第68話【11月21日その2】先輩の賭け


 結城先輩が文芸部を廃部にしようと思っていた?

 到底信じられない。

 しかし結城先輩は驚愕しているわたしをよそに淡々と言葉を続ける。


「正確には積極的に廃部にしようとはしなかったが、廃部になっても構わないし、それが当然だと思っていたんだ」

「何故ですか?」

「霧乃宮高校の文芸部に愛想を尽かしたからだよ」

「それは去年の事件があったからということでしょうか?」


 結城先輩はそれには答えずに前方へと視線をやった。

 続々とゴールしてくる男子生徒でグラウンドは賑やかになってきている。

 先程見ていた運動部の集団にも人が加わっている。全員が頭を下げて挨拶をしているところをみると、新たに来た人は三年生らしい。

 マラソン大会は全校生徒参加なので、受験生である三年生も走っているのだ。

 結城先輩は一年生から三年生までが揃ったらしい集団を見つめながら、静かに口を開いた。


「もちろん事件のこともあるが、単純にここ数年の文芸部に存在意義があるのか疑問だったんだ。有村は『星霜』のバックナンバーをどれぐらい読んだ?」


「すみません。去年と一昨年のしか読んでいないです……」


「俺は全部ではないが、かなりの数を読んだ。そこで気づいたのは最近になるほど出来が悪い――と言うと少し語弊があるか。熱量が無いと感じたんだ。

 単純に寄稿者の数が減っているというのもあるが、内容に当たり障りがなくなっている。技術的な部分はそこまで変わらない、むしろ最近のほうが上手くすらある。それでも昔のほうが作者の想いがはっきりと伝わってくる。完成度は低くても印象に残る作品が多いんだ」


 結城先輩は小さく息をついた。その表情はどこか寂しそうに見える。


「まあ当然だろうな、今の時代は情報も選択肢も多すぎる。それが創作にも反映されるんだ、良くも悪くもな。

 話を戻すと、ここ数年の星霜はつまらないというのが俺の正直な感想だ。没個性で、あっと驚くような作品がない。

 もちろん一昨年の遠野先輩は別だが、その遠野先輩も才能はともかく部員としての在り方には疑問が残る。もちろん今の三年の彼女たちが褒められた部員じゃないのは知ってのとおりだ。

 そして偉そうなことを言っている俺もそうだ。俺も鈴木も文化祭前までは幽霊部員だったし、その後だってまともな活動はしなかった」


 そこで先輩はわたしを見て皮肉気に笑った。


「おそらく霧高の文芸部が読み合いをしたのは今年で三年ぶり、ひょっとしたらもっと間が空いているかもしれない。県内トップの偏差値と伝統を誇る学校の文芸部としては悲劇的状況だと思わないか? いや、喜劇かもな」


 わたしが返事ができずに結城先輩を見つめていると、先輩は笑いを納めて真剣な表情になった。


「有村も知っていると思うが、霧高には積極的に活動している同好会が数多くある。やる気のない人間しか集まらない文芸部なんか廃部にして、そういったところを部に昇格させるべきだと思ったんだよ」


 わたしはやはり何も言えずに黙ったまま結城先輩を見つめていた。すると先輩が唐突な質問をしてくる。


「新入生に配った部活動紹介の冊子、あれの文芸部の紹介文を覚えているか?」

「はい」


 短い文だから今でもはっきりと覚えている。


『主な活動は文化祭に出品する文集制作

 普段は本を読み語らう部活です

 本を愛する方お待ちしています。  放課後に図書準備室まで』


 たしかこうだったはずだ。


「随分とやる気のない紹介文だと思わないか?」


 それは否定できない。なにせわたしが文芸部を選んだのも、この紹介文のシンプルさにある。これを見てサボっても大丈夫そうなゆるい部だと思ったのだ。

 他の部はホームページや動画紹介のURLが書いてあったり、少なくともページ全体が埋まるように書き込んでいた。


「あれは俺たちの賭けだったんだ」


「賭け――ですか?」


「そうだ。あれを見て新入部員が入らなかったり、入っても幽霊部員なら俺たちの代で文芸部を廃部にするつもりだった。ただし見学にきた新入生にはちゃんと実情を話してできる限りのフォローを約束する。少なくとも無下にあしらうようなことはしない。そう鈴木と相談して決めた」


 たしかに先輩たちの行動はそのとおりだった。


「でもそんなに簡単に廃部が決まるものですか?」


「簡単だよ。文芸部の活動実績は文化祭の文集制作だけだから、それさえ出さなければ翌年の予算対象から外されて廃部が決定する。もっとも鈴木はそこまで積極的じゃあなかった。俺が半ば強引に決めたんだ。

 賭けの結果は知ってのとおりだ」


 結城先輩はわたしを見て笑った。

 しかしわたしは笑い返せなかった。はっきり言ってショックだった。結城先輩がそんなことを考えていたとは。


 そこで「おーい」という聞き馴染んだ声がした。

 振り向くと早苗先輩と亜子ちゃんがこちらへと歩いてくる。もっともそのスピードはゆっくりだ。二人ともわたしと同様に疲れ果てているのだろう。

 結城先輩がそれを見て、こちらから迎えに行こうと歩き始める。

 わたしはそれを呼び止め、振り返った先輩に尋ねた。


「賭けということは勝ち負けがありますよね。結城先輩にとってさっきの賭けは勝ちだったのでしょうか? それとも負けでしたか?」


 結城先輩は一瞬だけ鋭い眼差しでわたしを見つめて――微笑んだ。


「もちろん勝ちだ。それもこれ以上ないぐらいの大勝だ。なにせ優秀で、心から本を愛する新入部員が二人も入ったんだからな」


「……本当に、そう思ってくれていますか?」


「思っているさ。今でも文芸部を廃部にしようと考えたことは間違っていないと思っている。でもそうならなくてよかったと本当に思う。だから有村たちには感謝している。俺は今の文芸部が好きだからな」


 結城先輩はそう言うと歩き出した。

 早苗先輩と亜子ちゃんが合流して声をかけてくる。


「ゴール手前で亜子に会ってさ、せっかくだから二人仲良くゴールしたの」

「嘘です。早苗先輩は約束を破ってラストスパートしたんですよ」


 亜子ちゃんは頬を膨らませたが、すぐに笑顔になった。


「でも抜きかえしました」

「やっぱり歳とると駄目だね。若い子には勝てない」

「何をやってるんだおまえは」


 三人は楽しそうに話している。

 わたしは深呼吸をすると助走をつけて走り出した。

 そして最後は少しジャンプして、結城先輩の背中に体当たりをする。

 不意をつかれた先輩は前へとつんのめった。

 思い切りぶつかったわけではないけれど大丈夫だったろうか?

 驚いたように結城先輩は振り返り、わたしの一連の動きを見ていた早苗先輩と亜子ちゃんは目を丸くしている。


「瑞希、あんたなにしてるの?」


 三人の視線を受けてわたしは曖昧に笑う。


「えーっと、なんていうんでしょう。部活の先輩と後輩のスキンシップみたいなものです」


 早苗先輩と亜子ちゃんは、意味がわからないというように目を瞬いていたが、結城先輩は不敵な笑みを浮かべた。


「なるほど。ということは当然、俺がお返しをしてもいいわけだな」

「そう――なるでしょうか」


 わたしは後ろを向いて逃げ出した。

 しかしマラソンを完走した直後だ。足はガクガクでまともに走れない。すぐに背後で結城先輩の声がした。


「どうした? 早く逃げないと捕まるぞ」


 いじわるだ。

 体力の限界だからむしろ今すぐ捕まえて欲しい。

 でもわたしは最後の力を振り絞ってさらに逃げた。

 そして逃げながら思った。

 先輩たちが文芸部を守ってくれて、そして続けてくれたことに感謝する。

 結城先輩が今の文芸部が好きだと言ってくれて嬉しい。

 わたしも霧乃宮高校文芸部が好きだ。

 結城先輩と早苗先輩と亜子ちゃんがいる文芸部が大好きだ。

 この文芸部がずっと続けばいいと思っている。


 息が苦しくてもう走れない。

 そう思った時。

 結城先輩がわたしの腕を優しくつかまえた。


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