2月
第79話【2月3日】本当の気持ち
「それ瑞希の分だから、歳の数だけ食べなさい」
夕食後、自室に引き上げようとしたわたしに母が袋を渡してきた。
中身は節分の豆である。
「……どんな意味があるんだっけ?」
「一年間、無病息災で過ごせますようにでしょ」
じゃあ歳の数だけ食べるのは何故なのか、聞こうと思ったがやめた。
話が長くなっても困る。二週間後には学年末テストが控えているのだ、受験生ほどではないが時間が惜しい。
部屋に戻って勉強机の前に座ると、とりあえず一粒つまんで口に入れた。
普通の炒った大豆である。
どうして鬼はこれが苦手なのだろう?
年齢の数だけ食べる理由といっしょに検索してみようとスマホに手を伸ばしかけ、ぐっとこらえて問題集を開いた。
一度スマホを手にすると、ずるずると時間を使ってしまうのだ。
勉強をしながら合間に豆をつまむ。
律儀にノートに正の字で数を控えていたが、なかなか十六には届かない。
子供の頃はすぐに年齢に達してしまい、三十や四十も食べられる大人が羨ましかったものだ。
今ではそんな気持ちはまったくない。十六個で十分だ。
そういえば小学校の時は、節分の日に学校行事で豆まきがあった。
上級生が鬼の面を被って校庭を逃げ回るのを、下級生が追いかけて豆をぶつけるのだ。
男の子は容赦ないが、女の子だと豆をぶつけてくる代わりにくれたりする子がいて微笑ましかった。
さすがに高校ではそんな牧歌的な行事はない。帰宅するまで今日が節分だということを忘れていたほどだ。
そして二月といえば他にもイベントがある。
わたしは壁掛けカレンダーに目をやった。
学年末テストの前の週、二月十四日の金曜日。そう、バレンタインデーだ。
あと十日に迫って、お店でもコーナーが作られ賑わっている。
今日の昼休みにもお弁当を食べながら話題になって、友チョコを交換することを仲の良いクラスメイトと約束した。
わたしはこれまでバレンタインのチョコは父親にしかあげたことがない。
小、中学校ではチョコの持ち込みが禁止されていたからだ。
もっとも、本命の相手がいる女子は持ち物検査もなんのその、果敢にアタックしていた。
そんな相手がいたことのないわたしは低みの見物だったが。
父へのチョコも自発的ではない。
小学校の四年生の時だったか、母が「お父さんが喜ぶから」とお金を渡してきたのだ。
実際、わたしが買ったチョコを受け取った父はとても喜んだ。ホワイトデーには高そうな缶入りクッキーをくれたうえに、欲しい物はないかと聞いてきた。その時はぬいぐるみを買ってもらった。
しかし元手が母からのお金であり、何倍ものお返しとプレゼントである。
罪悪感が半端なく、翌年からは自分のおこずかいで買うようになった。
プレゼントも辞退したのだが、遠慮するなとしつこいので、文房具だったりハンカチなどの小物をリクエストすることにした。
今年も父には渡すつもりだ。お返しには図書カードを希望しようと思っている。
友チョコ解禁となると亜子ちゃんにも渡したい。
好みはわかっている。亜子ちゃんは可愛い見た目に反して、その舌は渋いというか大人なのだ。
それが最初に判明したのは夏合宿で北条家にお邪魔した時だった。
◇
二日目の休憩の時に、おばさんがケーキとコーヒーを持ってきてくれた。
わたしと早苗先輩がコーヒーにミルクと砂糖を入れていると、結城先輩が呆れたような視線を向けてきた。
「それじゃあコーヒーじゃなくて砂糖湯だろうに。ケーキといっしょに飲んだら、味も何もないじゃないか」
それに早苗先輩が負けじと反論する。
「いるのよねえ、味もわからないくせにカッコつけてブラックで飲む奴」
わたしもその尻馬に乗った。
「それに砂糖を入れてもコーヒーの味はわかりますよ。女子なら砂糖を入れるのが圧倒的多数派だと思います」
結城先輩は冷えた視線でわたしと早苗先輩を一瞥すると、ブラックコーヒーを一口飲んでからわたしの隣を見た。
「――だそうだ。北条」
わたしと早苗先輩の視線がそちらを向く。
そこでは亜子ちゃんが肩を縮めて顔を赤らめ、申し訳なさそうにブラックコーヒーを飲んでいたのだ。
◇
よし。亜子ちゃんにはカカオたっぷりのビターチョコで決定だ。
そして友チョコというには恐れ多いが、早苗先輩にも渡さないといけない。
どんなものがよいだろうかと考えて閃いた。
早苗先輩から借りたアントニー・バークリーの『毒入りチョコレート事件』、推理が二転三転するとてもおもしろいミステリだったが、それを思い出したのだ。
たしか市販でもロシアンルーレット的なチョコが売っているはずだ。もちろん毒ではなく、ハバネロのような辛い中身がハズレのチョコには入っている。
早苗先輩ならおもしろがってくれるだろう。
亜子ちゃんと早苗先輩にあげるのなら、当然結城先輩にも渡さないといけない。
しかし――と考える。
誤解されないだろうか?
いや、結城先輩が誤解などするわけがない。日頃からお世話になっているお礼だと、ちゃんとわかってくれるだろう。
問題ないと頷いたものの何かが心に引っかかった。
その理由がわからずに、わたしはシャープペンを置いて考える。しばし胸の奥底を探っていたが答えはでなかった。
心のモヤモヤが晴れないまま、中断した勉強に戻ろうとするとスマホが鳴った。
見ると文芸部のグループLINEに早苗先輩からのメッセージだった。ここにはあいかわらず結城先輩は顔を出さないので女性陣専用となっている。
【そろそろバレンタインだけど、もう買っちゃった? まだならみんなでお金を出し合ってちょっと豪華なやつを買わない? それで放課後にチョコパしよう!】
たった今どんなチョコを渡そうか決めたところだったが、早苗先輩の提案も魅力的だ。特に反対する理由はない。
【いいですね。何か目を付けているのがあるのですか?】
【やっぱりゴディバでしょ! それでさ、結城に渡す分もそれで済ませれば、みんな気を遣わなくていいし一石二鳥じゃない?】
なるほど。文芸部の女性陣一同からのチョコというわけだ。
それなら渡す側も受け取る側もそこまで気を遣わなくていいし、みんなでいっしょに食べれば楽しいだろう。
納得したのだが、返事を打とうとした指が途中で止まってしまった。
わたしからの返信がないので早苗先輩が気を回してくる。
【それとも普通に渡すようにしようか? あたしはどっちでもいいよ】
慌ててメッセージを送る。
【いえ、早苗先輩の提案に賛成です】
【OK。亜子の意見も聞いてからだけど、ゴディバのホームページでどれがいいか見ておいてね】
亜子ちゃんはお風呂にでも入っているのだろうか、既読がつかない。
わたしは言われたとおりにゴディバのホームページを閲覧して目を丸くした。
なんと一粒が三百円から四百円もするのだ。
バレンタインのような機会でもないと絶対に買わないだろう。わたしは唸りながら、しばらくのあいだ色々な種類のチョコを眺めていた。
しかしいつまでも休憩をしてはいられない。再び問題集に戻ったのだが、設問の内容がまったく頭に入ってこなかった。
その原因が何かと考える。
答えはすぐにでた。先程も引っかかっていた結城先輩に渡すチョコのことだ。
早苗先輩の提案で解決したはずなのに、さっきよりもそのことが心に引っかかっている。
わたしはため息をつくと、スマホを手にしてベッドに仰向けになった。
そして画像フォルダから写真を開く。
文化祭のデートボックスでの結城先輩とのツーショットだ。
何度見てもこの写真のわたしはひどい。むくれてそっぽを向いて可愛さの欠片もない。タイムマシンがあればこの時に戻って撮り直したい。
しかし何かあるたびにわたしはこの写真を開く。
優しい目でわたしを見つめている、結城先輩を見るために。
わたしはもう一度、大きくため息をついた。
いくら鈍感なわたしでもいい加減気づく。
ずっと目を逸らし続けていた自分の本当の気持ちに。
結城先輩にチョコを渡した時に、誤解などしてほしくない。
バレンタインのチョコレート、その本来の意味で受け取って欲しいのだ。
わたしは結城先輩のことが好きだ。
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