尾行の訓練

 日の沈みきらないうちに子どもたちを帰すと、アルルは気合を入れて腕まくり、探偵の身づくろいを整え、糊の利いた一張羅をめかしこませた。小綺麗に髪をまとめ無精ひげを剃るだけで、さえない風貌が都の紳士となるのだから見違えるようだ。


「客商売なんだから、いつもこれくらい決めてりゃいいのに」

「ぼくは好きで探偵をやっているわけじゃない……」

「さいですか」


 アルルは櫛をくわえながら探偵の眉をハサミでちょいと整える。


「兄ちゃんの見栄えがよくなると、アルルが困るんじゃないの」


 うそぶくユアンの尻を蹴飛ばすと、アルルは目をつむる探偵の顔を柔らかい羽箒ではたたいた。仕上げに男ふたりの衣装を撫でつけると、


「さあ色男ども、女を口説いて情報を仕入れておいで」


 リドルとユアンを送り出す。

 そうしてアルルは晩餐の後片づけをするラビに向き直り、


「あたしたちも準備しなきゃ。急いで着替えて。変装は……あたしだけでいいか」


 展開が読めず、ラビはきょとんとする。

 ぼんやりする見習いの背をぐいぐい押してラビの自室に連れこむと、昼間に買い揃えた衣装をいくつかその身にあてがった。


「せっかくの華やぐ衣装、めかしこまないとね。これから尾行の訓練をするからさ、せめて傍目には都娘(みやこむすめ)に見えるように着こなして。探りを入れる対象にばれるようでは探偵業の名折れよ」


 アルルが指を振ると、魔術によって砂時計が部屋の壁に描かれる。魔力の砂が落ちきるまでが刻限だ。

 ラビは慌てて着替えをした。着慣れない衣に袖を通していくと、姿見には都に流行りの装いをした、見慣れない自分の佇まいが映し出されていた。呉服の店で試着したときとはまた格別、まさに生まれ変わるようだ。


 その可憐の装いに胸がどきどきして、浮き立つ気持ちは晴れやか、ラビはちょっとだけ恰好をつけて、気取った姿をちらほら鏡に映していると、壁の砂が落ちきる前にアルルがやってきた。

 ラビが笑顔で装いを見せびらかすと、アルルはにっこり笑み返して太鼓判を押した。


「文句なし、誰がどう見ても都娘だね」


 壁の砂時計が落ちきる。アルルは自分の髪を引っ詰めに括り、つば広の帽子をかぶると日暮れ間近の外をあごで示した。


「暗がりだと見失いやすいから急ごう」


 キヌの栴檀亭は裏通りにある酒場だとアルルはいう。

 ミナミの地に不案内のラビは向かう目的地がいまいちはっきりとしないが、ともかくも小走りのアルルに遅れまいとして一緒に続く。人通りの多い表通りに出ると、歩きながら話しこむ様子のリドルとユアンの姿が遠目にも窺うことができた。


 女史ふたりはつかず離れず男性陣を追跡する。

 つば広の帽子を目深に下げて、うつむきがちのアルルはいくつか尾行の心覚えをラビに教えてくれた。追いかける対象、その性格、時候と場所柄に鑑みていかに気取られないように身を処すか、それに尽きるということ。


「あのふたりの身振りから、次に相手はどう動くか、常に考えながら追いかけてごらん。先手を打てる捕物とは違って、尾行はほとんどの場合は後手を踏まないといけない。今日のところはまあ、見逃すこともないだろうからサ、そう固くならずに。あんまり不審だと周りの目を引いて悪目立ちするよ」


 気合が入りすぎてラビの歩みはなんとも不自然だ。

 アルルは暗い道端で花売りをする少女を見つけると、手を腰の後ろに組んで歩み寄り、売れ残りをしげしげと吟味してから白い大輪と赤い小ぶりの生花を花籠から引き抜く。代わりに何枚もの銅貨をその小さい手のひらに落とした。


 花売りの少女がびっくりして目を見張れば、アルルはこらえかねて大きいくしゃみをした。それも立て続けに。ずずいと鼻をすする。


「早く帰りなよ。夜が更ける前に」


 花売りの少女がなにか言葉に代える前に、ちらちらと追跡すべきふたりの姿を気にしているラビのところまで戻ってきた。アルルはまず花の匂いを確かめてから、赤いほうをラビの懐に差しこむ。白い大輪は自分の帽子のつばに飾りつけ、またくしゃみだ。


「本当はあの紫のやつがよかったんだけど、あたしはあれ、だめなんだよね」

「花粉症ですか」

「うん。アレルギーなんだ」


 大真面目にいうのでラビは噴き出した。


「アレルギーとは古めかしい言葉ですね。古典にしても死語ですよ、それ」

「さてはきみ、免疫過敏の恐ろしさを知らないね。いっぺん罹ったらそれきり治らないんだよ。……ミナミの迷宮には〈ダンジョン・アレルギー〉という、それはそれはおっかない伝承があってだな」


 道すがらアルルは表情をころころと変えて、ミナミの迷宮にもぐっていると〈尻が四つに割れる〉〈ほくろが動いてしゃべりだす〉〈顔が魔物の面相に近づく〉などとまことしやかとしか評せない古い言い伝えを語ってくれたが、どれも眉唾モノの与太話にしかラビには聞こえなかった。

 その百面相ぶりはむしろ、新人の緊張をほぐそうと試みての心遣い、それに気づいたラビはほんのりとして肩の力を抜こうと努めた。


 話しこんでいるうちに表通りを折れて小道を抜ける。きつい色合いの灯篭が並ぶ裏通りの繁華街に出た。路地には露天の卓が並び、手近の露店で買い付けた肴を手に冒険者たちが喧しく今宵の一杯を聞こし召している。


 兄弟は一軒の店を指差して赤い暖簾をくぐっていった。キヌの栴檀亭と銘を打つ立て看板に双葉の柄をあしらった立ち飲みふうの店構え。ちらと軒先から店内を覗いてみれば、ちょうどふらつく男女が連れ立って出てくるところ、客足はかなり賑わっているようだ。


 ふたりは兄弟から離れた露天の卓に陣取った。

 ラビは酒がいけるクチ、それを聞いてアルルは烈酒を、ラビは清酒を注文、当てにいくつか肴を頼む。アルルが代金を払い、女の給仕がそばを離れると、


「あちらと合流しないのですか」

「こぶつきより男だけのほうが女の胸襟も緩くなるだろ」

「なるほど」


 アルルは帽子を脱がずに路地のほうを向いたまま小声で話す。酔客の喧噪のために聴き取りづらい。ラビはなるべく顔を寄せた。


「実はここ、出入り禁止なんだよ、あたし」

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