第10話 下駄を鳴らして
「あー!かゆいかゆい!ねぇまだ赤い?」
昨晩、新しく生成したクリームを顔に塗ったところ、夜中に猛烈な痒みに襲われたという。真っ暗な中、冷水をバシャバシャ浴びて震え忍んだが、皮膚の薄い瞼や唇が2倍になっていた。
「赤みはひいてる。とんだ人体実験じゃねぇか」
そう言うサハは、ニニュウの花から新しい精油を作ろうと、蒸留しているところであった。
「保湿に良い成分をいっぱい入れたはずなんだよ。どうしてだろう」
「入れ過ぎなんじゃねぇか」
特別考えたわけではない、何気ない一言だった。
「そっか…!そうかも!良いものでも、組み合わせによっては悪くなることがあるもんね。天ぷらとスイカみたいに。サハ兄、やるぅ」
兄の威厳。俄然胸を張りたくなる。
「宵祭りは明日なんだから。売り子がそんななりじゃ、誰も買わねぇぞ」
年に一度、先祖の魂が帰ってくる日である。神社の参道沿いには出店が立つが、ジナも出店することになっているのだ。
「サハ兄、なんか臭くない?」
「そうか…?うん、くっせえええぇぇ!なんだこりゃああ!」
ニニュウの花のみずみずしく素晴らしい香りとは真逆の、腐った魚のような匂いだった。が、明らかに匂いの元は鍋の中である。
最近、こんな失敗ばかりだ。
「単純にはいかねぇもんだな」
「当たり前じゃん!ムットさんがボウの奴らに見せるわけにいかないって言ったのは、苦労してあそこまで来たからだよ」
「分かったような口ききやがって」
クタッとなって茶色く変色し、悪臭放つ可哀想な姿のニニュウ草をサハが納屋の外に捨てる。
「そういや仏壇にお供えしたのか?おまえの仕事なんだから、ちゃんとしろよ」
「はぁい」
そう言われたので、忘れないうちに母屋へ向かった。
「お母ちゃん、ナカブちょうだい」
「はいよ。つまみ食いするんじゃないよ」
台所で受け取ったナカブは、ひょうたん形をした親指ほどの小さなカブで、赤茶色の皮に包まれている。それに爪楊枝よりももっと細い木材で鼻輪をこしらえて、下駄に見立てて仏壇に供えるのだ。
宵祭りの前夜、ご先祖様が下駄を鳴らして帰ってきたら、家族一緒に蜂の子を食べる。そして1年間無事に過ごせたことを先祖に感謝し、次の1年間の無病息災を祈願する。翌日日が沈んだら村中にろうそくを点して魂を送り出すのが宵祭りであった。
ろうそくの数は年々増え、今ではどの家庭も庭先を埋め尽くすほどで、この日に用いるのはミツロウを原料とするのが習わしだった。
「じいちゃん、ばあちゃん、ミナ姉ちゃん、待ってるからね」
嫁いだ姉の位牌はここではなくホノン家にあるが、それでも姉を思わずにはいられない。
ナカブで下駄を作るのは、物心ついた頃からジナの仕事であった。作り方はばあちゃんが教えてくれたのだ。
祖父はジナが産まれる前に既に亡くなっている。祖母は舌がよく回る人だったから、近隣とよく言い合っていたのは幼心に覚えている。しかしジナには優しかったし、忙しい母に代わりジナの方も祖母になついていたものだ。
「ばあちゃん、応援してくれるかな。見ててね」
手を合わせながら、本当は緊張と不安でいっぱいだった。
明日誰も来てくれなったら?一つも売れなったら?クリームで皆を喜ばせたいなんて、思い上がりもいいところじゃないか?なにが人の役に立ちたいだ?トーダとボウを繋ぐ?
お前なんかに何ができるってんだ!
「いやだ…」
明日、誰にも見向きもされないかもしれない。そうしたら、もうやめるよう父から言われるかもしれない。
トーダ村から帰って色々試してはみたものの、ジナが一人で生成できたのはゼラン草を使った一種のみであった。一人でやろうなんて、やっぱり無謀すぎるのかもしれない。
「それでもあたし、続けたい」
クリームを作っている時、そして初めて出来上がった時の、感じたことのないようなあの高揚感。エナンがくれた魔法だ。
(ジナの命は1回きりだ。誰の顔色見る必要があるんだい)
「ばあちゃん…?」
振り返るがもちろん誰もいない。懐かしいばあちゃんの声がすぐ側で聞こえた気がした。
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