第73話【12月24日その3】やり残した宿題


「じゃあ次は瑞希へのプレゼントだね」


 早苗先輩の言葉に、わたしはそうだったと背筋を伸ばした。結城先輩へ贈る本のことばかり考えていて、自分のことを忘れていた。

 不思議なもので贈られる側でも緊張する。


「今回もあたしからいくよ」


 早苗先輩が机に置いたのは、北村薫『空飛ぶ馬』創元推理文庫。


「瑞希は文化祭のあと、結城から時間にまつわる小説をいっぱい借りていたじゃない。その中に北村薫の「時と人」三部作もあっておもしろいって言っていたけど、やっぱり北村薫ならこれも読んで欲しい。日常の謎ミステリがここまで広まったのはこの小説のおかげだからね。

 そしてこのシリーズは文芸ミステリでもあるのよ。主人公である《私》は文学少女だし、そもそも北村薫が現代作家では随一の読書通でもあるの。

 四作目の『六の宮の姫君』は芥川龍之介の同名短編の創作意図を解き明かしていく長編だし、六作目の『太宰治の辞書』は太宰が使用していた辞書は何だったかを調べていく連作短編。どっちも本読みならめちゃくちゃおもしろいよ!

 あと探偵役の円紫さんは落語家だから、落語についての薀蓄も盛りだくさんで、そっちにも詳しくなれる。

 本当はシリーズ六冊全部をプレゼントしたかったけど、創元って文庫でも高いんだよね。おもしろいと思ったら残りは貸すから」


 早苗先輩が謝るように手を合わせるので、わたしは慌てて首を振った。

 それでなくてもみんなからは本を借りてばかりいる。そこまで薦めてくれるシリーズなら残りは自分で買おうと思う。

 お礼を言って受け取った。



「瑞希ちゃんにはプレゼントしたい本がいっぱいあって迷ったけれど、やっぱりこれは読んで欲しくて」


 亜子ちゃんが取り出したのは大判の本だった。

 ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』岩波書店。

 この本は知っている。有名な海外児童文学だし、文芸部の会話でも何度か出てきている。ただ、わたしはいまだに未読だった。


「文庫版じゃなくて単行本かあ。気張ったわねえ」

「この本は装丁も大事だと思うので」


 早苗先輩の言葉に亜子ちゃんが笑顔で答える。それに先輩たちが深く頷いていたので、装丁が大事というのはそのとおりらしい。

 亜子ちゃんは少し困ったような表情でわたしを見た。


「この小説は装丁も含めて本自体がすでに物語の一部なの。だから内容については言及しないね。できれば休みの日に一気に読んで欲しいかな」


 それが亜子ちゃんのリクエストならもちろんそうする。

 わたしはお礼を言いつつ受け取ると、ちらっと裏表紙を見た。なんと価格は三千円を超えている!

 お返しに帰る時には何かごちそうしようと思ったが、亜子ちゃんは絶対に遠慮するだろう。あとでもう一度ちゃんとお礼を言うことにした。



 最後は結城先輩からのプレゼントだ。

 先輩がわたしに薦めてくる本とはいったいなんだろうかと、期待と緊張で胸が高鳴る。

 そして机に置かれたのは四冊組の文庫本だった。

 秋山瑞人『イリヤの空、UFOの夏』電撃文庫。


 ちょっと意外だった。

 結城先輩はライトノベルも読むが、この場面でお薦め本として選択するとは思わなかったのだ。

 わたしと目が合うと結城先輩が口を開く。


「夏休みに出した宿題を覚えているか?」


 わたしの脳裏に、夏休みの終わりに結城先輩と二人きりで、この図書準備室で過ごした時間が思い出された。


「はいっ。覚えています!」

「あれの答えをまだ聞いていないからな。これはそのヒントだよ」


 ――結城先輩からの夏休みの宿題。

 それは『ボーイミーツガールの定義』だ。先輩はそれを「少年と少女が出会い、そして別れること」そう言った。そしてそれだけでは半分だとも。

 その続きが何かを考えることが、わたしに出された宿題だった。


 実を言えば伝えるのを忘れていただけで、わたしにはすでにその答えがあった。

 それが合っているという自信もある。結城先輩が言ったように、無意識に理解はしていたのだ。

 この本がヒントだというのなら、内容はボーイミーツガールということになる。読めばさらに自信を深めることができるだろう。答えを伝えるのはそのあとでいい。

 それに先輩が薦める本ならおもしろさは保証付きだ。読むのが楽しみだった。


 わたしたちの会話の意味がわからないからだろう、早苗先輩と亜子ちゃんは怪訝な表情を浮かべていた。

 二人には申し訳ないが、これはわたしと結城先輩だけの秘密にさせてもらおう。

 本そのものよりも結城先輩が宿題のことを覚えていて、それを気にかけてくれたことが嬉しかった。



 そしていよいよ結城先輩へのプレゼントだった。

 みんなのあいだに緊張が走るのがわかる。贈った段階で期待外れと思われたら、読後の感想以前の問題だ。

 もっとも結城先輩がそういったことを表情に出すとは思えないが。

 今回も最初に本を取り出したのは早苗先輩だ。

 勝算があるらしく、その表情は自信に溢れている。


「あたしが結城に贈るのはこれよ!」


 勢いのある口調とは反対に、丁寧に文庫本二冊が机に置かれた。

 デイヴィッド・ベニオフ『25時』『99999(ナインズ)』新潮文庫。

 それを見て結城先輩が破顔一笑した。


「なるほど、そうきたか。ちょっとズルい気もするが、これはやられたな」


「まあまあ、そう言わないでよ。読みたかったでしょ? あ、悪いけどあたしも先に読ませてもらったからね」


 結城先輩の表情を見て、早苗先輩は満面の笑顔だ。してやったりという思いもあるのだろうが、それ以上に純粋に嬉しいらしい。

 しかし二人だけで納得しないで欲しい。こちらにもその本についてのいわくを教えてもらいたいものだ。

 わたしと亜子ちゃんの表情に気がついて、早苗先輩がこちらに向き直って説明をしてくれた。


「ベニオフについては以前にも話したことがあったよね? いつだったかな……。ああ、ファンタジー談義で『氷と炎の歌』について話した時だ。

 ドラマ版の製作総指揮を執っているのがベニオフなんだけど、この人の書いた『卵をめぐる祖父の戦争』を結城が絶賛してるって」


 言われて思い出した、たぶん半年ほど前だと思う。ただ『氷と炎の歌』については覚えていたが、ベニオフという作者についてはあまり記憶になかった。


「それで結城はベニオフの他の小説も読みたいってずっと言ってたのよ。だけど翻訳されたものはことごとく絶版だったんだよね。そこで今回、あたしが古本屋を探して調達したってわけ」


 なるほど、そういうことだったのだ。

 結城先輩も言及したが、たしかにちょっとズルい気はする。早苗先輩は結城先輩が読みたい本をあらかじめ知っていたのだ。

 ただそれは、普段からコミュニケーションをとれているからで、文句をつける筋合いではないだろう。

 わたしたちの会話のあいだ、結城先輩はさっそくページをめくっていた。よほど読みたかったらしい。

 それを早苗先輩が注意する。


「読むのはあとにしなさいよ。まだ亜子と瑞希のプレゼントがあるんだから」


 結城先輩は素直に本を閉じた。珍しく恥じた様子なのが、おかしくも可愛らしいので、わたしたちは思わず笑ってしまった。



 次の亜子ちゃんは恐る恐るといった感じで、判型の異なる二冊の本を置いた。

 そしてまずは新書サイズの本を前に進める。

 ローズマリ・サトクリフ『運命の騎士』岩波少年文庫。


「みなさんが夏にわたしの家に来た時に、結城先輩がサトクリフはローマン・ブリテンシリーズしか読んでいないと仰っていたので」


 亜子ちゃんは少し恥ずかしそうにしながらも結城先輩と目を合わせる。


「サトクリフは若者の成長と友情を書いた話が多いですし、結城先輩は男性の友情物語が好きだそうですから、ローマン・ブリテンシリーズだけではもったいないと思ったんです。

 この小説も設定は王道です。犬飼いの孤児と騎士の孫という、身分の違う二人の少年の成長と友情の物語です。でもシンプルなだけに心に残るんです。

 原題は『 Knight's Fee』で直訳すると「騎士の報酬」ですが、これは封建時代の騎士の収入源である「騎士の領地」と訳すのがふさわしいと思います。この原題も素晴らしいのですが、訳題の『運命の騎士』はそれ以上で、まさに内容にぴったりのタイトルだとわたしは思います」


 さすがは翻訳者を目指す亜子ちゃんである。訳についても考えながら読んでいるのだ。

 そして亜子ちゃんのもうひとつの本は意外なものだった。

 なんと『赤毛のアン』なのである。

 ただし、わたしが亜子ちゃんから貸してもらった新潮文庫とは違うものだ。同じ文庫でもその厚さが倍以上ある。

 亜子ちゃんはその本――モンゴメリ/松本侑子訳『赤毛のアン』文春文庫を手にしながら話し始めた。


「今年の夏からアンの新しい翻訳シリーズが出版されたんです。これがそうですが、訳者の松本侑子さんは集英社のアンシリーズを翻訳した人でもあります。ただ集英社版は三冊までしか出ていません。

 わたしが部活動見学の時に、アンの翻訳本は三冊目の『アンの愛情』までしか出版されないことが多いと言ったのを覚えているでしょうか?」


 わたしは覚えていた。そして結城先輩がアンはシリーズ最後まで読むべきかと、亜子ちゃんに尋ねたのだ。


「実はその集英社版だけが、現在出版されているアンでは完訳版なんです。それが版元を文藝春秋に移して、全シリーズが出されることになりました。もっともあくまでも予定で、年明けに四冊目の『風柳荘のアン』、これは新潮文庫だと『アンの幸福』にあたりますが、それが出版されることまでしか決まっていません。

 ページ数が多いのは全文訳ということと、丁寧な訳注が付いているからです。村岡花子さんの訳はもちろん素晴らしいのですが、原書に忠実で現代風の訳であるこの本は、これからアンを読む人にお薦めできます」


 そこで亜子ちゃんは、訴えかけるように結城先輩を見つめた。


「わたしは結城先輩に『アンの愛情』まで読めば十分と言いましたが、あれを取り消したいんです。

 結城先輩はわたしが知る限り、もっとも深く本を読む人です。やっぱり先輩には、わたしが好きなアンを全冊読んでもらいたいんです。

 そのきっかけとなるように、この本を贈らせてください」


 亜子ちゃんは頭を下げて本を差し出した。

 結城先輩は下げられたままの亜子ちゃんの頭を、ぽんぽんと優しく叩くと本を受け取った。


「わかった。このシリーズでアンを最後まで読ませてもらうよ」


 亜子ちゃんがほっとした表情で顔を上げたのに、結城先輩が微笑みかけた。

 わたしはそれを見ながら希望を持った。亜子ちゃんの、自分が読んでもらいたい本を贈るというのは、わたしと共通するからだ。



「じゃあ最後は瑞希の番だね」


 早苗先輩の言葉に頷いて、わたしは文庫二冊を机に置いた。

 そのあいだずっと結城先輩を見ていたのだが、その表情が強張るのがわかった。

 やっぱり先輩もこの本について知っているのだ。


「有川浩だね。あたし自衛隊三部作と図書館戦争しか読んでないなあ。結城はどう?」

「俺も似たようなものだ。だがこの本は……」


 早苗先輩の問いかけに、結城先輩はかすれた声で答える。

 わたしと結城先輩の目が合った。怒ってはいない、だがあきらかに困惑しているのがわかる。

 先輩が再び視線を落としたので、わたしも本を見た。


 有川浩『シアター!』『シアター!2』メディアワークス文庫。


 わたしと結城先輩が、ただならぬ雰囲気で黙り込んでいるからだろう。早苗先輩が不思議そうに尋ねてきた。


「二人ともどうしたのよ? なにか問題でもあるの?」


 結城先輩は口を開きそうにない。だからわたしが答えた。


「この小説は未完なんです。そして今後も完結することはないはずです」




※「有川浩」さんは現在ペンネームを「有川ひろ」と改名していますが、今回は『シアター!』出版時の有川浩で話を進行させていただきました。


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