12月
番外編6【12月2日その1】年末恒例ミステリランキング談義
「鈴木が奥に座れよ」
結城がそう言って手前の椅子に座ったので、あたしは素直に壁側のクッション席に腰を下ろした。
こいつのこういうところは気障だと感じる時もあるけれど、対象が自分だと悪い気はしない。思わず口元が緩みそうになるのを必死に抑えた。
「どこまで話した?」
結城がドリンクを一口飲むと聞いてくる。
「海外は『メインテーマは殺人』でアンソニー・ホロヴィッツが二年連続で三冠を獲得するだろうっていうのと、
ウィンズロウ、シーラッハ、ルメートル、ジェフリー・ディーヴァーあたりも当然のように入ってくるだろうけど、そこらの常連ってあたしはもう切っていて読んでないんだよね。だから国内編に話を移そう」
「国内は翻訳以上に鈴木から借りたのしか読んでいないぞ。俺から掘り出し物を聞き出そうっていうのなら無理だからな」
「わかってるって、要は答え合わせみたいなものよ。評価がいっしょならそれでいいし、違うならそれについて議論しよう。一位はなんだと思う?」
結城は考えるように腕を組んだ。
あたしはそれを見ながらフライドポテトを一本つまむ。
高校生の男女が学校帰りにファーストフードに寄っている。傍から見ればよくある光景だろうが、あたしからすればこれ以上ない至福のひと時だった。
霧乃宮高校では先週に期末テストがあった。
これで二学期の学校行事はほとんどが済んで、あとは冬休みを待つだけだ。今のあたしは肩の荷が下りて解放感に満ちている。
そしてミステリファンにとってこの時期は、一年で最も楽しみにしているイベントがある。各ミステリガイドブックから年間ランキングが発表されるのだ。
俗にミステリ三冠と呼ばれる文藝春秋『週刊文春ミステリーベスト10』、宝島社『このミステリーがすごい!』、原書房『本格ミステリ・ベスト10』である。
歴史と権威があるのは『文春』だが、世間的には『このミス』の知名度が一番高いだろう。書店でも『このミス』のランキングで棚を作っているところが多い。
そもそも『このミス』は『文春』のアンチテーゼとして生まれたという。
出版社寄りで読者の声とは乖離した『文春』の順位に異を唱え、各ミステリ愛好会や、ミステリ作家を多数輩出している有名大学の推理小説研究会など、ミステリマニアからアンケートを集計して順位を付けたのが『このミス』だ。
以前は書評家による匿名座談会という名物企画もあって、かなり過激なことを言っていた。そのコーナーでは作家や新聞のコラム欄と喧嘩までしている。
もっとも時代の流れもあるだろうし『このミス』がメジャーになりすぎたせいか匿名座談会もなくなり、内容も全体的に丸くなってしまった。それでもあたしはバックナンバーを古本で買って全部揃えている。
ただ『文春』もアンケート対象を広げたりして、最近では両者のランキングが似たものになっている。ミステリファンとしてはちょっとつまらない。
ミステリ三冠の最後のひとつが通称『本ミス』だが、これの知名度はあまり高くないと思う。もっともあたしにとってはこれこそが本命である。
その名の通り本格ミステリに絞ってランキングをつけているのだ。あくまでも論理的な謎解きが主眼となっているミステリのみが対象で、ハードボイルドや警察小説、ホラーやサスペンスなどは除外される。
エラリイ・クイーンを愛する本格マニアのあたしとしては、まさに求めているものだ。
十二月に入って霧乃宮市街もクリスマスイルミネーションが本格的に飾られ始めている。
それを眺めながらいつものように結城といっしょに下校していたのだが、もうすぐ発表されるランキングについて熱く語っていたので、駅についても話が終わらなかった。
さすがに外で立ち話をするには寒い季節だ。後ろ髪を引かれながら別れようとすると結城が「どこか中に入って話の続きをするか?」と聞いてきた。
もちろん二つ返事で頷いた。
四月からずっといっしょに帰っているが、二人きりで飲食店に入るのは初めてのことだ。出来れば落ち着いた雰囲気の喫茶店か、せめてちょっと高めのコーヒーチェーン店ぐらいには入りたかったのだけれど、
「おまえは絶対興奮してでかい声を出すだろうし、金の無駄だ」
結城はそう言って即座に却下した。
大きい声を出しそうなのはその通りだし、ケチくさいとも思わなかった。
あたしも結城も、飲み食いをするお金があるなら本を買うという価値観で一致している。今日ぐらいはとも思うが仕方がない。
そんなわけであたしたちはファーストフードの席で向かい合っていた。
結城が組んでいた腕をほどいた。
「デビュー作に比べると若干スケールダウンしたが、今村昌弘の『魔眼の匣の殺人』が今回も三冠を獲るんじゃないか?
少なくとも『本ミス』の一位は間違いないだろう」
「やっぱりそうだよね!」
あたしは大声をあげて思わず立ち上がった。
慌てて口を塞いで周囲を見回す。
カップルや女子学生グループ、スマホで通話中のサラリーマンなどが、驚いたり、迷惑そうな表情でこちらを見ている。
あたしは顔を赤らめながら謝罪するように頭を下げた。
正面に目を移すと結城が「ほら、みろ」と言わんばかりの顔をしている。
悔しいが何も言い返せない。
結城はそのことについては追及せずに話を続けた。
「二作続けて特殊条件下での
特殊設定という意味では西澤保彦に通ずるものがあるが、より本格色が強いし、純粋なフーダニットだ。本格マニアにとってはたまらないんじゃないか?」
あたしは「うん、うん」と激しく頷いた。
結城の言葉に完全に同意だ。
今村昌弘は一昨年、鮎川哲也賞受賞作の『屍人荘の殺人』でデビューして、いきなりミステリ三冠という快挙を成し遂げた期待の新人作家だ。
映画化もされて、たしかそろそろ封切られるはずだ。
その作者の待望の新作が『魔眼の匣の殺人』で、これが前作に劣らない出来だったのだ。
あたしは驚き、そして狂喜乱舞した。なぜならプロのミステリ作家でも、フーダニットを書くことは難しいとされているからだ。
一口に本格ミステリといっても種類がある。フーダニットは密室物やアリバイ崩しと違って、トリックさえ浮かべば書けるというものではない。
純粋なフーダニットを書ける作者は少ないし、どうしても寡作になる。
したがって今村昌弘が二作続けてハイクオリティな作品を書いたことは、本格ファンにとってはまさに感涙ものなのである。
その作品の特徴として特殊設定というのがある。
今回の『魔眼の匣の殺人』では、預言者とされる老女が口にした「あと二日のうちに、この地で四人死ぬ」という予言がそれである。
この老女はいわゆる本物と噂されている人物であり、その言葉どおりに一人が死ぬ。ところがその場にいた女子高生までもが自分も予知能力を持つと告白し、どうやら彼女の能力も本物らしい――という展開だ。
もちろん舞台はクローズド・サークルであり外部との接触はできない。その状況下で登場人物たちは避けられない予言に怯えつつ、犯人捜しをするのだ。
本格ファンにとってはたまらない設定だった。
「今村昌弘が一発屋じゃなくてホントよかった。これで国産フーダニットにも楽しみができたわよ。有栖川有栖はいつまで待っても学生アリスを書いてくれないし、青崎有吾だって裏染天馬シリーズを書かないで、アンデッドガールやノッキンオンに逃げているしさ」
「それだけフーダニットを書くのは難しいんだろ。好きな作者ぐらい、温かく見守ってやれよ」
結城が苦笑する。
もちろん理性ではわかっているが、欲望を抑えるのは難しいのだ。それだけ本格ファンは飢えているのである。
そこであたしは今村昌弘のデビュー作について、どうしても吐き出したい不満があるのを思い出した。それについて結城はどう思っているのかも知りたい。
「そういえばさ『屍人荘の殺人』の特殊設定って、紹介文や帯でネタバレ厳禁と煽っているじゃない。あれって本当に必要?
あたし的にはむしろアレをバラして、そういう条件下のミステリだと言ったほうが興味を惹くと思うんだよね」
「俺もそう思う。鈴木の意見はミステリファンとしては至極真っ当だろうな。もっとも本を売る出版社の事情は別だ。販促だけを考えると妥当な判断だろうし、実際に成功している」
「どういうこと?」
すると結城は怒っているようにも、やるせないようにも見える複雑な表情を浮かべて口を開いた。
(※注意)
以降の文章で『屍人荘の殺人』における、出版社及び世間的にはネタバレとされている設定についての言及があります。
ネタバレが嫌な方は(※ここから続きをどうぞ)まで画面のスクロールをお願いします。
ただし、作者はこのネタバレ回避が無意味どころか弊害ですらあると思っています。これについては多くのミステリファンも同じことを言っています。
ネタバレとされていることを知っても『屍人荘の殺人』を読む楽しみが減ることは一切ありません。特にミステリをそれなりに読んでいる人ならば、まったく問題はないでしょう。
以上を了承のうえ続きをお読み下さい。
「ミステリファンには『屍人荘の殺人』がパンデミックでの、ゾンビによって周りを囲まれた山荘というクローズド・サークルは売りになる。
犯人も被害者もいつゾンビに襲われるかもしれないという状況下で、何故わざわざ殺人事件を起こすのかという
そしてゾンビがいる状況だからこその、
だが普段ミステリを読まない人間には、そういった複雑なおもしろさは伝わらないんだよ。それなら「この小説には実はゾンビが出ます。でもみんなには内緒にしてね」という風にアピールしたほうがキャッチーだしインパクトがある。
もっともタイトルからして屍人荘だし、プロローグでパンデミックを匂わせているから作者は隠すつもりはなかったと思うけどな」
結城はそこで言葉を切ってドリンクを飲んで喉を濡らした。
そしてどこか投げやりな感じで続けた。
「鮎川哲也賞受賞作だからと無条件で買う本格マニアなんて全国で一万人もいないだろう。ゾンビに囲まれたクローズド・サークルを提示して興味を持つミステリファンが多くて二万、合わせて三万人だな。つまり狭義のミステリ読者なんてそれくらいしかいないと思っていい。
じゃあミステリをもっと売るにはどうすればいいのかというと、作者買いをしているような広義のミステリ読者や、ほとんど本を読まない層にも買ってもらうしかないわけだ。なにしろ日本人の千人に一人が買えばそれだけで十万部のベストセラーだからな。
そうすると出版社としては、ネタバレ厳禁の煽りで一般層にアピールしたほうが得策だと考えるわけだ」
(※ここから続きをどうぞ)
あたしは結城の話を聞いてため息をついた。
「……それってさ、本を売るために純粋なミステリファンは切り捨てて、一般受けを狙ったってことだよね?」
結城が静かに頷くのを見て、あたしは悲しくなった。
この一年間、結城と会話をしていてわかったことは、のっぴきならない出版不況と、出版社のなりふり構わない本の売り方である。
それで割を食うのは本を愛する者たちだ。
もちろん商売だから儲けなくてはいけない。愛で空腹は満たされない。それはわかるが、もう少し本と本読みに愛情を持って欲しい。
あたしたちはしばらく無言でポテトを齧っていたが、結城が気を取り直すように口を開いた。
そうだった、ランキングの話はまだまだこれからなのだ。
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