僕の名前はみちるです。
真風呂みき
第1話 甘い魔法にかかりましょう。
白い扉。いつも通り僕はこの病室の前に立つ。ふう、と一息つく。
大丈夫。今日の手土産はたしか前食べたいと言っていた超高級チョコで、明治に作られた有名なあの板チョコの1マスサイズで3000円という鬼畜なものだ。しかし、もう少しで天珠を全うする予定なら許せるかな。
そう思い、扉の取手に手を当てる。横にスライドするタイプの扉だ。このタイプは密閉されるように、ゴム板が壁と扉の間に挟まれるように取り付けられている。だから、少しでもその密閉を解放するとビリッと剥がれる音がする。その音が僕は嫌いだ。その音で君はいつもみたいに僕を「引っ張る」から。
取手を僕はえいやっと右に引っ張る。予想どうりビリッと音がする。そして僕の足は浮き、視界は天井へ向かい、おへそを摘まれたように「引っ張る」をされた。
「やあ、おはようあかり。」
僕は「引っ張る」をされたまま笑顔で挨拶をする。慣れたものだ。
「」
「え?何?わっ」
ガッタン。
いつも通り、彼女はベットに腰掛けていた。「引っ張る」をしつつ、彼女は何か言ったようだ。しかし、よく聞こえなかった。まぁ、いつも病室の入口からベットまでの6mを3秒で動いてるわけだから、そらそうか。
そして、彼女と対面となるように置いてある椅子に、僕は座らせられた。彼女の大きなまんまるの茶色の瞳が僕を映す。
「挨拶もできないなんていやだわ。」
「したぞ!!したけど秒速2メートルだよ!?聞こえるわけないだろ!」
「あら、計算能力は衰えていないみたいで安心したわ。おはようみちる。」
「僕はまだ20なんだが…。はぁ、まあいい。おはようあかり。昨日は眠れた?」
「そうね、みちるが持ってくる1粒3000円の高級チョコが楽しみすぎて眠れなかったわ。」
僕は驚かないけど、きっとこの会話を聞いた誰かは驚くだろう。
なぜ知ってるのか、と。
鬼畜チョコの話をしたのは1ヶ月も前のことだ。それをいつ持ってくるかなんてわかりっこない。でも彼女はわかる。なぜなら、魔法がつかえるから。
「それも知ってるのか。どーぞ。」
「わかってるくせに。ありがとう!嬉しいわ。」
僕は鬼畜チョコを彼女に渡す。彼女は受け取って、すぐにガサガサと袋を開けていく。すると、いかにも高級な感じの黒のベロア生地の正方形の箱が出てきた。彼女はそこには見向きもせず、パカッと正方形のフタを外す。
反応がなく、僕はちょっと悲しい。彼女にはこの気持ちもわかっているのかなと、考えた。
彼女がふたを開けると、まるで指輪のような輝きを放つ正方形のミルクチョコレートが現れた。香りもすごい。カカオとミルクの絶妙に甘い、けれど甘ったるくない香りが2人を包んだ。
「ん〜~〜これは、いいわね。ヨダレ出ちゃう~。」
彼女が、満面の笑みでチョコを顔に近づけて言う。うん、その反応は嬉しい。買ってよかった。
そう思っていると、彼女は僕を上目遣いで見て、ニヤリと笑った。やっぱり僕の気持ちはわかるようだ。
「思ったけど、もったいなくて食べにくいわね。」
「…好きな時に食べなよ。」
「ええ。しばらく眺めるわ。」
僕は他にすることがなく、チョコと彼女を眺めることにした。チョコにはよく見ると、「Let's take the sweet magic」と刻まれていた。
甘い魔法にかかりましょう、か。魔法使いのに言うのはなんだか皮肉だな。と僕は思った。
キラキラと目を輝かせて鬼畜チョコを眺める彼女は、星あかりという。あかりは、僕の「家族」だ。彼女は、魔法がつかえる。魔法を使うことを許されるのは純血の魔法使いだけだ。だから星家はそうゆう家だと僕は思っている。あえて聞いたことはない。なぜなら、僕はあかりに拾われて「家族」になったからだ。彼女は何故僕を拾ったのか。いつも考え、答えを聞くのが怖くて、聞いたことがない。
そんなことをぼんやりと考えていたら、彼女は顎に手を当て腕を組み、ふむっと考え込んだ。
「しかし、私はもうすぐ死ぬからな。もったいないからと食べないで終わったら、死にたくても死にきれないわ。」
ドキリ。
そう、彼女は、あかりは、もうすぐ死ぬ。
魔法のせいで。
何故魔法のせいなのかは僕にはわからない。彼女だけが、何故自分が死ぬのかを知っている。
「あかり、死ぬ話はやめろよ。」
「だから、今食べるわ。はい、半分こね。」
僕の小さな抵抗は、あかりに無視された。その代わりに、正方形のおそらくタテヨコ5センチくらいのチョコ半分を咥えて、彼女はこちらを向いた。
「っ、そんなことしないよ。」
だってその半分を咥えるのは、さっき「半分こ」と言われた僕しか、いないじゃないか。
「いいひゃん。」
「やーだー。」
「僕ちゃんにはまだ…ひゅるっ…早かったかな?」
喋ると唾液が口端から出そうになるのだろう。それを吸う仕草が、たまらなく、僕をむず痒くする。
「やだ。」
「溶けひゃうわよ。」
彼女が右手の白く細い人差し指を使って手招きする。とたんに、僕の顔はあかりの目の前に引き寄せられた。
視界が、思考が、あかりでいっぱいになる。チョコレートのあの華やかな匂いなんて、もうしないはずなのに、甘い匂いがしてくらくらしてくる。
「引っ張るのは、ずるいぞ。」
「はやく。」
僕は耐えられず、目をつぶった。この思いも、あかりにはわかっているのだろうか。頼むからやめて欲しい。
かぷ。
口の中の温度で、すぐにチョコの甘い味が溶けてくる。彼女がチョコを口の中で舐めている動きが、まだ硬いチョコが僕の口の中に伝えてきた。僕の息が熱くなる。そのとろとろとした、やわらかな動きをずっと感じていたくて、僕はそのチョコを、敢えて折らないように溶かして食べていた。
でも、それを認めたくなくて、逃げる理由を探して、彼女の魔法でそうなっているんだ、ということにした。
だからはやく、はやく、溶けてしまえ。
今なら、引き返せるから。
僕は、抑えがたい、この背中をビリビリと走る衝動を、両手をギュッと握り、抑え込む。
「……ん…ひゅる…」
チョコが溶けてなくなりそうなのに、僕の舌は彼女の喘ぎ声に答えるように、止まらず、激しく動く。
止まれ。
止まるんだ。
チョコはもうなくなった。だからもう終わりにしなくてはいけないのに、そのままキスをした。チョコではない、やわらかな感触を感じて、唇を離した。
これ以上はだめだ。「家族」はこんなことしないはずだから。
彼女から顔を背けた。しかし、彼女は僕のその思いを破り捨てた。彼女の右手がそっと僕の左頬を包み込むもんだから、僕は、もう限界だった。
「ん、…………んぅ……は、…………み……る……」
かぶりつくようにキスをした。彼女の中は熱かった。交わり合う息さえも、僕は逃がしたくなくて、咀嚼した。
くそっ……
僕には、「家族」がわからない。
あかりは、「家族」だ。だから、こんなことはしないんだ。でも、僕は「家族」が、何なのかわからないから、なぜこの行為がダメなのか、わからないんだ。
あかりだって、受け入れてくれてる。むしろ、誘ってくる。でも、僕は、彼女達の親や親戚、周りの人に「家族」で「キス」をすることはしてはいけないこと、そして、普通はしない、と教えられた。
だから、僕はただ、一生この時間が続けばいいのにと願うことしかできないんだ。
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