。

 あたしは部屋の隅に置かれている檻を開けた。怯えていた囚われの猫は恐る恐る外へ出てきた。


「ニャ、ニャ」


 声をかける。魔法を使えば猫との意思疎通は可能だけど、今はそんな悠長なことはしていられない。


「あ、こら、おまえ、何をしているんだ」


 気づかれたみたいね。素早く窓に駆け寄ってカギを外す。ガラス戸を開ける。囚われの猫は喜んで夜の闇へ消えて行った。


「くそ、こうなったらおまえだけでも」


 男が網を持っている。漁に使う投網とあみだ。

 なるほどねえ、そんな方法で野良猫を捕まえていたのね。ちょっとビビらせてやろうかしら。


 マジカル猫咆哮!


「グワオオオオー!」

「ひっ!」


 男が震えあがった。アフリカの原野でしか聞けないような野獣の遠吠えが響き渡ったのだから無理もないわね。これに懲りたら猫を苛めるのはおやめなさい。

 じゃあね。


 外に出て屋根に飛び乗り、自宅目指して一目散に駆け出す。

 変身時間は約一時間。それを過ぎると自動的に人の姿に戻っちゃうの。もちろん何度でも猫に変身できるけど、運悪くお月様が雲に隠れていたりすると、人の姿のまま屋根の上で月が顔を出すのを待っていなくちゃならなくなる。それはさすがに恥ずかしいでしょ。だから一回の活動時間は一時間までと決めているの。


「ふう、間に合ったわ」


 自宅の部屋に戻って数分も経たないうちにあたしは元の姿に戻った。

 見た目はどこにでもいる平凡な高校一年生、万波ばんぱ依夜いや。けれど誰にも言えない秘密がある。


 月を三十秒間直視すると猫に変身してしまうの。


 ガラス越しに見たり鏡に映った月ではダメ。月光を直接瞳に注がなければこの能力は発動しない。だからそれほど不便ではないわ。三十秒も月を直視するなんて、故意じゃなければあり得ないもの。


 一緒に住んでいる家族は両親だけ。父は普通の人間。母はあたしと同じ変身能力を持っている。ううん、正確には持っていた、ね。今はその能力は失われている。どうして無くなっちゃったかって。それはね、男子と相思相愛になったから。


「人の姿でなくても愛しているよ」


 自分が好きになった男子からそう告白された時、変身能力は消滅するの。あたしにもいつかそんな日が来るのかなあ、でも猫になれなくなったらつまらないなあ。期待と寂しさが入り混じった気持ちで毎日過ごしている。


 ああ、それから言い忘れていたわ。最近のあたしは正義の味方的活動に励んでいるの。

 子供の頃は猫になってもお散歩したり、マジカルスピーチで動物とお喋りするだけだったけど、中学生になってマジカルパワーがすごく強力になったのよ。

 フルパワーを発揮できる満月の夜なら、マジカル猫パンチは鉄をへこませ、マジカル猫キックは岩を砕き、マジカル猫ダッシュは秒速四十mのスピードで疾走可能。

 こんな並外れた能力を持ちながら、お散歩や動物とのお喋りしかしていなかったら宝の持ち腐れでしょ。だから悪人を見つけ次第、懲らしめているってわけ。

 正義の味方ムーンキャット。これは中二の時に付けた呼び名なんだけど、今になってみると恥ずかしいわね。でも気に入っているからこれからも使うつもり。

 さてと、明日も学校だし、そろそろ寝ようっと。おやすみなさい。

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