5.大切なのは
兄貴が政府に報告に行ってから、一日経った。
まだ兄貴は帰って来ない。
「話が長引いて、まだ帰して貰えねぇのか…」
ますます心配になった俺は、コーヒーをすすりながら呟いた。リックもオスカーも不安そうな顔になっていて、三人同時にため息を吐きながらシーン…と静まり返る看守室。
やがて、リックが顔を上げると「新たな心配事なんですが」と前置きしてから話し出した。
「何か、ユリアさんとヴァイスさんの様子がおかしくないですか?ユリアさんいつも以上に無口だし、心ここに在らずって感じで…でもヴァイスさんはユリアさんに楽しそうに話しかけてるし。喧嘩でもしたんですかね?」
兄貴を見送った日の、優しくない可愛くない思いやりのないユリアの顔を思い出した俺には興味の無い話題だったので適当に返事をする。
「へー」
「いや、へーって!話聞いてました!?あの二人いつも仲良しだったのに!心配になりませんか!?」
「心配…というか、その様子だとヴァイスが何かしてユリアを怒らせて、機嫌取りでもしてるんじゃないのか?」
オスカーの考察に、リックは首を傾げる。
「でも…ユリアさんですよ?ヴァイスさんは多分牢獄の中で一番ユリアさんの扱いが上手いと言うか…。そんなヴァイスさんがユリアさんを怒らせる…?」
え?俺今何気に酷い事言われてないか?いや、兄貴もか。
「確かに…。でも、そうでもなきゃ考えにくくないか?そんなに気になるなら本人達に聞いてみれば良い「怖くて出来ません」
リックは食い気味に首を振った。オスカーはそんなリックを見て笑う。やがて廊下からヴァイスらしき声が聞こえ、変わらずユリアに話しかけているようだ。ユリアの声は聞こえない。
「まだ喧嘩か何かしてるのか…。ちくしょう、リックの話聞いてたら気になってきちまった…」
「レオンさん、副所長さん、どうぞ行ってらっしゃい…」
「都合の良い時だけ副所長って呼ぶな!」
俺は仕方なく看守室の扉を開け、何かの用事に行くフリをしながらヴァイスの声が聞こえた方を向く。するとやはりヴァイスはユリアといて、あいつに何か話しかけていた。しばらく俯いていたらしきユリアは扉の音を聞いたのか俺の方を見て、スタスタと素早い歩きで近寄って来る。何だ?
「?」
「…………」
近寄って来たかと思えば微妙な距離を取り、俺を困ったような苛立ったような複雑な表情で見ていた。こんなユリアの表情を見たのは初めてで、どう声を掛けて良いか分からず俺も思わず無言でユリアを見つめていた。
「ユリア?どうしたの?」
ヴァイスが不思議そうにユリアに近付くなり、ユリアは俺の腕を握り勢いよく駆け出した。その馬鹿力に思わず出た第一声は怒りの声だった。
「いってぇ!!」
「あら?ユリアー?」
「ちょっと兄妹で話がある!」
いつもとあまりにも違うユリアの反応に、俺はただ痛い痛いと言いながらユリアに引きずられるように走る。後ろを向くと取り残されたヴァイスがやたら怖い目で俺を睨んでいた。は!?
やがて俺の部屋に駆け込むと、ユリアは扉の鍵を素早く閉め…力が抜けたようにしゃがみ込んでしまった。
「お前…何だよ。どうしたんだよ。っていうかお前に掴まれた腕がすげぇ痛いんだけど…あの…ユリア?」
ユリアは息を荒くしながら、よろよろと立ち上がると部屋の隅に行き、俺の机の側にある椅子に座って俯いた。
「ヴァイスと何かあったのか?」
恐る恐る聞くと、ユリアは俺を睨み、だが小さくこくこくと頷いた。
「お前が逃げるぐらいだから相当気まずい喧嘩したんだろ」
「…違う…」
小さい声で答えられ、ますます本当に目の前にいるのがユリアなのか疑ってしまう。さすがに心配になってきて、ユリアの顔を覗き込むように近寄りしゃがんだ。するとユリアは睨んでいた顔から泣きそうな顔になっており、俺は驚いてその顔を見つめる。
「違うって…じゃあ何があったんだよ?ヴァイスに何かされたのか?」
図星らしく、唇を噛みながら頷かれた。あのヴァイスが、あのユリアを泣かすような事を?考えられない。考えられないが…ユリアは嘘は絶対につかない。
「…誰にも言うなよ…」
「言わねぇよ」
ユリアが俺に耳を近付けるよう促したので、謎に緊張しながら囁くようなユリアの声を聞いた。
「……ヴァイスが…私を、私の事を、好きだと…愛していると、言ってきて…それで、…き、キスをされて、押し倒されて、……」
それだけ語るとユリアは頭を抱え込み、椅子の上に体育座りをしてしまった。
俺は大混乱しながら、頭の中でユリアの話した事を整理する。
ヴァイスがユリアを愛していて、キスをして、押し倒して?
「はぁ!!?」
「でかい声を出すな!」
思わず声を上げると、ユリアに頭を勢いよくグーで殴られ死にかける。だがこれはなるほど、ヴァイスから逃げて俺の部屋まで来て、それでもヒソヒソ話したくなるわけだ…。
「すまん…でも、それ、嘘では、無いよな?」
「殺すぞ」
本気そうな処刑人にビビったが、それでも体育座りのままのユリアにいつもの元気は無い。さらに聞いていればその事態は昨日起こったばかりで、ユリアは昨夜ヴァイスにずっと捕まり自室に帰れなかったという。
「お前が抵抗出来ないって、ヴァイスどんだけ力強いんだよ…」
「……私も驚いた。でも、本当に敵わなかった。いくら仲間だと、数少ない女友達だとすら思っていたヴァイス相手でも、事態が事態だけに本気で止めようとした。…駄目だった。だけど…私は、女を、ヴァイスを愛する事は出来ない」
ユリアは頭を膝の上に埋めたまま、弱々しく縮こまっている。
「やっと朝になって、ヴァイスから解放されて、でもあいつは私を完全に手に入れたつもりでいる。…だから、解放されて仕事をしていても事あるごとに恋人のように話しかけられて、…夜の時、抵抗出来ないならせめて意識を手放したいと眠ろうとした。でも眠れなかった。まだ…まだ、ヴァイスに…触れられた時の記憶が、感覚が、消えない。…ヴァイスが怖い。…初めてだ、何かに恐怖を抱いたのは」
正直俺は大体いつもお前が一番怖かったが、まさかこんな事を打ち明けてくれるとは思わなかった。やっぱりユリアはまだ幼い(と言っても十八だが)、妹だった。
「レオン…どうしたら良いんだ。私はどうしたら良い…もうヴァイスとは…普通の、仲間には…戻れないのか?」
「戻れないのか…って、お前まだあいつと前みたいにつるむつもりか!?」
ユリアは少しだけ顔を上げ、俺を見つめながら頷いた。
「…ヴァイスは、私が憎くて、私が嫌いで…ああしたわけじゃない。確かに私は今はヴァイスが怖い。でも、同性を愛する人間がこの世に存在する事は理解出来るし否定してはいけない。もちろん私は…ヴァイスを愛せないが、…もしかしたら、ちゃんとはっきり断れたら、…また元の関係に」
「それは諦めるべきだ」
ユリアの言葉を遮り、俺はきっぱりと告げた。
「いくら愛してるからって嫌がる相手を無理矢理好き勝手するのはおかしいだろ。それに、そこまであいつがお前の事好きならそう簡単に諦められるはずないだろ。話もまともに通じてないみたいだしな」
怒りがこみ上げてくる。仮にユリアがいつか傷が癒えて、許せたとして、俺は多分あいつの事を許せない。
「ユリア、ヴァイスにとってお前はもう「友達」じゃない。俺にとってもあいつは、もう仲間でもない」
ユリアは少し目を見開いて、俺をぽかんと見つめている。
「兄貴に頼れなくて俺しかいないのは不安だとは思うが、出来る事は何でもやってやる」
ユリアの頭をぽんぽんと叩くと、大人しく体育座りをやめて力なく足を下ろした。
「…ユーティス牢獄は女性看守不足だが…」
「仕事人間はやめろ、俺にとっては仕事よりお前の方が大事なんだから」
少し照れくさかったが、本当だ。俺にとって家族は何より大事だった。
「とにかくヴァイスかお前、どっちかには別の事務仕事を任すか。お前の方が良いか。俺の副所長仕事手伝ってくれよ、この部屋にこもってて良いから」
ユリアがしばらく沈黙した後、珍しく穏やかに微笑んだ。
「…ああ。…ありがとう。お前に話して良かった」
そんなユリアを見て、俺もホッとする。まだ元気はないが仕方ない。とにかく奴からユリアを遠ざけなければ。
「…こういう時くらい兄貴、とかお兄ちゃんとか、言えないのかよ」
「気持ち悪い事を言うな」
ユリアの拳が頭に飛んで来たが、それはふわっと柔らかいパンチだった。
「ユリアが好き!?」
『はい、そうです。ユリアが好きです』
電話越しのヴァイスの声は、幸せに満ちていた。
元々彼女がレズビアンなのは知っていたが、まさかあのユリア・シャーロットに恋をするとは。
「どこが好きなの」
『ユリアは美しい子ですが、実はね、ふふ…とっても可愛いんですよ。どこなんて限定的な事は思いつかないわ。あの子の全部が好き。…強いて言うなら、私を愛する事は出来ないって言われたから…そこだけ、嫌いかな』
なんて自己中心的、っていうかフラれてる…フラれて!?
「告白したの!?」
『はい。もうあの子の体も堪能したし』
呆れた。なんて怖いもの知らずな…。
一見穏やかなヴァイスは実際は自己中心的であり、それは彼女の弟にも影響を与えている。彼女は自分の趣味で弟を女の子のように可愛く着飾っているのだそう。弟はと言うと少し障害のようなものがあるせいか、良いとも嫌とも言わずされるがままらしい。何を考えているかは姉であるヴァイスにも分からないと。
「あのユリアよ。怖くないの?」
『全然。だってユリアは私には敵わないしね』
「…でも、…あぁ、そう。もう良いわ、何だかお腹いっぱい。胃もたれしちゃう」
『そうですか?私はまだまだユリアの魅力を語り尽くしてないのに…。また聞きたくなったらいつでも聞いて下さいね』
正直もう一生聞かなくて良い。私には分からないわ、どこを好きになれるのか…。
『ところでリナさん、所長が帰って来ませんけど…』
ヴァイスは話題を変え、不思議そうに尋ねて来る。私は爪の手入れをしながら、受話器を頭と肩に挟んだ。
「ああ、ギルね。ちょうど良いわ…貴女からみんなに伝えて」
『はい?』
「ギルは私の元には…政府には来ていないと」
『来ていない?どういう事ですか?』
そう、ギルは私の元には来ていない。私はギルに会ってない。私は何にも知らない。
「ギル・シャーロットは行方不明、なのよ」
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