第15話 美大へ
1年生の秋に病院のアルバイトを辞めてから塞ぎこんでいたのだけど、2年生になって瀬戸ちゃんのような友達との出逢いに恵まれた。
新しく始めた図書館でのアルバイトは、主婦の方たちも学生仲間も穏やかな人ばかりで、「揺らし」と呼ばれる大幅な本の整理以外は体力的に大変なこともなく、何だか怖いぐらいに順調な日が続いていた。
けれど、心のどこかにぽっかりと穴が空いているような虚しさがあった。
原因はひとつ。
岩井くんの顔が見えないこと、声が聞けないこと。
それが寂しくてたまらない。
会えなくなって半年以上も経ったというのに、彼への恋心はしぼむことがなく、とうとう瀬戸ちゃんにその思いを打ち明けた。
「好きな人がいるけど、どうにもならない」ということを。
彼女は目を輝かせて言った。
「えー!詩穂から恋の話を聞くなんて初めてだよね!もう、そんな相手がいたなんて、もっと早く言ってよー。
でも通ってる大学が分かってるなら簡単じゃん。近々会いに行こうよ」と。
今度は私が驚く番だった。
「そんなことできるわけないよ。無理だよ、無理無理」
「無理」を繰り返す私に対して、瀬戸ちゃんは「大丈夫、大丈夫」を繰り返す。
翌日。
彼の大学の最寄り駅に、美味しくて有名なパスタのお店があることを調べた瀬戸ちゃんは、
「詩穂おはよう。明後日そのお店の予約が取れたから、景気づけにまず美味しいランチを食べてから学校に行こう!」とはしゃいでる。
何をやるにもスピーディーな瀬戸ちゃんを前にすると、言われるまま状態になりがちな私。
結局2日後のお昼前には、その店内にいた。
赤と白のチェックのテーブルクロスがひいてあって、小さなコップの中にベリーの造花が束になって飾られている可愛いお店。
瀬戸ちゃんは期間限定の魚介類の冷製パスタ、私は鳥ささみと梅のパスタを選んだ。
パスタが届くと瀬戸ちゃんは「美味しい!」と、ニコニコしながら幸せそうに食べる。
緊張で食欲のない私は、時間をかけて山のように乗っていた、しその葉やかつお節をフォークとスプーンでゆっくりとパスタにかき混ぜていた。
「瀬戸ちゃん、私の温かいパスタも食べない?美味しそうだよ」と言うと彼女は笑う。
「私に薦める前に、頼んだ詩穂が一口ぐらい先に食べなよ(笑)」
「緊張で食べれないんだもん」
「大丈夫だってば!」
すっかり瀬戸ちゃんのペースで、とうとう美大の前に来てしまった。
堂々と美大生のような顔をして学生課まで行く、彼女の後ろをついて歩く。
「2回生に岩井健人くんっていますよね。クラスや選択授業とか教えてもらえませんか?」
今では考えられないことだけれど、個人情報保護法なんて出るのはまだまだ先だったし、卒業アルバムにも個人の住所と電話番号が堂々と記載されていた時代。
教えてもらえるか否かは、その担当者の主観だけという、至って普通の質問内容。
でも、担当の人は慎重で、私たちは怪しまれて教えてはもらえず、結局すごすごと帰る結果となった。
瀬戸ちゃんは何も悪くないのに、
「ここまで来たのに、まさか教えてもらえないなんて考えもしなかった。本当ごめん、詩穂。
私って勇み足で、頭で考えるより先に行動しちゃうんだよね。だから今回みたいなポカも多い。家族にも『早合点の真弓』って言われてる。改めなきゃね」と、まるで自分のことのようにがっくりとして、残念がってくれた。
そして、学校の門を出る頃には、
「もうこうなったら病院に電話して、彼の住所か電話番号聞くしかないんじゃない?」と、私の恋を本当に親身に考えてくれる。
「ま、さすがの私でも今日はやめとくけど(笑)」
同時に微笑み合った。
岩井くんとは、やっぱり縁がなかったんだよね。仕方ない。
「無理だよ」と繰り返しながらもどこかで彼との再会を夢見た私は、その希望が絶たれたことに対する残念な気持ちと、
「会いたいけれど会いたくない」という複雑な心境からくる安堵との間で、一気に疲れがドッと押し寄せてきた。
たくさん歩いたせいもあってなのか、久しぶりに足にあの鈍い痛みが走った。
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