第64話【10月31日その2】わたしの名前を憶えていてください


 わたしは立ち上がると、去年まで文芸部員であった彼女たちを見据えた。


「あなたたちが口からでまかせを言って、先輩たちを貶めようとしていることはわかりました。わたしたちは聞く耳を持ちません。今すぐに出ていってください」


 そばかすさんはわたしの態度が気に食わないのだろう、あからさまに睨みつけてきたが、長髪さんの様子は変わらない。むしろそれが不気味だった。

 その彼女が落ち着いた声を出す。


「ヤリ部屋っていうのは嘘よ。正確に言えば何をしていたのかなんてわからない、ということだけどね。ただあいつらが御大層な文学理論をひけらかせて、わたしたちの読む本にケチをつけたのは本当よ。あんたはそれが嘘だと証明できる?」


「……それは悪魔の証明です。先輩たちがそんなことを言ったというのなら、それを証明してください」


「残念ながらボイスレコーダーを常備していたわけじゃないからね。じゃあ聞くけどさ、あいつらはすべての本を肯定しているの? あんたたちはあいつらが特定の作品を否定したところを聞いたことがないの?」


 わたしは言葉に詰まった。

 あたりまえだが、先輩たちはすべての本を肯定などしていない。むしろ評価は厳しいほうだろう。

 それでも「くだらない」とか「どうしようもない」と言ったりはしない。ましてや他人が「好き」「おもしろい」と言っている本を否定したことはない。


「……たしかにすべての本を肯定はしていません。だけどあなたたちが読む本にケチをつけたというのも信じられません」


「それが洗脳されてるっていうのよ。後輩に対しては良い先輩の振りをしているだけ。あいつらは自分たちの思い通りになる文芸部が欲しかった。だからそれが叶ったら良い子ぶるのは当然でしょ」


 わたしはため息をついて首を振った。

 これではどこまで行っても平行線だ。


「そもそも今日ここに来た目的は何ですか?」


「だからあんたたちが騙されていることを教えにきてあげたのよ。べつに恩に着せるつもりはないけど、優しいと思わない?」


「それなら余計なお世話だとはっきりと言っておきます。わたしたちは先輩たちになら騙されてもいいと思っていますので」


 隣で亜子ちゃんが大きく頷いた。


「……ふーん。やっぱりよく躾られてるね」


 長髪さんは肩をすくめると立ち上がった。そばかすさんも続けて立ち上がる。

 そのままドアの方へと歩き出そうとしたところで振り返った。


「そういえば今年の文集、評判悪いよ」


 わたしは反射的に言い返そうとしたが、それを堪えた。

 そんなわたしを見て長髪さんが薄い笑みを浮かべる。


「そもそも小説だけっていうのがありえないし、なによりあのありきたりなテーマはなによ?

 ひょっとしたら中身はマシなのかと思ったらパクりばっかりじゃない。偉そうなこと言ってたくせに、その程度なのかってあいつらに伝えといて」


 安っぽい挑発なのはわかっていた。

 だけどみんなであれほど頑張って作った『星霜』を馬鹿にされるのは、耐えられなかった。

 わたしは気づいた時には口に出していた。


「完結していない小説を載せた人が、偉そうなことを言わないでください」


 それを聞いて長髪さんの顔つきが変わった。

 能面なような表情に眼だけが異様にギラついて鋭い。

 彼女は長机を回ってくると、わたしの前に立った。


「どうせ寄稿するだけで他の実務作業なんかやらなかったくせに、舐めた口を利くんじゃないわよ」


 彼女の顔はわたしの目の前にあった。お互いの鼻がくっつきそうなくらいだ。

 そしてその眼には激しい怒りがあった。

 彼女の言葉がわたしの大切な部分に突き刺さったように、わたしの言葉は彼女の最も痛い部分を刺したようだった。

 逃げ出したいぐらいに怖かったが、引くわけにはいかない。

 わたしは視線を逸らさずに睨み返す。


「たしかにわたしは何もしていません。でもそれで構わないと思っています。優秀な先輩に頼るのはあたりまえで、自分がその立場になったら返すつもりです」


「開き直るんじゃないわよ」


 彼女の口調も先程までとは違っていた。

 なによりもその視線に鬼気迫るものがあり、わたしは歯を食いしばって何とか耐えていた。ひょっとしたら殴られるかもと思っていた。

 それを心配したように、亜子ちゃんがわたしのすぐ横にきてくれる。


 そのまま長いあいだ睨み合っていたが、彼女は突然、馬鹿にしたような笑い声をあげた。


「あんたの喋り方や物腰、誰かに似ていると思ってたけどあいつじゃない。あのすかした奴、結城って言ったっけ?

 随分と影響を受けているじゃないの。あのミステリ馬鹿だけじゃなくて、あんたもあいつに惚れてるんだ?」


 抑えようとしても顔が赤くなるのが隠せなかった。

 彼女の言葉はわたしのもうひとつの大切な部分にも刺さったのだ。


「なんだ、いままでは違ったけどこれからヤリ部屋になるんじゃない。せいぜい見つからないようにしてよね。先輩として恥ずかしいから」


 長髪さんだけでなく、そばかすさんも下卑た笑い声をあげた。

 わたしは思わず手を振り上げる。

 しかしそれを下ろすことはできなかった。

 長髪さんはその手を見上げて余裕の笑みをこぼす。


「殴るならやれば? 大丈夫、学校にチクるとかダサいことはしないから。むしろあんたにそんな根性があるのなら、先輩として褒めてやるわ」


 そこまで言われても殴れなかった。

 べつに処分を受けるのは恐くない。だが、これまで人を殴ったことなどないし、今後も自分が誰かを殴れるとは思えなかった。

 勝ち誇った笑いを残して、彼女たちが図書準備室から出ていこうとする。

 その背にわたしは声を張り上げた。


「わたしは作家になります!」


 あまりにも唐突な言葉に、あっけにとられたようにふたりが振り返った。

 彼女たちでなく、隣に立つ亜子ちゃんも驚いたようにわたしを見ている。

 当然だろう、何しろ発言したわたし自身もびっくりしている。

 しかし自分の意志とは関係なく、わたしの口は動き続けた。


「わたしは作家になって小説を書きます! そこに出てくる無節操で破廉恥で卑劣なキャラクターにあなたたちの名前を付けます! 世間にその名前が広まって、自分が同じ名前なのを恥じてください! それがわたしの殴り方です!」


 あっけにとられて口を開けていたそばかすさんが、大声で笑い出した。

 わたしは先程よりも赤くなっていた。自分でも何を馬鹿なことを言っているのだと思う。笑われて当然だった。

 ところが長髪さんは笑っていなかった。

 目を大きく見開いてわたしのことを見つめている。


 彼女はしばらくしてから俯くと、今度はその体勢のまま動かない。

 そばかすさんも何か変だと思ったのだろう、笑うのをやめて不安そうに彼女を覗き込む。

 わたしも心配になってきた。彼女の様子はあきらかにおかしい。よく見れば細かく震えているのだ。


「――――偉いの?」

 

 長髪さんが何事かを呟いたが、声が小さくて聞こえなかった。

 わたしが一歩近づこうとすると彼女は顔を上げて叫んだ。


「少しぐらい文章が書けるのが、そんなに偉いのかって聞いてるのよ!!」


 わたしは何を言われたのかわからずに立ち止まった。


「どいつもこいつもちょっと書けるからって、人を見下すんじゃないわよ!!」


 書ける? 見下す?

 やはり彼女が何を言っているのかわからない。

 長髪さんはその長い髪を振り乱すようにして叫んでいる。それは怒っているというより、泣いているように見えた。


「ひとつ上はまともに会話もできないコミュ障のくせにプロみたいな文章を書いて、ひとつ下は口が達者なクソ生意気な連中で何でも書ける。

 そしてあんたは作家になるとか言ってる。

 なんなのよ! 文才がないと文芸部に入っちゃ駄目なわけ!? わたしだって必死にやったわよ! 凡人は自分の好きな本を読むことさえ許されないの!?」


 びっくりした。彼女が何を言っているのかおぼろげながらわかったからだ。

 おそらく長髪さんは自分に才能がないことを嘆いている。そして彼女が関わった他の文芸部員の才能を羨んでいる。

 しかし、遠野司さんは別格としても、他の人たちにそこまで差があるとは思えなかった。ましてやわたし自身に才能があるとは思えない。作家になると言ったのは単なる勢いだ。彼女がそれを真に受けたことが信じられなかった。

 そして思い出したことがあった。


「謝っていました」


 わたしがそう言うと、長髪さんとそばかすさんが怪訝そうにこちらを見る。


「遠野先輩に文化祭で会ったんです。お二人に「至らない先輩でごめんなさい」と伝えてくれと、そう仰っていました」


 ふたりは雷に打たれたように体を強張らせて動きを止めた。

 そして憑き物が落ちたように力なくドアへと歩いていく。

 わたしはその背中に静かに声をかける。


「有村瑞希です」


 彼女たちは戸惑ったようにわたしを見た。


「わたしの名前です。作家になってもペンネームは使いません。だからこの名前を憶えていてください」


 長髪さんは泣き笑いのような表情を浮かべると、図書準備室から出ていった。

 それを見送って、わたしは崩れるように椅子へと座り込んだ。

 亜子ちゃんも同じようになっている。

 やはり気を張っていたのだろう。とても疲れていた。



 しばらく休んでからやっと口を利けるようになった。

 亜子ちゃんと「怖かったね」と笑い合う余裕もでてきた。

 そして相談をして、この事は先輩たちには言わないでおこうと決めた。余計な心配をさせる必要はない。

 亜子ちゃんにはわたしが口走った「作家になります」を絶対秘密にしてくれるようにも頼み込んだ。

 亜子ちゃんは頷いてくれたが、真剣な表情でわたしを見る。


「でも瑞希ちゃんなら作家になれると思うよ」


 わたしは笑いながら否定したが、亜子ちゃんは笑わなかった。


「あの先輩もそう思ったんじゃないのかな? だから瑞希ちゃんの言葉にあんなにショックを受けたんだと思う」


 そんなことがあるだろうか?

 もちろん星霜は図書室にも置いてあるから、読もうと思えば簡単に読めるし、長髪さんの言葉からはみんなの小説を読んでいたことがわかる。

 ただ、もし万が一わたしが作家になれたとしても、彼女たちの名前を言ったように使う気にはなれなかった。

 彼女たちのすべてを許したわけではないが、その気持ちも少しわかるのだ。


 遠野先輩も結城先輩も早苗先輩も、気軽に付き合える人たちかというと違うと思う。みんな良い人だが、それなりの覚悟を持って接する必要がある。そうしないとその存在の大きさに圧倒されてしまうのだ。

 人によっては疲れると感じるだろう。

 彼女たちには彼女たちなりの理想の文芸部があったのだ。それはもっと気楽な雰囲気の部だったのかもしれない。それを否定することなどできない。

 それを亜子ちゃんに伝えると、微笑みながら頷いてくれる


「あの先輩たちの名前は、良い登場人物に付けてあげれば喜んでくれると、わたしも思うよ。だからわざわざ名前を教えたんでしょう?」


 なるほど。わたしの親友はすべてをお見通しなのだ。

 先輩たちに会いたいと呟くと、亜子ちゃんがわたしもと返事をした。


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