第22話 霊安室


時が過ぎ、英司は警察署に連れて行かれることになった。





到着するなり、英司のほうへ歩み寄る。



身体はビニールシートで完全に包まれて姿は見せてもらえない。




そばにいた婦人警官に懇願した。

「一目だけ姿を見せて下さい」



「すみませんが、まだ待って下さい」



「なぜですか?」

24歳の私が、まるで4歳の幼児にかえったみたいに泣きじゃくった。




「沢田さん、ちゃんと見て頂ける段階になったらすぐにお声がけしますので」




それでも、聞き分けなくだだっ子状態に陥った私は、「一目だけでいいんです。姿を見せて下さい」と必死に訴え続けた。





当然ながら事態は覆らず、「どれだけ早くても夕方頃になりますから・・・」と制されてしまった。





警察署のひんやりした暗い廊下の長椅子に座る。




感情の高ぶっている私を心配して、先ほどの婦人警官が「寄り添い」なのか「張り付き」なのか、ぴったりと横に座る。





別の警官が、温かいお茶を差し出してくれた。そして言った。


「沢田さん。先ほどよりは落ち着きましたか?

ところで両家のご実家に連絡を入れなくて大丈夫ですか?

もしご実家が近くでしたら、そちらで待機なさいますか?送りますよ」




「いえ、大丈夫です。ここにいます」




長椅子に腰掛け、微動だにしない頑なな私に、警官も困惑した顔を浮かべていた。





1時間ほど経過して、婦人警官に、

「もしかしたらあなた、ご実家と疎遠な関係だったのかもしれないけれど・・・人がひとり亡くなってるのだから連絡することは義務だと思います。よかったらこれ使ってください」と携帯を渡された。




私は「自分の携帯からかけます」と答えると、震える手で電話をかけた。






すぐに駆けつけてくれたのは、私の妹だけ。





遅れて、義理の両親、私の母が来た。

自営業の英司の家と違って、サラリーマンの父は来れなかった。





義父は最初からずっと、「面倒なことを起こしたものだ。結婚したら一人前なんだから、あれこれ指図はいらないなどと大きな口を叩いておいて、結果がこれか!」と怒り続けていた。




義母は「お父さん、そんな言い方しなくても。英司が可哀想でしょう。でも死に方としては格好よくないわね。親類や近所の人に死因を聞かれても言いにくいわ」と言った。




自分の時間を邪魔されることを好まない私の母は「英語教室を急きょ休みにしたのは初めてのこと。生徒さんに申し訳がない」と、イライラしている。






唯一りぃちゃんだけがその言動から、今の私の精神状態、やり場のない深い悲しみ、無念、心細さ、全ての感情をよくよく理解してくれていることが伝わってくる。





ありがとう、りぃちゃん。







夕方とよぶには遅い時刻。


ひとりの警官が神妙な顔で私たちの前に現れ、

「英司さんはあちらの扉の中にいますから。皆さんでお入り下さい」と告げた。






やっと・・・やっと会える。





みんなに、

これだけはどうしても譲れない思いとして、「最初は私ひとりだけで中に入りたい」と伝えた。




妹が「・・・でも、えーちゃん。どんな姿になってるか分からないよ。お姉ちゃんはそれでも本当に平気?ひとりで行けるの?」と心配してくれる。





私は静かに頷いた。





事故が現実だと理解したとき、

万が一、「損傷が激しく素人は見ないほうがいい」と言われるようなことがあろうと、絶対に言うことは聞くまい。

必ず英司と向き合うと心に誓っていた。





まるで私の保護者のような婦人警官が、「私が付き添いますから」と言った。

それだけは仕方のないことだった。

2人で入室する。





本当は・・本当は心のどこかでは怖かった。

長椅子に座っていたときから、変わり果てた姿になっているだろう英司との再会が。






けれど・・・今、目にした英司は正視に値するような傷が3カ所あっただけで、眠ったときと同じままの顔をしていた。




身体にかけられた薄い毛布をそっとはぐ。

身体にも目立った損傷はなかった。






「英司?」愛おしくてたまらない人の名を小声で呼んでみる。


冗談好きの英司が寝たふりをしてるだけで、今にもムクッと起きてきそうにしか思えない。




「あまり触らないでくださいね」



そう言われても英司の頬から手を離せない。

そしてそのとき、初めて観念したのだ。




頬がとてつもなく冷たい、そして固い。

私の足が痛むときカチカチになる状態の何十倍も。




上唇と下唇に小さな隙間ができていて、私の大好きだった、真っ白で並びの良い大きな歯が少しだけのぞいている。




英司は2度とあの歯を見せて、私に笑いかけてくれることはないんだ。





(ああ、英司は亡くなったんだ・・・)



そうはっきり悟った。





涙が後から後からこぼれて、外に家族を待たせていても、警官に「もうそろそろ・・・」と促されても、




横たわった英司の胸に顔を埋めたまま、一歩も動くことができなかった。

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