決意はすぐに

「ウソ!? 聞いてない!」

「……何で先輩に言わなきゃいけないんですか。関係ないでしょ」


 その言葉は正論すぎて突き刺さる。

 啓にとって伊織という人間の評価は未だに低い。こうして一緒にいてくれるだけ心が広い。伊織は啓の器の大きさに感謝しなければいけないくらいだ。


 しかし、そう分かっていても、啓の進路を自分が知らない。というのは伊織にとってとても悲しいことだった。いう価値がない、言う必要もない。そう啓に判断される程度だということが、突き刺さる。


「……猫屋敷君とか、若菜ちゃんは知ってるんでしょ」

「話の流れでいいはしましたけど、それが?」


 何でそんなこと気にするんだと啓が眉を寄せる。

 啓が可愛がっている後輩、猫屋敷陸と九条若菜。特に伊織を敵視している猫屋敷の勝ち誇った顔が脳裏に浮かんで、伊織はイラついた。

 啓先輩にとってあなたはそんなもんです。そう声まで聞こえてくる。妄想ではない。確実にいう。間違いない。


「俺にも参考までに教えてくれたりは……?」

「参考って、あなたには向いてないと思いますよ」

「いや、もしかしたら、万が一ってのがあるし!」


 大和啓という人間はとても優秀だ。万能型だと啓を知る者はいう。すべてのことにおいて平均以上、優秀の位置まで仕上げてくる。突出した何かは持っていないが、何事にも幅広く対応できる。だからこそ、ただ一つを選ぶとしたら何を選ぶのだろう。そういった興味も俺にはあった。


「教師になろうと思ってるんです」


 少しの間を開けてから啓は答えた。啓がなりそうな職業を考えていた伊織は、その言葉に驚いた。

 正直言って、予想外だった。


「……何ですか、その顔。似合わないって思ってます?」

「いや、予想外すぎてびっくりしたって言うか……教師……先生か……」


 驚いたものの、衝撃が抜けて飲み込んでしまえば教師になった啓の姿は簡単に想像ができた。後輩の猫屋敷と若菜の面倒をみる啓は楽しそうだ。他の後輩の事も可愛がっているし、慕われている。それがもっと多くの子供に幅が広がるだけ。そう思えば天職に思えた。


「うん、似合う。啓くんっぽい」


 視線を合わせて笑みを浮かべると、啓は目を見開いた。吊り上がり気味の瞳から少しだけ険がとれる。自分より年下。そうわかる珍しい表情。それを見て伊織は内心よろこんだ。

 こうした顔を見れるのはとても珍しい。少なくとも本当に年下である、猫屋敷や若菜には見せない顔。

 心の中で「ざまあみろ猫屋敷」と悦に浸っていると、気まずげに啓が目をそらした。


「……小堺先輩にそういわれるとは思ってませんでした……馬鹿にされるかと」

「啓くんの中で俺のイメージどうなってんの!?」

「初対面でバカにしてくるし、陸に対して妙にガキっぽいし、変に俺に絡んでくるしで全体的に意味不明でバカっぽい、情緒不安定な人ですかね」


 思ったことを素直に口に出すところは啓の良い所であるが、傷つくものは傷つく。しかも反論が出来ない内容に伊織は口をつぐんで、胸を抑えた。

 特に最初については本当に反論のしようがなく、目をそらすことしか伊織には出来ない。


「似合うって言ってもらえたのは嬉しいですけど、やっぱり小堺先輩の参考にはならないでしょう」


 伊織の心情をしってか知らずか、あっさり啓は話題を戻す。

 自分の言葉に喜んでくれたことに感動すべきか、自分にたいして興味がない。という態度に悲しむべきか。伊織は微妙な気持ちになりながら、啓を見た。


「……教師……」

「むかないでしょ。仮になれたとしても生徒に手出して捕まりそうですし」

「俺のイメージ本当にひどいな!?」


 だが、悲しいかな、啓と出会う前の自分だったらあり得た。そう伊織は思えてしまうから反論しようがない。

 そんな伊織の内心が伝わったのか、啓が冷めきった視線を送ってきた。もともと悪い印象がさらに下がっている様子を見て、伊織は慌てて姿勢を正す。


「いやでも、もしかしたら天職かもしれない。俺、意外と人に教えるの得意だよ。テスト前とかの勉強会じゃ頼りにされてたタイプ」

「それ女性にでしょ。大方話すダシに使われただけで、本当に勉強した機会なんてそう多くないでしょ」

「何でわかるんだ……」


 たしかに啓の言う通り、大概が関係をもつ切っ掛けだった。

 伊織の成績は悪くはない。しかし、クラス上位とはいえない。本当に勉強を教わりたいのなら、もっと上位のやつに聞いた方が早い。というのに、伊織に白羽の矢がたったのは勉強以外の目的があったからである。一言でいえば伊織の顔がいいからだ。


 自分の顔がいい。この点においてはナルシストと言われようが、伊織は全く否定しない。ただ立っているだけで彼女が出来たくらいには、自分の顔は整っている。そう客観的に受け止めていたし、それを利用して生きてきた。そう生んでくれた両親にも感謝をしている。


 だが、最近は少しだけ、顔がいい自分が伊織は嫌いだった。正確にいうならば顔の良さだけで渡り歩いていた今までの自分が嫌だった。

 何しろ目の前の啓は、顔の良しあしで付き合うかどうか決めるような性格ではない。顔よりも相性。顔がいいやつは、むしろ警戒する傾向すらある。

 伊織が初対面でバッサリ切り捨てられたのも、「女にモテそうな顔してんのに、俺に声かけてくるとか胡散臭すぎる」という理由だったと前に聞いた。


「小堺先輩なら、何でも器用にできますよ」

「啓くんがそれいう? 俺よりもよっぽど世渡りうまそうなのに?」

「何言ってんですか。俺が世渡りうまくできるわけないでしょ」


 啓はそういうと一瞬だけ遠い目をした。何かを耐えるような、理不尽さに怒りを覚えるようなそんな顔。それを見て伊織は、しまった。そう思った。

 啓は最後の言葉を飲み込んだ。その言葉はきっと「俺はゲイだから」だ。


「じゃあ、俺が教師になれる可能性もあるってことだ!」


 伊織は勢いのまま身を乗り出して声を張り上げた。沈んだ啓の顔を見ていたくなかった。それだけの勢いだったために、思いのほか声がでた。

 談笑したり、飲食をしていた他の生徒たちの視線が集まる。

 啓は驚きに目を見開いて、伊織を凝視していた。ハッキリと目が合うのは珍しい。それだけで心が躍る自分自身に伊織は少し呆れた。


「何いってんですか」

「だって、啓くんから見て俺は器用なんでしょ。なら出来るでしょ、教師。そっか、教師か……もしかしたら天職かもしれない」

「やめといた方がいいですよ。将来新聞記事に先輩の名前のってたら、一応とはいえ後輩として悲しいですし、学校の評判も下がるのでやめてください」

「どうしても俺を犯罪者にするね。しかも心配するの俺じゃなくて評判……」


 ガックリと肩を落とす伊織を見て、当然でしょ。と啓は言った。ほかに何があるんだ。という態度にグサグサと見えない何かが胸に突き刺さる。

 それでも伊織は引きたくなくて、何とか視線を啓にあわせて声を絞り出した。


「そんなに心配なら、啓くんが俺を見張って!」


 勢いで声にだしてから、伊織は名案だ! そう思った。そのままビシリと啓を指さすと、啓はパチパチと目をまたたかせる。一拍置いてから伊織の言葉を理解したのか、はああ!? と大声をあげた。

 何事かとこちらを見る視線がさらに増えるのを感じたが、伊織は気にしない。


 勝負だ。ここで頷かせることが出来れば、伊織は今後も啓に話かける口実が出来る。啓に勉強を教わることもできるし、相談に乗ってもらうこともできる。啓が後輩なんて考えは伊織からは消え失せていた。

 黒天学園はランクが全て。伊織は啓よりも早く生まれたが、実力は啓の方が上。ならば同じ進路を目指す啓に伊織が教えを乞う事は、何の不思議もない。何だかんだ面倒見がよく、根が真面目な啓であれば本気で伊織が勉強を教わりたいといえば無下にはできないはずだ。これほどまでに頭を使ったのは生まれてこの方初めてかもしれない。


「俺が犯罪者になったら、後輩としても不名誉だろ」

 腕を組んでとびきりの顔で笑みを浮かべると、啓は心底呆れた顔をした。


「不名誉っていうか……ついでだし、学生時代ストーカーされてました。って証言しますけど」

「それされたら俺の社会復帰の道絶たれるでしょ!?」

「そもそも、犯罪者になる前提に話すんのやめてくださいよ」

「じゃあ、啓くんも俺が犯罪者になる前提で話すのやめて!」

「それは先輩が日頃の行いを改めたら考えます」


 キッパリ啓はそういうと問題集に視線を戻す。話は終わり。そういう宣言に伊織は不満げに啓を見た。

 いくらジィっと見ようと啓は一切伊織に視線を向けない。女性に対しては効果的だった自分の顔が通じない。ならば、他のことで勝負するしかないのだ。


「……俺、教師になるから」


 思ったより真剣な声がでた。啓が顔をあげて伊織と視線を合わせる。値踏みするように伊織をみる啓に失望されたくなくて、伊織は本気なのだと必死に訴えかけた。

 啓は少しばかり悩んだ顔をして、それから笑う。後輩に見せる顔にしては意地の悪い、どこかバカにした笑顔。


「そうですか、進路決まってよかったですね」


 無理だろ。そう思っていのが好けて見える態度に伊織はムッとした。そして決意した。見ていろ。見返してやる。そして惚れさせてやる。そう伊織は心の中でつぶやいて、脇によけていた大学資料を引き寄せる。

 見るだけで憂鬱だった文字の羅列が、意味のあるものになっていた。心の変化でここまで変わるのかと苦笑しつつ、伊織は考える。

 教員免許をとるためには何を勉強すればいいのか、何が必要か。

 霧かかっていた未来の輪郭が少しだけ見えてきた。それだけでも伊織にとっては大きな進歩だった。

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