第13話 オークの隠れ里にて

 

 リンカの家に入った時間は、既に夕暮れ時。オークの隠れ里が造られている為に里の中に大木は無いが、里の周りは太古の森林が広がっている。その為、空はまだ茜色で明るいのだが、里の中は夕日が大木に遮られている為に既に薄暗い。

 人間とオークの友好を築くのは明日からという事にして、今日はこのままリンカの家でお世話になる事にした。



(リンカちゃんって……料理上手なのね)



 リンカの家の中、レイは目の前の囲炉裏で鍋物を調理するリンカを見てそう思った。

 家の中の壺に蓄えられていた山菜や茸類を鍋に入れ、そこに内蔵と頭を落とした川魚を入れてグツグツ煮込む。最後に茶色い土の様な物を入れたのだがレイはそれを見た事が無く、人間と違ってオークは土も食べるんだと変な勘違いをしてしまった。



「ね、ねぇリンカちゃん。最後に入れたのって……土なの!?」


「あっはっはっはっ! 人間は知らないのかい? これは”味噌”と言って、豆を発酵させて造る調味料さね! さすがのオークも土なんて食わないさ!」



 そう言われてレイは少し恥ずかしくなったが、改めてみると土の匂いじゃない事に気付いた。レイには例えようの無い良い香りが部屋に充満し始め、それを嗅ぐと同時にお腹の虫が騒ぎ出す。いつまでも嗅いでいたいと思った所で、リンカは鍋に木の蓋をする。少し残念に思うレイだが、この料理はきっとこういう物なんだろうと楽しみに待つ事にした。



「もう少しで出来るから、体でも拭いてきな。特に鎧の……ノアちゃんだっけ? ノアちゃんはさっき……だから、綺麗にしてきな! それと、レイちゃんにはこれ。吐いてたくらいだから体調が悪いんだろ? 癒し草を煎じた薬だから飲んどきな。お腹に効くからね」


「あっ! わ、忘れてた……! 私、先に体拭いてくるね! ハイン、覗いたら殺すわよ……?」


「の、覗かないよ!」


「ありがと、リンカちゃん。……うぇ、に、苦いー」



 ノアは、ハインが覗かない様にベロちゃんを見張りとして奥の部屋との仕切り付近で見張らせた。部屋の中からは鎧を脱ぐガシャガシャという音と、水で濡らした布を絞る音が聞こえてくる。

 ハインは覗かないとは言ったが、やはり年頃の男の子。すぐ隣の部屋でノアが体を拭いているのが気になって仕方ないといった様子だ。チラチラとそちらに視線を向けては『キャンキャン! (見んじゃねぇ!)』と、ベロちゃんに吠えられていた。

 その様子を横目で見つつ、レイはリンカから貰った液薬を飲んだ。それはとても苦いものだったが、何だか優しい味がした。



「飲んだなら、レイちゃんも体を拭いてきな」


「あたしは寝る前に拭くから大丈夫!」


(ハイン君が寝た後に拭こう……。何だかハイン君が怪しい)


「な、何だかレイちゃんのぼ、僕を見る目が痛いんだけど……!?」



 そんなこんなで、ノアが着替え終わって戻って来た所で夕食となる。

 リンカが鍋の蓋を開けると、食欲をそそる香りと共に白い湯気が天井に向けて上っていく。



「たんとお食べ!」


「い、いただきます!」



 木の器にリンカがよそった物を、木のスプーンを使って恐る恐る食べ始める。すると、味噌と呼ばれる調味料と茸から出た出汁が程よく合わさり、とても美味い。山菜もほろ苦いけども、味噌と良く合っていた。



「っ!? 魚が生臭くない!」


「味噌が臭い消しにもなってるんさね。味噌をつけて焼く魚も美味いからねぇ!」



 レイが食べた事のある魚は川魚がほとんどだが、母親のレイラが作る魚料理は生臭さが残っていて苦手だった。だが、リンカが作ってくれた鍋の魚はその生臭さが完全に消えており、味噌の味と茸や山菜の出汁と合わさり、とても食べやすく、しかも凄く美味しく感じられた。

 初めて食べる味噌の味と、初めて美味しいと感じた魚。気付くと木の器は空になっていた。ふとベロちゃんを見ると、ベロちゃんもその味が気に入ったのか、既に器が空だった。



「「「ご馳走様でした!」」」


「三人とも気に入ったようだね! お粗末さまでした!」



 食後、ハインは家の外で体を拭いていた。それを見計らって、レイも素早く体を拭く。全裸で体を拭くレイの白い肌を囲炉裏の炎がゆらゆらと照らし、幻想的な艶やかさを演出している。時おり聞こえる、炭が弾ける音が小気味好い。

 当初、ハインが寝てから拭こうと思っていたレイであったが、寝たふりをして見られる可能性に気付き、ハインに外で拭かせる事にしたのだ。外でハインが体を拭けば、中で体を拭くレイは一先ず安心だ。

 ちなみにだが、リンカは近くの小川に水浴びに行った様だった。



「傷跡一つ付いてないね、レイちゃん」


「自分でもびっくりしてるんだ。あれだけ血が出たのにね」



 そんなレイの体を、ノアはどこかウットリとした視線で見つめてそう言った。傷跡も残らずに治るなんて、”オートヒール”は凄いと改めて思うレイ。ゴブリンに切られた箇所に指を這わせながら、ノアに答えた。



「痛っ! なんでここは治らないかなぁ……?」


「どうしたの、レイちゃん?」


「倒れた時にぶつけたと思うんだけど、耳の上の所が両方ともコブみたいに膨らんでるんだよね」



 布をもう一度濡らし直して頭と髪の毛を拭くと、やはりそこが痛み、体の傷はオートヒールで治ったのにそこだけが治らない事に疑問を抱いた。

 レイが疑問に思う最中、ノアがコブのような物をレイの背後から触った。



「……何か、硬いよ?」


「痛っ! もう、ノアちゃん!? 触るならもっと優しく触ってよ!」


「ご、ごめんね……!」


「は、入ってもいいかな……?」


「っ!? まだ、ダメーっ!!」



 体を拭き終わったハインが、外から中を窺う様に声を掛けてきた。普段は鈍臭いのに、こういう時だけ早いというのは変な話だ。

 コブに気を取られていたが、ともかくレイは急いで服を着る。着終わった所でハインに許可を出し、そのまま藁が敷かれた奥の寝室へと向かう。

 その際、ハインが何かを拾おうとした。どうやらレイは、さっきまで履いていた下着を仕舞い忘れていた様だ。しかし、それに気付いたベロちゃんがハインを吠え、それに驚いたハインは咄嗟に後退あとずさる。ベロちゃんのお陰で下着を仕舞い忘れた事に気付いたレイは、慌てて下着を拾ってストレージに仕舞った。ベロちゃん、ファインプレーである。

 そこへ、リンカも水浴びから戻って来たので、藁敷きの部屋でみんなで就寝。男であるハインは部屋の隅で身を小さくしながら眠り、レイとノアはリンカに守られる様に眠った。

 ベロちゃんは自らリンカの家の入口付近に見張りの為に陣取り、ムイラはレイの足元でプルプルと揺れていた。


 その夜中。レイは生理現象で目を覚ました。ムイラを伴い、みんなを起こさない様に家の外に出る。どこで用を足そうか少し考え、リンカの家の裏に回った。そこは森からは丸見えだが、里の中からは死角になっているのでオーク達やハインから見られる事は無いだろう。夜である為それ程心配する必要も無いが、念の為である。



「じゃ、ムイラ。壁の所でお願い」


「(分かりました、ロード)」



 リンカの家の壁際にムイラが移動し、その壁を背にしてレイはムイラに座る。相変わらず股間の生温かさにドキッとするが、用を足し終えた後は綺麗なものだ。下着とパンツを戻し、夜空を見上げる。

 昨日までと打って変わって、夜空は黒く、星の瞬きは見えなかった。雲間に見える滲んだ月が何だか気色悪く感じる。すると、森の奥からオォーーンという遠吠えが聞こえ、レイはムイラと共に慌ててリンカの家へと戻るのだった。




 翌朝、実戦授業の四日目。リンカの作ってくれた朝食をみんなと食べたレイはムイラと共に、リンカの案内でそれぞれのオークの家を訪ねる事にした。

 ノアとハイン、それにベロちゃんの二人と一体は、リンカに恩返しという事で小川に魚取りと山菜採りに出掛けた。その際、他のオークに見つからない様に身を隠しながらこっそりと出ていった。いくら長が許可したとはいえ、オークは魔物。それも人間に恨みや憎しみを抱いていると聞いている為、慎重にならざるを得ない。

 その二人と一体を見送った後、レイも目的の為に歩き出した。



(リンカちゃんの家から一番近いのは……パパが、何日か前にお母さんを殺したかもしれない家なのね……)



 リンカに案内されて先ず訪れたのは、アデルに母親が殺された家。レイにとって、最も訪れるのが辛い家である。沈痛な面持ちのまま、リンカと家の入口で中へと声を掛ける。



「ご、ごめんください。あ、あの、少しだけお話をさせて欲しいんですけど……!」


「おーい、ジョン! 居るんだろ!? 出てきておくれ!」



 レイとリンカで声を掛けて暫く待つと、出てきたのは子供のオーク。優しい顔付きをしている事から、女の子だろう。



「あっ! リンカ姉ちゃん! おはよう! ……そのオークは誰? 見た事ない顔だけど……」


「出てきたのはミナかい。隣に居るのは人間のレイちゃんだ。ワタイらと仲良くなりたいんだと。それよりも、ジョンはどうした?」



 ミナという女の子オークは、リンカの言葉でその目に恐怖と怒りを宿した。レイの事を激しく睨んでもいる。母親を人間に殺されたばかりなのだから、それは当然だろう。いや、例え殺されてなかったとしても、親から人間は敵だと教えられて育つのだから、これが普通なのかもしれない。



「ママを返して! 人間がいるからママが死んだんだ! 人間なんて滅びればいい!! リンカ姉ちゃん、この人間となんで一緒に居られるの!?」


「長が認めたからねぇ。里の中で悪い事をしなければ、ワタイが責任もって面倒を見る事になったんさね」



 ミナの言葉にレイは応えようとした。だけど、言葉が出て来なかった。アデルが母親を殺したという負い目もあるかもしれない。代わりに、リンカがミナに説明をした。



「ミナ。何を叫んでるんだ!?」


「パパ! リンカ姉ちゃんが人間を連れてるから殺して!!」



 ミナに何とか言葉を掛けようとしたレイだったが、そこで家の中からジョンが出て来た。ミナの声で、何があったのか気になったのだろう。



「人間……だと!?」


「待っとくれ、ジョン。長が認めたから連れてるんだよ」


「長が、だと!? …………分かった。だが、殺すんだったらオレに殺らせてくれ……!」


「そうさせてやりたいのは山々なんだけどね、たぶん長以外だと、レイちゃんは殺せないんじゃないかね。ワタイの渾身の一撃で、レイちゃんは傷一つ付かなかったからねぇ」



 人間は殺してやりたい。だが、レイは長以外殺せない。そう会話しているジョンとリンカだが、ジョンは憎しみの篭もった視線をレイへと向けている。

 ジョンに憎しみの篭もった視線を向けられたレイは逃げ出したくなったが、手をぎゅっと握りしめて何とか堪えた。逃げ出してしまったら、いつまでもオークと人間の関係が変わる事は無い。自分が友好の架け橋となる為に、リンカに里を案内してもらっているのだ。逃げてはならない。



「じょ、ジョンさん! それに、ミナちゃんも聞いて下さい! あたしは、人間とオークは分かり合えるんじゃないかって思ってます! だから、あたしはオークと戦う意思はありません! それと……ミナちゃんのお母さんの事は、あたしが謝ります! 許してもらえるとは思ってないけど、ごめんなさい……!」



 レイは誠心誠意に言葉をぶつけた。言葉の途中、レイの目からは涙も溢れた。許してもらえるとは思ってない。それでもレイは謝った。



「……言葉では何とでも言える。だが、一度だけその言葉を信じてやる。ミナもいいな? そのかわり、少しでも変な素振そぶりをしたら必ずオレが殺す!」


「パパがそう言うなら……。でも、これだけは言わせて! 人間がお母さんを殺したから、レナは心が壊れたんだよ!? まだ三歳なのに……!」


「うぅ……ご、ごめん……なさい……うっ……グスッ……ゆる……してぇ……!」



 その場でレイは泣き崩れた。そのレイの姿をジョンとミナは暫く見つめていたが、その後言葉も無く家に戻っていった。


 暫く泣き、少し落ち着いた後、再びリンカと里を回った。どの家もジョンとミナ程では無かったが、やはり冷たく、そして憎しみの篭もった言葉をぶつけられた。だけどレイは、全ての家で頭を下げ、涙を流しながら謝罪した。許してはもらえないと分かっていたレイだが、最後に訪れた家だけは違った。その家は、父親がだいぶ前に殺されたとリンカが言っていた家だった。



「マイアさん、居るかい?」


「はーい、どなたって、リンカちゃんか。用は何?」


「あ、リンカちゃん! ワタチと遊んでよ!」


「ミト。遊ぶのはまた今度さね。それで用は、レイちゃんが里を案内してくれって言うからさ」



 マイアとミト。その二人に紹介されたレイは、俯きながらリンカの後ろから姿を見せた。これまで、全ての家で憎しみをぶつけられたのだ。ここでも憎しみをぶつけられるだろう。俯きながら涙を流し、レイは憎しみの言葉を待った。



「レイちゃんって言うんだね! どうしたの、レイちゃん。どっか痛いのかな? 泣かないで……ワタチも悲しくなっちゃうよ」


「リンカちゃん。人間よね、その娘。珍しいわね、人間の女の子がこんなところに来るなんて。……初めてだったかしら? まぁいいわ。立ち話もなんだから、中に入って!」


「……えっ!? あ、あたしの事が憎くないんですか!? 人間なんですよ、あたし!」



 マイアの言葉にレイは驚いた。それに、ミトの優しさにレイは感動すら覚えた。悲しみの涙は、いつの間にか止まっていた。



「オークだって、人間だって、同じ生き物じゃない。ワタシの旦那は確かに人間に殺された。だけど、それはアンタ……レイちゃんだっけね。レイちゃんに殺された訳じゃないでしょ? 憎んだってしょうがないじゃない。さ、入って」


「あり……がとう……ござい……うぅ……ます……うぅぅ……うぇぇぇぇん……」


「レイちゃん、泣かないでぇ……ワタチも……うわぁぁぁぁぁん」



 レイは再び涙を流し、それを見たミトも涙を流す。二人の様子を見ていたリンカとマイアは微笑みながら頷き、リンカはレイを、マイアはミトを優しくマイアの家の中へと誘うのだった。




 ☆☆☆




 ――時は少し戻り、レイ達一年生が実戦授業の三日目を迎えた日の夕方。



「ルシウス。アイツ一人だとやっぱり心配だから、俺も行ってくる」


「奇遇だな。私も行こうと思ってたよ」



 ザインを見送ってから半日後。ガーディアン本部の執務室にて報告書に目を通したり、計画書にサインをする等の事務仕事を終えた後、アデルはルシウスにそう言った。

 一方のルシウスも、ザインの背中を後押ししたのは良いが、やはりザインがやり過ぎるのではないかと気になり、ザインの後を追おうと考えていたのだ。



「仕事も終わったし、久しぶりに二人で行くか?」


「”剣聖”と”魔帝”。ガーディアンの双璧とまで呼ばれる様になった私らが出張でばるなんて贅沢だな!」


「はっはっはっはっ、まったくだ!」



 アデルとルシウスは笑いながら頷き、それからそれぞれの部下に出て来るとだけ伝え、ザインの後を追い始めた。追い始めたといっても行き先は分かっているので、半ば教え子の成長を見る為の教師の様な気分である。ザインも学園出身のガーディアンなので、かつては本当の教え子ではあるが。

 ともあれ、アデルとルシウスの二人は、ゆっくりと王都スピアの大通りを南に向かって歩いていく。


 春の嵐の前触れか。綺麗な茜色に染まる筈の空は雲に覆われ、地に沈みかけた夕日の残光によって、まるで血の様に真っ赤に染まっていた。




 ☆☆☆




 ――アデルとルシウスがザインを追ってランス草原へと向かい始めた頃、そのランス草原にて。



「良しっ! スライムなら問題なく倒せる様になったな! 今日はここらで野営としよう」


「はい、ベイルさん!」



 ランス草原、学園講師のベイルが人数合わせの為に入ったパーティは、実戦授業三日目最後のスライムを討伐した所で野営をする事にした。

 ベイルの入ったパーティ……ベイル班の三日間でのスライム討伐数は、およそ二十体。討伐するのに当然ベイルは参加していない。それを考えるならば、ベイル班の一年生の強さは他の一年生に比べて一歩抜きん出た事になるだろう。何故ならば、他のパーティは三人で戦う所をベイル班では二人で戦っていたのだから。

 ともあれ、即座に自分のテントを張り終えたベイルは、一年生二人の野営の準備の様子を見ていた。



「よーう!」


「ん? えっ!? ザインさん! 何でここに?」



 野営の準備を見ていたベイルに、突然気さくな声を掛けたのはザインだった。ザインはオークキングを討伐しに行く途中、かつてザインが学園講師の時に教えたベイルの姿を見つけたので声を掛けたのだ。



「鼻たれだったお前も、今や立派な講師か。時が経つのは速いよな」


「ちょっと!? 一年生の前でやめてくださいよ!」


「お!? すまん、すまん!」


「それよりもザインさん、どうしてここに?」



 ザインはBランクガーディアン。スライムやゴブリンばかりが出没するこの草原に、それ程の高ランクガーディアンが来る事は先ず無い。なので、ベイルは当然気になった。



「あ、オーク狩りですか? 美味いですからね、オーク」


「オークはオークでも、キングだぞ? オレが狩りに行くのは」



 サラッと答えたザインの言葉に、ベイルは驚いた。だが、納得もする。ザインのランクはBランク。Bランクであれば、オークキングは充分討伐可能な強さだ。ベイルのDランクから見れば雲上の存在なのだ。



「十年前の件ですか? だったら俺も!」


「十年前の件……か。あの時のオレのランクは、今のお前と同じDランクだった。あの時は歯が立たなかったが、今は違う! あの時の借りを返す時が来た」


「俺も行きます! あの時、俺が無茶をしなければ、アイツ……”ケーラ”は死なずに済んだんだ……!」



 ベイルが言う十年前とは、ベイルとケーラの卒園試験の事である。学園の卒園試験として一人でオークの討伐というものがあるのだが、その時はオークの個体数が少なかったのだ。なのでオークを求め森深くに入り込み、結果、オークキングと遭遇……ケーラという女生徒の命が失われる事になった。


 事の発端はベイルの焦りからだが、試験官として追従していたザインの落ち度でもあった。

 何としてもその日に卒園試験に合格したいベイルは、オークを求めて隠れ里付近にまで近付いてしまった。

 何故そこ迄その日に合格したかったのかというと、その日はケーラの誕生日。二人で合格して、そして結婚しようと約束していたのだ。ケーラの誕生日に卒園試験の合格、それと念願だった結婚が出来れば、素晴らしい記念日となるはずだった。だが、それは叶わず、ベイルは深く傷付き、ケーラは死んだ。試験官として追従していたザインも、心と体に深い傷を負った。

 その後ベイルは、自分と同じ思いを後輩達にさせない為に講師となり、ザインは復讐の為に強くなった。



「うーん。お前も当事者だからなぁ。分かった! オレがキングを倒す所をしっかり見てろ! だけど、お前は見るだけだ。生徒の安全を守るのはお前だからな」


「ありがとうございます、ザインさん!」


「よーし。それじゃあオレも今日はここで野営すっかぁ!」



 そう言うとザインは素早く野営の準備を終え、その後ベイルと生徒二人と焚き火を囲みながら自らの戦歴を自慢たっぷりに語って聞かせた。

 その時、ベイルの目には涙が浮かんでいた。ケーラの事を忘れてはいなかったザインに、そして仇討ちを考えていた事に深く感謝した。

 生徒の前で泣く訳にはいかないと、ベイルが見上げた夜空は雲に覆われ、真っ暗だった。それでも、時おり雲間から見える月は涙のせいなのか、ベイルには紅く滲んで見えていた。

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