9.懐かれる

レオンが去った後、私とヴァイスは久しぶりに色んな話をした。


確実に友達だったあの頃に戻った気分だ。やはりあの日のヴァイスとの記憶は消える事は無いが…和解し合えたのなら、もうこの記憶には蓋をしても良い気がした。


頭の片隅に置いておく、でも蓋をしておく。

そうしてまた平穏な日々に戻る。それで良い。


「アレスはね、少し知能遅れというか…十五歳なんだけど、一人にはしておけないの。だから私が家にいない時は、ヘルパーの人を呼んでいるのよ」

「そうだったのか。店で会った時、こっちを見てじっとしていたから怖がらせてしまったかと心配してたんだが…そうじゃ無かったみたいで、良かった」


アレスは私と会った日から、私の名前をよく呼んでいるらしい。怖がられたどころか懐かれかけているようだ。


「あの短時間でそんな…」

「多分私が仲良しだって話して聞かせたからかもしれないわ。また会える機会があったら三人でお茶でもしたいわね」


そんな話をしていると、ヴァイスのデスクの上の電話が鳴った。ヴァイスは医務室にいる事が一番多いため、ヴァイスあての電話も看守室より医務室に来る事の方が多い。


「ちょっとごめんね。…はい、もしもし。ヴァイスです。…え、えっ…は、はい、分かりました、はい」


焦っているのか電話を切ると、ヴァイスは私の顔を見て泣きそうな顔になった。


「どうした?」

「…ア、アレスが…うちからいなくなったって…ヘルパーさんから…」


いなくなった…?

ふと、未だ行方不明の兄貴の事が頭をよぎる。思わず私は立ち上がると、ヴァイスの手を取り医務室の窓から丘の下にある、アルセーヌの街を指差した。


「街の中ならいるかもしれない、探すぞ」

「ユリア…。ありがとう、でもレオンに断りを入れてからここを出ないと」


私とヴァイスはレオンを呼びに医務室を飛び出した。するとなんと、レオンがリックと共に担架に囚人を乗せて駆けて来たのだ。


「レオン!」

「緊急事態だ!ヴァイス、処置を頼む」


担架の上で苦しそうに呻く囚人。ヴァイスは囚人の額に手を当てた。

「すごい熱だわ…」


まずい、医療に関してユーティス牢獄の最高責任者はヴァイスだ。今ここを離れるわけにはいかなくなった。


「……っ」

「…レオン、今ヴァイスの弟が行方不明なんだ。私に探しに行かせてくれ」

「ユリア…!?」


レオンもさっきの私と同じように兄貴の事を思ったのか、顔が一瞬青ざめる。だがすぐにヴァイスとリックに囚人の処置を任すと、見回りにか急いで走って行く。


「分かった!でも今これ以上牢獄が手薄になるのはまずいんだ…とにかくお前は探して来い!」


私はレオンに背を向け、その勢いでそのまま牢獄の出口へと駆ける。


駆け出したものの、どこに行けば良いんだ…?この間会った店か?とにかくこの牢獄がある丘の上にはいないだろう…



牢獄の敷地から出て、街まで少しだけ緑の生えた木の間を縫うように走って行く。


すると、道の先にある木の後ろに白い影がゆらりと揺れた。思わず立ち止まる。


白い影はキョロキョロと辺りを見回しているように見える。私は早歩きで影に近寄ると、するりと動く細い腕を掴んだ。


「!!!」

白い影は驚いたようで、私をバッと見上げた。…やっぱりか、何となくそんな気がしたんだ。



「…アレス…」

「…ユ、リ…ア…」



アレスの顔は涙でぐしゃぐしゃになっていて、よく見ると手足や服は泥だらけだったり、足には転んだのか傷があった。


「えっと…ヘルパーさん…から、ヴァイスに電話が来たんだ。お前が家からいなくなったと」

えぐえぐと泣いているアレスの涙をハンカチで拭いながら、ひとまずユーティス牢獄まで連れて行く事にした。


「どうしてこんなところに…。…もしかして、ヴァイスに会いに来たのか?」


手を繋ぎながらゆっくり歩く。だが怪我をした足が痛いのか、アレスは数歩歩き出してすぐにしゃがみ込んでしまった。


「い…」

「すまない、足が痛いのか…。…よし、乗れ」


私はアレスの前にしゃがみ、背を向けて両腕を後ろに広げる。アレスが不思議そうに首を傾げたので、私の首に腕を回すように教える。無事にアレスをおぶった私は、立ち上がり再び歩き出した。


「これから行くところにヴァイスがいる。とにかく無事を知らせなきゃな。何か用があったんだろ?」


アレスは男子にしては軽かった。この華奢な体で、よく丘を登って来たものだ。


「…ユ、リア…」

「何だ?」

「…す…き…」

「ああ、ありがとうな」


アレスは嬉しそうに笑うと、頬を私の髪にすり寄せる。少しくすぐったくて、私も自然と笑みがこぼれた。




高熱を出した囚人の処置が終わったらしく、ヴァイスは医務室から飛び出してアレスを探しに行こうとしていた。


そんなヴァイスの目に映ったであろうアレスをおぶった私の姿は、ヴァイスを驚かせるのには充分すぎたらしい。


「アレス!!?ユリア!!アレスはどこにいたの!?」

医務室までアレスを運び、診察用のベッドに下ろす。足を床に着けてベッドに腰掛けるアレスは、ヴァイスを見て緩やかに微笑んだ。


「この辺りの雑木林の中にいたよ。怪我をしてるんだ、診てやってくれ」

「ユリア…。ありがとう…!……アレス」


ヴァイスはアレスの足の傷を消毒しながら、厳しい口調でアレスに語りかける。そんなヴァイスの様子にびくりと体を震わせたアレスは、膝の上で握っていた拳をさらにきゅっと握りしめた。


「どうして家から抜け出したりしたの?私に何か話があったの?」


ぺたりと絆創膏を貼ると、しゃがんだ姿勢のままヴァイスはアレスの顔を覗き込む。


アレスはヴァイスの視線から逃げるように、ベッドの横に立っていた私をちらりと見た。

「?」

「…もしかして、ユリアに会いに来たの?」


頷いたアレスに、ヴァイスは長いため息を吐きながら床にしゃがみ込んでしまった。


「大丈夫か?」

「うーん…もう…アレス!心配をかけないで!私がここに来るまでの道を覚えてたのね…。ここは貴方が来るところじゃないんだから!」


ヴァイスに叱られたアレスは、きょとんとしていた顔から次第に目にうるうると涙を溜めた。そんな泣きそうな顔はさっきのヴァイスに似ている。


「ユリアの事がよっぽど気に入ったのね…。でも貴方はそのユリアにも心配かけてるのよ。分かる?」

「ヴァイス、私は大丈夫だ」

「ごめんね、ユリア…。はぁ、アレス。家に帰るわよ。もう二度とここに勝手に来ちゃ駄目よ。良いわね?」


アレスは俯いている。何か言いたそうにしているように見えるが…


「アレス?」

「……!」


アレスは首を振ると、ベッドから立ち上がり私の背後に隠れた。驚いて振り返ったが、私の肩に両手を置いて背中に引っ込んでしまった。


「…アーレース?」

「……」


何だこの状況は…。私はどうしたら良いんだ!?

「帰りたくないって事?」

「…」頷く。

「貴方がここにずっといるのは無理よ」

「…」

「アレス!わがままはやめて、ね?ここは…怖いところなのよ…」


ヴァイスが近寄り、アレスの手を掴む。アレスはますます泣きそうな顔になり、私は銅像のように突っ立ったまま何も出来ずにいた。


助けを求めて辺りを見回すと、壁掛け時計が目に入った。


「……あ、おい二人とも、昼飯の時間だ」


時計は昼休みの時間を指していた。

それを聞いてか自然とか、私の後ろからくきゅるると腹の音が聞こえた。


「……」

「アレス!もう!…ふふ、しょうがないわね。分かったわ、お昼休みが終わったらちゃんと帰るのよ」


折れたらしきヴァイスが、笑いながらアレスの背を叩いた。アレスは顔を輝かせ、私の腕に抱き着くとぐいぐいと引っ張って来た。分かりやすくて可愛い奴だな。


「飯にするか。行こう、ヴァイス」

「ええ。みんなに何て説明しようかしら…全くもう。しょうがない子ね」


医務室から出ようと歩き出すと、ちょうど扉が開かれてレオンとリックが身を乗り出して来た。


「ヴァイスの弟は見つかっ…おお!良かったな。って妹か。あれ?いや弟…あれ?」

「あーっアレス君ですねっ!可愛いですけど男の子ですよ。でも僕も会うのは初めてです!初めまして!」

「弟なのか!!?初めましてだな、アレス…ちゃん、いや、君…弟…?」


混乱するレオンとリックに内心分かるぞと頷きつつ、理由を説明する。食堂へ向かう途中、レオンは私にくっ付いたアレスを見ながら心配そうに話しかけていた。


「アレス、こいつは怖いぞ。大丈夫か?脅されてくっ付いてたりしないか?」


アレスは不思議そうにレオンを眺めている。


「わけが分からないってよ」

「いやだって何でお前手懐けてんだよ!」

「懐かれたんだよ」

「お前に懐く奴がいるか!」


言い合いを始めた私とレオンを交互に見ながら、アレスは楽しそうに微笑んでいる。


「可愛いなぁ、こんなに女の子らしい子だとは思いませんでした!」

「可愛いでしょう。よく女の子に間違えられているわ」


ヴァイスがドヤ顔をして語り始める。そんなこんなで騒がしい私達と廊下で出会ったオスカーは、やはりアレスをヴァイスの妹だと勘違いしていた。

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