第2話

翌朝、俺は自室で目を覚ました。

 雨に濡れたせいか、すこし寒気を感じる。

 この家にはもともと俺一人しか住んでなかったから物は少なく寂しい部屋だったが、今はいつもの何倍も物寂しく感じた。

 ベッドから上体を起こし、窓から外を見る。

 そこから見えるのは、丘の上の墓に建てられた、ソーニャの眠る墓。


「……」


 手首に巻いた彼女の遺髪のブレスレットの感触を確かめる。彼女がいたことの証明であり、もうあの笑顔が見られないことの証明でもあった。

 おとぎ話の様にどこかから彼女の朗らかな声が返ってくるのではないかと期待したが、黄金色のブレスレットが俺に応えることはなかった。

 今はどのくらいの時間だろうか。

 太陽は高く、村からも人々の声が聞こえてくるからだいたい昼くらいだろうか。

 はぁ、と俺はため息をついた。

 同時に頭に思い浮かぶのは、勇者と寝るソーニャの恍惚とした表情と、その最後の姿。


「――うっ!」


 吐き気がした。

 そして、その吐き気に連れてこられたかのように、勇者への激しい怒りが俺の中で沸き上がった。

 燃える業火、というよりは無限にわき続ける泥のようなモノが俺の感情を次第に殺意へと作り替えていった。


「くそっ!」


 思わずベッドのそばにあった椅子を蹴り飛ばす。

 八つ当たりを受けた椅子は床にその身をぶつけながら壁に衝突し、大きな音を立てた。


「ニコラス? 起きたの?」


 扉の向こうから声が聞こえた。

 慌てて開いた扉から現れたのは隣の家に住む壮年の女性。


「もう昼過ぎだってのに、あんた起きてこないから心配してたのよ」

「あぁ……もう、大丈夫」

「本当かい? 何かあったらすぐに言うんだよ?」


 そういって家から出て仕事に戻って行った。

 彼女は昔から俺たちの事を可愛がってくれていた。

 ソーニャがあんなことになって悲しいのは彼女も同じはずなのに、俺のことまで気にかけさせてしまって少し申し訳なく感じる。

 俺もいつまでもこうして悲しんでばかりはいられない。

 昨日の夜、俺は雨に打たれながらある事を決めていた。



 その日の夜、俺は村長の家にいた。


「ニコラス、お前本気で言ってるのか?」


 顎にはやした無精ひげを撫でながら村長が俺に問いかけた。

 彼は最年長だから村長に選ばれたというわけではなく、その信頼の厚さによって村の中から選ばれている。

 中老でありながらもまだまだ目つきは鋭く、普段の農作業によって鍛えられた筋肉は隆々としている。

 まるでどこかの傭兵のような印象を受ける勇壮な男だ。

 そんな彼の射貫くような視線と力強い声色に俺は一瞬たじろいだが、それでも言葉を返した。


「もちろん本気だ。無謀だと思われるのも分かってる」

「そういう問題じゃない。自分がやろうとしていることが分かっているのか?それはどんな理由があろうと大罪だぞ」


 彼の一言一句が俺の中の不安に突き刺さり、その傷口を広げていく。

 並大抵の反発であれば彼に説き伏せられてしまうのだろう。

 事実、俺のやろうとしていることはどう考えても問題しかなかった。


「ニコラス、もう一度考え直せ。勇者を殺そう・・・・・・だなんて馬鹿な事言うのはよしてくれ」


 改めて言われると、なんて無謀なことなんだろうと自分でも可笑しくなる。

 勇者がどんなに強いかなんて、この村じゃ俺が一番分かってるだろうに。

 それでも。

 それでも、俺の覚悟は揺らがなかった。


「俺は本気なんだ。ここに来たのは止めてもらうためじゃない」

「じゃあどうして――!」

「今までのお礼、かな。どういう結果になろうと、ここには戻ってこれないだろうから」

「……ニコラス」


 村長は口を噤つぐんだ。

 彼は親のいなかった俺を、まるで自分の子のように育ててくれた。

 この人にだけは、最後に会っておきたかった。

 村長の肩は震えていた。


「ここまで面倒見てくれて本当にありがとうございました。それと、ごめん」

「どうしても行くんだな?」

「ああ」

「そうか……」


 そう言うと村長は部屋の奥に置かれた箪笥から、大きな彼の手にも収まらないほど中身の詰まった皮袋を取り出してきた。


「それは?」

「これは……お前の親父さんから預かっていたものだ」

「俺の親父?」


 俺の思い出にいない人物が会話に登場して、俺は戸惑う。

 受け取った皮袋には大量のドルク金貨が入っていた。

 これだけあれば農民は一生楽して暮らせるだろうと思えるほどの額。


「どういうことだ?」

「いつ打ち明けようかと迷っていたが……親父さんは病死じゃないんだ」

「は?」

「親父さんは……異端狩りだった」

「俺の親父が、異端狩り?」


 衝撃の告白に驚きよりもなんで? という疑問が俺の頭を埋める。

【異端狩り】はその名の通り【異端】を退治することを生業としている人間離れした連中だ。

 その【異端狩り】が俺の父親だって?


「そうだ。親父さんは優秀な異端狩りでな。生まれたばかりのお前を母親に任せて、いつも誰かのために戦っていた」

「でも、母さんは死ぬまで親父も農家だったって……」

「お前を危険に巻き込みたくなかったんだろう。親父さんは、お前が村を出ると言った時に渡せとこの金を前の村長に預けていたんだ」

「親父が……」

「お前が物心つくより前、お前に会うことなく親父さんは遠方で亡くなったらしい」


 突然の話過ぎて飲み込めなかったが、要は父親が異端狩りで、その遺産が遺されていたということらしい。

 まぁ、今更それを知ろうが、ただの情報でしかない。


「お前がどうしてもこの村を出て敵討ちに行くと言うのなら、この金を渡すこともやぶさかでない」

「じゃあ――」

「そのかわり、絶対に死なないでくれ」


 村長は真剣な眼差しで言った。

 しかし俺はなんの皮肉でもなく、正直に答える。


「俺だって死にたいと思ってるわけじゃないさ。でも……勇者を相手にして生きて帰れるとも思ってない」


 自虐に近い言葉を吐き捨てる。何か言いたげな村長から金貨を受け取った俺はそのまま村長の家を後にした。


 村を出ていくのに必要な荷物をまとめてみると、想像していたよりかなりの少なさだった。

 ソーニャとの思い出の物なんてほとんどないし、意外と自分は空虚な男だったんだなと少し悲しくなった。

 時間は明朝、朝日はまだ昇っていない。村人たちまだ眠っている頃だろうか。

 これまでこの村は俺の世界のほとんどだったが、これからはもう違う。ソーニャとの思い出に別れを告げるように、俺は村を後にした。

 これから向かうのはドルク国内における主要都市シュパイセルだ。

 シュパイセルは交易の盛んな大都市で、この世のあらゆる人や物がそこに集まっているらしい。

 さすがに俺も今すぐ勇者を殺せるとは思っていない。

 まずはシュパイセルで勇者について調べようと考えた。

 勇者の行き先も分かっていないから丁度いい。

 アルド村はシュパイセルの東、街道から少し逸れた所にある。

 だから、街道までは歩いて行かなければならないのだが――。


「なんだアイツら」


 街道へと続く狭い小道の真ん中に、そいつらは居た。

 というか、寝ていた。

 空の酒瓶が辺りに散乱しているところを見ると、酔い潰れているのか?

 俺の進行の妨げとなっている迷惑な酔っ払いは2人。

 片方は細身で手足の長い色白の男。

 着ている服は路上で寝ている本人からは想像出来ないほど上等な物だ。

 もう1人は全身に筋肉の鎧をまとった小男。

 顔の半分がもじゃもじゃの髭に覆われている。

 この小男はもう1人とは反対に、使い古したボロボロのシャツを着ている。

 左目を覆う黒皮の眼帯が、その無骨さを引き立てている。

 2人とも泥酔しているようで、時折頭の悪い笑い声をあげたかと思うとまたいびきをかき始める。

 ここで変なのに絡まれるわけにはいかない。

 俺は2人の酔っ払いを起こさないように、出来るだけ静かに2人の頭上を跨いで通る。

 落ち葉を踏んでかさり、と音がした時はめちゃめちゃ焦ったが、なんとか無事に通れ――。


「おい」


 突然の声に全身が跳ね上がる。

 恐る恐る振り返ると、さっきまで寝ていたはずの小男が少し赤いままの顔で俺を睨んでいた。


「聞こえねぇのかぁ!坊主、お前だぁよぉ!ひっく」


 小男はまだまだ酔っ払っているようで、しゃっくりを混じえながら俺に怒鳴った。


「坊主、人様を跨いどいてぇ、しつれぇだと思わねぇのかぁ」

「悪かった! でも、道で寝てたのはお前達だろ?」

「うるせぇなぁ!」


 ほんとになんなんだコイツら!

 てか、酒くさっ!

 全身から酒臭さを漂わせるドワーフはドシドシと俺に近づいてくる。

 細身の方は、こんなに騒がしいのにまだ起きてこない。


「こっちは酒飲んで気持ちよく寝てたんだ! なに起こしてくれてんだおめェ!」

「だからアンタ達がここで寝てたから――」

「ヴェレンド、何騒いでんだよー」


 俺達の大声に、ついに細身の方まで起きてしまった。

 ヴェレンドと呼ばれたドワーフは俺を指さしながら言った。


「聞けよギベット! このガキ俺の頭跨ぎやがった!」

「落ち着けよヴェレンド。やぁ坊主、こんなとこでなにしてんだい?」


 細身の男――ギベットはドワーフと違い気さくに話しかけてきた。

 心配になるほど足元をふらつかせながら。

 その手を見ると、煌びやかな指輪や腕輪がつけられている。


「それはこっちのセリフだ。なんでこんなとこで酔いつぶれてんだよ」

「ん? あぁ、俺たち2人ともちょっと不幸に見舞われてな。いわゆるヤケ酒ってやつさ」


 ギベットはそう言うとまた酒瓶を口にあて一気に飲み干した。


「俺はギベット。シュパイセルで細工師をやってたんだ。んでこっちはヴェレンド。見てわかる通りドワーフで、コイツは鍛冶屋だった」

「ふん」


 ギベットは足元をふらつかせながら言い、そしてヴェレンドはそれを見て鼻を鳴らした。


「そんで? 坊主、お前さんはだれ?」


 ギベットに聞かれ、一瞬答えるか迷ったがこんなに話し込んでは今更だと思い、名を名乗った。


「ニコラスねぇ……こんな朝っぱらから仕事かい?」


 ギベットは綺麗に整えられた顎髭を撫でながら再び俺に尋ねた。


「いや、なんて言うか……敵討ち、かな」


 そう言った俺を見て2人は顔を見合わせると、ゲラゲラと大笑いを始めた。


「な、なんだよ! 何笑ってんだ!」

「ひひ、あははは! いや、すまねぇ、ちょっと、ひひ、あひゃひゃ」

「おいおい、こんな朝っぱらから敵討ち? 復讐相手は狼か? 大事な牛さんの仇を〜ってな!」


 ギベットの下らない冗談にヴェレンドもとうとう地に伏して地面をバンバンと叩きだしてしまった。

 ギベットも多分もうすぐそうなるだろう。


「おい、何が面白いんだよ!」

「いや坊主、悪いな! 俺たちもちょうど敵討ちしたいって話してたところでなぁ!」


 ギベットが目から涙を零しながら答えた。

 こんな下らない涙見たことない。

 それにしても、この2人も敵討ちって――。


「なぁ坊主、その復讐相手は誰だい?」

「その……イカれてると思うかもしれないけど……俺が復讐したいのは――勇者だ」


 俺がそう言った瞬間、笑い転げていた2人の動きがぴたりと止まった。


「おいおい坊主お前、本気で言ってんのか?」


 ギベットが立ち上がり、服装を正しながら真面目そうに俺に問うた。

 さっきまでの千鳥足はどこへやら、真っ直ぐに立っている。


「本気だよ」

「そっかそっか――」


 するとギベットはヴェレンドと話し始めた。

 小声だったためよく聞き取れなかったが、何かを相談してる風だ。

 やがて話が終わりこちらに向き直ると、ヴェレンドは言った。


「ニコラスよ! 話し合いの結果、お前を俺達の仲間に入れてやることにした!」

「いいぞぉ!」


 ヴェレンドの堂々とした宣言に合いの手を入れるギベット。

 なんなんだコイツら。

 人の話聞いてなかったのか?


「あのなぁ、お前らには冗談に聞こえるかもしれないけど、俺は本気なんだ。お前らみたいな酔っ払いとつるんでる暇は――」

「まぁまて、人の話はよく聞くもんだぜ?」


 さっきまでのふざけた顔とは打って変わって真剣な表情をしたヴェレンドが続けた。


「いいか坊主いや、ニコラス。俺達は――」


 これが、たった1つのイカれた野望の為に、血よりも濃い絆で結ばれることになる最高の兄弟たちとの出会いだった。


「俺達は――勇者を殺してやるんだ」

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