番外編8【12月2日その3】米澤穂信について語る


 米澤穂信をミステリ作家としてはあまり評価していない。

 結城のこの発言は聞き捨てならない。

 あたしは臨戦態勢で身を乗り出した。


「あんた世の中のミステリファンを敵に回したわよ。今や押しも押されぬ、人気実力ともにトップクラスの米澤穂信を評価しないですって?」


 詰め寄るあたしを見て、結城は苦笑する。


「話はちゃんと最後まで聞けよ。俺はと言ったんだ。純粋に作家としては最高の評価をしている。

 俺は基本的に同じ作家の本は三冊までしか読まないが、米澤穂信は全部読んでいる。現役作家では他にはいない。それだけ評価しているんだ」


 それを聞いて、あたしは気勢をそがれた。

 ちなみに結城の三冊縛りについては、実情はちょっと違う。正確には三冊までしか読まないのではなく、三冊までは読むが正しい。

 こいつの場合、つまらない作家を見切るにしても三冊までは読むのだ。

 ただ本読みの多くが、お気に入りの作家を見つけるとそれを集中して読むのに対して、結城があっさりと他に手を出すのは事実だ。

 その結城が全部読んでいるというのはたしかに珍しい。納得しかけてあたしは気づいた。


「ちょっと待った。危うく騙されかけたわよ。結局はミステリを書く才能はないって言ってるんじゃないの?」


 結城は困ったなという風に笑った。


「わかった、言い方を変えよう。米澤穂信はアベレージヒッターなんだよ。イチロー並みのハイアベレージなのは認めるけどホームランは打てない。

 そしてハイアベレージの理由は謎解きのセンスじゃなくて、ストーリーによるものだと思っている。特徴である後味の悪さは重要なポイントだな。

 つまり推理の部分は平凡でも、それをおもしろく読ませる技術が高い作家。それが俺の米澤穂信の評価なんだ」


 あたしはそれについて考えたが、やっぱり納得はできない。


「そうかなあ。だってミステリ三冠だって獲ってるじゃない」


「なら具体的な話をしよう。鈴木が米澤穂信の小説でベストスリーを挙げるとしたら何だ?」


 いきなりの質問にしばらく考える。

 ミステリの現在を語るには欠かせない作家だから、あたしも米澤穂信は全作品を読んでいた。


「やっぱり『満願』は入るよね。あとは万人向けじゃないけど『インシテミル』が好き。最後のひとつはなんだろ……」


 これはかなり悩むところだ。どの作品も甲乙つけがたい。


「うーん、『さよなら妖精』と『夏季限定トロピカルパフェ事件』も捨てがたいけど『遠まわりする雛』かなあ」


 あたしの返事を聞いて、結城は満足そうに頷いた。


「とりあえず『満願』は置いておこう。『インシテミル』を本格マニアの鈴木が好きなのは当然だよな。だけど純粋にミステリとしての評価はどうだ?」


「まあミステリとしてはイマイチよねえ……」


 『インシテミル』の内容は閉鎖空間でのデスゲームである。十二人の参加者がお互いを殺したり、その犯人を当てたりすることで獲得賞金が上がる。

 こう説明すると流行りに乗った小説と感じるが、その中身は古典ミステリのオマージュやパロディに満ちていて、よほどのミステリマニアじゃないと全てのおもしろさがわからないと思う。

 そう言った部分が楽しめるのであたしは好きだが、一般層には絶対に薦められないし、純粋な推理ものとしては弱い。


「つまり推理以外の部分で選んだということだな。次は『遠まわりする雛』だが、これを鈴木が選んだ理由も簡単だ。『心当たりのある者は』が収録されているからだろう?」


 図星でぐうの音も出ない。

 『遠まわりする雛』は古典部シリーズの四作目にあたる短編集だ。

 その中の一編『心当たりのある者は』は、ハリイ・ケメルマンの傑作短編『九マイルは遠すぎる』のオマージュ作なのだ。


 『九マイルは遠すぎる』という小説は、執筆の経緯がおもしろい。

 当時教師だったケメルマンが新聞記事の見出しを題材に、その文から可能な推論を導き出すように問うた。

 ところが生徒はこの課題を教師からの罠だと疑って、答えなかったという。

 業を煮やしたケメルマンは自分で考えているうちに、いつの間にかそれにどっぷりとつかってしまい、十四年かけてひとつの小説を完成させる。

 ケメルマンを世に送り出した、ミステリ史上に残る有名な一文がこれだ。


『九マイルもの道を歩くのは容易じゃない。まして雨の中となるとなおさらだ』


 この短い文からケメルマンは推論を重ねて物語を作り上げたのだ。

 『九マイルは遠すぎる』はミステリランキングの短編部門では必ず上位にくる作品で、あたしも文句なしの名作だと思っている。

 ただ推理がちょっと強引だという感じは否めない。

 その点『心当たりのある者は』はスマートだ。これは前提条件に馴染みがあるかないかの差ともいえるが、個人的には本家を越えたと思っている。


「『インシテミル』はミステリ的評価じゃなく完全な好み。『遠まわりする雛』はかなり迷った末に、収録作に『心当たりのある者は』があるから選んだ。これも本格マニアの鈴木の趣味だと言える。

 そう考えると米澤穂信はやっぱり、純粋な謎解きではホームランが打てないアベレージヒッターじゃないのか?」


 結城の言葉にあたしは慌てて反論する。


「いや、それはおかしいでしょ! 『満願』はすぐに選んだじゃない!」


「なるほど。それじゃあ『満願』の中でベストは何だ?」


 結城は畳みかけるように質問をしてきた。『満願』はノンシリーズの短編集だが、その中の一編を選べというのだ。

 あたしは腕を組んで収録作を思い出す。

 今度もかなり悩ましい。ミステリ三冠は伊達じゃなく、全編完成度が高い。


「どれも違った味があるよねえ。一般受けがするのは『関守』だろうし、雰囲気なら『柘榴』、ストーリーの読み応えなら『万灯』、警察小説が好きなら『夜警』、純粋な推理なら『死人宿』といった感じかな。

 でもやっぱりベストは表題作の『満願』だと思う」


「今度も随分と迷ったな。俺も『満願』が完成度の高い短編集だというのに異論はない。だけどな、すんなりと表題作がベストだと出てこないのは、やっぱりアベレージは高いが抜きんでたものがない証だと思う」


 あたしが反論しようと口を開こうとするのを、結城が手で制した。


「比較検討しよう。米澤穂信と同じように長編も書くが短編メインのミステリ作家として北村薫と連城三紀彦がいる。どちらも比較相手として不足はないよな?」


 もちろんだ。二人とも一時代を築いた大作家である。


「北村薫の代表作は何だ?」

「そりゃあ『空飛ぶ馬』でしょ」


 北村薫のデビュー作で円紫さんと私シリーズの一作目だ。今に至る『日常の謎』の大ブームはこの作品から始まったと言っていい。

 もともと殺人事件の起こらない、身の回りの謎を解くという推理小説はアガサ・クリスティの頃からあった。

 日本では戸板康二の中村雅楽シリーズ、二木悦子の仁木兄妹シリーズが中興の祖と言われている。

 特に戸板康二の『グリーン車の子供』は日常の謎の傑作と言われていて、いま読んでも色あせない作品だと思う。もっともミステリファンでもそこまで遡って読んでいる人間は少ないだろう。

 つまり日常の謎が広く知られるようになったのは北村薫のおかげなのだ。


「じゃあ『空飛ぶ馬』から一編選ぶとしたら?」

「もちろん『砂糖合戦』よね」


 結城はにやりと笑いながら頷いた。


「それじゃあ連城三紀彦の代表作は?」

「『戻り川心中』以外ありえない……」


 あたしは結城の術中に完全に嵌ったことを感じた。


「そこから一編を選ぶと?」

「……表題作の『戻り川心中』」


 これはズルい。あたしは文句を言った。


「卑怯よ。『砂糖合戦』も『戻り川心中』も短編のランキングをやれば、オールタイムでも必ず上位に入る名作中の名作だもの」


「つまりは抜きんでた作品なわけだ。『満願』はそれに並べるか?」


 あたしは言葉に詰まった。

 ランキングはどうしてもリアルタイムで経験しているものが強くなる。そういう意味で最近の作品である『満願』は上位にくる可能性は高い。

 それでも『砂糖合戦』や『戻り川心中』のように、語り継がれる名作かと言われると自信をもっては推せなかった。


「繰り返すが、俺は米澤穂信が駄目と言っているわけじゃない。アベレージでいえばむしろ驚異的な高さだと思う。だからこそ全部の本を読んでいるんだ。

 ただ絶対的な作品がない。『満願』は代表作と呼べるが短編集で、その中の一編に抜きんでた作品があるかと言われると微妙なところだ。

 何十年後にも読まれるだろう万人が認める傑作を書けていないことが、米澤穂信にとって唯一といえる泣き所かもしれないな」


 結城が静かな声で語った。

 あたしは自分が慰められているように感じた。


「じゃあ、あんたが米澤穂信の作品でベストスリーを挙げるとしたらなに? どういう点を評価しているかも教えてよ」


「『折れた竜骨』と『王とサーカス』、それに『クドリャフカの順番』だな」


「はあ!? よりによってクドリャフカ!?」


 思わず叫んでしまった。

 再び周囲から白い眼を向けられるが、気にする余裕もなかった。

 いやいやいや『クドリャフカの順番』はありえない。

 あたしが呆然としているのを見て、結城はおもしろそうに笑っていた。


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