クリームがくれた魔法

乃木ちひろ

第1話 三つ編みの少女

 ジナは薄暗い山道を大股で歩いていた。行き先などない。家を飛び出してきたのだった。


「お前なんか一人で何ができるってんだ!」父からは怒鳴りつけられ、

「そんな世迷言を言うような娘っこに農家の嫁が務まるかい」顔に泥を塗られたとばかりに、ホノン家からは捨て台詞を吐かれた。


 母と兄は何も言わずにこっちを見ていた。

 良い縁談ではあることはジナにも理解できる。けれど——。


「あのっ…!」

 その時聞こえたのは、女の声だった。女というより、少女の。


 足を止めたジナに、声をかけてきた少女の方も驚いたようだった。まさか自分と同じ年端の相手と思わなかったのだろう。


「あの、足を怪我してしまって、動けなくて困っていました。お助けいただけませんか」


 このままでは真っ暗闇になってしまう。今は野犬の繁殖期だから、気が立った奴らに噛み殺されてもおかしくない。現に数名の大人が被害に遭っているし、今夜は冷える。背に腹は代えられないのだろう、少女は少女に助けを求めた。


 薄暗さに目が慣れていたから、ジナには少女の顔がよく分かった。同じ村の娘じゃない。


「どこの村?」

「…トーダ村」

「ここがボウ村に続く道だって知ってるよね?」

「うん」


 トーダとボウは山を一つ挟んだ隣村である。元々は一つの氏族だったのが、いつの頃からかトーダを「鬼の忌み子が棲む地」と、ボウを「野犬に呪われた地」と、お互いに行き来を拒むようになって久しい。


 とはいえ、今からトーダへ連れ帰るには間に合わないし、かといってここに放置するわけにもいかない。

「いいよ、うちへ行こう。ほら、つかまって」

 迷いなく言うジナの手につかまり、少女は何とか片足で立つ。


「それじゃほんとに日が暮れちまうね。おんぶするから」

「ごめんなさい…」

 よいしょと背負うと、少女の三つ編みのおさげがジナの頬に当たった。


「あたし、ジナ。名前は?」

「エナン。14歳」

「あたしと一緒だね」


 結果として家に帰る口実となり、これで良かったのだとほっとしているジナであった。


 しかし案の定、父親は日中の怒りをまだ引きずっており、鬼の忌み子を家に入れるなど言語道断だとはねつけた。助け舟を出してくれたのが母である。

 娘と同じ年の子を、この危険な寒空の下放り出すなど人道外だと説得し、納屋で夜を明かすことを承諾させたのだ。


「こんな粗末なところでごめんね、うちのお父ちゃん頑固でさ。…昼間にあたしが怒らせたのが原因なんだけど」

「ううん。迷惑かけてるのはわたしの方だし…」


 納屋には乾いた藁が束ねてあり、その上に母が持ってきてくれた厚手の布団を掛ければ、暖かく過ごせそうだ。

 それに、芋がホロホロになるまで煮込んで、数種類のキノコの味が滲み出た熱い汁を麦飯にかけて食べたから、手足の先まで温まっている。

 

「そうだ!あたしも一緒にここで寝ようっと」

 ジナがそう言うと、エナンは戸惑いながらも嬉しそうに笑った。


 行灯あんどんに照らされたのは、素顔に穏やかさがにじみ出ている少女だった。ふんわりした丸顔、広い額に三つ編みのおさげが良く似合っている。着物には継ぎがあるものの、しみったれた感はない。


「ジナちゃんのお父さん、お母さん、お兄さん、みんな優しいんだね。お父さんが怒っているのは、ジナちゃんが心配だからでしょ」

「そうかな…」


 父は村長むらおさだ。自宅には母屋、離れ、納屋があり、庭には共用ではない独立した井戸があった。敷地の広さは村でも指折りである。

 果たして、娘を思っていたらその口から、「お前なんか一人で何ができるってんだ!」などという言葉が出るものだろうか。


「わたしの両親は死んじゃって、今は叔父さんの家に居候なんだ。だからお父さんと喧嘩できるなんて羨ましい」

「そっか、厄介になってる身じゃ、言いたいことも我慢して過ごしてるんだね」


 あたしとは正反対だな。そう思いながら、こんな風に同い年の見知らぬ女の子と話すのは、モヤモヤした気持ちが夜風に吹かれるように心地よかった。


「あたしね、結婚させられそうになって」

 だから、話したくなった。


 姉のミナは3年前、16歳でホノン家に嫁いだ。すぐに子供を授かり、結婚生活は幸せそのもののように見えた。

 しかし半年前、突然亡くなってしまった。草刈り鎌で足を切っていたが、大丈夫だからと、忙しさを理由に治療を後回しにしていたのが原因だった。


 ミナの夫は村一番の豪農ホノン家の長男であり、2歳の子供がジナになついているため後妻にという話が持ち上がったのだ。

「相手が悪い人じゃないことは知ってる。けど、15歳も年上だし…。それに子供はかわいいけど、あたしはミナ姉の代わりを歩むだけなのかな、って」


 そうして出た言葉が、

「あたしは、あたしにしかできない事をしたいんです。何にも染まりたくないんです」

対して、父とホノン家が返してきたのが、冒頭のアレである。


 そう言われたところで、エナンに何か答えられるはずもないだろう。嫁として不自由なく生活できるチャンスをみすみす捨てるなど、バカげていることこの上ないのだから。

 だから、もう一人で生きていくほかないのだと、そう思って山道を歩いていたのだ。


「そうだ、ジナちゃん、さっき気付いたけど、ここに傷が」

 エナンは荷の中から小さな容器に入った軟膏を取り出すと、ジナのあごのところに塗った。


「手を出して。あかぎれになってるでしょ」

 言われるまま出した手を、エナンがふわりと包んで軟膏を塗っていく。指先まで丁寧にすりこんでいく。

 エナンの手は、同じ村娘とは思えぬほどひび割れもあかぎれも無くて、きれいだった。


「これで明日には治っちゃうよ」

「ほんとに?」


 それからたわいもない話をした。寝て起きたら何の話だったか思い出せないような、そんな話だ。けれど、頭にのしかかる黒い雲を、月がフーッと晴らすように気持ちが軽くなって、眠りにつくことができた。




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