第60話【9月28日その12】文化祭デート
わたしと結城先輩は一年二組の大正喫茶へとやってきた。
文化祭も佳境である。来場者はさすがに減ってきているようで見かけない。
代わりに出番の終わった多くの霧高生が、やり終えた充足感を醸し出しながら休憩していた。
わたしたちは書生姿の男子に案内された席で、飲み物だけ注文する。
売れ残りそうな食べ物をさばきたいのだろう、盛んに薦められたが遠慮した。
北条のおばさんのお弁当を食べて、わたしも結城先輩もお腹がいっぱいなのだ。
しばらくして注文した飲み物を運んできてくれたのは亜子ちゃんだった。
その姿を見てわたしは思わず声を上げる。
「亜子ちゃん可愛い!」
亜子ちゃんは頬を赤らめながら否定するように手を振るが。本当に可愛い。
他の女子は似合っている人でも、勇ましくて綺麗という感じだ。それ以外の人は、衣装に着られている感がある。いかにもコスプレなのだ。
だけど亜子ちゃんは似合っていて可愛い。亜子ちゃんの童人形のような雰囲気と、上手くマッチしている。
わたしたちはスマホで写真を撮り合った。結城先輩を含めたスリーショットの自撮りもする。これで当初の文化祭の目的はすべて果たせたて大満足だ。
亜子ちゃんは去り際に、お盆の上のお皿を机に並べた。
「これはわたしからのサービス。お金はいらないから、遠慮しないで食べてね」
わたしと結城先輩は亜子ちゃんの背中を見送り、続いて机の上に並ぶケーキやマフィン、クッキーを眺め、そして顔を見合わせた。
「……なるほど。料理の過剰接待は北条家の血だったのか」
「……おばさんと性格は似ていませんが、間違いなく親子ですね」
悪気がないだけに困ってしまう。
クッキーは包んで持ち帰ることにして、わたしたちはケーキから攻略することにした。
わたしは食べながら、遠野司さんが来たことを話した。それを聞いた早苗先輩の反応のことも。
結城先輩は少し考えてから口を開いた。
「鈴木の反応は、まあ当然だろう。あいつは本人を目にしていないから、俺や有村よりも現実感が薄いだろうしな。実のところ俺も、遠野先輩に対して特別な感情はないんだよ。むしろ有村の思い入れが強いんだと思う」
やはりそうなのかと思う。
わたしは遠野先輩の小説に打ちのめされたことがある。同世代であることで、その才能に嫉妬もした。
さらに去年の事件は遠野先輩がいれば、起こらなかったのではと思っている。そういう諸々のことで、思い入れが強いのだ。
「あと彼女が謝ったのは俺や鈴木にじゃない。今の三年の彼女たちにたいしてだ」
これには衝撃を受けて結城先輩を見つめてしまう。
「ちょっと考えればわかるだろう? 遠野先輩は去年の事件のことは知らないんだぞ。彼女の引退時期が早かったことであの事件が起こったのだとしても、それを知らないんだから俺たちに謝る理由がない」
言われてみればたしかにそうだ。
「でもそうしたら遠野先輩は三年生の彼女たちに何を謝ったのでしょう? それをわたしに伝えて欲しいというのも無理がありませんか?」
今年の星霜に彼女たちは寄稿していない。そこからすでに文芸部には在籍していないということを、遠野先輩もわかったはずだ。
結城先輩はわたしを見つめると、静かに聞いてきた。
「有村は遠野先輩のパーソナリティをどう思った?」
わたしは質問の意図がわからずに戸惑った。
「以前に結城先輩が言ったように、才能のある雰囲気を感じましたが」
「いや。もっと単純に、こういうタイプの性格だ。みたいなことだ」
わたしは躊躇いがちに口を開いた。
「……申し訳ないですが、人付き合いが苦手、というか嫌いなのかなと思いました。ほとんど喋りませんでしたし、目も合いませんでしたから」
「俺もそう思ったな」
結城先輩はフォークを置いて窓の外を見た。わたしも同じように目をやる。
空は青から紺色に変わっている。日が暮れるのが早い。もう秋なのだ。
先輩が再びわたしを見た。
「ここからはあくまでも俺の想像だ。遠野先輩に小説の才能があるのは間違いない。本だって好きで読書量だって多いだろう。だがそれらはひとりでも完結することだ。おそらくあの人は全員入部制じゃなければ文芸部に入らなかったと思う」
たしかに読書はひとりでもやれる趣味だ。
「幸か不幸か遠野先輩の代は同期の部員がいなかったし、上の代も早く引退した。今の三年の彼女たちが入部した時には、唯一の先輩だったわけだ。
遠野先輩は人付き合いが苦手だったが、それでも後輩のために出来るだけのことをしたんだと思う。それは一昨年の星霜を見ればわかる」
一昨年の星霜には遠野先輩ひとりで小説、評論、詩、短歌を寄稿していたし、今の三年生の彼女たちも、ちゃんと完結した小説を載せていた。
「しかしそこが限界だった。本来はひとりで静かに創作をするのが好きな人だろうからな、それ以上の関わりを避けるために引退をした。逆にもし部員が自分ひとりだけだったら、遠野先輩は三年間文芸部を続けていただろう。
彼女は引退したあとも文芸部のことは気にかけていたんだと思う。そして去年の星霜を読んだ。そこには後輩の完結してない小説が載っていた。さらに今年の星霜には彼女たちの名前すらなかった。
おそらく遠野先輩はこう思ったんだ、至らない先輩でごめんなさいと」
わたしは結城先輩から視線を逸らした。
先輩の悲しそうな目を見ているのがつらかったのだ。
「……悲しい話ですね。みんな傷ついてる」
遠野先輩も、今の三年生の彼女たちも、結城先輩と早苗先輩も。
「有村に伝えて欲しいと頼んだのは、ひょっとしたらまだ繋がりがあるかもと思ったからだろう。実際に彼女たちはまだこの学校にいるわけだからな」
わたしは少し迷ってから聞いてみた。
「……伝えたほうがいいでしょうか?」
「有村が気にする必要はない。冷たいようだが、伝えたければ遠野先輩が自ら伝えるべきことだからだ。ただ、もしそんな機会があったら話してもいいかもな」
わたしは静かに頷いた。
亜子ちゃんに挨拶をしてから大正喫茶を出た。
結城先輩が重苦しい空気を振り払うように、明るい声で聞いてきた。
「あと三十分しかないがどうする?」
たしかに中途半端な時間だ。どこかの企画に参加しても途中からか、最後まで終わらないかのどちらかだろう。
そこでわたしは自分の左腕に気づいた。
「そうだ、スタンプラリーが途中なんです。いっしょに探してもらえませんか?」
チェックポイントが民族衣装に仮装をした人だということを伝える。
わたしと結城先輩は、最後の盛り上がりをみせる校内を、チェックポイント係を探して歩き回った。
さすがに結城先輩がいると見つけるのが早い。
あっという間に残りが二個だけになる。しかしその二個が難問だった。一年八組の教室でもさっぱりわからなかったドイツとニュージーランドなのだ。
いざとなったら民族衣装っぽい人に、片っ端から声をかけるという最終手段もある。もっともそういう人はすでにチェック済みなのだが。
すると結城先輩が廊下の先を指さした。
「あれじゃないか?」
しかし指の先にいるのはサスペンダー付きのハーフパンツのようなものを履いた男子である。とても民族衣装には見えない。
「あまり民族衣装には見えないのですが、あれってなんですか?」
「レーダーホーゼンだよ。ドイツのバイエルン地方の民族衣装だな」
恥ずかしながら聞いたことがない。
だが話してみるとたしかにチェックポイント係さんである。わたしは左腕にスタンプを押してもらった。これで残りひとつだ。
「最後はニュージーランドか。歴史の新しい入植者の国だしな、民族衣装となると先住民族のものになるんじゃないのか?
となるとポリネシア系になるが、それだとわざわざニュージーランドにした理由がわからないな」
「ニュージーランドで最初に思いつくのって羊ですよね?」
「まさか村上春樹の小説に出てくる、羊男みたいな恰好の奴がいるのか?」
さすがにそんな目立つ恰好の人がいたら気づいたと思う。それに民族衣装と関係がない。結城先輩でもわからないとなるとお手上げである。
わたしはそこであることを思い出した。
「そういえば占いで、探し物は黒を求めよって言われたのですよね」
「うちのクラスでも言っていたけど有村は占いを信じるのか? それはともかくニュージーランドで黒か」
信じているわけではないが、今のところ的中率はいちおう百パーセントである。
すると結城先輩が何かに思い当たったらしい。
「……そういえば見かけたな。でも民族衣装じゃないな」
そう呟いている。
他にあてもないし、わたしたちはとりあえず行ってみることにした。
向かった先にいたのは運動部員らしき体格のよい男子だった。たしかに黒の半袖半ズボンのジャージを着ている。
わたしは結城先輩を見上げた。
「あの格好がそうなのですか?」
「ああ、ニュージーランドのラグビー代表、オールブラックスのユニフォームだよ。ちょうど日本でワールドカップを開催しているからタイムリーではある」
そういえばテレビでもやっていた。
しかし民族衣装ではない。それでもいちおう聞いてみると、あっさりとチェックポイントだと返ってきた。
わたしは腑に落ちないながらも最後のスタンプを押してもらう。
「さすがにこれで民族衣装は無理がありませんか?」
不満を表すように聞いてみると、ラガーさんが心外そうな表情で答える。
「べつに民族衣装限定じゃないですよ。説明には各国の衣装としか書いていませんから」
結城先輩とラガーさんの、非難するような眼差しがわたしに向けられた。
「いや、だって、そんな細かいニュアンス、勘違いして当然じゃないですか! ああ、もう。すみませんでした!」
わたしはやけくそのように頭を下げた。
とにかくスタンプラリーは完走したので、一年八組へと景品を貰いに行く。
迎えてくれた女子がわたしの腕のスタンプを確認する。
「はい、たしかに! 完走おめでとうございます! ただ、景品がもう一種類しか残っていないんですよね。最初はマグカップとかもあったのですが……」
終了時間ぎりぎりの滑り込みである。わたしとしても過剰な期待はしていない。
申し訳なさそうに彼女が差し出してきたのは栞だった。
表には『霧高祭 1-8 スタンプラリー制覇!』の文字が。
裏にはチェックポイントになった十二の国旗が描かれている。
他の完走者にはどうかわからないが、わたしにとっては実用的で、文化祭の思い出にもなる文句のない景品だ。
お礼を言って立ち去ろうとすると、彼女が結城先輩に声をかけた。
「よろしかったら彼氏さんもどうぞ」
結城先輩もわたしと同じように思ったのか、お礼を言って栞を受け取った。
それを隣で見ながらわたしは必死に動揺を抑えていた。
第三者から見ると、わたしと結城先輩は恋人同士に見えるのだろうか?
赤くなった顔を気づかれないうちに教室をあとにした。
文化祭も残り五分で終わりだ。
事務棟に向かう渡り廊下を結城先輩と並んで歩いていると、後ろから名前を呼ばれた。
振り向くと亜子ちゃんが走ってくる。大正コスプレではなく制服姿だ。
亜子ちゃんはわたしたちに並ぶと、息を弾ませながら微笑む。
「最後は文芸部でみんなと過ごそうと思って、早めにあがらせてもらったの」
なんて可愛い。わたしは亜子ちゃんに抱きついた。
事務棟に着くと、わたしは階段を覗いてみた。
あの占い師さんがいればお礼を言おうと思ったのだが、さすがにもう撤収したようだ。
それとも本当に実在しない人だったのかもしれない。それはそれでありだと思う。お祭りなのだ、そんなことがあってもいい。
文芸部の設営所に近づくと早苗先輩が迎えてくれた。
「なによなによ、みんな揃って。そっか、やっぱり最後はあたしに会いたいか」
わたしたちは曖昧な笑みでそれにこたえる。
星霜の在庫は残り四冊だった。最後に売れたのが、わたしが遠野先輩に売った一冊だったことになる。
「せっかくだ、完売させるか」
結城先輩がそう言いながら、お財布から二百円を取り出して会計箱に入れた。
早苗先輩と亜子ちゃんもそれに続き、わたしもお金を入れて最後の一冊となった星霜を手に取る。
「やったじゃない。完売おめでとう! ありがとう!」
早苗先輩の言葉にみんなで笑いながら拍手をする。
そこに校内アナウンスが流れてきた。
「ただいまをもちまして令和元年度、霧乃宮高校文化祭を閉会します」
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