10.約束
「…」
「美味いか?」
アレスはもぐもぐと咀嚼しながら、幸せそうに頷いた。
「良かった。にしてもユリアに会いにこんなとこまで来るなんて、変わった奴だな」
「どういう意味だ」
ユリアに睨まれ、「ほらアレス!これがユリアの正体だ!」と呼びかけると、アレスはユリアの顔をじっと見つめる。が、特に何も感じないらしくどういう事?と言う風に俺に視線を移した。
「純粋な視線が痛い…」
「ちょっと分かります、仕事が仕事なせいかアレス君の純粋パワーにやられてます」
リックが苦笑いをしながら俺を振り返った。
分かる。これは癒しという名の拷問な気すらした。
「何にせよ、大ごとにはならなくて良かったな」
「そうね…でもアレス、本当にこれっきりにしてね。お願いよ?」
ヴァイスがアレスに真剣に語りかける。アレスはというと少ししゅんとした表情になり、横に座るユリアに助けを求めるように視線を送った。
「…アレス、ここはな、ヴァイスも言っていたが怖いところなんだ。ヴァイスや私達は慣れてしまったが、本来は普通の大人すら近寄りたがらないくらい危険で怖いところなんだよ。…私に会いたいと思ってくれたのは嬉しいが…」
ユリアは言いづらそうに口ごもった。アレスは何となく諭されたのを察したのか、ヴァイスに視線を移す。
「ユリアと永遠に会えないわけじゃないんだから。今日はこの後帰りましょう。良いわね?」
「…か…え…る…」
デザートにとリックが切った林檎をしゃくしゃく食べながら、アレスは寂しげに答えた。
もう、とヴァイスはアレスの頭を撫で、にこりと笑う。
「ユリアはモテモテねー」
「あ?」
俺がギロッと睨むと、ヴァイスはわざとらしく首を傾げた。こいつ!信用ならん!
「ユリアがモテるわけないだろなぁリック」
「えっ!?いや、でもユリアさん美人さんだし…」
「…ユ…リア…す…き」
アレスがふと発した言葉に、一瞬みんな静まり返った。…ユリア本人だけは、変わらず水を飲んでいる。
「え、アレス君」
「それは…」
リックとオスカーがアレスを見つめると、アレスは繰り返す。
「ユ…ユ…リ…ア…す…き」
ユリアは俺達を見回すと、何故驚くと首を傾げた。
「何だ?さっきも言われたぞ」
「さっきも!?」
「ああ。な、アレス」
アレスはこくりと頷く。俺は額を押さえて呻くようにもらした。
「……どこがぁ…?」
「助けられたわけだし、新しい姉ちゃんが出来たみたいで嬉しいんじゃないか?」
オスカーが納得したように言った。ああなるほど…新しい姉ちゃんか。そりゃ助けられたら頼り甲斐があるようには見えるだろう。
「アレス、姉ちゃんならヴァイスの方が適任だろう」
ユリアがアレスの頭を優しく撫でる。
「嫉妬しちゃうわ。私がお姉ちゃんなのにー。もう、アレスったら」
ヴァイスが笑いながら立ち上がり、アレスの肩に手を置いた。
「さぁアレス、もうお昼休みは終わりよ。家に帰りましょう」
しぶしぶ立ち上がるアレスはやはり少し寂しそうにしていたが、ユリアはアレスに小指を立てて差し出した。
「アレス、また会えるよ。約束だ」
アレスはそっと白い手を出し、ユリアの手を見ながら同じように小指を立ててみせる。ユリアはそんな白い小指に自分のそれを絡ませた。
「…や…く…そ…く…」
「次に会う時はもっと沢山話そうな」
食器を片付け、ヴァイスはアレスを自宅に送りに行った。アレスがこちらに手を振ってくれたのが嬉しくて、みんなで振り返す。
「良い昼休みになったな」
「ユリアさん、恋の予感ですね…」
「恋?恋なのかぁ?」
「仕事に戻るぞ」
リックの女友達のような言葉を無視して、ユリアはスタスタと牢獄の中へ戻って行く。アレスがユリアに抱いているのが恋心なのか何なのかは分からなかったが、ヴァイスがユリアに向けた想いよりは純粋なものに思えた俺はそっと胸を撫で下ろしていた。
ユリア、ユリアのあの顔は何?
私はあんなユリアの顔知らない。まるで可愛い子犬を見るような、優しい眼差し。
アレスは楽しげに歩いている。その足取りは軽い。
そんなアレスに何故か腹が立った私は、アレスの手を強く握りしめていた。
「…!」
「……」
アレスが痛そうに顔を歪める。私はそれを無視して、自宅の中に入って行った。
ヘルパーに謝罪をして、アレスを自室へ連れて行く。ベッドに座り、私が握っていた自分の手を見つめているアレスを目の前にして見下ろす。
「…アレス…。ユリアの事が好きなのね」
嬉しそうに笑って頷く。そうなの!ユリアが大好きなの!…もしこの子がちゃんと話せるなら、こう言っていたかしら。
「良かったわね、ユリアも貴方を可愛がっていたわ。貴方、良い趣味してるじゃない」
微笑んでいたアレスの顔が、少しずつ不安そうな色を含んでいく。どうしたのかしら。まるで私が怖いみたいな反応ね。
「…そうだわアレス、今度貴方と私とユリアでお出掛けしましょうか」
ぱあっと、アレスの顔は一気に明るくなる。いつもなら可愛いと抱きしめたくなるのに、今の私はアレスに近寄る気すら失せていた。
「ユリアにも話しておくからね。きっとあの子も喜ぶわ、貴方の事が随分気に入ってたみたいだから」
ユリアが愛おしそうにアレスに微笑みかけていたのを思い出す。分かるわよ?アレスは可愛いものね。私だってアレスは可愛くて大切な弟…
……。
……もういいわ。
…もう、いらない。
「じゃあ、私は戻らないと。じゃあね」
アレスに玄関まで見送られ、私は再び歩き出す。丘を登っていると、怪我をした白い小鳥が地面に落ちていた。
こちらを見てピィピィと鳴くその声が酷く耳障りで、舌打ちをする。
「…邪魔よ」
踵で小鳥を踏み潰すと、鳴き声は消えた。再び歩き出し、赤い足跡を残して行く。
ユリア、私とアレス、似てるでしょう。
私はアレスと違って色んな事が出来る。
私はアレスと違ってちゃんと話せる。
私はアレスと違って、アレスと違って、アレスなんかと比べ物にならないくらいに…
「…愛してるのに」
牢獄の入口に着いても、まだ靴の裏にこびりついた血は地面に赤い足跡を付けていた。
オスカーさんが、リナさんと電話で話している。
「…いいえ、特に変わりは見られません。大丈夫です」
『今のところ、でしょう?…まぁいいわ、何か起きた方が問題だものね』
「…でも、いつまでも誤魔化せるとは思えませんが…」
『そうね、いざとなったら…。策はあるから、大丈夫よ』
「…策…?」
『とにかく、また連絡して。じゃあね』
電話は切られ、オスカーさんは複雑そうな表情をしながら受話器を置いた。
「…リナさん…何をするつもりだ」
「何って…!?」
「いざとなったら策があると言っていて…何だか不安だ」
策?いざとなったら、という事は所長を殺した事をまだ誤魔化すつもりなのか…?
「…なぁ、リック、…あいつらが心配か」
「…オスカーさんは?」
「……俺は…」
オスカーさんは頭を抱え、弱々しく首を振った。分からない、という事だろうか。
「…質問で返してすみません。…僕は…。…やっぱり、みんなでいるのが…楽しくて…。…心配です…」
言いながら涙がぼろぼろと出て来た。オスカーさんは箱ごとティッシュを僕に渡し、自分の髪をかきあげる。
「…嫌な仕事だよな」
「…嫌な仕事です」
泣いては駄目だ、怪しまれてしまう。
分かっていても、自分のしている事の罪深さに僕は…死んでしまいたいくらい、辛かった。
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