場所は食堂

 まだ春の兆しは見えない冬のある日、伊織は放課後、黒天学園高等部の食堂にて唸っていた。伊織の目の前には大学部の案内と時間割に関する資料、そして春には提出しなければいけない時間割が白紙のまま置かれている。


 小堺伊織が通っている黒天学園は初等部から大学部までエスカレーター式。存在するのはランク制度という生徒の能力を6段階で評価するシステムだけで、学部はない。そのため義務教育が終わった生徒は、自分が好きなように時間割を組み立て、好きな分野について学習できる。そういった仕組みを取り入れた学校だった。


 この時間割の組み立てはランクによる差が大きい。低ランクの生徒は義務教育の分があるために、他の分野を取り入れる隙間が少ない。高ランクになった生徒は義務教育を受ける必要がない成績を有しているものが多いため、その分開いた隙間に自由に好きな授業を詰めることが出来る。


 そんな中で、伊織は成績が優秀とはいえない生徒だった。

 補修三昧というほど悪くはない。だがよくもない。先生に小言を言われない程度によく、優等生と注目されない程度には悪い。そんな微妙な位置をフラフラしていた伊織は、学園外の一般と同じく大学部に上がるという段階になって初めて、時間割の問題と直面することになった。


 それでも黒天学園は良心的な方で、大学部に上がる前から資料ももらえるし、時間割の立て方についての説明書ももらえる。事務局にいけば成績と能力に合わせて、相談にも乗ってもらえるし、何なら大学部の先輩に直接話を聞くこともできる。何しろ同じ敷地内に大学があり、学生の上下関係を決めるのは学年ではなくランクなのだ。他の学校に比べれば年上に声をかけるのも格段に敷居が低い。


 とはいえ、それは自分がどういった進路を選ぶか決まってからの話である。

 黒天学園はあらゆる分野の天才を集めたといわれるだけあって、講義内容も多岐にわたる。一般にも広くしられた分野から、誰が受講するんだ。と疑問に思うようなニッチな分野まで。


 自由に自分が好きなものを選ぶことが出来る。それは逆にいえば、自分が選ばなければ何も決まらない。ということでもあり、黒天学園に入学してからというものフラフラと向上心もなく適当に過ごしていた伊織からすれば、進路を決める。それは重すぎる選択だった。


 社会にでても十分にやっていける自信はある。伊達にこの学園で何年も過ごしてはいない。本当に適正のない奴はあっさりとあきらめて転校していった。それだけ入れ替わりも激しく、堕ちていくものに周囲は興味を示さない。それが黒天学園という学校だ。

 だから大丈夫。そういった漠然とした自信はあるものの、自分が何をしたいのか、どうなりたいのか。そう考えると伊織はとたんに自信がなくなった。


 自由に青春を謳歌できる高等部までと違って、大学部は卒業までの準備をする場所だ。そこで自分が将来何をやりたいのか考え、そこに行くための足場を作る。

 黒天学園は在学生、卒業生、そして優秀な教職員が作り上げた人脈から、多方面へのネットワークが出来上がっている。自分が決断さえしてしまえば、他の学校の生徒に比べてかなり優遇された進路を選ぶことが出来る。

 そう分かっているというのに、伊織は決めかねていた。


 以前の伊織であったら適当に、楽だと言われる講義を選んで時間割を埋める。そうして適当に過ごしただろう。進路も適当に入れそうな場所を選ぶ。友人に冗談半分でいわれたホストという業種にノリと勢いでなってしまったかもしれない。

 しかし今の伊織は流れに身を任せることが出来なかった。


 向かい合う形で座っている少年をチラリと見る。癖の強い赤い髪に、初対面では威圧感を与える吊り上がった目元。それを含めても整っていると断言できるバランスの良い顔立ちをした少年は、開いた問題集とノートを見ながらシャーペンを動かしている。

 

 目の前で頭を抱えて唸る伊織など全く眼中にない。そう分かる態度に別の意味のため息が漏れそうになる。いや、漏れた。

 わざとらしい大きなため息に少年――大和啓やまと はじめは顔を上げる。そして、伊織を見ると元々吊り上がっていた目をさらに吊り上げた。


「俺勉強してるんですけど、邪魔しないでくれません?」


 目の前で悩んでいる先輩に対して情のかけらもない言葉。それに伊織は言い返そうと思ったが、寸前のところで言葉を飲み込んだ。

 何しろ無理やり引っ張ってきたのは自分で、それを口に出した瞬間「じゃあ俺帰りますね」とあっさり荷物をまとめて立ち去ってしまうのは目に見えている。啓がここにいるのは伊織がしつこかったから。あまりにもしつこいので、適当に付き合って満足させよう。そういったマイナスとマイナスでマシな方をとった。それだけの話に過ぎない。


 小堺伊織はこのつれない大和啓という少年が好きだ。

 女の子が大好きで、女たらしで、女をとっかえひっかえするクズ野郎。そう言われていた伊織としては信じられないことに、年下の同性。どうみても男であり可愛げの欠片もない大和啓という少年に恋をしてしまったのである。

 何でこうなった。と定期的に伊織は顔をしかめるが、恋はするものではなく落ちるもの。そうどこかの誰かもいっていたし、実際落ちてしまったのだから仕方ない。

 伊織はもともとポジティブな性格であったし、細かい事はあまり考えない性分だった。だから仕方ない。好きになってしまったのだから、相手にも好きになってもらおう。と日々アピールしているわけだが、何分最初の出会いが最悪だった。その結果、啓には完全に「いけ好かない先輩」と認識されており、こうして放課後付き合ってもらえるようになったのも最近になっての事である。


「……啓くん、成績的には勉強しなくてもいいんじゃないの?」


 いくら考えても悩みは解決しない。それよりも目の前にいる啓に意識を向けた方が有意義じゃないか。そう思った伊織は広げていた資料を脇によける。その姿を見て啓が顔をしかめた。

 目つきは悪め、口も悪め。第一印象はマイナスに働く啓だが、根っこは真面目である。不真面目な伊織を見ては顔をしかめる程度には。

 やらかした。と伊織は思ったが、とりあえず笑って誤魔化しておいた。一層顔をしかめられる結果に終わったのを見て、今まで女の子相手で上手くいったスキルは一切通じないのだと悟る。


「先輩と違って俺は向上心があるので」

「……突き刺さる」


 胸を抑える伊織を見て啓はフンッと鼻を鳴らす。一切こちらを気遣う気はなく問題集に視線を戻す姿には可愛げの欠片もない。今まで付き合ってきた女の子だったら「ごめんね」とか「大丈夫だよ」とか優しく慰めてくれたのに。そう伊織は思って、じゃあ何でつれない相手に必死になっているんだろう。と自分自身に首を傾げた。


 啓と出会う前の伊織はフラフラ定まらなかったけれど、人に振り回されはしなかった。どちらかというと振り回していた方だと思う。付き合ってきた彼女たちに「なにを考えているかわからない」そう言われて振られたことだってある。それでも伊織は特に気にせず、次の女の子を探しにまたフラフラ移動していたのだ。

 お前は見た目は綺麗なクラゲだよな。と友人に言われたことがある。いわく海をフラフラ漂って、綺麗だと近づいて来たやつに毒針をさすのだそうだ。

 当時は失礼なやつだと思ったが、今にして思えば正しい認識だと分かる。そう自覚できてしまっただけに伊織は顔をしかめた。


 海を漂うクラゲ。気まぐれに近づいて来たやつを魅了して、適当にまた流される。きっとその方が楽だったというのに、今の伊織はそれがダメだと思っている。

 目の前にいる大和啓という人間が、自分よりよほどしっかりしていて、眩しく見えたのがいけなかった。自分も近づきたい。側にいたい。そう思うようになってしまった。


 しかし啓は伊織がそう思っている事など気づいていない。気付いていたとしても興味がないのかもしれない。至近距離で見つめる伊織の視線に気づかないはずもないのに、先ほどから問題集から目をそらさない。

 その姿は伊織よりもよほど進路を真剣に考える高校3年生に見える。伊織よりも2年ほど猶予がある後輩。そのはずなのに、伊織よりもよほど前に進んでいるように見えた。


 大和啓という生徒は、天才を集めた黒天学園の中でも抜き出た存在だった。

 高校1年生だというのにAランク。規格外すぎて目指すものではないと言われるSランクを除けば、実質学園の頂点。それを早くもつかみ取って、それでもこうして日々努力を続けている。

 

 啓が真面目に取り組む問題集は、伊織には全く理解できないものだった。数学は苦手ではないというのに、覗き見た問題文は暗号にしか見えない。おそらくは高校生がやるものではないのだろう。時たま考えるそぶりを見せるもののスラスラと解いていく啓は、やはり年下には見えなかった。

 啓という人間は、口は悪いが思考が大人びている。すでに幾度かの修羅場を潜り抜けた。そんな貫禄まであった。


 実際のところ、伊織よりも多くの経験をしてきたには違いない。

 それなのにさらに上を目指そうとする。その姿勢が伊織にはまぶしくて、純粋に疑問でもあった。一体啓はどこを目指しているんだろう。


「啓くんはさ、進路決まってる?」

「決まってますけど」


 ノートから目をそらすことなく、当たり前のように告げられた言葉に伊織は驚いた。


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