第63話【10月31日その1】予期せぬ来訪者


 二年生の修学旅行も三日目。

 先輩たちのいない図書準備室に慣れることはないが、亜子ちゃんと顔を見合わせて照れ笑いをする回数は減った。

 昨日はわたしの発言でおかしな空気になってしまったので、今日は真面目に読書に励んでいる。


 わたしが読んでいるのはジャック・フィニイ『ふりだしに戻る』で、これは結城先輩が貸してくれたものだ。

 実はここ一ヶ月ほど、わたしは時間を題材にした小説を読んでいる。

 きっかけは今年の『星霜』のテーマとなった『時間ときにまつわる物語』について、結城先輩がそのパターンを説明したことだ。

 例としてあげられた小説をわたしが読んでみたいと言うと、結城先輩が持ってきてくれたのだ。


 H・G・ウェルズ『タイム・マシン』、ロバート・A・ハインライン『夏への扉』、ケン・グリムウッド『リプレイ』、桜坂洋『All You Need Is Kill』、高畑京一郎『タイム・リープ あしたはきのう』の五冊。

 『タイム・マシン』に関してはさすがに古さを感じたけれども、どれも素晴らしいおもしろさだった。


 わたしが他にも時間設定を学べる小説はないかと尋ねると、結城先輩はさらに五冊を貸してくれた。

 ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』、広瀬正『マイナス・ゼロ』、北村薫の「時と人」三部作『スキップ』、『ターン』、『リセット』である。

 やはりどれも抜群のおもしろさで、わたしは子供がお菓子をねだるように、他にもありませんかと頼んだ。


 そして貸してもらったのが浅田次郎『地下鉄メトロに乗って』、宮部みゆき『蒲生邸事件』、鶴田謙二『サマー/タイム/トラベラー』、古橋秀之『ある日、爆弾がおちてきて』、ジャック・フィニイ『ふりだしに戻る』だったのだ。

 途中で早苗先輩から借りた十二国記の新刊を読んだりもしたが、時間にまつわる物語漬けの一ヶ月だった。

 自分の小説を書く前にこれらを読んでいれば、もっと良いものが書けた気がする。


 そして他にも気づいたことがある。

 結城先輩は「お薦めの小説を教えてください」と頼んでも応じてくれないが、具体的に「こういう小説はありませんか?」と聞けば貸してくれるのだ。

 もっとも今回は続けて要求をしすぎたらしい。

「自分で探すのも読書の楽しみなんだから、時間を題材にした小説についてはこれが最後だぞ」と釘を刺されてしまった。


 隣に座る亜子ちゃんが読んでいるのはサラ・ウォーターズ『半身』で、こちらは早苗先輩が「亜子は好きだと思う」と言って貸していたものだ。

 奇しくも揃って先輩たちから借りた本を読んでいる。

 ふたりとも先輩たちが恋しいのかなと思うと、ちょっとおかしかった。



 そんな風に読書に集中していたのだが、いきなり開いたドアによってそれが破られた。

 これにはわたしも亜子ちゃんもひどく驚いた。

 いつもの癖で鍵は外していたものの、先輩たちがいない今日は開くはずのないドアである。


 顔を覗かせたのは女子生徒がふたり。どちらも知らない人だった。

 同じ一年生なら顔ぐらいは見かけたことがあるはずだし、二年生は修学旅行中である。ということは三年生なのだろう。

 ひょっとしてハロウィンの余興かなと思ったのだが、彼女たちは「トリック・オア・トリート」とは言ってこなかった。

 そのまま中に入ってきたので慌てて声をかける。


「図書室でしたら隣のドアからですが」


 ひょっとしたら間違えたのかなと思って案内したのだが、わたしの言葉に彼女たちは馬鹿にしたような笑いで返すと、パイプ椅子に腰を下ろした。

 それを見て少しむっとしてしまう。

 普段はその椅子には先輩たちが座っている。もちろん椅子は学校の備品で誰かの物ではないが、やっぱりその場所は先輩たちの指定席という想いがあった。


「あの、なにか御用でしょうか?」


 亜子ちゃんの問いかけに、


「用がないと来ちゃダメなの?」


 と、やはり小馬鹿にしたような返事が戻ってくる。どうにも喧嘩腰で、こちらを挑発するような態度だった。

 困った表情の亜子ちゃんに代わって、わたしが硬い口調で答えた。


「いちおうわたしたちは部活中です。関係のない人にはお引き取り願いたいのですが」


「部活中なのは知ってるよ。でも関係ないはひどいんじゃない? うちらも文芸部員なんだけど」


 それを聞いてわたしと亜子ちゃんは声をあげた。

 このふたりが誰なのかわかったからだ。

 去年の『星霜』で名前の入れ替え事件を起こした、三年生の文芸部員が彼女たちに違いない。


 よりによって先輩たちのいない時にと考えて、それは違うと思い直す。

 彼女たちはあえて先輩たちがいない時を狙って来たのだ。そして結城先輩はこうなることを予想していた。

 だから部活を休んだらどうかと提案したのだ。具体的に言わなかったのは、わたしたちを不安にさせないようにだろう。杞憂に終わる可能性もあった。

 とにかく相手が誰だかわかれば心構えはできる。

 わたしはあらためて彼女たちを観察した。


 ひとりは少し明るめの髪色でショートカット。染めてはいないが脱色しているのかもしれない。

 平凡な顔つきの人だが、皮肉気な表情で自ら印象を悪くしている。そしてそばかすが特徴的だった。

 亜子ちゃんの愛する赤毛のアンをはじめ、そばかすのあるキャラクターは可愛いというイメージがある。

 ただ彼女の場合はチャームポイントと呼ぶには抵抗がある。もちろんわたしの先入観もあるからだろうが。


 もうひとりは剣のあるツリ目で損をしているが、美人と言えなくもない。

 しかし何といっても目を引くのは髪の長さだった。

 艶のあるストレートの黒髪が背中まで伸びている。あれだと手入れが大変だろうなと、場違いなことを思った。

 どちらも髪のことで生活指導を受けそうな人たちである。

 わたしは背筋を伸ばして彼女たちに尋ねた。


「すでに引退されたと聞いていますが、何の御用でしょう?」


 それには答えず、長髪さんが机に置いてあった亜子ちゃんの文庫を手に取った。

 早苗先輩から借りた本だからだろう、亜子ちゃんは自作のブックカバーを付けていたが、彼女は乱暴にそれを剥がして表紙を見ると鼻を鳴らした。

 そのまま片手で文庫を持ってページを繰っていくのだが、とにかく雑な手つきで本が傷みそうだった。

 亜子ちゃんが思わず手を伸ばしながら口を挟む。


「すみません、借りている本なので丁寧に扱ってください」


 すると彼女はもう一度鼻を鳴らすと、長机に文庫を滑らせるようにして返してきた。

 慌てて亜子ちゃんが受け止めようとしたが、間に合わずに床に落ちてしまう。

 拾い上げた文庫はかなりのページが折れていた。

 それを見て亜子ちゃんが眉を寄せて悲しい表情を浮かべる。

 わたしはこれまでに感じたことのない怒りを覚えた。


「出ていってもらえませんか」


 わたしが睨みつけても、長髪さんは動じた様子を見せずにそれを受け止めた。

 睨み合っていると横からそばかすさんが口を出してくる。


「生意気なこと言うじゃん。あたしらはあんたの先輩なんだけど」


 わたしがそばかすさんに視線を移すと、彼女は長髪さんとは違って少し怯んだ様子をみせた。  

 それを見てわたしは長髪さんに視線を戻す。


「去年結城先輩から言われたはずですが、わたしからも繰り返します。ここに――文芸部に、あなたたちの居場所はありません。出ていってください」


 そばかすさんが怒気を露わにした。

 亜子ちゃんは息を飲んでこちらを心配そうに見ている。

 ただ長髪さんだけは表情ひとつ変えずにわたしを睨んでいた。その口に冷笑が浮かぶ。


「よく躾られてるね」


 挑発の言葉だとわかっているので相手にしない。


「洗脳といったほうがいいかな。あんたたち自分でそれを自覚してないでしょ?」


 なおも無視をしていると、彼女は亜子ちゃんが手に持つ文庫本を指さした。


「たとえばその本、誰に借りたのよ?」


 亜子ちゃんは返事をしない。

 ただこの場合はできなかったのかもしれない。


「言わなくてもわかるよ、あのミステリ狂いからでしょ。さらに聞くけどさ、あんたら中学の時と今の読書傾向で違いはないの? 読んでいる本は自分で選んでるって言い切れる?」


 さすがにこれについては彼女の発言を認めるしかなかった。


「……たしかに先輩たちから影響は受けています」


「ふーん、影響ね。じゃあ、あんたらもラノベやライト文芸、ベストセラーなんかは下にみてるわけだ」


「そんなことないです!」


 わたしは強く否定した。

 そんなことを思ったことはないし、それは先輩たちだって同じだろう。

 たとえば結城先輩に借りた時間にまつわる小説十五冊、そのうち三冊はライトノベルだ。

 これだけとっても先輩が分け隔てなく本を読んでいることがわかる。

 

「どうだかね。たとえあんたたちがそうじゃなくても、あいつらは馬鹿にしてたよ。はっきりとそう言ったからね。

 去年の文集についてどういう風に聞かされたかは想像がつくけど、それをそのまま信じているわけ?

 わたしたちに言わせればあれは意趣返しよ。こっちの読書を頭ごなしに否定してきたんだから、そのくらいする権利があると思わない?」


 彼女の言葉にすぐには反論できなかった。

 たしかに当事者の片方からしか話を聞いていないのは事実なのだ。売り言葉に買い言葉ということだってあるだろう。

 だがたとえ彼女の言い分が正しくても、文集の名前入れ替えはやり過ぎだと思う。なによりわたしは先輩たちを信じている。


「……お言葉ですが信じられません。わたしには先輩たちがそんなことを言うとは思えませんから」

「だからそれが洗脳だって言ってるのよ」


 そう言われては何も言い返せなかった。先輩たちが無条件に正しいと思っていることは否定できない。

 ただ半年の付き合いがある。

 その日々で先輩たちのことは理解しているつもりだ。たとえ洗脳と言われようとも、先輩たちを信じる気持ちは揺らがない。


「そもそもさ、あいつらがあたしたちを追い出した本当の理由を知ってるの?」


 今度はそばかすさんが薄ら笑いを浮かべて聞いてきた。その笑い方は下卑たという形容がぴったりで、思わず目を逸らす。

 わたしも亜子ちゃんも返事をしなかったので、彼女がそのまま続けた。


「あいつらさ、ここをヤリ部屋に使ってたんだよ」

「なっ!?」


 思わず怒りとも呻きともつかない声が口から洩れた。

 言うに事欠いてそんなふざけた理由を言い出すとは。

 わたしが反論しようと口を開きかけた時、椅子が倒れる音とともに鋭い声があがった。


「出鱈目なことを言わないでください! 先輩たちに失礼です!」


 驚いて隣を見る。

 わたしは亜子ちゃんがそんな大声を出すのも、怒っている姿を見るのも初めてだった。

 立ち上がった亜子ちゃんがそばかすさんを睨みつけていると、図書室に繋がるドアがノックされ、顔馴染みの図書委員の女子がおそるおそるといった感じで顔を覗かせた。


「大丈夫? 大きな声が聞こえたから……」


 彼女は図書準備室にわたしと亜子ちゃん以外の人物を見つけて、怪訝な表情を浮かべた。

 二年生が修学旅行中だから図書委員の当番も一年生であり、わたしたちとも会話をする仲だ。おそらく、わたしと亜子ちゃんが喧嘩をしたと思って仲裁にきてくれたのだろう。

 わたしは彼女のそばまで行って何でもないと伝えた。戻りがけに倒れた椅子を直して亜子ちゃんを座らせる。


 とにかくそばかすさんの発言で、彼女たちが嘘をついていることはわかった。

 ありえなさすぎて笑えるぐらいだ。

 そして長いあいだ疑問に思っていたことも解決した。

 文科系部活は週に一、二回の活動のところがほとんどだ。しかし文芸部は毎日活動をしている。

 そのことに不満はない。むしろ嬉しい。

 だけど不思議に思っていたのだ。なぜ先輩たちは毎日ここに来ているのかと。


 その理由が今わかった。

 先輩たちは今でも守っていたのだ。この人たちから図書準備室を、文芸部を。

 それならばわたしたちがすべきこともはっきりしている。

 先輩たちが留守の今、ここを守るのがわたしたちの役目だ。

 先輩たちが勝ち取ったものも、先輩たちの名誉も、失うわけにはいかない。

 わたしは大きく深呼吸をすると、彼女たちに対峙した。


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