第11話 オーク

 

 王都スピアから南に伸びる街道の東西に広がるランス草原。そのランス草原西部の西には、太古より手付かずの森林が広がっている。その森にはオークが多数棲息している事から、『オーク牧場』と一部の人間からは呼ばれていた。

 そのオークだが、オークは豚の魔物とされている事から食肉としても流通しており、その肉の味は普通の豚肉の十倍は美味であり、高級食肉としても有名である。


 一部の者がオーク牧場と呼ぶ森の入口で、レイ達三人と二体は一夜を明かした。



「そ、それじゃ片付けも終わったから、しゅ、出発だね」


「しかし良かったよね、狼や野犬、それにオークも出なくて」


「私のベロちゃんが見張ってるんだから、何が来てもへっちゃらよ!」


「キャオォォォーン! (俺様に勝てる奴はいねぇから当然だ!)」



 昨日に引き続き夜の見張りをベロちゃんに任せたお陰なのか、二日目の夜も魔物や野犬等に襲われる事は無かった。そのせいもあり、森に到着した時は恐ろしく感じた森の雰囲気も、今のレイには冒険を予感させるものである。



「あたし、木がこんなに大きいなんて知らなかったな」


「何言ってるの、レイちゃん? スピアのど真ん中に『聖樹』が生えてるじゃない。王城『グングニル』を貫く様に」


「そ、そうだけどさ……」



 森を進みながら呟くレイに、ノアは鋭い一言を放つ。

 ノアの言う聖樹とは、森林の国ランス王国を代表する大木である。その大きさは雲に到達する程であり、王都民に水を供給してくれる大切な木でもある。豊かな恵みを与えてくれる事から、『聖樹ユグドラシル』と呼ばれている。


 ノアに指摘されながらではあるが、レイは改めて西の森を見回す。太古の森と言われるだけあって、一本一本の木の幹の太さはレイが十人いても手が回せない程に太く、高さも二階建てのレイが住んでいる屋敷を十棟重ねたとしてもそれよりも高そうだ。

 そんな大木ばかりかと言えばそうではなく、地面からは小さな木の新芽が芽吹いており、悠久に連なる命の息吹を感じられる。



「い、意外と進みやすいね」


「そうだね、ハイン君。葉が生い茂っているからもっと暗いかと思ってたけど、意外と明るいしね!」



 大木の葉が鬱蒼と生い茂ってはいるが、葉と葉の隙間からは木漏れ日が射しており、充分遠くまで見える明るさだ。風が吹いた時の、ザワザワと葉の擦れ合う音も何だか耳に心地好い。足元に視線を落とすと、大量の落ち葉が積もってはいるものの歩きにくくはない。踏み込むと程良い弾力を感じるくらいで、比較的歩きやすい地面だ。森を抜けてくる風の爽やかさと、歩きやすさ。気分はまるで、森林散策をしてるかの様だ。


 そんな気分の中、暫く奥に向かって進んでいると……開けた場所に辿り着いた。そこにはしっかりと陽が射しており、上を見上げると、そこだけくり抜いた様にぽっかりと穴が空いていた。大木の枝が風で折れたのか、腐って落ちたのか……それは分からないが、とにかくそこだけは、闇に射す様な光の空間が出来上がっていた。



「ふ、二人とも、見てよ、あれ! ”癒し草”が群生してるよ!」



 どことなく神々しい雰囲気に目を奪われていたら、ハインが光の空間を指しながら興奮して話し掛けてきた。ハインが興奮するなんて珍しい事もあるもんだ、とその指し示す方向に視線を向けると、陽の当たる場所全てに淡く光る黄色の草が生えていた。その草の背丈は膝下くらい、光っていなければ普通の草にしか見えないものだ。だがハインは、癒し草と言った。となれば、薬草の類だろう。そこまで興奮する程の物じゃない筈だ。レイはそう考えたが、何やらハインは説明したそうにジッと見詰めてくるので、仕方なしに聞いてみる事にした。



「そ、その草は何なのかな、ハイン君?」


「い、癒し草はね、ポーションの材料になる草だよ!」


「……そ、そうなんだ」


「ポ、ポーションと言っても、こ、高級な”シニアポーション”の原料だからね!?」



 レイの知識だと、ポーションは一種類しか知らない。むしろ、そんなに種類があったのかとさえ思ってしまった。レイは、意図せず新たな知識を学んだ。



「そんなに貴重ならさ、たくさん採って売っちゃえば良いんじゃない?」


「ノアちゃん、冴えてるぅー♪ ね、ハイン君。そうしようよ!」


「で、でも、採り過ぎちゃうと色々と問題あるから、程々にしよう」



 何が色々と問題なのかは分からないが、レイは取り敢えず頷いておいた。薬草の採取とは何だか冒険者の様だが、いざと言う時の為に採取しておくのも良いだろう。

 そんな考えの元、レイ達は癒し草の採取を始めた。



「ねぇ、ハイン君。根から抜いた方が良いのかなぁ?」


「む、むしろ、根が重要だね。ね、根を煮込んで、それを煮詰め……か、乾燥させた粉末をほ、他の材料と混ぜ合わせて作るから」


「な、なるほど……!」



 何となくしか理解出来なかったが、とにかく根が必要な事は分かった。それならば、刈らずに抜けば良いだけだ。それでは早速……と抜こうとした時、不意に怒鳴り声が聞こえた。



「オマエら! ワタイらの畑で何をやってる!?」


「ご、ごめんなさい!! ……えっ!?」



 その声は、森の奥側から聞こえた。思わず謝ってしまったレイだが、王都スピアの薬草専門の農家の人だとすれば、森の奥から声が聞こえるのはおかしい。ランス草原の方から声を掛けられたのならば分かるが。

 ともあれ、怒られてしまっては仕方ない。採取を諦めてしっかり謝ろうと、レイ達は声の主の方を向いた。



「ごめんなさい! 癒し草畑だとは知らなかったの……! まだ採ってないから許して下さい!」


「ぼ、僕が癒し草だってい、言わなければ……! ご、ごめんなさい」


「わ、私は悪くないわよ? ハインが採ろうって言ったから……」



 三者三様に謝りながら、声の主の姿を確認すると、その姿はどこか違和感を覚えるものだった。見た感じ、背中の中程までの髪の長さから女性だと分かるが、その体型はぽっちゃり気味であり、手には巨大な大斧グレートアックスを持っている。改めて見ると、違和感たっぷりだった。

 しかし、何よりの特徴が鼻と口から覗く牙だろう。鼻はまるで豚の様であり、牙は猪の様に下顎から生えている。つまりその女性は、オークであった。



「お、オマエら……人間か! 罪も無い同胞を次から次に殺して……ワタイが仇を討ってやる!」


「ちょ、ちょっと待っ…………きゃぁぁぁぁっ!!」



 女オークはそう言うと、右手に持った大斧を軽々と片手で振り上げ、その体勢のままレイへと突進してきた。

 咄嗟に左手を翳し、大斧を受けようとするレイ。だが、そんな事をすれば左手ごと体を両断されて死んでしまう。しかしレイはその刹那、無意識の内に魔力を体内に循環させた。



 ズッダァァァァァン!!


「グァァァァッ!?」



 レイを初め、ノアもハインも目を閉じた。レイは恐怖から逃がれる為に。ノアとハインは、親しい者の死の瞬間を見たくない為に。

 だが、大斧はレイの左腕に弾かれ、攻撃の威力そのままに女オークは体ごと後ろへと弾き飛ばされた。



「な、なんて硬さだ!? ワタイの大斧が弾かれるなんて……!」


「……えっ!?」



 レイは自らの左手……左腕を確認する。女オークの大斧が当たった箇所を見ると、黒の革製ロングコートの袖に傷が付いたくらいで腕には傷一つ、かすり傷一つ付いてはいなかった。

 レイ自身驚いているが、一番驚いたのは女オークだろう。完全に殺せると確信した一撃だったのだ。それを物語る様に、女オークの右腕は強烈に痺れていた。



「ちょ、ちょっと待って! あたし達が癒し草を採ろうとしたのは謝ります! そして、あたし達に戦う意思は無いです!」



 大斧を左手に持ち替え、尚攻撃の意思を見せる女オークへとレイは叫んだ。その言葉に女オークは疑いの眼差しを向けてくるが、ノアもハインも両手を頭上に上げてその意思は無い事を示すと、恐る恐るだが女オークは大斧を下ろした。



「……どうやら本当みたいだね。しかし、油断は出来ない。オマエら人間はワタイらを目の敵の様に殺すからね……! 縛らせてもらうよ!」


「キャンキャン、キャンキャオォォォーン! (レイとハインはともかく、俺様とご主人を縛る事は許さねぇ!)」


「……ベロちゃん? 黙って!」



 大人しく女オークに従う意思を見せているのに、ベロちゃんだけが逆らおうと吠えている。しかし、レイの強い視線と言葉に震えながら黙った。ベロちゃんの足元には水溜まりが出来ている。


 女オークが腰にぶらさげた袋からロープを取り出し、レイ、ノア、ハインの順に両手を後ろで縛る。その後、もう一本のロープを取り出すと、レイ達の腰に結び、三人をロープで繋げた。ロープで三人が繋がっている以上一人では逃げられないし、逃げるとしても三人が息を合わせないと無理だ。



「これからワタイらの隠れ里に連れて行くけど、場所が分からない様に目隠しもさせてもらうよ」


「分かってます……」


「(ロード。良いんですか?)」


「大丈夫だと思う。だけど、いざとなったらムイラが……ね?」


「(了解しました)」


「何をごちゃごちゃ言ってるんだい! さっさと歩きな!」



 女オークに目隠しまでされ、腰に繋がるロープを引かれるままに歩き出した。

 ロープに縛られただけでも歩きづらいのに、目隠しまでされたのでは足元も覚束無おぼつかない。それでも女オークが平坦な場所を選んで歩いてくれているのか、転ぶ事無く進んでいく。その事に安堵していると、レイの直ぐ後ろに居るノアが小声で話し掛けてきた。



「ね、ねぇ、レイちゃん。さっきの斧……本当に怪我してないの? 私、レイちゃんが……死んじゃうって、凄く怖かったんだよ?」


「……それなんだけど、不思議なんだよね。あたしも怖くて目を閉じちゃったんだけど、左腕にトンッて感じたくらいで、気付いたらあの人が倒れてたから良く分かんないんだよね。だけど、本当に怪我はしてないから大丈夫だよ?」



 その事は、レイ自身が不思議に思っていた事だった。しかし、不思議に思う事はない。何故ならば、今現在のレイの防御力は288である。女オークの大斧込みでの攻撃力は38なので、レイの防御力はそれを250上回る事になる。

 だがここで疑問に思うだろう。それならば何故、ゴブリンの攻撃はレイを傷付けたのか。その答えは、体内に魔力を循環させなかった事にある。

 魔力とはMPではなく、自身の体内に宿る魔の力の事だ。人にもよるが、それは精神力とも言える。

 例えば、精神が強ければ同じMP使用量でも魔法の威力が違ってくるし、スキルの威力も変わってくる。つまりは、使用者の精神力に左右されるのだ。

 それは防御の面においても言える。レイの場合、通常時の防御力は1だ。しかしステータス上では288はあるのだ。この防御力を活かす為に必要となってくるのが、精神力……つまり、魔力を体内に循環させる事になる。

 先にも述べたが、ゴブリンの時は魔力を循環させてはいなかった。だが、女オークに攻撃された時は、その攻撃動作をしっかりと見ていたし、何とか防御しようと左手を翳した。その事が幸いし、無意識に魔力を循環させて攻撃を弾き返す事が出来たのだ。

 本来であれば、弱いスライムを相手に何度も戦って学ぶ筈なのだが、レイ達はほとんどと言って良い程戦ってはいない。これからの課題であろう。



「そ、それよりも、お、オークだよね、あの人。な、何で言葉が分かるんだろう」


「えっ!? オークなの!? あたしは亜人だと思ってたけど……」


「ワタイがオークなら何だって言うのさ! オマエら人間はワタイらを殺して、肉を喰うんだろ!? ふざけんじゃないよ! ワタイらは動物しか食わないってのに、人間ときたら……!」



 ハインの言葉に女オークの肯定。言葉が通じる以上亜人だと思ってたレイは、その言葉に絶句した。目隠しされて今は見えないが、目の前の女性がオークだとするならば、レイはそのオークの肉を食べたのだ。しかも、美味しいと言いながら。

 その事を思い出した途端、レイは内蔵を抉られる様な吐き気を催し……吐いた。



「うっ……うげぇぇぇぇ……っ!」


「うわっ!? な、何だって言うんだい、汚いねぇ! 悪いもんでも食べたのかい? 里に着いたら薬をやるから、それまで我慢しなっ!」


「あ、ありがとう……げぇぇぇぇぇぇっ!……ゲボ……っ! ケホッ……ケホッ。……ごめんな……さい……」



 レイは吐きながら、そして泣きながら謝った。既に胃の中の物は出尽くし、血混じりの胃液を吐いている。それでも、女オークに謝り、泣いた。



「レイちゃん……」



 直ぐ後ろを歩くノアはレイを心配して声を掛けるが、何と言って良いか分からない。しかしノアはこう考える。自分もオーク肉を食べたけども、レイ程に気持ち悪くもなければ、罪悪感もそれ程ない。何故、レイはそこまでになってしまったのか不思議だ、と。


 女オークに目隠しで連れられ、レイ達三人は、三者三様の事を心に思いながら歩く。レイは、ひたすら謝罪を。ノアはレイが心配だけど、それよりもこの先の自分の安全の保証はあるのかと。ハインは、オークと契約出来ないかなと。


 そうして暫く歩いた後、女オークは立ち止まり、誰かと話し始めた。急に立ち止まった為、ロープで縛られ目隠しされたまま後ろを歩いていたレイ達三人は、女オークの背中にぶつかってそのまま転んだ。



「おい、リンカ。そいつらは人間だろ? 何で連れてきた!」


「コイツらはワタイらと戦うつもりは無いって言うからさ……ん!?」


「わっ!?」


「ふぎゃっ!」


「ど、どうし、痛っ!」


「何やってんだい!? あぁ、里に着いたから目隠し取ってやるよ!」



 女オーク……リンカは、後ろ手に縛られ、立ち上がる事も出来ずに倒れているレイ達の目隠しを順に外し、それぞれ立たせてくれた。だが、まだロープは解いてくれはしない。


 目隠しを外された事で、レイは改めてリンカを見て、それからリンカと話していたオークへと視線を向ける。そのオークは、鼻と牙はもちろんの事、何よりも驚いたのがその体の大きさだった。リンカはレイよりも少しだけ背が高い170cmくらいだが、里の門番と思われる男性オークの身長は見上げる程……恐らく250cmはあるだろう。体格も大きく、全体的にぽっちゃり気味だが、腕の太さはレイの胴回り程あるし、首の太さも木の幹を思わせる程に太い。それを踏まえて考えると、体重も200kgはありそうだ。


 目を丸くしてオークを見ているレイへと、門番のオークが威圧しながら話し掛けてきた。



「オイラ達と戦うつもりはねぇって言うが、もしも少しでも怪しいと思ったら殺すからなっ! まぁいい。んで、リンカ。コイツらどうすんだ!? オマエが飼うのか?」


「飼わないよ! ワタイらと戦わないって言ってるコイツらと、話がしてみたくてねぇ。……長は?」


「長なら家に居るぞ? 長にも会わせるって言うのか!?」


「そのつもりだよ」



 門番とリンカの話し合いは続いているが、どうやら直ぐに殺されるという心配は必要ない様だ。その事に安堵しながら、レイはオークの隠れ里の様子に視線を移す。

 その隠れ里は驚いた事に、村と言っても良い規模のもので、大木を切り出して造られた住居が二十軒程建っていた。一際目立つ大きな建物を中心に、その建物を守る様に小さな建物が円状に連なって建てられている。小さいと言っても、一つ一つの建物の大きさはレイが住む屋敷と同じ様な大きさだ。体の大きなオークが住むとなると、建物の大きさも自然と大きくなるのだろう。


 その事に関心していると、リンカから付いて来いと言われ、腰に繋がれたロープを引かれる。リンカに引かれたまま、レイ達は里の中央にある巨大な建物へと連れられて行く。

 不安が心を覆いそうになるが、ノアの脇でキャンキャンと吠えるベロちゃんと、レイの脇をプルプルと揺れながら移動するムイラに、少しだけ勇気を貰うレイだった。

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