第70話【12月12日その2】今年も終わりが近づいて
わたしは面談を終えた小会議室に鍵をかけると、そのまま隣の生徒会室のドアをノックした。
中から返事があったのでドアを開ける。
「いつもすみません。終わりましたので鍵を返却にきました」
「ご苦労様。いつもより長かったけど何か問題でもあった?」
「いえ、わたしが質問ばかりしていたせいです」
わざわざ席を立って鍵を受け取りに来てくれたのは、柔らかい雰囲気の副会長さんだ。この人はなにかとわたしのことを気にかけてくれる。もっともわたしだけでなく、誰にでも優しいのだろう。
鍵を手渡しながら気になっていることを尋ねた。
「あの、わたしは執行部の邪魔をしていませんか?」
「そんなこと絶対に思っていないから安心して」
副会長さんが屈託なく笑ってくれたので安堵した。
しかし彼女はひとしきり笑うと真剣な表情になる。
「わたしだけでなく執行部はみんな有村さんを応援している、なぜならあなたのしていることは正しいから。
だけどわたしたちはこれまで疑問を抱かなかったし、歴代の執行部も各部活もそれは同じ。そのことは問題だし反省すべきだと思っているわ」
副会長さんが口にしたことは重い。わたしは軽々しく返事ができずに黙っていた。
すると彼女はそれに気づいたのか、微笑みながら口調をやわらげる。
「以前は予算委員会で各部活が直接話し合って予算を割り当てていたのよ。わたしたちの親の時代より、もっと昔のことだけれど。
でも部活の数も予算も増えると予算委員会は紛糾し、合意に至ることはなくなった。酷い時は喧嘩騒ぎもおきたらしいわ。そこで生徒会執行部がまずは予算を割り振り、各部活同士も事前の話し合いで納得してから、予算委員会を開くことになったの。
それがいつの間にか形骸化して、今では「なあなあ」で済ませるようになった。はっきり言って意味なんかないわよね。むしろ予算委員会も必要ない、執行部との直接交渉だけで十分だわ。
そんな時に原点を思い出させてくれたのが有村さん、あなたなの」
副会長さんはわたしを見つめた。
「もちろん執行部としては、このことは改革するつもり。現状では予算委員会に回されるとそれは決定事項で、だから議論にも熱が入らない。単なる承認の場になっている。それを部分的には昔に戻すの。
来年以降になるけれど、予算委員会で予算増額を申請する部活による説明の場を用意しようと思っているわ。そこで質疑応答もする。執行部の承認後だけれど、あきらかな不備や問題点が指摘されたら差し戻しも考える。
有村さんとしてはこの案をどう思う?」
「素晴らしいと思います。賛成です!」
そうなのだ。予算委員会で説明と質疑応答があれば、わざわざ事前の確認などいらない。
昔のように直接の話し合いではまとまらないだろうが、執行部の承認を得たものならば基本的には賛成できる。疑問に思えば質問をし、どうしても納得がいかなければ反対をすればいい。
わたしは嬉しくなった。執行部はちゃんと考えてくれているのだ。
副会長さんは安堵の息を漏らすわたしをじっと見つめてくる。
彼女は美人なので同性であっても緊張してしまう。照れ隠しに笑うわたしに、彼女はとんでもないことを言ってきた。
「ねえ、有村さん。来年、生徒会役員に立候補してみない?」
一瞬なにを言われたのか理解できなかったが、その意味が頭に浸透すると思わず叫んでしまった。
「とんでもないっ! 絶対に無理です!」
「そんなことない。あなたみたいな人こそ役員になるべきだわ。推薦人にはわたしがなるし、選挙応援もちゃんとやらせてもらうから」
文芸部の部長ですら荷が重いのに、生徒会役員などありえない。
すると部屋の奥から声が飛んできた。
「それは良い考えだ、僕も推薦人に加えてもらおう」
書類の山の奥から顔を出したのは会長さんだ。
「まさか執行部の審査を通ったものを、本当に取り下げるとは思わなかった。自己利益優先でなく、大局的な状況判断ができるのは生徒会役員向きだ」
取り下げろと要求してきたのはあなたなのですがと、ツッコみたくなる。
「しかしおかげで助かった。ありがとう」
そう素直な感謝の言葉をもらうと照れてしまう。やっぱりあれでよかったのだと納得できた。
さらに顔見知りとなった庶務や会計の役員さんまでもが、自分たちも推薦人となると言い出した。
冗談ではない。前任の役員すべてから推薦を受けたら、いくらわたしといえども本当に当選してしまいそうだ。
わたしにはやりたいことがある。誤魔化すのではなく、ちゃんとそれを伝えたほうがいいだろう。
わたしは真っ直ぐに副会長さんを見た。
「お誘いは身に余る光栄です。でもわたしは来年、部長として文芸部をもっと活性化していきたいんです。部員も増やしたいし、知名度も上げたい。新しく始めたいと思っている活動もあります。
ですからお誘いを受けることはできません。本当に申し訳ありません」
そう言って深く頭を下げた。
副会長さんはしばらくわたしを見たあと、残念そうに微笑んだ。
「適任だと思うんだけどなあ。でも、そうよね。有村さんは文芸部のことを考えて、こうやって頑張っているんだから、それを邪魔するのは本末転倒よね」
彼女は自分に言い聞かせるように頷いた。
「もしわたしたちに手伝えることがあったら遠慮なく言って。役員が終わっても応援しているから」
わたしはそれに丁寧にお礼を言って、生徒会室を辞去した。
廊下を歩きながら胸をなでおろす。危うく来年度の生徒会役員に決定してしまうところだった。
そして先輩たちの言っていたことは本当だったなと思う。
部長になれば普通なら関わることのない人たちと交流することができ、人脈が広がることになると。
あとはわたしがそれをどういかしていくかだろう。
「ただいま戻りました」
わたしが図書準備室のドアを開けると、いっせいに迎えの言葉が返ってきた。
「瑞希おかえりー」
「瑞希ちゃん、おつかれさま」
「おつかれ」
わたしはみんなの顔を見て、やっぱり自分の居場所はここだと思う。
信頼できる仲間がいて、心から安らげる場所。
自然と笑みがこぼれていたのだろう、早苗先輩が「何か良いことあった?」と聞いてくるのを、笑って誤魔化した。
わたしが腰を下ろすと同時に、結城先輩が読んでいた本を閉じた。今日のセレクトは『セント・メリーのリボン』稲見一良。
わたしが怪訝な表情を浮かべていたのだろう。結城先輩が先回りするように答えてくれた。
「鈴木から話があるらしい。有村が戻って来たら話すと言われていたんだ」
「そうでしたか。お待たせして、すみません」
わたしが慌てて謝ると、早苗先輩が笑いながら手を振る。
「なんで謝るのよ。瑞希の用事は部長として必要なことなんだから、ふんぞり返ってなさいよ」
いや、さすがにそれはどうかと思う。それにしても話とはいったいなんだろう?
早苗先輩はみんなを順繰りに見てから口を開いた。
「もうすぐ冬休み、そして終業式の日は奇しくもクリスマス・イブなんだよね。そこで文芸部でクリスマスプレゼント交換会を開こうと思うの!」
早苗先輩は得意気だったが、わたしは反応に困った。
結城先輩が呆れたようなため息をつく。
「どんな重要な話かと思ってみれば……。三百円以内で駄菓子を買って、みんなで交換するのか?」
「なんで小学生のお楽しみ会みたいなことをしなきゃいけないのよ。違うわよ。各自が他の三人に、お薦め本をプレゼントするのよ!」
お薦め本プレゼント交換!
文芸部らしい魅力的な企画だ。だけど問題点も多い気がする。ちゃんと成立するのか疑問だった。
結城先輩が再びため息をつく。
「なんでおまえは、そう思い付きを口にするんだ。少しは学習しろよ」
「あら、今回はちゃんと考えてから提案してるんだけど。なにか問題があるの?」
「大ありだろうが。プレゼントということはサプライズなんだろ? 贈った本を相手が読んでいたらどうするんだ? まさかあらかじめ「この本は読んだか?」と確認するのか?」
わたしの懸念のひとつもこれだった。すでに読んでいる本を贈られても嬉しくないだろう。
しかし早苗先輩は余裕の態度を崩さない。
「あたしだって出会ったばかりの頃だったらこんな提案はしないわよ。でもいっしょに過ごして九ヶ月も経ってる。お互いの趣味や、どんな本を読んでいるかは大体把握しているはずよ。
相手が未読かつ面白い本をプレゼントすることができるのか。本読みとしては挑戦しがいがあると思わない?」
たしかに企画自体はおもしろいと思う。贈られる立場だけなら、わたしは喜んで賛成する。
だが自分が贈ることを考えると暗澹たる気持ちになった。相手は一般人ではなく、亜子ちゃんに早苗先輩、そして結城先輩なのだ。
わたしが読んでいて先輩が読んでいない本? そんなものがあるだろうか?
「あの、わたしは賛成です。素晴らしい企画だと思います」
そう発言したのは亜子ちゃんだ。
早苗先輩が亜子ちゃんに抱きついて、その頭を撫でている。
二人には得意ジャンルがある。亜子ちゃんの海外古典と児童文学、早苗先輩のミステリ。それらでは結城先輩よりも造詣が深い。
しかしわたしにはそういったものがない。
結城先輩はどう考えているのだろう。顔を向けると目が合った。そして先輩はそのまま口を開く。
「わかった、多数決にしよう。そして俺は反対に票を入れる。いろいろと無理がある企画だからな。
有村が賛成なら俺も文句は言わない。その代わり有村が反対ならこの企画はなしだ。それでどうだ?」
「そうね。それでいいんじゃない」
早苗先輩が同意して、いきなり最終決定権をゆだねられてしまった。
結城先輩はわたしのことを考えて、このような提案をしてくれたのだろう。
わたしは三人の視線を受けて決断した。
「わたしも賛成です。やりましょう」
それで決まった。
クリスマス・イブの終業式後、文芸部はお薦め本交換会を開催する。
わたしは帰宅してから後悔していた。やはりどう考えても無理があった。
賛成したのは亜子ちゃんや早苗先輩が楽しみにしているのを、壊したくなかったからだ。
もちろんわたし自身も楽しみではある。
自分が貰う分だけでなく、みんながどんな本を贈るのかも非常に興味深い。
だがわたしは何を贈ればいいのだろう?
それでも亜子ちゃんと早苗先輩へは、それなりに思い浮かぶ本があった。
やはり問題は結城先輩だ。
もちろん結城先輩といえども、世の中の本をすべて読んでいるわけではない。だが先輩が未読で、わたしが読んでいるおもしろい本となると絶望的だった。
自室のカラーボックスの前に屈んで、そこに並ぶ数少ない蔵書を見た。
本棚さえ持っていないわたしが、結城先輩に本をプレゼントするというのはやはり無謀だと思う。
それでも一冊ずつ本を眺めていき、わたしは目を止めた。
一巻と二巻が並んだ文庫本である。
内容に関してはおもしろいと思ったし、世間の評価だって悪くない。だがこの小説には致命的な欠陥がある。
おもしろい、つまらない以前の問題だ。特に結城先輩は絶対に認めないだろう。
しかしそれゆえに、この小説を先輩が読んでいない可能性は高い。
問題となるのはお薦めの解釈だ。
わたしが先輩に読んでもらいたい本、イコールお薦めというのは詭弁だろうか?
怒られるかもしれないし、突き返されるかもしれない。
でもわたしは、結城先輩がこの本を読んだ感想を聞きたかった。
これに賭けてみよう。
そう気持ちを固めると、わたしはそれを最初から読み返し始めた。
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