第2話 クリーム作ろう

「うっそ!ほんとだ!きれいになってる!」

 翌朝目覚めると、あんなにピリピリと痛んでいたあかぎれが引いていた。きっと、あごの傷も消えているのだろう。


「すごいね!何なのその軟膏?」

「トーダでわたしたちが作ってる、クリームっていうんだよ。ミツロウから作るの。ジナちゃん家にもあるでしょ?」

 この辺りの山では、伝統的に養蜂が盛んだった。


 というわけで、昨日の芋汁に、苦味がやみつきになる青菜を足してすいとんを浮かべて、すりおろした唐辛子を少し効かせた椀と一緒にあれこれ入手してくると、食べるのもそこそこに作り方を教わるのだった。 

 エナンは動けないから、指示のもと働くのはジナだ。


「まず、このユルゾの実をすりつぶして」

「ユルゾの実?こんなものを使うの?」

 低木で年に2度実をつけ、山には多く自生しているが、硬くて家畜も食べやしない、役立たずの代名詞である。


「ユルゾの実から取った油には、傷を治す力があるんだよ。これを採りに山を歩いてたら、いつのまにかボウ村の方まで来ちゃって。戻ろうと思ったんだけどたくさん成ってたから、木に登ったの。そしたら足を滑らせて、落ちた時に足をひねって。ジナちゃん以外誰も通らなかったんだから…」


 石である程度つぶしてから、今後はすり鉢で根気よく粉砕していく。かなりの力仕事で、途中交代しながら手が痺れるまですりつぶした。

「なんか水分が出てきたんだけど…!」

「これが油になるんだよ」


 つぶした実を綿の薄布に包み、もう一度すり鉢の上で、今度は石を使い、これでもかと全体重をかける。これも二人交代しながら頑張った。

「トーダでは圧搾機を使うんだけど…!手でやるなんて久しぶりだぁ」

 この寒さの中、エナンの首筋から汗が流れる。交代してから、ものの1分もたたずに腕が痛くなる。


「すり鉢がやりづらいのかな。他にないかな。蜂蜜の使ったら怒られるよね」

「うん。やめたほうがいいと思う」

 蜜巣を圧搾したり遠心分離する機械ならジナの家にもある。あれと同じような仕組みでやれれば良いのだが。


「でも、3回分作るくらいは十分に摂れたよ」

 すり鉢の底には、オレンジ色の液体が溜まっている。

「わあ、きれいな色」

「これを、ミツロウと一緒に練っていくよ」


 鉄製の鍋に湯を沸かしてえっちらおっちら運んでくると、エナンがミツロウが入った小さな容器を浸し、素早く菜箸で溶かしていく。

「いいよ、ユルゾの油を少しずつ入れて…うん、もうちょっと、ストップ!」


 そこに、エナンは荷の中から小瓶を取り出し、何滴かふりかけた。

「これはラガナの花の精油だよ。良い香りでしょ」

 そう言ってジナの手の甲に1滴つけた。濃厚でほんの少し甘くて、でも気持ちがすっとするような、こんな匂い嗅いだことない。


「あたしにもやらせて」

「うん、いいよ」

 だんだん、黄色とオレンジ色が混ざった卵色になっていく。蜜の甘さと、ラガナの花の香りが立ち上る。


「できた!」

 本当に手作りできるものなんだ。実際に目にするまでは疑っていた。


「すごい、すごいよ!魔法みたい!」

 ぴょんぴょんしそうなジナに、エナンは優しく微笑むのだった。


「おいっ!雨だぞ!雨!」

 すると納屋の扉が開いて、こちらも嬉しそうに叫んだのは、兄のサハだった。


 1か月以上雨が降らず、乾いた風に吹かれて、ボウ村の大地はひび割れていたのだ。幸いにも米や麦の収穫は終わっていたが、野菜や家畜への被害が出始めていた。

 大粒の本格的な雨だった。これはしばらく止まないだろう。


「エナンが来たからかな」

 自分で言いながら、どこが鬼の忌み子だ、幸運の子じゃないかと、雨と共に村中に言いふらしたい気分だった。


「ジナちゃん、雨の中悪いんだけど…」

「あ、かわや?いいよ。サハ兄、傘貸して」

「厠まで距離あるし、おれが連れてってやるよ」

 そう言うとすたすたと納屋に入り、エナンの前に背中を丸めた。


「え…でも…」

「いいから、遠慮すんなって」

 おずおずとその肩につかまると、サハはよろめくことなくさっと立ち上がる。


「恥ずかしい…」

 おんぶされながら、蚊の鳴くような声だった。


「なに言ってんだ、人間なんだからよ、ションベンウンコすんのが当たりめぇじゃん。恥ずかしいことがあるか」

 言いながら、エナンが濡れないようちょっと傘を背中の方に差して納屋を出て行った。


 作ったクリームを手に塗ってみる。もったいない気がして、ほんのちょびっとだけ。なんだか少し、背伸びした気分だった。

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