第14話 親友


大学2年の頃、親友ができた。 瀬戸真弓ちゃん。




出席番号が「鈴木」と「瀬戸」で近くて、英語のクラス編成で席が前後になったのがきっかけだった。





最初の授業中、後ろから突然、髪の毛を触られたので驚いて振り向くと、「糸屑がついてたよ」と彼女が取ってくれた。僅か5ミリ程のもの。


「どうもありがとう」

咄嗟に(話しやすそうな子だな)と、友達になれたらいいのに・・という淡い希望を抱きながらお礼を言った。





2人1組の自己紹介をする練習で、私たちはペアになった。




周りの子はみんな真面目にやっていたのだけど、途中から彼女は、


「リアルで自己紹介が必要な間柄なのに英語でやるなんてバカらしいよね。日本語で話そうよ。

私の名前はMayumi Seto。漢字で書くと瀬戸真弓。年齢は同じ?だよね。

あと趣味とか家族構成とか?


趣味は子供の頃からやってるダンス。高校時代はチアダンスに熱中してたんだ。

食べ歩きも大好き!家族は5人で・・。

鈴木さんも教えて?」




「うん。

偶然なんだけど、昔少しだけバレエをやってて・・大学に入ったら、何か激しくはないダンス系のことをやってみたいなって思ってたの。食べることも好き(笑)」





「そうなんだ!一緒に美味しいお店の開拓しようよ。私は小学生のころからずーっと愛称が『瀬戸ちゃん』だから、そう呼んでね」





心がほわんと温かくなって、とても嬉しかった。



「ありがとう。私は詩穂で・・・」




「分かった、よろしくねー!」





それ以降、瀬戸ちゃんは私がどこにいても、「ねえ、詩穂も一緒にやろうよ」とか「今日学校終わりに買い物して帰らない?」と、何かにつけて誘ってくれるようになり、


いつしか私たちが単独でいると、みんなから「あれ?片割れは?」と言われるほどの仲になった。





それは私にとって、宝物を抱えているみたいに嬉しいことだった。






瀬戸ちゃんは、ハキハキした喋り方で快活なイメージ。

目がくりっとした可愛い顔立ちに、いかにもキレのあるダンスをこなせそうな筋肉やバネにも恵まれていた。




そして、高校時代のチアダンスのメンバーや、応援対象の体育会系の男友達も多くいて、男の子にも女の子にも好かれる典型的なタイプ。





2年間、付き合ってる彼がいて、てっきり運動部の人かと思っていたら、意外にも物静かで眼鏡をかけた文系男子だった。


彼は宏樹くんと言って、瀬戸ちゃんにはもちろんだけど、私にもとっても優しくしてくれた。




私たちは3人でしょっちゅう出かけた。


「本当にお邪魔虫じゃないの?」と何度も尋ねたけど、2人とも「全然大丈夫だから」「絶対詩穂もいて欲しいの!」と、金沢への旅行もした。




旅行前に、宏樹くんと「ガイドブックを買わないとね」と話していると、

瀬戸ちゃんは「わざわざそんなの買わなくても、金沢出身の子を探して生の声を聞かせてもらうのが1番だよ」と言って、またすぐにそういう子を見つけ出せてしまうから驚いた。




宏樹くんは「ちゃっかりしてるなぁ」と笑った。瀬戸ちゃんは「生き抜く知恵があると言ってよ」と返した。


とっても気が合って仲のいい2人。お似合いの恋人同士。





彼女との出逢いは、閉じこもりがちで狭かった私の世界を俄然広げてくれた。






瀬戸ちゃんとの仲が深まるにつれて、彼女を取りまく環境の細部まで知ってゆく。





家族ともよく旅行すること。

お土産を買ってきてくれたり、撮った写真もたくさん見せてくれた。





普通、年齢がいったら異性の兄弟は離れていくって聞くけど、彼女はお兄さんとも弟さんとも仲が良くて、


「今日は父の日のプレゼント選びに兄弟で待ち合わせしてるから先帰るねー」と急ぐ後ろ姿を微笑ましく眺めたこともあった。





「家族仲良しでいいね」と言うと、




「そうだね。こんな私でもみんな呆れないからね。


あのね、私、昔から片付けが超苦手だったの。で、思いついたのが、弟に『お片付けの曲をオルガンで弾くから、それが鳴ったら片付けをやってね!』って言ったら、ほら男の子って単細胞だから喜んでやっちゃうわけ。


野菜嫌いのお兄ちゃんにも、弱みを握ってよく宿題をやらせた!逆に私の弱みだって丸見えなのはずなのに全然見落としてて、やっぱり男はどこかおバカさんでお人好しなんだよ。



そんな風に私はズル賢いんだから、詩穂も油断しないようにね(笑)



お父さんもお母さんも、まあいい人だよね。

私、この家族に生まれて良かったっていうのはよく思ってる。



お父さんは、どんなくだらない質問をしても面倒くさがらずに、私たちが納得するまで説明してくれたし、

お母さんもね。学校で嫌なことがあって、でも強がって悟られないように平然とした顔で帰宅したことがあったんだ。

でもバレちゃったの。『真弓、何かあったでしょ?』って。あのとき、お母さんって本当すごいよなぁって尊敬したんだ」





いい家庭で育った瀬戸ちゃんは、一緒にいるだけで周りまで幸せにできるパワーを持っている気がした。





誰からも好かれる人気者の瀬戸ちゃんのことが大好きだった。

今も続いている、一言では言い表せないぐらいに、大事な親友。





けれどあの時代、


温かい家族と優しい彼がいて、産まれたころからずっと同じ所に住んでいて、たくさんの幼なじみに囲まれている親友に対して、


私の中に羨ましさにプラスして、0、001%ほど微かなものだとしても、そこに僻み心は皆無だったのか・・・と問われれば、


「もちろん全くない!」「そんな醜い心、あるわけがない」とキッパリとは言い切れなかったかもしれない。




それは、とても悲しいことだと今でも思うのだけど。






瀬戸ちゃんと出会ってから、

もう遠い記憶として忘れかけていた、1つの苦い思い出も、ふと頭をよぎるようになっていた。




私は幼稚園から小学校低学年にかけて、クラシックバレエを習っていた。





先に習っていた同級生のお母さんが、私の足を心配してくれて、股関節の柔軟性を高めたり、体力をつけることを目的として勧めてくれたのだ。





最初は気がひけたのだけど、いざ始めてみると思いの外、はまった。




バレエは華やかなように見えて、その実とても地味で1番から5番という正確な足のポジションが決められていたり、


創作ダンスのような自由な発想やアドリブ的なことは一切必要がなく、

「何百年も前から決められた型を忠実に守りきって踊る」という世界だったので、地道で受け身な私には合っていたのだと思う。





最初に柔軟、バーレッスン、センター(フロア)レッスンと続くのだけど、他の子供たちはバーレッスンを「苦行」と呼び、


まだしも、それぞれの個性を発揮できたり自己表現が可能な、センターレッスンを待ち望んでいた。





けれども詩穂はレッスンの中で、バーが最も好きだった。




列の一番後ろは逆足のときには先頭に変わってしまうので、いつでも真ん中に潜り込み、黙々と手足や顔の向きを先生の指示に従って練習を重ねる日々。他には何も望んではいなかった。




ところが「ドン・キホーテ」という演目での発表会で、「詩穂ちゃんほど練習熱心な子はいないから」という理由だけで、


まだバレエシューズしか履いていない同年代の子たちの間で、誰もが希望していたキューピッド役に指名されたのだ。




先生と初めて会った日に、「足が不安定だと、トゥシューズを履くのは難しいかもしれないけど、気楽にやりなさい」と言われていた私が。


もっと早くから始めて、もっと上手な子、もっと適役の子がたくさんいる中で・・・。




アップテンポの曲調に合わせて踊る、恋のキューピッドという役の表現力には技術だけではなく感性が必要で、自分がこれからのレッスンだけで身につけられるとは到底思えず、引き受ける気持ちにはなれなかった。




それ以上に、刺すような無数の視線も痛くて、次のレッスンにはどうしても行けなかった。




行こうとするとお腹がキューッと痛くなり、ふと鏡の中に写った顔を見ると青ざめていた。




好きなバレエをやめることと、非難や反感にさらされることを天秤にかけたなら、迷いなくバレエを辞めることを選びたかった。





母親に申し出ると、理由を聞くこともなく、

「好きにしたら」とすぐに辞められる状況になった。



先生は引き留めてくれたようだけど、母からそのやり取りの一部始終について聞かされることはなかった。





あのときはあんなに安堵したことも、

子供のころから始めたダンスを楽しんでいる瀬戸ちゃんを見ては、




(もし私もあのままバレエを続けていたら、また違った未来があったのかな・・)と、ふと考えてしまうようになった。






少なくとも、あのときキューピッドに選ばれたのが瀬戸ちゃんだったら・・・私のような理由で、好きなことを絶ち切るなんて有り得なかっただろう。





毎週木曜日の「帰りの会」が終わりに近づくと(もうすぐバレエだ)とウキウキした。



七夕の短冊には、「もっとバレエがうまくなりますように」と書いた。




白くて大きな窓から、柔らかな午後の日差しが差し込むあの教室。



美しいメロディ。



よく通る先生の声。



何度も家で練習して、お団子ヘアを作れるようになったこと。



お気に入りの薄い紫色のレオタード。



「白鳥の湖」「ジゼル」「ロミオとジュリエット」のような悲恋ものより、心が明るくなる「ドン・キホーテ」や「くるみ割り人形」や「眠れる森の美女」は私好みの演目だった。

もしかしたら先生は、その秘めたる思いに気付いてくれていたのかもしれない。




なぜ私は、キラキラ輝く宝石のような時間や思い、出逢いなど・・・全てのことを自ら手離したかったんだろう。





どうして私は幼い頃から「チグハグな生き方」という道しか歩めないんだろう?







瀬戸ちゃんから、とても言いにくそうにこんな疑問を投げかけられたこともある。



「あのね詩穂。詩穂はお母さんに私のこととか・・あんまり話さないの?


この間、電話して『いつも仲良くしてもらっています瀬戸です』って挨拶したんだけど、『は?一体どなた?』って感じだった・・から」





胸が苦しくなった。





嫌な思いをさせてごめんね、本当にごめん。。




瀬戸ちゃんに申し訳なくて、目を見ることができなかった。





瀬戸ちゃんのお母さんには、


私が『鈴木と申します』と言っただけで、『詩穂ちゃんでしょ?いつも真弓からお話聞いてるのよ。綺麗にしてるわけではないけど、いつでも家に遊びに来てね!』



そんな温かい言葉をかけてもらったのにね。





瀬戸ちゃん自身の人となり、取り巻く環境、生き方(生きやすさ)、その全てが私には大きな憧れだった。




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