第71話【12月24日その1】クリスマスお薦め本交換会
「よおし、時間がないからね。さっそく始めようか」
早苗先輩の言葉にわたしたちは席につく。
今日は終業式で、明日からは冬休みだ。
本来なら部活は休みだし、隣の図書室も開いていない。そのため事務室から図書準備室の鍵を借りてきている。
わたしは楽しみ半分、不安半分でこの時を迎えた。
これから年内最後のイベント、文芸部のクリスマスお薦め本交換会が始まるのだ。
「みんながいっせいに本を出し合うとごちゃごちゃするし、つまらないよね。それぞれがどんな本を贈ったのかにも興味があるでしょ?」
わたしと亜子ちゃんは頷いたが、結城先輩はポーカーフェイスだ。計画の段階では気が進まないようだったが、先輩も楽しんでくれるといいなと思う。
「だからひとりずつにしよう。贈る側じゃなくて、贈られる側でね。もちろん最後はラスボスの結城。それでいいよね?」
わたしと亜子ちゃんは再び頷いた。
結城先輩が最後というのは当然だろう。もっともラスボス呼ばわりされた本人は仏頂面に変わっている。
「じゃあ最初は言い出しっぺのあたしからいくか。というわけでマイプレゼントウェルカーム♪」
早苗先輩が歌うように節を付けて腕を広げたので、わたしと亜子ちゃんは笑ってしまった。結城先輩は呆れた表情をしている。
三人が鞄やバッグから本を取り出して机の上に並べた。
やはりみんなの視線は結城先輩の本に集中する。単行本の上下巻だった。
「はあっ!? キング!? あんた嫌がらせじゃないでしょうね!」
早苗先輩が悲鳴と怒声が合わさったような声をあげた。
たしかにスティーヴン・キングだ。『ザ・スタンド』文藝春秋。
わたしもキングがホラー小説の大家だということは知っている。怖がりの早苗先輩にプレゼントしたら、嫌がらせと思われても仕方がないかもしれない。
結城先輩は苦笑している。
「落ち着けよ。キングはホラーだけ書いているわけじゃない。『スタンド・バイ・ミー』や、映画『ショーシャンクの空に』の原作である『刑務所のリタ・ヘイワース』、『グリーンマイル』なんかの人間ドラマの名作も多い。
そもそもキングは広義のミステリ作家ともいえるし、ミステリランキングの常連でもあるんだが、鈴木から話を聞いたことはないんだよな。
どうせ怖がりのおまえのことだ、ネットの都市伝説や怪談を斜め読みすることはできても、本格ホラーの可能性があるキングには手が出せなかったんだろう?」
図星なのだろう、今度は早苗先輩が仏頂面になってしまった。
「それで、どんな話なのよ?」
「致死率九十九パーセントのパンデミックが起こったアメリカが舞台だ。いわゆるポスト・アポカリプスものだな。
そこでマザー・アバゲイル率いる光の勢力と――」
結城先輩はそう言いながら上巻を前に進める。表紙絵にはギターを弾く黒人の老女が描いてあった。
「ランドル・フラッグ率いる闇の勢力――」
今度は下巻を前に進める。こちらには鎌を持った死神のような絵がある。
「――両者の戦いを書いている。戦いといっても派手な戦闘はないし、過度の残酷描写もないから安心して読んでいい。
この本を鈴木に薦める理由は、実はこの小説はSF版『指輪物語』と言われているからだ。キング本人も指輪物語を意識して書いたと公言している。本家と違って展開も早いから退屈せずに読みきれるはずだ」
結城先輩がこの本を薦めた理由がわかった。
早苗先輩はファンタジー小説の祖と呼ばれる、トールキンの『指輪物語』を途中で挫折したとカミングアウトしたことがあるのだ。
さすが結城先輩である。ちゃんと考えているしプレゼンも上手い。わたしも読みたくなった。
「ただ、ひとつ謝らなきゃいけないことがある」
結城先輩の言葉に、早苗先輩が本を取ろうと伸ばした手を止めた。
「実は新品を買おうとしたんだが絶版だったんだよ。キングですらあっさりと絶版になる出版界は嫌になるな。それで俺の――正確には兄貴の本ということになるんだが、それを持参したんだ。
鈴木が気味悪いというのなら、違う本を選ぶから少し待ってくれないか」
「いや、気味悪いなんて思わないけど、逆にいいの? お兄さんの大切な本でしょ。読み終わったら返そうか?」
結城先輩のお兄さんは、先輩が小学校五年生の時に亡くなっている。
その大量の蔵書を結城先輩が受け継ぎ、本を読むようになったのだ。
「鈴木が構わないなら貰ってくれ。兄貴の本は他にいくらでもあるんだ。鈴木なら本を粗末に扱わないとわかっているしな、兄貴も文句は言わないさ」
「うん。それじゃ、ありがたく貰っておく。大切にするから」
早苗先輩はそっと本を手に取ると表紙を撫でる。
正直わたしは羨ましかった。
お兄さんが買い求め、結城先輩が受け継いで読まれてきた本だ。なんというか本の精霊が宿っていそうな気がする。
わたしも結城先輩の古本が欲しいとリクエストしておけばよかった。
次は亜子ちゃんの本だ。
文庫本が三冊。アゴタ・クリストフ『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』ハヤカワepi文庫だった。
「なるほど、アゴタ・クリストフか。さすがのチョイスだ」
結城先輩が感嘆の声をあげたので、亜子ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
さすがは亜子ちゃん。結城先輩からお墨付きをもらうということは、名作というだけでなく、早苗先輩に薦めるにふさわしい本なのだろう。
亜子ちゃんが話し始める。
「クリストフはハンガリー出身ですが、ハンガリー革命の際にオーストリアに脱出、その後スイスに定住してフランス語で執筆活動をしたので、亡命作家と見なされています。ただハンガリーに対する思い入れは強く、それが小説にも強く反映されています。
『悪童日記』の舞台は明言されていませんが、第二次世界大戦中のハンガリーだと思われます。田舎町の祖母のもとへと疎開してきた、双子の少年が主人公です。彼らの目を通して占領された母国の様子が語られます。双子は頭が良く一心同体で、強くしたたかに戦時下を生き延びます。
内容はシリアスなのですが陰惨さは感じません、むしろウイットに富んでいるとさえ言えます。それがこの小説の凄いところで、純文学でありながらとてもおもしろいんです。
これは単純明快で直截な文体によるところも大きいとされています。本当に一気読みしてしまう本です」
亜子ちゃんはそこで一息ついた。そして早苗先輩を見て続ける。
「『悪童日記』は三部作で『ふたりの証拠』『第三の嘘』と続くのですが、続編を読むとびっくりするんです。わたしが早苗先輩に薦める理由がそれです。
ネタバレになるので詳細は言えないのですが、それまで読んでいたことがひっくり返されてしまう感じです。読み終わったあとに最初から読み返したくなります。
そういうところがとてもミステリ的で早苗先輩には楽しめると思うんです」
亜子ちゃんは語り終わると小さくお辞儀をした。
拍手したくなるような素晴らしい紹介だった。いつも控えめな亜子ちゃんだけれど、やはり本に対する想いは強いのだ。
そしてわたしは暗い気持ちになった。
やはりこのメンバーに混ざって、本を薦めるというのは荷が重すぎる。
「最後は有村の番だな」
結城先輩にうながされて、わたしは本を早苗先輩の前へと置いた。
恩田陸『夜のピクニック』新潮文庫。
「恩田陸さんはミステリも多く書いていますが、早苗先輩がこの本は読んでいないと言っていたので……。ええと、第二回本屋大賞受賞作でもあります。
高校の歩行祭という二十四時間かけて八十キロを歩く行事――これは恩田さんの母校で実際にある行事だそうですが、そのスタートからゴールまでの話です。
夜に友達といっしょにひたすら歩く。それは特別な時間であり、誰もがつい本音を漏らしてしまいます。少しずつお互いの気持ちが通じていくところが、青春小説として素晴らしいんです。
そして主人公の女子生徒は三年間、誰にも言えなかった秘密を清算するために、この歩行祭にのぞんでいます。それが徐々に明らかになります。誰も知らない生徒がいっしょに歩いている幽霊騒ぎもあり、そういったところはミステリ的です。
推理要素はないのですが、すべてが繋がって収束していくのは、ミステリの解決編に通ずるものがあるので早苗先輩にお薦めしました」
結城先輩や亜子ちゃんに比べると拙いプレゼンだと思う。そもそも本自体に驚きがない。読んでいなくても、みんなが知っているタイトルだ。
それでも早苗先輩は笑顔でお礼を言ってくれた。
安堵の息を吐いたが、これがまだ続くのだ。胃が痛かった。
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