番外編9【12月2日その4】さらに米澤穂信を語る


 結城が挙げた米澤穂信のベストスリー『折れた竜骨』と『王とサーカス』それに『クドリャフカの順番』だが、正直なところいずれもあたしの評価は低い。

 特に古典部シリーズの三作目、クドリャフカはワーストまである。これはあたしだけじゃない。ミステリランキングでもまったくの圏外だ。


「あたしミステリの評価はあんたと同じだと思っていたけど、考えを改めるわ」


 しかめっ面のあたしを見て、結城は苦笑する。


「なんていう顔をしているんだよ。断っておくがミステリ的評価なら、俺も文句なしに『満願』だぞ」


「いやさ、あたし『折れた竜骨』と『王とサーカス』は、あまり好きじゃないんだよね……」


「ほう。たしかにそれは意外だな。どちらも『本ミス』で三位以内に入っていたはずだぞ」


 なぜか先程までと立場が逆転してしまっている。

 あたしは言い訳をするように言葉を継いだ。


「『折れた竜骨』は、ストーリーは文句なしにおもしろいと思うけどさ……」


 『折れた竜骨』はミステリとファンタジーの融合を試みた意欲作だ。

 中世ヨーロッパ。イングランド北東に浮かぶソロン諸島という架空の島が舞台で、そこの領主が密室で暗殺される。

 これだけだと密室トリックものかと思うが、この世界には魔術や呪いといったものが存在するのだ。

 物理法則や常識を超越する世界で「推理」の力でもって、犯人を追い詰めるという本格ミステリではある。


「どこが気に入らないんだ?」

「あれって肝心の謎解きがさ、ホームズの消去法推理なんだよね」


 ここで言うホームズとはコナン・ドイルが生み出した、世界で最も有名な探偵であるシャーロック・ホームズのことだ。

 そのホームズの推理法を表す言葉としてこういうものがある。


『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に疑わしいことであっても、それが真実となる』


 これは名言として知られているけれど、先鋭的な本格マニアからは否定的に受け取められている。何を隠そうあたしもそうだ。

 ホームズの推理法は一から九までが否定されれば、最後に残った十がどんなにありえないことでも真実だと言っているわけだが、ホームズは十一や十二、十三以降の可能性があることを考慮に入れていないのだ。

 本当の論理的推理というものは、無限の可能性の中から唯一の真実を見つけだすこと。これがあたしたち本格マニアの見解である。


 そして『折れた竜骨』も容疑者を集めた最後の見せ場で、このホームズの推理法を使っている。

 これはあたしとしては認められない。

 結城もあたしの言葉の意味がわかったのだろう、苦笑しつつも頷いている。


「なるほど、それでか。それにしてもホームズにまで噛みついていたら、本格マニアも読むものがないだろうに。

 ……そういえばこんな会話が、なにかのミステリでなかったか?」


「有栖川有栖の『月光ゲーム』だよ。モチさんと信長さんの会話。もっともモチさんが噛みついていたのはホームズじゃなくてヴァン・ダインとクリスティだけど」


「よく覚えているな」


 さすがの結城も驚いている。

 もっともあたしにすれば大したことではない。学生アリスシリーズは本がボロボロになるまで読み返している。

 このシリーズに登場するモチさんこと望月周平さんは、密かにあたしの憧れの人だ。偏狭的な本格マニアでクイーン愛好者と、あたしとまるきり同じなのである。

 もっとも彼は探偵役ではなく、むしろ間違った推理を開陳する狂言回し的な役目であるが。

 もちろん探偵役の江神二郎さんのことは、モチさん以上に好きだったりする。


「それじゃあ『王とサーカス』については何が不満だ?」


「そっちは単純。あれって動機探しファイダニットが主題じゃない。あたしが好きなのは犯人捜しフーダニットだもの。真犯人もすぐにわかるし物足りない」


 『王とサーカス』は『さよなら妖精』から十年の歳月を経た、太刀洗たちあらい万智まちが主人公だ。

 長編だし、探偵役である主人公が女性というのは米澤穂信としては珍しい。

 ネパールのカトマンズで取材をしていた太刀洗が、王族殺害の事件に遭遇することから物語は始まる。

 急遽その取材を始めた太刀洗だが、背中にINFORMER(密告者)と刻まれた知り合いの軍人の死体を発見するのだ。

 この小説の謎は一点に集約される。

 犯人は何故、INFORMERと刻んだのかだ。


「まあフーダニットとして物足りないのはわかる。鈴木が言うとおりそれは主題じゃないしな。それで肝心の動機のほうはわかったか?」


「いいや、わからなかった。何て言えばいいんだろ、建前というか犯人のミスリードの動機はわかったけどさ。結城はどうだった?」


 結城はそこで心持ち身を乗り出すようにした。


「もし『王とサーカス』が米澤穂信で最初に読んだ小説なら、俺もわからなかっただろう。だが鈴木の言うところの建前の動機に違和感を覚えたんだ。「この作者がこんな綺麗事を結末にするか?」とな。

 そこからはメタ推理になるが、この物語で後味の悪さとはどういうものかを考えた。そこで真実の動機に気がついた。

 その時は鳥肌が立ったな。俺は『王とサーカス』は古今東西のファイダニットで最高傑作だと思っている」


「……それは高評価だわね」


 なるほど。あたしと結城はおもしろいと思うポイントが違うのだ。

 あたしは本格ミステリに論理的パズルとしての推理を求める。それが最も楽しめるのがフーダニットだ。

 結城はもっと広く構えている。だからストーリーや動機が優れていれば、それで満足なのだ。

 しかし、とあたしは思う。


「『折れた竜骨』と『王とサーカス』についてはあたしも認める。世間的にも高評価だしね。だけど『クドリャフカの順番』だけは譲れないわよ! あれのどこが良いのよ?! あんなのを推理するなんて無理でしょ!」


 ここまできたら周りに気を遣ってなどいられない。

 あたしはテーブルを叩かんばかりの勢いで結城に詰め寄った。


「ああ、謎解きに関しては俺もまったくの同感だ。あんなのを解決できるのは探偵じゃなくてエスパーだけだろ。動機に関してもあれだけ大掛かりなことをやったにしては肩すかしだ」


 肩すかしを食らったのはあたしもだ。


「じゃあなにがおもしろいの?」

「それこそ単純だ。読んでいて楽しいんだよ」

「楽しいって……」


 思いもよらなかった答えに、あたしは完全に毒気を抜かれた。

 脱力して椅子に沈み込むあたしを見て結城は笑っている。


「推理することを放棄すれば、あの小説はおもしろくないか?」

「……そんなの、考えたこともなかったわ」


 『クドリャフカの順番』は本一冊が丸ごと、高校の文化祭を描いている。

 その文化祭中に各部活から次々と物が盗まれるという事件が起こる。奇妙な犯行声明を残す犯人の目的とその動機は何か?

 それを古典部――主に折木奉太郎が解き明かすわけだが……。


 手掛かりから犯行の法則は割り出せる。ミステリを読みなれた人なら犯行目的にも気がつくかもしれない。あたしはそこが限界だった。

 もちろん犯人に辿り着ける読者もいるだろう。読み返せばたしかに伏線はあるし所詮は小説だ、登場人物は限られている。

 問題は動機だ。

 結城が言ったことは正しい。あんなのをわかるのはエスパーだけだ。


 ミステリとしての出来が悪い。それが『クドリャフカの順番』だ。

 これは誰が何と言おうと、あたしは考えを変えるつもりはない。

 しかし結城の言うように推理することを放棄すれば、文化祭の描写は楽しいし、才能というものに対しての諦めや期待という人間ドラマもある。

 青春小説という意味では優れているのかもしれない。


「まあ、言わんとすることはわからなくもないけど……」


 あたしが力なく呟くと、結城は慰めるように笑う。


「推理から離れて読み返してみろよ、楽しいぞ。俺は同じ本を何度も読むほうじゃないが、あれは繰り返し読んでいるな。

 それにしても――」


 結城はそこで真剣な表情になる。


「シリーズを含めていいのなら、米澤穂信の代表作は間違いなく古典部シリーズだ。デビュー作でもあるし、既刊だって六冊も出ている。アニメにもなって知名度、売り上げという点でも圧倒的だろう。

 しかし古典部シリーズのミステリとしての評価は低い。ランキングでも上位に入った作品はないはずだ」


「うん。初期のはまったくだし、最近のでも二十位以内がなんとかって感じだったと思う」


「ひょっとしたらシリーズの完結はないかもな」


「はあっ!?」


 これは今日一番の驚きだった。

 あたしも古典部シリーズはミステリとしての出来はイマイチだと思っている。それでも愛着はあるし、続編が出るのを心待ちにしていた。


「なんでそうなるの?」


「米澤穂信も古典部もメジャーになりすぎたんだよ。そうなると下手なものは書けなくなるんだ。さらに代表作なのにミステリ的評価は低いとなると、余計にプレッシャーがかかっているはずだ。

 そもそもノンシリーズでの短編は数多く出しているんだ。そのネタを古典部に使ってもいいのに、そうはしていない。

 版元は儲けにうるさい角川だし、京アニの事件があったから今後はわからないが、アニメ二期の話だってあったはずだ。相当せっつかれていることが想像できるんだけどな。それでも刊行ペースは上がらない。

 このまま尻切れで終わる可能性は低くないと思うぞ」


「あー、似たようなこと聞いたことがある。有栖川有栖が火村英生シリーズはどんどん書けるのに、学生アリスシリーズが書けないのは、読者の期待値が高すぎるせいじゃないかって……」


 あたしと結城は押し黙り、それぞれの考えに沈んだ。


「まあ、俺たちが心配してもどうにかなることじゃない。そろそろ行くか」

「そうかもしれないけど、楽しみにしている本が出ないのは悲しいよ」


 結城が席を立つのに続いて、あたしも立ち上がった。


「遅くなったな。送っていく」

「あ、うん。ありがと……」


 あたしは結城の背中を見ながら思った。

 随分とたくさんの話をした。しかも全部ミステリに関してだ。

 楽しいひと時はあっという間だ。

 今度はいつこういう時がくるだろうか。

 出来れば毎年――。


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