番外編4【10月29日】修学旅行の夜
修学旅行の夜が嫌いだった。
きっかけは小学校五年生の時だ。
あの時は正確には修学旅行ではなく宿泊学習だった。隣県にある高原の宿泊施設で、クラスの女子が二部屋に別れて泊まった。
消灯の時間がきて布団に入ると、好きな男子は誰かという告白タイムが始まったのだ。
他のみんなははしゃいでいたが、あたしはなるほど女子っぽいなあとしか思わなかった。
そして当然あたしにも順番が回ってきた。
「いないよ」
ごく正直に答えたのだが、これが大ブーイングを浴びたのだ。
「えー、鈴木さんだけずるい」
「みんな正直に言ってるのに」
「わたしたちのだけ聞いておいて」
いやいやいや、あたしは正直に言っている。それにあんたらの好きな人が誰かなんて興味がないし、教えてくれと頼んでもいない。
そう思ったが、もちろん口に出さないだけの思慮分別はあった。
当時のあたしは勉強ができるという一点で、クラスでの立場を確立していた。
可愛くもなければ社交性があるわけでもない、運動もできなければお笑い担当でもなかった。クラスでは地味な存在だ。
正直あの頃は、いじめの標的にならないためだけに勉強をしていた気がする。
成績が良ければ教師の覚えもよいわけで、そういうことはいじめる側も敏感に察知する。それを鼻にかけるとまた違うのかもしれないが、そこはあたしも空気を読んでいた。
もっともそんなのは綱渡りといっしょで、ちょっとしたことですぐに均衡が崩れる。十年も生きていればそれぐらい理解していた。
あたしはこの時も瞬時に危険な雰囲気を察知して「あーでも、あえていうなら」と、慌ててひとりの男子の名前をあげた。
サッカーが得意で、ちょっと癖毛だがまあカッコいいのだろう。たぶんこの時もあたしの番が来る前に、他の誰かがその名を出していたと思う。
なんで彼にしたのかというと単純にクラスで一番人気があったからだ。要するに無難だと思ったのである。
あたしの告白を聞いて、
「なんだやっぱりいるじゃん」
「最初から言いなよね」
「えー、競争率高いなあ」
みんながそんなことを言うのに、あたしは「ごめん、ごめん」と誤魔化すように笑っていた。
もっとも心の中では「くっだらない!」と激怒していた。
そもそも好きな男子がいると決めつけているのがアホらしい。要するに世界が狭いのだ。この年で色恋がすべてだと思っている。
あたしがどのくらいくだらないと思っていたのかは、他の子の告白をまったく覚えていないことからもわかる。
なにせ全員の告白が終わる前にあたしは眠っていたくらいだ。
これには後日談がある。
宿泊学習が終わってから三週間後ぐらいのことだ。休み時間に癖毛の男子があたしの机の前に立って、
「ごめん。鈴木とは付き合えない」
いきなりそう言ってきたのだ。
あたしは「ああ、うん」と返事をして、すぐに友達との会話に戻ろうとしたのだが、クラスの雰囲気が変わっていることに気づいた。
みんな静まり返ってこちらを見ている。
するとクラスの女子のリーダー格があたしのところにやってきて、
「鈴木さん大丈夫? ちょっとあんたひどいじゃない。謝りなさいよ」
と癖毛の男子を責め始めた。
彼女だけでなく、その取り巻きもそばにきて口々に慰めてくれる。
だけどあたしは目を瞬いてきょとんとしていた。
実はこの時には宿泊学習の告白タイムのことなど、すっかり忘れていたのだ。
だから癖毛の男子に「付き合えない」と言われても、何のことだかわからずに曖昧に返事をしただけだ。
そんなあたしの反応が予想外というか気に入らなかったのだろう。周囲の女子の顔つきが険しくなった。
それを見てあたしはようやく、自分が振られたこと、そして振られた女の子はこんな能天気な表情をしていては駄目なのだと気づいた。
そこで慌てて涙ぐむ振りをして俯いた。
その反応に満足したのだろう。
周りの女子はあたしを慰めつつ、癖毛の男子の糾弾を再開した。
あたしは下を向きつつ「ホントにくっだらない!」と怒っていた。
翌年は箱根に一泊二日の修学旅行だった。
人間とは学習する生き物である。
あたしは去年の反省から事前に準備をしていた。
そもそも、なぜ癖毛の男子があたしに断りを入れてきたのかと言えば、誰かが彼に教えたからだ。
それが誰かといえば、当然あの時の同部屋の女子に決まっている。
なぜそんなことをしたのかといえば、自分が告白する勇気はないが、ライバルは減らしたいということだろう。
本当にくだらないと思う。
とにかく人気のある男子は後が面倒だということがわかった。さらに女子連中が告白を秘密にする気なんてさらさらないことも。
そこであたしはいっしょに学級委員をやっている男子に目を付けた。厚いレンズの眼鏡をかけて、いかにも勉強ができますという秀才タイプである。
申し訳ないが勉強以外には取り柄が見当たらず、女子にはまったく人気がない。
もっとも男子からすれば、あたしが彼のように見えているのだろう。
あたしはこの秀才くんに、修学旅行の夜に女子は告白タイムなるものをする。名前を出す相手として使わせてもらえないかと、正直に頼んだ。
彼は承諾してくれた。
これで安心だ。また女子がご注進に及んだとしても、事前に話はついているから彼が誤解をすることもない。
修学旅行の夜に当然のように告白タイムになったが、あたしは余裕をもって秀才くんの名前を出した。
同部屋の女子は興味なさそうに「どこがいいの?」と聞いてきたが、あたしもテキトーに「勉強ができるから」みたいなことを答えた。
あたしは結果に満足しつつ、昨年に引き続きあっという間に眠りについた。
しかしこの年も後日談がある。
案の定というか、女子は秀才くんにあたしが好きだと言っていたことを伝えた。
これが小説や漫画だと、そこから本当に恋愛に発展するのだろうが、そんなことはなかった。
お互いにまったく興味がなかったのだ。
ところが回りが放っておかなかった。何かにつけてあたしたちはペアを組まされて、いつの間にかクラス公認のカップルにされていた。
そしてバレンタインデーが近づくと、当然のようにあたしは秀才くんにチョコを贈らないといけない雰囲気になっていた。
それまでバレンタインのチョコなんてあげたことがなかった。むしろ父親が仕事先で受け取ったチョコを、あたしが貰って食べる日だった。
前日にチョコを物色しつつ、このお金で文庫本が買えるのになあと思ったのをよく覚えている。
たぶん親に言えばチョコの代金はくれたと思う。だけどあたしは恥ずかしくて言い出せなかった。嘘の相手という罪悪感もあったのだと思う。
それでもホワイトデーのお返しでチャラになると言い聞かせて、文庫本はあきらめた。
ところがホワイトデーのお返しは貰えなかった。
その前に卒業式があって、さらに秀才くんは私立の中学に行ってしまったのだ。
彼とはその後、一度も会っていない。
食べ物の恨みは恐ろしいというが、あたしはこの時のことを今でも根に持っている。
人間とは繰り返し学習するものである。
中学生になると、あたしは対策を根本から変えた。
要するに実在する人物を言うから駄目なのである。架空の人間なら迷惑もかからなければ、面倒が起こる心配もない。
もちろん嘘がバレれば非難されるだろうから、そこは上手くやる必要がある。
そこであたしがでっちあげたのは、三歳年上の近所のお兄さんである。
三学年差だと中学、高校でいっしょになることはない。隣ではなく、近所とぼかしているのも重要だ。
同じ小学校卒業の人間だと、隣家にそんな人物がいないことを知っている可能性がある。
これは概ね上手くいった。
中には「同じ学年限定で言ってよ」と文句を言ってくる子もいたが、「好きなんだから仕方ないでしょ」と言い返せば、それで押し通せた。
もっとも「どこの高校?」と聞かれて、咄嗟に「霧乃宮」と答えたのは失敗だったかもしれない。
霧高を選んだのは最難関校で、そこにいたクラスメイトで進学しそうな人間がいなかったからだ。ただ続けて「だからあたしも霧乃宮志望なの」と宣言したのはまずかった。
おかげでさらに勉強をするはめになったからだ。
そしてあたしは実際に霧乃宮高校に入った。
これは自分を褒めてあげたい。よく頑張ったと思う。
その霧高で初めての修学旅行の夜である。
今回は何の準備もしていなかった。する必要がなかったからだ。
今のあたしには好きな人――いや、違う! 告白タイムで名前をあげてやっても構わない人間がいる。
すかした奴だが、まあなんというか、気になる存在なのは認める。
なりより、あたしとそいつの関係はクラスの一部にはすでにバレているのだ。
あれは四月のクラス替えからみんながまだ馴染んでいない頃だ。
お昼休みにお弁当を食べていた時に、美術部の子があたしとそいつがいっしょに下校するのを見かけたと言ってきたのだ。
あたしは彼氏ではないと否定したのだが、ちゃんと伝わらなかった。
さらには下校時にあいつがその子に手を振ったことで、完全にあたしたちは付き合っていることにされてしまった。
もっともその美術部の彼女とはそれがきっかけで仲良くなった。今では親友だと思っている。
名前をあげても構わない奴がいる。
さらにそれを、回りの人間はすでに知っている。
これほどイージーな告白タイムがあるだろうか?
憂鬱な修学旅行の夜が、今年に限ってはいつ来ても平気だった。むしろ早くこいとさえ思っていた。
そして消灯時間になった。
「電気消すよー」の声とともに灯りが消えると、みんなが布団に入る。
もちろんすぐに寝たりはしない。
隣同士でお喋りをしたり、スマホを見たりしている。
しかしもう少し経つと誰かが「ねえ、好きな人を言いっこしない」そう言ってくるのだ。
ほら、こっちは準備万端なんだから、いつでもこい。
そう思って待機していたのだが、いつまで経ってもそんな雰囲気にならない。
さらには「おやすみ」と言って本格的に寝ようとする子まで出てきた。
どういうことだろう?
すると「あ、こいつ男におやすみのLINE送ってる」「ちょっと見ないでよ」そんなやりとりが聞こえてきて、あたしはようやく気づいた。
高校生は告白タイムなんてしないのだと。
よく考えればあたりまえだ。
メッセを送った彼女に限らず、彼氏がいる子も多いだろう。いまさら好きな男子が誰という次元ではない。
そもそもなぜ小中学校時代に告白タイムなんてしたかといえば、回りの女子への牽制であると同時に、あわよくば意中の男子に伝えてもらいたいからだ。
そう考えると、小学校時のクラスメイトはその責務を果たしてくれただけともいえる。
いや、もっと単純なのかもしれない。
要するに自分は誰が好きなのかということを、みんなに言いたいだけなのだ。
その気持ちはよくわかる。
なぜなら、今のあたしがそうだからだ。
何かのきっかけを利用してアイツを――結城恭平を好きだということを、ちゃんと声に出したいのだ。誰かに聞いて欲しいのだ。
あたしは笑いだしたくなるのを堪えた。
自分の思春期はなんと遅いのだろう。
みんなが小学校から中学までに済ませていることを、高校生になってようやくわかるなんて。
あたしは笑いの衝動が納まると考えた。
さてどうしようか。
このままみんなを眠らせるのは、ちょっと悔しい。
彼女たちに罪はないが、心のモヤモヤを晴らさせてもらおう。
「ねえ、みんなもう寝る?」
あたしの問いかけに美術部の親友が反応する。
「なに早苗。なにか話したいことでもあるの?」
「うん。お薦めの怪談があるんだよね」
するとみんなから、悲鳴とも歓声ともつかない声があがった。
「ちょっとやめてよー」
「きたわね。修学旅行の夜の醍醐味」
「待って。その前にトイレ行かせて」
みんなその場に座ったり、布団を被ってうつ伏せになったりと聞く体勢に入る。
この食いつき。やっぱり怪談最強。告白タイムなんて目じゃない。
「それじゃあ文芸部の本領をみせてもらおうじゃない」
美術部の親友が笑いかけてくるのに、あたしは頷いて口を開いた。
「スクエアっていう話なんだけど――」
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