番外編5【10月30日】留守番と友達の恋


 わたしは事務棟へと向かう渡り廊下で瑞希ちゃんと合流すると、いっしょに図書室へと向かいました。

 図書委員さんに挨拶をしてから図書準備室へと入ると、そんな必要はないのですが、廊下への鍵を開けてから椅子に座ります。

 そして瑞希ちゃんと顔を見合わせると、お互い照れたように笑いました。

 これは昨日とまるでいっしょです。きっと明日も明後日もそうなのでしょう。


 昨日から二年生は修学旅行に行きました。

 したがって結城先輩と早苗先輩はいません。文芸部にはわたしと瑞希ちゃんのふたりだけです。

 結城先輩は「たまには部活を休んだらどうだ」と仰っていましたが、わたしたちはいつもと変わらずに図書準備室に来ることを選びました。

 それが自然だったからです。


 瑞希ちゃんとは通学の路線が同じなので、いつもいっしょに帰っています。

 夏合宿の後に瑞希ちゃんがわたしの家に遊びに来たこともありますし、ふたりで居て気まずさを感じたことなどありません。

 ところが図書準備室にわたしたちだけというのは特別なものを感じて、気恥ずかしさに照れてしまうのです。

 昨日などはかなり長いあいだ、ふたりで笑い合っていました。


 さすがに今日は少し慣れたのでしょう。ちょっと笑っただけで、わたしたちはそれぞれ本を開きました。

 しかし普段とは違う静かな図書準備室に身を置いていると、やっぱり文芸部は先輩たちがいてこそなのだと、ひしひしと感じます。


 早苗先輩はいつも楽しい話題を提供してくれます。何かアクションを起こす時にも必ずきっかけとなりますから、ムードメーカーと言っていいでしょう。

 わたしたちのことをいつも気にかけてくれますし、文芸部のお母さん的存在です。


 結城先輩は会話にはあまり加わりませんが、口を開けばその発言にはみんなが耳を傾けます。

 静かにそこにいてくれるだけで安心感がありますから、文芸部のお父さんだと思います。


 そしてわたしたちは子供です。

 つまり両親がいない今は、留守番をしているわけです。

 先輩方に依存していることは自覚していますから、この機会に少しは自立しないといけないと思って、こうして部活に来ているのかもしれません。


 そんなことを考えつつ本を読んでいると、瑞希ちゃんが大きく腕を上げて伸びをしました。

 一時間ほど経ちましたからちょっと疲れたのでしょう。わたしも同じように、少し体をほぐして休憩しました。


 しかしわたしが再び本を開こうとしても、瑞希ちゃんは落ち着かない様子でこちらを窺っています。

 わたしは何か話したいことでもあるのかなと思って聞いてみました。


「大丈夫だよ。なにか話?」

「ああ、うん。えっと――」


 それでもまだ迷っているようでしたが、意を決したように口を開きました。


「やっぱり早苗先輩って、結城先輩のことが好きなのかな?」


 わたしは驚いて瑞希ちゃんを見つめました。

 質問内容にではありません。なぜそんな明白なことを今更聞くのかと思ったのです。


 早苗先輩が結城先輩のことを好きだということは、以前から気がついていました。むしろ入部直後は、お二人は付き合っていると思っていました。

 なにしろ「おまえ」「あんた」で呼び合っていますし、その物言いにも遠慮がありません。

 ですからどうやら付き合ってはいないらしいとわかった時には、かなり意外に思ったものです。

 それは瑞希ちゃんも同じように感じていたと思うのですが。


「そうだと思うけど。どうして?」

「ほら、このあいだクイズでジュースを賭けた時に早苗先輩が……」


 わたしは合点がいって頷きました。

 その時のことはよく覚えています。ちょうど一週間前ぐらいでしょうか、わたしも少し活躍をしたのです。

 それはいつものように早苗先輩の一言から始まりました。





「最近の小説ってタイトルがやたら長くて、それだけでどんな内容かわかるのが多すぎない?」


 早苗先輩の意見は、わたしも思っていることでした。

 ライトノベルに顕著ですが、一般文芸でも増えている気がします。


「現代人は時間に追われているからな、最初の数ページどころか、解説や裏表紙のあらすじすら読まない人間も多い。読者に興味を持ってもらうために、タイトルという最初に目に入るものに情報を最大限に詰め込むのは、味気ないとは思うが合理的だし仕方ないと思うぞ」


 結城先輩が本から顔を上げずにそれに答えました。それを聞いて早苗先輩は不満そうです。


「なによ、あんたは説明過多のタイトルに賛成なの?」


「賛成なんてしていない、仕方ないと言っているんだ。実際に漫画家がツイッターで、抽象的な短いタイトルと説明調の長いタイトルで、内容はまったく同じ作品をあげて実験をしたのを見たことがある。

 結果はリツイートといいねの数が何十倍も差があった。もちろん多かったのは説明調タイトルだ。あれは衝撃的だったな」


 売上に関わりますからプロであればこそ、そういうことにも注目するのでしょう。

 すると珍しく結城先輩が本を閉じて顔を上げました。


「ちなみに、小説史上で最も長いタイトルの作品は何だか知っているか?」


 これには早苗先輩がすぐに反応しました。


「あたし知ってる! このジュースを賭けてもいいわよ」


 そう言ってストローの刺さった紙パックジュースを長机に置きました。

 それを見て結城先輩が顔をしかめます。


「なんでおまえの飲みかけが景品になるんだよ」


「そのくらい当てる自信があるって言ってるのよ!

 正確には覚えてないけど『キノの旅』の時雨沢恵一が書いた『男子高校生の売れっ子ライトノベル作家がなんちゃら』ってヤツじゃない? ちょっと調べていい?」


 早苗先輩はスマホを取り出して検索を始めました。


「あった、これこれ。『男子高校生で売れっ子ライトノベル作家をしているけれど、年下のクラスメイトで声優の女の子に首を絞められている。』」


 たしかに長いです。情報過多でもあります。年下なのにクラスメイト? そして首を絞められている? そこまで書いたら理由まで書いて欲しいです。

 瑞希ちゃんもびっくりした様子で質問しています。


「素朴な疑問なのですが、それって背表紙に収まるのでしょうか?」


 すると早苗先輩がスマホで画像を見せてくれました。

 背表紙にはびっしりと小さな文字でタイトルが書かれてありました。製本した人の執念みたいなものを感じます。

 早苗先輩は自信満々でしたが、結城先輩が無情にも首を振りました。


「残念だが不正解だ。ラノベに限定してもそれよりも長いタイトルの作品が、すでに複数ある。そしてそれらよりも遥かに長いタイトルがあるんだよ」


 早苗先輩は衝撃を受けたように固まってしまいました。

 結城先輩はそれを見て苦笑しながら言葉を続けます。


「もっとも今ではまったく別のタイトルで知られている。たぶんみんなも読んだことがあるんじゃないか。少なくとも絶対に聞いたことはあるはずだぞ」


 そのヒントを聞いて早苗先輩と瑞希ちゃんが考え始めました。

 実のところわたしには最初の段階で心当たりがありました。

 ただせっかくみんなが楽しんでいますから、興が醒めるようなことはしたくありません。しばらく見守ることにします。


「今ではってことは昔の小説だよね?」


 早苗先輩の確認に結城先輩が「ああ」と頷きます。


「ひょっとして聖書ですか?」

「聖書は教典で小説じゃないだろう」


 瑞希ちゃんの答えに結城先輩が苦笑しながら首を振ります。瑞希ちゃんは顔を赤くしています。

 そこで結城先輩がわたしを見ました。


「どうやらふたりは降参らしい。北条はわかるか?」


 わたしは小さく頷いて、答えを口にしました。


「『ロビンソン・クルーソー』ではないでしょうか?」

「正解が出るとしたら北条からだと思っていたが、案の定だったな」


 結城先輩が微笑んでくれます。

 これはとても嬉しかったです。答えが合っていたことよりも、結城先輩がわたしならわかると思っていてくれたことがです。


「え!? ロビンソン・クルーソーってあの無人島で暮らすやつ?」


 早苗先輩がびっくりしています。


「ああ、ダニエル・デフォーのだよ。初期のタイトルを日本語訳にすると、

『自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で二十八年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述』というものだな」


 あらためて聞くとやっぱりとんでもない長さです。そしてそれを暗記している結城先輩にはもっと驚かされました。

 早苗先輩と瑞希ちゃんも驚き半分、呆れているのが半分という感じです。


「それを覚えているあんたもどうかと思うけど、なによそのタイトル。あらすじどころか結末まで言っているじゃない。本編を読む必要あるの?」


「俺に文句を言うなよ。まあやっぱり色々とまずかったんだろう、初版だけでそのタイトルは廃止されたらしい。

 とにかく賭けは鈴木の負けだから、これは貰うぞ」


 そう言って結城先輩がジュースを手に取りました。

 それを見て早苗先輩が慌てて手を伸ばします。


「待った! それだと間接キスに――」


 しかし結城先輩は手にした紙パックをわたしの目の前に置いたところでした。


「北条が正解したんだから、北条のものでいいんだろ?」


 結城先輩が戸惑ったように尋ねます。

 すると早苗先輩は顔を真っ赤にして、激しく頷きました。


「ああ、うん、もちろん。亜子が当てたんだから亜子のものだよね。あはは、あたし何を慌ててるんだろう。さあ亜子、ぐいっと飲んじゃって」


 あまりにも早苗先輩の動揺が激しいので、わたしと瑞希ちゃんはもちろん、結城先輩ですらからかうようなことはしませんでした。





 これが一週間前の出来事です。

 瑞希ちゃんはその時の早苗先輩のリアクションから、このような話題を出したのでしょう。

 ただそれでも少し腑に落ちませんでした。


 たしかにこの時の早苗先輩はあからさまでしたが、それ以前から結城先輩への想いというのは隠しきれていませんでした。

 それを今になって持ち出してくるというのは、瑞希ちゃんにこそ変化があるような気がします。

 夏休み後、特に文化祭が終わってから、瑞希ちゃんが結城先輩を強く意識しているように感じていました。文化祭で何かあったのでしょうか?

 わたしは思い切って聞いてみました。


「瑞希ちゃんも結城先輩のことが好きなの?」


 予想通りというか、それ以上の反応が返ってきました。

 瑞希ちゃんは耳まで真っ赤になりながら、脈絡のない言い訳のようなものを口にします。


 わたしは不安になってきました。

 瑞希ちゃんはわたしのかけがえのない友達です。そして早苗先輩も同じぐらいに大切な先輩です。

 そのふたりが結城先輩を巡って、恋の鞘当てというか、争って欲しくないのです。


 わたし自身のことを言うと、もちろん結城先輩のことは好きですが、恋愛感情というのとは少し違います。

 きっと年の離れたお兄さんがいるとこんな感じなのかなと思います。

 わたしのことを理解してくれて、褒められるととても嬉しい。それだけで満足なのです。

 瑞希ちゃんも文化祭前までは、わたしと同じように感じていると思っていたのですが、今では男性として結城先輩のことが好きみたいです。


 ちなみに結城先輩がどう思っているのかはまったくわかりません。

 早苗先輩のことも瑞希ちゃんのことも、嫌いなわけはないと思うのですが。

 素直に瑞希ちゃんの恋愛を応援できないのがとても歯がゆいです。

 とにかくみんなには是非とも慎重になって欲しいところです。文芸部が崩壊するようなことだけは避けて欲しい。これがわたしの正直な気持ちです。

 ただ、顔を赤くして必死に言い訳を続ける瑞希ちゃんはとても可愛いです。

 幸せになって欲しいなあと心から思いました。


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