第24話 薬
葬儀から数日後、母親に電話をした。
「やっぱり眠れなくて。少し多めに睡眠薬もらえる?」
神経質な母はちょっとした物音でも目覚めてしまう性分で、母方の伯父が医師だったため、それらの薬を定期的にもらっていたのだ。
かなり強い薬で、いつでも母はきっちりと服用量を守っていた。
また母は愛酒家だったのだけど、お酒を飲んだ日には決してそれらの薬を摂取しなかった。
伯父から、「ある患者さんがアルコールと共に規定量以上の薬を飲んで眠り、そのまま亡くなってしまった」という話を聞いて気をつけていたのだ。
母は自分が不快な思いをしたり不利益を被ることに関しては、人一倍敏感な人だったから。
「お酒と薬の相乗作用で意識がもうろうとなったり、呼吸が抑制されたりするんですって。考えただけでも嫌だわ。まして亡くなるなんてね」
その言葉が私の中に、しっかりとよみがえっていた。
その日のうちに実家へ行き、母から「R」と「I」という薬を受け取った。
「お姉ちゃん、今日はこっちに泊まればいいのに」という妹の言葉を背に、英司と暮らした自分の居場所に戻る。
最寄りの駅に着くと、まずコンビニに寄り、ベンチに座って飲みたくもないお酒を2缶飲んだ。
英司が亡くなった日より更に寒さの増した真冬の道を歩く。
やがて、2人で暮らした小さな我が家が浮かび上がり、更にわびしさがこみ上げてくる。
この立場を経験するのが英司じゃなく私だったことだけが、まだしもの救いだと思った。
それでも心が痛い、胸がやぶけそう。
後、少しだから。もうすぐだから。
冷たいだけの家の中に入る。
葬儀場の方に飾ってもらった花に囲まれ笑っている、写真の中の英司。
お線香に火をともし、じっと見つめる。
ふと背後に英司の気配を感じた。
振り返るとローテーブルが視界に入った。
このテーブルの向こう側にいつも英司がいた。
いつも笑顔でご飯を食べてくれた英司。
休日にはお茶を飲み、語り合った。
あの2度と返ってこない日々を失った痛手は、これから先の自分の人生で消化されることは絶対にないだほうと確信した瞬間、私は左の手のひらにざらざらと大量に薬を出していた。
そっと見つめる。
(眠ったまま楽に死ねるわけじゃないのかな、あまりの苦しみに悶絶しながら死ぬんだろうか・・・)
それでも今のこの心がちぎれそうで、呼吸の仕方さえ忘れかけて常に呼吸困難で、何をしててもしなくても自然と涙が流れ落ちてくる深い悲しみに比べたら、そんな苦しみぐらい乗り切ってやる!という自信のようなものさえ、体の内からみなぎってきた。
「自信」最も私に相応しくない言葉なのに、「死」を決心した私は、まるで傑出した人物に生まれ変わったみたい。
・・・違う。やっぱり私は弱いんだ。
あんなに寂しがり屋の英司をたったひとりぼっちで逝かせてしまったという、心にできた深い傷。
このまま生きていくということは生き地獄以外の何物でも無くって、その痛みに耐えていける「自信」が1㎜もないだけの意気地無し。
もちろん罪悪感がゼロというわけではなかった。
でも、英司のもとに行ける素晴らしい薬。
それは無機質なただの白い粒なのに、この暗黒の世界と別れを告げるのに対照的なきらめきを放っているようにも見えた。
再び幾分冷静な頭で考える。
やはり「生」と「死」を両天秤にかけたら、「死」を選ぼうと思える。
(一気に飲んで、さっさと死のう)
覚悟を決めると飲んだ。
これまで言いたくても喉まででつっかえて言えずに飲み込んできた、産んであげることのできなかった無数の言葉、私の思いごと全てをひとかたまりに全部飲み込んで、そして「無」になろう。
遺書は書かない。
りぃちゃんには、結婚前提にお付き合いしている穏やかで大人の年上の彼がいた。
ずっと仲良くしてくれている瀬戸ちゃんと宏樹くん。2人で明るい家庭を築いてほしい。
未来の2つの家庭を想像すると胸が少し温かくなった。
「幸せになってね」
それが私の最後の願い。
畳の上に瓶が転がった。
そのまま毛布をかけて横たわり、英司の顔を声を思い浮かべながら目を閉じた。
もうすぐ眠れる。楽になれる。
はっと目覚めると辺り一面真っ暗闇の中にいた。
しっかりと意識はある。
だけど、身体が鉛のように重くて首すら動かせない。もちろん起き上がることもできない。
そこに、なぜか海が見えてきた。
海から手が出て、手から腕が肩が顔が胴体が足が出来上がって、それが誰なのかと目をこらすと英司だった。
懐かしさと愛おしさで必死で身を起こそうと試みる。
頭がいっそうガンガンする。私は夢中で叫んだ。「英司!」
そして夢中でその手につかまろうとした。
けれどその瞬間、ものすごい力で押し返された。
英司の手に振り払われたショックと哀しみにうちひしがれながらも、更に力をこめてつかもうとする。
まさか私のことを忘れちゃったんだろうかと、胸がつぶれそうになる。
すると大好きだった、あのまぎれもない英司そのものの声でハッキリと告げられた。
「詩穂はここに来れないよ」
「何で?何で?」
泣き叫んでいた。声がつぶれるほど。
英司を見つけて、一瞬にして新緑の葉っぱのように元気に色づいた私の心は、またカサカサで穴ぼこだらけの枯れ葉になってしまった。
ああ・・・私は英司を甘く見ていたんだ。
私が死ぬ道を選ぶことを、寂しがり屋の英司ならきっと喜んでくれるだろうと。
あなたはそんな安っぽい人ではなかったのに。それは誰よりも妻である私が分かっていたことなのに。
コミュニケーション能力が乏しくひとりよがりな私は、大好きな英司の真意すら感じとれてはいなかった。
人の気持ちって、そんなに簡単なものじゃないのに。
きっと英司は、「俺がいなくても、詩穂はちゃんとこの先も生きろ」というメッセージを送ってくれたんだよね。
・・・でもごめんね。
出逢ってから英司に歯向かったことなんてなかったけど、、今度ばかりは言うことを聞けそうにない。
情けないけど、どうしても私は英司のいない世界で頑張ることができない。
お願い。どうしようもない私だけど受け止めてほしい・・・。
☆
再び意識がよみがえったとき、真っ暗闇の中に灯りがともっていた。
(まぶしい!)
それは不思議な現象だった。
冬の夜、確かに電気を消して横になったはずなのに、煌々と灯りのともされた部屋に私は横たわっていた。
電気はつけたままだったのかな。
自分が死ねていないのは確かなようだ。
相変わらず身体は動かないのだけど、渾身の力を振り絞って起き上がろうとまた試みる。
ダメだった。
金縛りのように眼球以外まるで動かない。
割れそうな頭に続いて、胃がキリキリするほど痛い。
苦しい。
ひとりの人間が死のうとする時、それは容易ではないことを知る。
けれど死を選ぼうとした自分の行動にひとつの後悔もなかった。
ただ、容易くはなかった。それだけだ。
私はこのまま、後どのくらい横たわったままでいれば死ねるというんだろう。
どうか一分一秒でも早く・・・。
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