第11話 彼を追う


岩井くんの噂話は院内どこにいても転がっていた。




小川くんと同じように「噂の的」にされるキャラクターではあっても、その内容は天と地の差。




「ねえ、鈴木さん。また岩井くんが先輩とトラブル起こしたの知ってる?」



「大学でも嫌われ者だろうね、自己中だし、細かくて優しさが微塵もないもんね!」



「もうすぐバイトの時間だって思うと、あいつの顔がちらついてイライラしてくる。人を不快な思いにさせる天才だよ」



「あいつ、バイトの履歴書の長所欄に何て書いたんだろうな。書くこと何もないよな」






どの場面でも、声を大にして「そんなことないよ」と言いたかった。

そんな言われ方ばかりされている彼の現状が残念でたまらなかった。




岩井くんを目で追うようになってから、彼には分かりやすくは出てこない優しさがたくさん・・・たくさんあるんだってことに気付いたから。






岩井くんは、1度病院に来た人の顔を忘れなかった。


「おばあちゃん、大して悪くもないのに先週も来てたよね。もっといいとこ探して出かけなよ!」とか、



中耳炎を痛がりワンワン泣いていた子供の経過診察の日にも、「最初はあんなに泣いてたくせに~」と、からかったりしていた。



あのときのおばあさんも、幼稚園の子供も、岩井くんに、とても嬉しそうな表情を向けていた。




あるとき、年老いた母と娘の親子が来て、「娘の耳が聴こえなくなったんです」と、お母さんは気が気じゃないほど心配されていた。



けれど、聴力検査を担当した子が受付に戻って来るなり言った。


「聞いてよ、あの人、仮病だよ。本当は全然聴こえてる!あんなに年老いた親に心配かけて最悪だよね」



奥さんも検査結果のシートを見たり、診療の様子を見回って同調した。


「確かに仮病ね!でもあの人の前ではお会計をした後に、ちゃんとにこやかに『お大事に』を忘れないで言うようにね」





ザワザワとした違和感を振り切れずにいたあのときも、岩井くんは言った。


「確かに迷惑者だけど、耳が聴こえないふりをしてるって時点で、あの人病んでますよね?仮病だとか笑顔を作れとか言ってないで、心療内科や精神科に紹介状のひとつでも書いてあげるべきなんじゃないですか?

何でさっきから先生も、当たり障りない会話ばっかりしてるんですか?

俺、後であの母親に言いますからね。娘が病んでるから行くべき場所は耳鼻科じゃないこと」



奥さんは青ざめて言った。

「余計なことするのやめて!それより早く裏の仕事してきてちょうだい」と。



結局岩井くんは、近くの薬局にいた親子に真実を伝えに行った。




薬剤師さんが来て、「奥さん。もうあんな子は営業妨害だから解雇したら?」と言った。



バイト仲間も口々に岩井くんを罵った。





なぜ、みんなには岩井くんの優しさが伝わらないんだろう。


それが不思議でならなかった。




けれど私には、彼の本来持つ優しい人となりをうまく伝えるだけの語彙力、しかもみんなを納得させる説得力にも自信がなくて、どんな場面でもただ黙っていることしかできず、そんな自分が大嫌いで、毎日毎日、自己嫌悪を抱えながら仕事場を後にした。






それらの経過を経ての、何度目かの岩井くんと奥さんの衝突のシーン。




「だからマスク禁止の理由を教えてくださいよ。それに、風邪やインフルエンザにかかるのは職業病の一種なのに、従業員の予防接種に正規の値段取るとか、儲けてるくせに本当にケチな病院だな」




奥さんからは面接日に、アルバイトと言えども働く者は全て病院の顔なので、外観的なことからマスクは禁止になっていることを先に聞かされていたのだけど、

実際働いてみると私も岩井くんと同じように、その制度に大きく疑問を抱くようになっていた。






そのとき、急に岩井くんは私のほうをじっと見ると言った。



「マスクの件に関する1番の被害者は鈴木さんだよね。だってバイトのメンバーで、患者さんの風邪を1番多くもらってるの鈴木さんだろ?」




彼からすれば本当に何気ない一言だったと思う。




けれど私は両耳を疑った。

取るに足らない私の存在を岩井くんが少しでも意識してくれていたんだ、という驚き。




もちろん彼にとっては何の他愛もない言葉だということは、よくよく理解してる。



私が何度かやむを得ず風邪で休んでしまったのは事実で、勤務メンバーの変更はスタッフ一同に知れ渡っていて当然なんだから。




それでも私は嬉しかった。





奥さんはまなじりを上げて言った。


「うちの従業員に対するポリシーは、いつでも患者様に爽やかで優しい笑顔を向けることなの。マスクって陰気な印象を与えるでしょ?」




岩井くんと2人で耳を傾ける。




「それに、まだ学生のあなたたちは分かってないと思うけど、病院といっても慈善事業じゃなく経営なのよ。


岩井くんが言う通り、うちはおかげ様で大変流行っています。

でもそれはボーッと指を加えて何もしてないわけじゃなくて、日々私は良かれと思うことを考え、実行し続けてきたなりの成果なのよ。


主人や親戚もろとも、みんな腕のよい医師たちだと思うけど、それだけでは経営は黒字にならない。


だから、患者さんのことは〇〇さんではなく〇〇様で呼ぶ。

何かひとつでも褒めてあげるところを探して、さりげなく口にする。


最後の吸入のご案内は、何度も通院していて段取りを知っている方にも必ず『使い方、分かりますか?』と一声かけること。

子供には『全然痛くないからね』というセリフも忘れないこと。



そんな小さな積み重ねがリピーターを呼び、病院の評判にも関わってくるのよ。


吸入の案内を、内心は(毎回面倒くさいなあ)と思ったり、褒めながらお腹の中で舌を出していても全く構わない。

とにかく患者様にいい気分で帰って頂ければいいの。


それが嫌なら、岩井くんはうちのカラーに合わないというだけ。人とトラブルばかり起こすし、あなたもう辞めなさい」





嫌な予感は当たるもの。


私は薬剤師さんが受付に来たときから、いつかそんな日が来るんじゃないかと思っていたのだけど・・・やっぱり岩井くんは解雇されることになってしまった。





岩井くんは不敵な笑みを浮かべると、


「あ、はい。言われなくても辞めます。こんな外見重視の中身空っぽなハリコ病院。

いくら今はそこそこ流行ってたって、そんな栄光が長く続くわけありませんよ。


だって立派な経営者面してるけど、あんたには想像力がないもん。


何度も通ってる人にも吸入の説明をしろだなんて、逆に『私の顔を覚えてないの?』って怒る人もいなかったんですか?

人間そんなバカじゃないよ。

患者さんのほうが1枚うわてで、(あー、この病院はこういうマニュアルがあるのか)って分かってながら、気を使ってお礼を述べてるだけかもしれないじゃん。

それって、体がつらくて病院に来てる患者に気を使わせて最悪の行為なんじゃないですかね。


とにかくあんたは人をなめてる。人間の心を甘く見すぎなんだよ!」



そう吐き捨て台詞を口にして、私たちに背を向け、正面玄関に向かって歩き出してしまった。





未だにどこからそんな勇気が出たのか分からない。 けれど次の瞬間に私は奥さんに口走っていた。

「岩井くんの意見に賛成なので、私も辞めます」と。





親と年齢の変わらない人物を相手に「お世話になりました」の一言さえ言わず、キッパリと「辞めます」なんて、自分の言葉が信じられなかった。




だけど、次の行動はもっと信じられなかった。




私は、手にしていたカルテを揃えて机の上に置くと、制服姿のまま、出て行った岩井くんを追いかけようとしていていた。





彼は小柄だけれど、見るからに俊敏!って感じで歩くのも早い。

時間差で出た私が簡単に追いつけるとは思えなくて、気付けば小走りになっていた。




これまで能動的になった経験値のない私が、自分から啖呵を切って?バイトをやめた。


私にとってそれは、生まれて初めて起こした反抗的なアクションだった。





少し怖じ気づいた奥さんが私に言うべき言葉を探している表情が脳裏に蘇った。


人をあんな顔にさせたのもまた、生まれて初めてのことだった。

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