第9話 恋まじないはお好き?
トーダ村から帰ってからというもの、妹は納屋にこもりきりになった。母屋に顔を出すのは飯の時だけ。どうやら納屋で夜を明かしているらしい。
野犬どもはめっきり大人しくなったとはいえ、年頃の娘を一人鍵もかからぬところで寝かせるのはいかがなものかと、せめて夜は母屋で過ごすよう説得しているところであった。
「あたしなら平気だから」
「何が平気だ、おめぇは何にもわかっちゃいねぇよこのガキが」
「ちゃんとわかってますぅ、夜這いされたらって心配してるんでしょ」
真顔で言われると、こちらの方が言葉に詰まってしまう。嫁入り話を蹴った奴が、ちったあ恥ずかしがれ。
「あたしなんかを夜這いする人、いないと思うけどなぁー」
そういう問題ではない。仮にも村長の娘が足をおっぴろげているような状況が知れ渡れば、恥をかくのは父である。この説得は効いたようで、頑固なジナがその日から納屋を寝床にすることはなくなった。
「それにしても…」
あっという間にジナは装置を作ってしまったのだった。
使い古しの鍋と蓋を求めて隣近所を何軒も回り、ようやく手に入れると、一番苦労したのは管を取り付ける鍋蓋と瓶の口であった。どうしても蒸気が漏れてしまうのだ。
サハも相談され、柔らかくした木の皮で縛ったり、木材を削って覆いを作ってみたり、何日もかけ二人で試行錯誤した結果、樹脂で覆い蠟で固めることに成功した。
「でもやっぱり、熱くなると蠟は溶け出しちまうな」
蠟が溶けると、わずかだが蒸気が漏れてしまう。まだ改良の余地ありだ。
あれから、ジナは父とよく巣箱に行っては二人楽しそうに戻り、蜂蜜作りと、その搾りかすでミツロウ作りに精を出している。いかにして不純物のないきれいなミツロウを作るか、熱心に父へ教えを乞い、また父の方も暇を見つけてはそれに答えていた。
サハは父と妹の間には敢えて立ち入らないようにしつつ、今日も留守番を兼ねて納屋で温めたミツロウを溶かしている。
気付くと考えているのは、トーダに邪険にされたことではなく、エナンのことであった。
従兄弟や叔父から責められたりしていないか、トーダでもクリームを作っているのか、今何をしているのか。
居るはずなど無いのだが、もしかするとちょこんと座ってジナにクリーム作りを指南しているのではないか、そんな期待で毎日納屋に足が向いてしまうのだ。
もちろんジナと違い、鶏小屋の掃除をして、蜂の世話をして、畑の草取りをして、山に狩猟用の罠をかけて、父と会合に参加した上での事である。
すると、二人の娘が納屋の入り口付近でちろちろとこちらを見ていた。
「何か用?」
サハが声をかけると、驚かされた猫のようにぴゃっといなくなった。しかししばらくするとまたモジモジと戻ってきて、二人で顔を伺いながら口を開いた。
「あのぅ、恋まじないのクリームが欲しくてぇ…」
「ああ、あるよ、ちょい待ち」
例の、蜂蜜を混ぜた薄い赤色の甘いクリームである。なんでも、意中の人を思い浮かべながら唇に塗って寝ると夢に現れるとかで、大人気なのである。
「よかったぁ。昨日は売り切れだって聞いたからぁ」
早朝、日の出とともにせっせとジナが作ったのだった。
「はいよ」
サハが渡すと、二人とも小銭を渡してきた。ジナよりも幼い年の頃である。手伝いをして貯めた小遣いをはたいたのだろうか。
受け取ると顔を見合わせて大事そうに懐に入れ、礼を言って帰っていった。恋まじないの相手がサハという可能性は無さそうだ。
買い求めるのは娘っ子ばかりかと思いきや、村一番の美人であるラナ姉さんがやって来たのにはたまげた。
「うちの人、明日帰ってくるんだよ。喜んでくれるかな」
なんて艶やかな笑顔で言われたら、こっちの方が興奮してしまう。ちなみにラナ姉さんの夫はボウ村の者なら皆憧れる、狩猟団の若きリーダーだ。
もちろん、傷に効く方のクリームも売れ行き好調である。ラク伯父さんが「すげぇぞ!野犬にやられた傷がホントに一晩で治っちまったんだからな!」と派手に宣伝してくれたおかげだが、生傷が絶えないのが農村であり子供たちである。
「トゲが刺さっちまってぇ」
「おっ母が包丁で手ぇ切っちまってよ」
「うちの子がシゾンに刺されたんだよ」
ここ数日で、吊るしてある小銭袋が徐々に重たくなっていた。
クリームを練り上げると、木の小さな容器に移し替える。小刀で削っただけでやすりもかけていない。時間の都合で丁寧な仕事ではないが、これもサハが制作したものだった。乾かした笹の葉で蓋をして紐で縛れば出来上がりだ。
「意中の人を思い浮かべながら唇に塗って寝ると夢に現れる、か」
その時浮かんだ思いを、俺はなにを考えてやがんだと、慌てて打ち消すサハであった。
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