第21話 事故現場


そこは本当に家から数百メートルの場所だった。



英司と2人で、「細い道だね」と言いながら一緒に自転車をこいだ道。




パトカーの中から、並んだ電信柱が何本も見える。



「立ち入り禁止」という文字の書かれた黄色いテープが張られて、通行止めとなっている。




警官は、「今朝、事故があったので」と説明して迂回するように指示を出す。



救急車が停まっている。



英司の自転車も見えた。



(英司は?どこ?)必死に探す。



端に、青いビニールシートでその肉体のほとんどを覆われた英司が、まるで物のように置かれ、数人に囲まれていた。




あまりにも可哀想で涙が止まらない。




すぐさまパトカーから降りて、英司のそばに走り寄りよろうとドアに手をかける。




すると、 私を支えながら後部座席に座っていたほうの刑事さんに、「すみません。こちらがいいと言うまで降りないで下さい」と、毅然とした口調で制止された。


「こんなことを言うほうもつらいんですが、どっちみち降りても、暫く旦那さんには近付けませんから」と言われ、そのままその刑事さんだけが車から降りた。




運転席に座った警官は、突如語り始めた。



その全てが・・・夫をうしなった直後の私には、傷口に塩を揉みこまれるような残酷な言葉で、いつの間にか涙は止まっていた。




「旦那さんね、そこの電信柱で頭を打ったんです。

頭には打ったら死に繋がる危険な箇所があって、運悪くそこを打ってしまったんだね。

直後は頭を打ったと思いながらも、蛇行運転して、あの辺りまで運転を進めていた。

でもその後、自転車から体ごと落ちて倒れてしまわれて。

平日なら通勤・通学時間帯なんですが、土曜日の早朝であまり人通りもなく。

そちらに見える黒い屋根の家の方が気付いて、警察に連絡を入れてくれました。


要するにこの事故は、旦那さんに対する加害者もいなければ、旦那さんの運転による被害者もいない。それは奥さん、何と言うか本当に変な言い方だけどよかったですよ。

多くの交通事故はここからが大変で、遺族の方は疲労困憊な身の上、やることが山ほど待ち受けている。

今回の場合は完全に、旦那さんだけによる不注意運転ですからね。


ここ、運転しにくい狭い道だけど車も通る。そして日陰の上に下り坂。今朝は薄い氷が張っていた。慎重に運転しなくちゃならない条件ばかりだ。

あなたの旦那さん、少し自信家だったでしょう?

何度も事故現場を見ているとその人の性格が分かるようになるものなんです。


結構、自分のやることにミスはないという思い込み。ミスがあったとしてもそれをカバーするだけの機転がきくから大丈夫だって、そんな自負があった人だと思うなあ。


自爆事故を起こす方には、よく言えば行動力や決断力があるけれど、悪く言うと自信過剰な方が多いんです。

でも、分かりますよ。そういう男性が魅力的だということが。

まだ23歳なのに旦那さんも、あなたも可哀想でならないです。


けれどね、これはヘルメットさえしていれば防げたことも事実です。

朝、頭を打ったことなど忘れて普通に帰宅できたんです。

どうかあなたはこの先、自転車に乗るときにはヘルメットをしてください」






私の耳はしっかりと全ての言葉をとらえていた。英司の身の上に起こった全てを知りたくて、一言だって聞き逃したくなかった。





けれど、心はこなごなに打ち砕かれ、そのひとつひとつが凍てついて、もはや再び合体できても、もう心としては機能不全の状態に追い込まれてしまう感覚だった。





冬はこの道に氷が張ることも知らず、ただ毎日「気をつけてね」と繰り返すだけだった情けない私。


自転車通勤の夫に、ヘルメットを勧めなかった無知な私。




ごめんね英司。

どう後悔しても償いきれない・・・。






私が最も怖れていたのは、英司が本当に即死できたのかどうかということ。



倒れて亡くなるまでの時間って一瞬だった?


どうか英司の苦しんだ時間が、1分でも1秒でも短くあったようにと願う気持ちでいっぱいだった。



きっと・・・たとえ一瞬で亡くなったとしても、英司にとってその瞬間は、怖くて長くてとても苦しい時間だったよね。





英司は人一倍、勝ち気だったけれど、その分、人の何倍も甘えん坊だった。

大型犬みたいに、後ろから「ねえ、詩穂」ってよく抱きついてきた。

笑って「どうしたの?」って聞くと、「何もないよ、こうしてたいだけ」って言って黙ったまま離れなかった。





「詩穂、痛いよ。寒いよ。嫌だよ。助けてよ」


そんな英司のうめき声が聞こえてくるようで、気がおかしくなりそうだった。





また別の考えが私を支配する。


もしかしたら、このまま死んでしまうことを自覚して、その最期のときまで私のことを心配させてしまったかもしれない。


「詩穂、ごめん。もう家には戻れそうもないよ。お前を残すことになって、本当ごめん」って。





英司。たったひとりで一体どれほどの苦しみを抱えたというの?


あんなにひとりでいることが苦手だったあなたが、冷たいアスファルトの上で。


こんなに暗くて寂しい寒い場所で、どんな思いで亡くなっていったの?





胸が張り裂けそう。

私はこの先もう2度と笑うことができない。


生きてる限り、感動することも喜ぶこともない。


プラスの感情だけじゃない。

もう英司に関すること以外で、きっと怒ることも泣くこともない。




私は「無」になったんだ。

息をしながら死んだも同然の人間に。




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