10月

第62話【10月15日】待望の新作とノーベル文学賞と旅行の行き先


 台風一過の連休明け。放課後の図書準備室に最後に現われた早苗先輩は開口一番、挨拶代わりに「読んだ?」と聞いてきた。

 結城先輩が「ああ」と、亜子ちゃんが「はい」と返事をする。

 わたしは黙って首を振った。


「そっか、やっぱり瑞希は買うのをやめたのね。じゃあ貸してあげる」


 早苗先輩が鞄から取り出した本を、わたしはお礼を言って受け取った。

 『白銀の墟 玄の月』第一巻と第二巻。

 小野不由美さんの十二国記シリーズ、長編としては十八年ぶりの新作である。そしてシリーズ完結作でもあるらしい。




 先月末に霧乃宮高校では文化祭があった。

 わたしとしては文集『星霜』が完売したことも嬉しかったが、その他にも色々と印象に残る一日だった。

 クラスメイトで新たに仲良くなった子もいるし、今まで接点のなかった他学年の人たちと知り合うこともできた。

 もちろん結城先輩とわずかな時間でも文化祭をいっしょに見て回ったこと、二人きりでフォークダンスを踊ったことは大切な思い出だ。


 そして文化祭が終わって十月になると、すぐに中間テストが控えていた。

 わたしは星霜に寄稿する小説のため、授業も満足に聞いていなかったのだが、その遅れを取り戻すために結城先輩が特別補習をしてくれた。

 そのおかげで、普段と変わらない出来だったと思う。

 テストが終わったのが先週の金曜日。そして十二国記の新作発売が翌日の土曜日だった。さらに三連休である。

 文芸部員としては読んでくださいと言われているようなものだ。


 実はわたしも買おうか物凄く迷った。

 ただ、わたしは既刊を一冊も持っていない。全部読んではいるが、それらはすべて早苗先輩に借りたものだ。

 本棚に最終巻だけがあるのは寂しいというか、本末転倒な気がする。

 しかもわたし以外のみんなは買うという。つまりすぐに貸してもらえる環境にあるのだ。少し我慢すれば読めるのに、買うのはもったいない。


 休み前に早苗先輩が「もし買ったら買ったで構わないから、いちおう持ってくるよ」と言ってくれたので、結局その言葉に甘えることにした。

 もっとも休日に本屋に行った時には大いに迷った。だが、お小遣いは有限だし欲しい本はいくらでもある。なんとか我慢をした。




「でもさ、SNSでも盛り上がっているよね。わたしたちの世代だと実感ないけど、長編で十八年ぶり、短編集からでも六年ぶりなんでしょ。普通の作品なら盛り上がるどころか、忘れられてるよね」


 早苗先輩が呆れているのか、感心しているのか、どちらとも取れる声を出す。

 たしかに十八年ぶりということはわたしの生まれる前なのだ。ちょっと見当がつかない。

 それだけ多くの人から支持をされ、熱狂的ファンがいる作品だということなのだろう。


「リアルタイムで読んでいた人は、どんな気持ちで待っていたんでしょうね?」


 わたしの疑問に、早苗先輩が苦笑いを浮かべる。


「なんかもう、祈るというか悟りの境地みたいよ。とにかく完結させてくれるならいつまでも待つ。だから主上(※十二国記ファンは作者の小野不由美をこう呼ぶ)よ絶対に死んでくれるなと。

 実際『グイン・サーガ』みたいに、大作が未完のまま作者が亡くなることはあるからねえ」


 たしかにそれは切実だ。祈りたくもなるだろう。


「ある意味、瑞希はラッキーだよね。間をおかず全部読めるんだから。読み返さなくたって内容をはっきりと覚えているでしょ?」


 わたしは頷く。

 なにせわたしが読んだのは、ほんの五ヶ月ほど前である。待ったという感覚さえない。当然、細かいところまでよく覚えている。


「早苗先輩たちが読んだのはいつでしたか?」


 わたしが尋ねると、早苗先輩と亜子ちゃんはちょっと考えた。二人ともおそらく小学校五年か六年の頃だという。さすがに早い。

 結城先輩は三年前の中学二年生の時だそうだ。

 読書量の多い結城先輩だが、本を読み始めたのは早苗先輩や亜子ちゃんに比べると遅いということを、夏休みの合宿時に聞いていた。


 未読のわたしがいるので内容について話せないのは申し訳ないと思う。

 そう謝ると「どうせまだ完結していないし」と返ってきた。

 そうなのだ。来月に三巻と四巻が発売となるので、完結はそれを待つことになる。しかしそう考えると、来月こそは買ったほうがいいのかなと思った。



「そういえばノーベル文学賞も決まったよね。去年はスキャンダル騒動で発表がなかったから二年分だったけど、どっちも読んだことないなあ」


 早苗先輩の発言に、結城先輩が後を受ける。


「オルガ・トカルチュクとペーター・ハントケだな。オルガ・トカルチュクの『逃亡者』はブッカー国際賞を去年受賞したから興味があったんだ。ただ買うには高いし、図書館には入らないしで読めていない。日本人は権威に弱いから、これを機会に置いてくれるといいんだけどな。

 ペーター・ハントケは、俺としては完全に未知の作家だ」


 結城先輩でも読んだことがないらしい。

 ただそこに、わたしでも知っている単語があった。


「ブッカー賞ってイギリスの文学賞ですよね? 一昨年のノーベル文学賞カズオ・イシグロも、たしか過去に受賞していましたよね」

「そうだよ。有村も詳しくなってきたな」


 結城先輩に褒められると照れてしまう。

 カズオ・イシグロは『日の名残り』と『わたしを離さないで』を夏休みのあいだにちょうど読んだところなのだ。


「そのブッカー賞の海外枠がブッカー国際賞だな。ちなみにブッカー賞は公平な選考方法などから非常に評価が高いんだ。実際に翻訳されている小説を読むと外れがない。日本でももっと注目されて欲しいところだ」


 結城先輩は芥川賞、直木賞を「権威はあるがたいしたことがない」と言い切る人である。それはわたしも説明を聞いて納得した。

 その先輩が評価するブッカー賞は凄いと思う。

 ノーベル文学賞に関しては、わたしでも思いつく話題があった。


「そういえば今年も村上春樹は受賞できませんでしたね」


 何気なく口にしたのだが、それに顔をしかめたのは早苗先輩だ。


「それさ、毎年話題になるけど、騒いでいるのって一部のハルキストとマスコミ、それと本なんて読まないけどノーベル文学賞と村上春樹の名前は聞いたことがあるっていう連中だよね。

 はっきり言って普通の本読みは、ぶっちゃけどっちだっていいと思ってない?」


「なにか嫌な目にでもあったのか?」


 結城先輩が苦笑混じりに尋ねると、早苗先輩が心底うんざりしているというようにため息をついた。


「あたしが本読みだっていうことを知っている人間は、村上春樹が受賞を逃したのを知ると「今年も残念だったね」って言ってくるわけよ。

 あたしだって村上作品は読んでいるしべつに嫌いじゃないけど、村上春樹が日本文学を代表していて、本読みは全員それを支持しているみたいに思われるのには、さすがに辟易する。

 少しは多様性とか個人の趣味にも目を向けたらって、言いたくなるわけよ」


 わたしはなるほどと同情したのだが、結城先輩は声をあげて笑っている。

 それを早苗先輩が睨みつけた。


「そんなに怒るなよ。それは単純に鈴木との会話の糸口として、話題に出しているだけだろう。コミュニケーションを取るために、持っている知識で合わせようとしてくれているんだ。そのくらい勘弁してやれ」


 そう諭されると早苗先輩としても反論しにくいらしい。

 そこで今まで話を静かに聞いていた亜子ちゃんが口を開いた。


「結城先輩が予想する、村上春樹以外でノーベル文学賞を受賞しそうな作家は誰でしょうか?」


 結城先輩は別格として、文芸部で海外文学に詳しいのはやはり亜子ちゃんだろう。カズオ・イシグロを薦めてくれたのも亜子ちゃんだ。当然ノーベル文学賞にも興味があるらしい。


「そうだな、トマス・ピンチョンはいずれ受賞するだろう。あとウンベルト・エーコは可能性が高いと思っていたんだが、亡くなったからな。ノーベル文学賞には追贈がないんだ」


「えっ!? ウンベルト・エーコって『薔薇の名前』の?」


 結城先輩の言葉に、意外だというように反応したのは早苗先輩だった。

 わたしが「ミステリなのですか?」と聞くと、凄い勢いで説明をしてくる。

 なんでも古典を除いた、ここ七十年ほどのミステリとしてはベストワンの呼び声も名高い傑作だという。世界中で読まれているそうだ。

 結城先輩が落ち着けというように早苗先輩に語りかける。


「ミステリマニアには『薔薇の名前』の作家だろうし、代表作であることも認めるけどな、他にも色々と書いているんだぞ。

 個人的に好きな作家だから、絶版になった『フーコーの振り子』や『前日島』も持っている。興味があるなら貸してやるよ」


「ピンチョンはどのくらい読みましたか?」


 今度は亜子ちゃんが聞いてきた。


「『重力の虹』しか読んでいない。新潮の全集は欲しいんだが、全部揃えるとなると高くてなあ。ピンチョンを読むには気力と体力も必要だしな。北条はどうだ?」


「わかります。わたしも読んでみようとは思うのですが、なかなか手が出ません」


 どうやらトマス・ピンチョンという作家は敷居が高いらしい。

 そこから海外作家の話が続いた。わたしも少しはついていけるようになったが、まだまだみんなには及ばない。

 今日はそんな感じで、結城先輩も加わっての読書談義に花が咲いた日だった。



 そろそろ時間ということで帰り支度をしている時に、亜子ちゃんが先輩たちに声をかける。


「修学旅行は再来週ですよね?」

「うん。二十九日からだからちょうど二週間後だね、おみやげ買ってくるから。

 でもさ、公立だから海外は無理だとしても違う場所にして欲しいよね。また中学の時と同じ、奈良、京都だよ」


 そうだった。二年生はそろそろ修学旅行なのだ。しかし早苗先輩は旅行先に不満があるらしい。

 結城先輩が「広島にも行くぞ」と補足をしていたが、早苗先輩は納得をしていないらしい。


「べつに行き先はどこでもいいのよ。ただ同じ場所に何度も行くのが無意味だと思わない? 学区内の公立なら小学校から高校まで、ダブらないように配慮して欲しいわよ」


 これは早苗先輩の言うこともわからないではない。

 霧乃宮周辺の学校で遠足の行き先といえば、地元の採石場跡、おもちゃ博物館、東照大権現様を祀る世界遺産というのが定番で、わたしも幼稚園の頃から何度も行っている。

 そして修学旅行は必ず京都方面だ。変化に乏しいのはわかる。


「そういえば、関西の学校だと逆に東京に来るのでしょうか?」


 ふと疑問が湧いて質問してみる。


「いや、関西だと九州に行く方が多いと聞いたな。東京へは東北の学校ぐらいで、他はそれほどでもないらしい」


 結城先輩の返答に、思わず「へー」と感心の声をあげてしまう。あたりまえだが所在地が変われば、旅行先だって変わるのだ。

 すると結城先輩が何かに気づいたように、わたしと亜子ちゃんを見る。


「そういえば俺たちが修学旅行のあいだも、有村と北条は部活に来るのか?」


 唐突な質問に戸惑い、亜子ちゃんと顔を見合わせてしまう。


「たぶんそうすると思いますけれど、駄目でしょうか?」


「駄目ということはないが……。ふたりだけなんだから、わざわざここに来ないでもと思ってな。たまには市内の図書館に行ってみたり、北条の家に遊びに行くとかしてもいいんじゃないか?」


 わたしと亜子ちゃんは曖昧な返事をした。結城先輩の意図がわからないのだ。

 ちなみに亜子ちゃんの家へは、合宿後にすでに遊びに行ったことがある。

 それ以上は結城先輩も何も言わなかったが、その表情には何か引っかかるものを感じた。


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