第23話 葬儀


祭壇に飾られた写真の英司は笑ってる。

私の大好きなあのニコーッとした顔で。


明るい英司らしい写真を選んだのだけど、顔を見てるだけで余計に悲しさが募った。





若くして亡くなった夫のお葬式なんて、とても気丈に出られる精神状態にはないだろう・・・と、私のことを心配してくれる優しい人たちがいた。





けれども私は冷静だった。冷静を装ったわけじゃない。



冷静を保てる理由があったから。





(お葬式が済めば、必ず英司のもとへ行く)

そう固く心に決めていたのだ。





とにかく今は私が生きてきた中で、つらさの極限の中にいる。





足の持病。

転校の寂しさ。転入の不安。

両親からの愛情の枯渇。

岩井くんに失恋したこと。




全て容易に乗り越えられるものでしかなかった。払えばひとたまりもないチリのように取りのぞけるものに対して、私は何をうじうじ悩み続けてきたんだろう?




これまで執拗なまでに色々なことに怯えて、貴重な時間を粗末に扱ってきた罰が、こういう形で訪れたんだろうか。





もっともっともっと、重病に苦しむ方が五万といる中で、命に別状があるわけでもないことで悩み、人を羨み、自分の勇気のなさに「環境」の存在を巻き込み、挑戦することから逃げ続けてきた私が受けた罰なのか。





それでももっと悪人だっているじゃない。

自分の子供を虐待するような、罪なき人を殺すような。





やっぱりこんな事実を私は認めることができない。何度考えてみても、どうしても受け止めることができない。




でもこれがまぎれもない現実だというなら、私のほうがこの世に別れを告げるしかないのだ。





この耐えがたい苦しみは、あとほんの少しで終わりを告げる。






心の中でみんなにさよならを告げよう。


と言っても24年間生きてきたわりには、その人数は少なかった。



妹のりぃちゃんと親友の瀬戸ちゃん。



そして、語学力を生かして貧しい国に何度も渡り、人のために働いていた、優しくエネルギッシュな従姉。




そこに白い紙がなくても、祖父母の家の塀、廊下、地面、ところ構わず絵を描くのが大好きだった画家志望の従妹。





女系家族の中で初めて産まれた6歳年下の従弟。祖父母も私たちも「これでもか」っていうほどちやほやしたっけ。

平成を迎えて数日後、その子の下に弟が産まれた。乳児と対面した経験は初めてで、あのときに感じた命の尊さと感動、抱っこさせてもらった感触は今でも忘れられない。





無惨にも自らの手で命を切り捨てようとしている私の目に、年が明ければすぐに9歳になるその子が視界に入る。




ただただ受け身なだけだったあの赤ちゃんが、自分の意思を持ち、夢を持ち、笑い泣いている。健全な命の持ち主そのものの従弟。

可愛くてたまらない。





ひとりひとり、縁があった人たちをゆっくりと見つめる。






私のために親戚への接待をしてくれている、りぃちゃんの姿が見えた。





心ない噂好きの親戚に、「詩穂ちゃん、どんな様子?」と質問されても、頭の回転の良さを生かして踏み込ませない答え方と、しかし失礼のない振る舞いで応対してくれていた。




これまでも、どれだけ妹の存在に助けられてきたことだろう。





自分のことのように悲しんで号泣してくれる、瀬戸ちゃんとお母さん。2人を支える宏樹くんの姿も見えた。







こんなにも私のことを思ってくれている人たちの心を踏みにじろうと、裏切ろうとしている私。





やっぱり最後まで、どこまでもだめな人間だ。私は。





ごめんなさい。大切な人たち。





どうか幸せで・・・。




ぼんやりしている私に対し、義母が言った。


「詩穂ちゃん、大きな声では言いにくいけどまた結婚しなさいね。


まだ若いんだし、すぐに英司のことは忘れていい人ができるわよ。だってまだ24歳じゃ未婚の友達のほうが多いぐらいでしょ?

英司はもう影も形もないんだから、ちゃんと現実を見て次の恋愛をしないとね。


テレビで見たんだけど、結婚を目指すなら、いかに異性が多い職場に就職するかどうかが鍵みたいよ」




お葬式の日になぜそんなに無神経なことを言うんだろう?

それが私のことを思って言ってくれた言葉だとしても、背筋が凍り付いた。






短気な義父は、こういう場でも平気で人を怒鳴りつけたりする。


「まったく英司は昔から落ち着きがなかったから、あいつらしい死に方ではあったな。


5人もいれば全員手薄にしか育てられなかったが、中でもあいつは特に親に甘えない子供で、いつでも外にばかり目を向けていた。

親を当てにしないという態度は生意気で可愛げはなかったものの、1番親の手を煩わせない息子ではあったのに、まさかこんな形で親不孝をしでかすとはなあ」




英司が甘えない子供だった?

1番手をかけない息子?可愛げがなかった?


あんなに寂しがり屋で、人肌恋しくて甘えん坊の英司が?

子供時代からの英司の寂しさが伝わってきて、またひとつ悲しみが増した。






私の父が言う。


「綺麗な遺体だったのは不幸中の幸いじゃないか。仕事上、損傷のひどいご遺体を目にした経験もあったが、あんな姿を目の当たりにしたら普通の神経の人は誰もが卒倒する。

同じ脳がやられたと言っても、改めて打ち所ひとつで全然違うものなんだと実感したよ」





母が言う。


「詩穂、暫くはまともに眠れないでしょ。家に睡眠薬ならあるから必要なら渡すわよ。やっぱり○○より△△の薬が効くわ」





もし、英司や私が親になれる日があったとして・・・未来の我が子にこういった言葉を選択するだろうか。




違う。

4人には、子の心に寄り添うという感性がない。




私に対してならいい。

亡くなった英司に対しても、まるで配慮がないことが残念この上なかった。





きっと英司の欲しかった言葉はそうじゃない。



「英司、痛かったよな。人より短い人生でもちゃんと幸せだったのか?」




「英司、きっと寒いね。毛布を1枚入れておくね」




「英司くん。何の取り柄もない娘をもらってくれて感謝するよ。詩穂の顔を見ればどれだけ幸せにしてもらっていたか分かるよ」




「娘の悲しみはつきないほど、あなたのことを愛してました。本当にありがとう」




そんな一言だったはず。





私たちは同じように孤独を抱えざるを得ない両親に育てられ、そして出逢って、惹かれ合って、そして理不尽という意味を含む【運命】というものに引き裂かれた。





私は4人のどの言葉にも一言も発することなく、一点を見つめたまま黙りこくっていた。






りぃちゃんが言ってくれた。


「平均寿命には全く及ばない生涯だったけど、えーちゃんはお姉ちゃんに会えて本当に幸せだったと思うよ。

でも残されたお姉ちゃんは幸せを急に断ちきられたんだもんね、想像もできない苦しみの中にいると思う。かける言葉もない。ただひとつ、私はこれからもお姉ちゃんの幸せを望んでるからね」




「ありがとう」

深い感謝をかみしめながら言った。






そう言えば昔、向かうところ敵なし!というオーラを放っている瀬戸ちゃんこう言われたことがある。



「私、生まれてから1度も引っ越しってしたことないんだよね。だから地方から出てきてひとり暮らしをしてる子とか、転校とか経験してる子はすごいなー、強いなーって思ってきた。

詩穂も何度も転校してきたんでしょ?転校を繰り返すたび、きっと詩穂の心の強さは磨かれたんだろうね」




私自身はその逆だと思っていた。


前日の夜は眠れなくて、当日は胃が痛んで、校長室で担任の先生を待ってる間の何とも言えない緊張感と、教室に一歩踏み込むときの、生徒全員に一斉に目を向けられ、値踏みされるかの様な視線に怯える気持ち。



私は転校を繰り返す度に、自分の弱さを見せつけられているような気がしたから。




でも今、こんな境遇になってみて初めて、瀬戸ちゃんが言ってくれたことも、あながち間違っていなかったのかもしれないと思えた。




「転入初日」は恐ろしくてたまらないものだったし、避けて通れるなら避けたいものであったけれど、私のある種のバロメーターになったのは確かだから。





つらいことがあった時、これは「転入生」より嫌なことだろうか。そうじゃないなら大丈夫、私は乗り越えられるって。





でも、今回のことは違った。




私には到底乗り越えることも壊すこともできない、とんでもなく高く分厚い壁。




大好きなりぃちゃん。

ごめんね。




さよなら。





やっぱり私は死ぬしかない。




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