第72話【12月24日その2】心のこもったプレゼント


 まずは早苗先輩へのプレゼントをみんなが渡し終えた。

 結城先輩は最後なので、次はわたしか亜子ちゃんの番になる。二人で譲り合ったのち、亜子ちゃんからということになった。


「それじゃあ、あたしからいくか」


 早苗先輩がそう言いながら本を取り出すと机に置いた。

 P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』ハヤカワ・ミステリ文庫。


「サラ・パレツキーの V・Iヴィク・ウォーショースキー、スー・グラフトンのキンジー・ミルホーン、日本だと若竹七海の葉村晶。これらは有名なハードボイルド女探偵なんだけど、あたしはそのキャラ造形に不満があるんだよね」


 早苗先輩は勢いよく喋りだした――と思ったら顔をしかめている。


「女探偵はハードボイルドに必要なタフさを演出するために、ガサツさで表現されるのよ。

 たとえばこれはヴィクの日常描写なんだけど、脱ぎすてた衣類は椅子やベッドに放っておく――誰がここをのぞいたりするのか。皿は流しの横に積み重ねた――あと一日したら洗わなくてはならない。請求書は急を要するもの以外捨てた――三回目が送られてくるまで支払いをしない主義だ。こんな感じなわけ。

 働く女性には共感を得られるんだろうし、あたしだって理解できる。でもさ、もしフィリップ・マーロウがこんなことしてたら幻滅するわよ。

 もちろん女探偵だって決めるところは決めるんだけど、あたし的にはもう少し日常もカッコよくいてくれないかなあと思うわけ」


 すると早苗先輩はいきなり溌剌とした表情に変わって本を指さす。


「そこで『女には向かない職業』の主人公コーデリア・グレイよ! 彼女はハードボイルド女探偵の先駆けとなったキャラクターなんだけど、時代が少し古いのとイギリスというお国柄かスレていないんだよね。

 そもそもコーデリアという名前が、シェイクスピアの『リア王』に登場する末の王女からとっていると思う。その名前のとおり美しく、知的で、誇り高い。

 でも彼女はまだ二十二歳の小娘なのよ。けれども自殺した探偵事務所の所長の跡を継いで必死に依頼をこなそうとする。周囲の人間は誰もが言うの「探偵なんて女には向かない職業だよ」って。それに対するコーデリアの有名な返しセリフが「バーで働くのと変わりがないわ、いろいろの人に会うという点では」というやつで、やっぱり彼女もハードボイルドの系譜に連なる、生粋の探偵なんだよね」


 早苗先輩はそこまで一気に話すと、亜子ちゃんを見た。


「でさ、あたしの中の亜子のイメージってこのコーデリア・グレイなんだよね。見た目は可愛くて守ってあげたくなるけれど、芯は強いものを持っていて自立している。

 亜子は翻訳者という将来の夢を持っていて、それに向かって努力している。あたしや瑞希と比べても、ずっと大人だと思う。

 そんなわけで、北条・コーデリア・亜子にこの本をプレゼントしたい!」


 亜子ちゃんは照れながら、お礼を言って本を受け取った。

 早苗先輩もプレゼンが上手い。単純にその本に詳しいというだけでなく愛がある。やっぱりみんなすごい。



 次は結城先輩の番だ。


「実は北条が一番悩んだんだ。夏に本棚を見せてもらったから、最初は持っていない海外古典にしようと考えた。しかしそれだと、目ぼしいものが残っていないんだよな。未読だからといって、つまらない本を贈るんじゃ本末転倒だ。

 そこでもう一度あの本棚を思い返すと、国内作家は有名どころでもあまり読んでいないんじゃないかと思ったんだ。そこから北条の趣味を考えて、女性作家とハッピーエンドということで選んでみた」


 結城先輩が机に置いたのは、田辺聖子『おちくぼ姫』角川文庫。


「読んでるか?」

「いえ……。恥ずかしながら田辺聖子さんは未読です」


 亜子ちゃんは首をすくめるように返事をしたが、結城先輩はそれを聞いてほっとしたようだ。


「原典は平安中期に書かれた作者不明の落窪物語だ。ストーリー展開はベタだから言ってしまうと、これは平安版シンデレラなんだ。だけれど田辺聖子の筆の上手さで文句なしにおもしろい。後半はかなり意訳しているんだが、物語の方向性としてこれで正解だと俺は思う。

 これだけだと味気ないから、同じくさんでもう一冊用意した」


 結城先輩が次に取り出したのは『ジョゼと虎と魚たち』角川文庫。


「表題作が映画にもなったし、来年にはアニメ映画にもなるらしい。おそらく短編集ではこれが一番有名だろう。今回、読み返してみたんだが、やっぱり抜群におもしろいし上手い。なんというか格の違いを感じたな。

 表題作についてちょっと話すと、足が不自由で車椅子が必要な女子と、少しお人好しな男の恋愛物語だ。

 上手いのは彼女の描写なんだ。障害者にありがちな差別闘争意識からくる高飛車なところと、人のぬくもりを求める二面性が絶妙に書かれている。この設定とわずか二十五ページという短い文章で、愛される人物を書ける筆力には只々脱帽だ。

 今年、惜しくも他界されたからな。これを期に読んでおいて損のない作家として薦めてみる」


 亜子ちゃんは丁寧に頭を下げて本を受け取った。



 最後はわたしの番だ。

 亜子ちゃんとは誰よりも話をするし、夏合宿以降も家に遊びに行ったことが何度かあった。本棚にある本も把握している。

 わたしは取り出した本を置く。

 川上未映子『すべて真夜中の恋人たち』講談社文庫。


「本当は翻訳に関係する本を贈りたかったのだけれど……」


 しかし亜子ちゃんは、尊敬するアンの翻訳者である村岡花子さんに関する本などは、当然のように読んでいた。

 それに伝記や評論ではなく、できれば小説を贈りたいという気持ちもあった。

 そこで選んだのがこの本だ。


「芥川賞作家でもある川上未映子さんの恋愛小説なの。主人公の女性は三十代半ばでフリーの校閲者をしている。翻訳者も校閲者も自分で作品は書かないけれど、文章に深く関わっているから、似ているかなと思って。

 そして彼女は人付き合いがとても苦手で、誰かに会う時には家でわざとお酒を飲んでから出掛けるような人なの。そんな彼女が偶然出会った年上の男性との、恋愛未満の淡い交流を精緻な描写で綴っている。

 タイトルからの連想じゃないけど、真夜中に静かに読んでみたい小説だよ」


 亜子ちゃんは微笑むと「瑞希ちゃんありがとう」と言ってくれた。

 わたしも照れながら微笑み返す。

 みんなが贈った本は国や年齢はバラバラだがすべて女性作家だ。

 これは偶然ではなく、亜子ちゃんの好みに合わせたからだろう。

 そして本の内容も先輩たちの話を聞いていると、亜子ちゃんのことを真剣に考えて選んだことがわかる。

 心のこもったプレゼントだとわたしは思った。


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