第61話【9月28日その13】優しい瞳に映るもの
わたしたち文芸部四人は、後夜祭の行われる野球グラウンドに出てきた。
ファイアーストームの櫓はブルーシートを外され、あとは火をつけられるのを待つだけとなっている。
周囲に生徒の数は少ない。すでに帰ってしまった人もいるだろうし、教室や各部室で身内だけで打ち上げをしている人たちも多いのだろう。
そしてあきらかに男子生徒のほうが多かった。なんでも、毎年フォークダンスに参加する女子生徒の確保が大変なのだそうだ。
三塁ベース付近でファイアーストームの準備を見ていたわたしたちに、文化祭実行委員の腕章をした男子生徒が近づいてきた。随分と身長の高い人だ、手と足が細くて長いので余計にそう感じるのかもしれない。
のっぽの文実委員さんは困り顔で長い両手を広げた。
「おい結城、助けてくれ。全然女子が集まらん」
どうやら結城先輩のクラスの文実委員さんらしい。
「うちの企画のイケメン枠を餌に使ったらどうだ?」
「ダメダメ。あいつらみんな彼女から、フォークダンス参加禁止をきつく言い渡されているんだよ」
たしかにパートナーがどんどんと入れ替わるフォークダンスは、恋人がいる人は参加しにくいだろう。
それに関連することが気になって、わたしはつい口を挟んでしまった。
「それだとデートボックスにはなぜ協力してくれたのでしょうか?」
衆人環視とはいえデートである。彼女さんには止められなかったのだろうか?
のっぽさんがこちらを見て答えてくれる。
「ああ、それは色仕掛け。男は馬鹿で後のことを考えないからね。美人が目を潤ませて手を握って頼んできたら絶対に断らない」
「……なるほど」
「もちろんその作戦を考えたのは結城だよ」
わたしだけでなく早苗先輩と亜子ちゃんも、冷たい視線を結城先輩に向けた。
当の本人は素知らぬ顔で明後日の方を見ている。
のっぽさんは苦笑しながら続けた。
「おかげで今頃は修羅場らしいよ。そんなだから、さすがにフォークダンスまでは頼みづらい」
それはそうだろう。
すると結城先輩が何かを思いついたらしい。
「要するに彼女からクレームがこない、女子が食いつく餌を用意すればいいんだろ?」
結城先輩の提案を聞くと、のっぽさんは手を打った。
「それがあったか! さすが
結城先輩の渾名を呼んで、のっぽさんは凄い勢いで走っていった。
しばらくすると校内放送が流れてくる。
「まもなく行われる後夜祭のフォークダンスですが、男装コンテストの上位入賞者が男子役で参加いたします。なお最初のエスコート相手はまだ決まっておりません。フォークダンス希望者は野球グラウンドまでおこしください」
このアナウンスの効果は絶大だった。
あっという間に黄色い声の女子が押し寄せたのだ。
「本当にキョウコ先輩がいる!」「ユリわたしと踊って!」「わたしが先よ」
その声にこたえて男装さんたちが手を振ると歓声が上がった。
「よくもまあ色々と思いつくわよね」
早苗先輩が呆れたように結城先輩を見る。
「誰も不幸になっていないんだからいいじゃないか。俺たちもそろそろ行くか」
すでにかなりの数の生徒が櫓の周りに集まっていた。そして文実委員によってファイアーストームが点火されると歓声が上がる。
秋の日はつるべ落とし。
すでにあたりは暗く、赤い炎が綺麗だった。
その時、ひとりの男子生徒がこちらに近づいてくるのに気づいた。
のっぽさんのように誰かの知り合いだろうか?
童顔な彼は緊張した表情で亜子ちゃんの前に立つと手を差し出す。
「北条。よ、よかったらいっしょに踊ってくれないかな?」
わたしも驚いたが、亜子ちゃんはそれ以上にびっくりしたようだ。
一瞬で顔を赤くした亜子ちゃんは、どうすればよいかわからないといった様子でわたしたちと彼を見比べた。
そんな亜子ちゃんの背中を早苗先輩がそっと押し出す。
「ほらせっかく誘ってくれてるんだから。どうせ踊るつもりだったんだし」
亜子ちゃんはそれに頷くと、彼に手を引かれてファイアーストームへと歩いていく。
「そりゃあ、北条は誘われるよな」
わざわざ一音だけ強調した結城先輩の足を早苗先輩が蹴り、わたしが腕を叩いた。
「やっぱりおまえたち似てきてないか?」
だとしたらその責任は結城先輩にあるのだ。
それはともかく、わたしたちも行こうと踏み出したが、早苗先輩が動かない。
どうしたのかと振り返ると、腕を組んで結城先輩を睨んでいる。
「あんたもさっきの子を見習って、ちゃんと誘ってエスコートしたらどうなの?」
結城先輩は呆れた表情で早苗先輩を見やる。
「本当に面倒くさい奴だな。誘ってきたのはおまえのほうじゃないか」
それは初耳だ。わたしには相談して決めたと言っていた。
しかし早苗先輩は頑として動くつもりがないらしい。
結城先輩はため息をついたが、真面目な表情になると手を差し出して早苗先輩を真っ直ぐに見る。
「Shall we dance?」
完璧な発音だ。
わたしも観たことのある有名映画のセリフである。
「それさ、厳密には文法的に間違ってるらしいわよ」
早苗先輩はそんな憎まれ口を叩きつつも、その手を取った。
結城先輩は反対の手をわたしに伸ばしてくれたので、同じようにその手を取る。
両手に花だなと自分で思いつつ歩いて行く。すでにペアの男女がファイアーストームを囲んでいる。
わたしたちもそこに加わった。
わたしは当然のように結城先輩の最初の相手を早苗先輩に譲った。
すぐに文実委員さんの案内でフリーの男子が来たので、挨拶をしてペアになる。
結城先輩の機転で女子の参加人数は増えたが、それでもまだ少し足りないようだった。
すると聞き覚えのある大きな声がした。
「しょうがないわねえ。あたしが一肌脱いであげるから感謝しなさいよぉ」
男子がざわつく。
サージャント吉田さんだ。
「抜けていいか?」
「はあ!? いいわけないでしょ!」
結城先輩の要求を、早苗先輩が問答無用で却下する。
「ふざけるな。このままだと俺はあいつと踊ることになるんだぞ!?」
「自業自得じゃないのよ! あの化け物の生みの親はあんたでしょ!」
これから踊るという時にまで喧嘩しないで欲しい。
するとそれを聞きつけた吉田さんが近くにきた。
「あらあ、結城じゃな~い。そんなにあたしと踊りたいのね」
そして山姥のような笑みを浮かべると、確実に結城先輩の番が回ってくるすぐ近くに陣取った。
結城先輩は能面のような表情になっている。先輩には申し訳ないが、ふたりの踊りが楽しみだった。
人数が揃ったらしく、まずは文実委員さんペアのお手本があった。
オクラホマミキサーはわたしも中学生の時に踊ったことがあったが、それとはかなり違っていた。
複雑というほどではないがステップが増えているし、ひとりの相手と踊る時間も長い。ペアになる時と別れる時には、それぞれお辞儀もする。
男子は右手を体に添えて、左手を水平に差し出し、同時に右足を引く。これはボウ・アンド・スクレープというらしい。
女子は両手でスカートの裾をつまみ軽く持ち上げ、片足を斜め後ろに引いて、もう片方の膝を軽く曲げてお辞儀をする。これは映画やアニメで見たことがある。カーテシーというそうだ。
そこかしこでステップを確認し合っているのが真面目な霧高生らしい。
しかし文実さんの「間違えるのも醍醐味だから」という理由で、いきなり曲がかかった。
みんな文句を言いながら、慌ててお辞儀をする。
わたしも覚えたてのカーテシーをしてから、ペアの男子の手を取った。
隣を見ると早苗先輩は嬉しそうに笑っている。
結城先輩は仏頂面だったがそのステップは完璧だ。早苗先輩に何か言われたのか反論していたが、その後は笑っていた。
よかった、ふたりとも楽しそうだ。
曲がループするところで再びペアの相手にお辞儀をしてから、ひとつずれる。
そこでわたしは思わず声を上げた。
わたしだけではない。隣の早苗先輩も、その先に行ってしまった結城先輩も、しまったという顔をしている。
わたしは並ぶ位置を間違えたのだ。これだと結城先輩と踊るのは最後になってしまう。
だがどう考えても順番は回ってこないだろう。ペアは七、八十組ぐらいはいるのだ。まさか二時間近くも踊っているわけはない。
吉田さんがわたしと反対位置に陣取った時点で気づくべきだった。
早苗先輩が「ごめん」と謝ってくるが、先輩のせいではない。
フォークダンスは来年だってあるだろう。結城先輩とのダンスはそれまでの楽しみとして取っておけばよい。
わたしは気持ちを切り替えた。
ステップを覚えると、周囲を見る余裕も出てくる。
ちょうど結城先輩と吉田さんが踊っていた。
ふたりは何やら言い争っているのだがステップは完璧、さらに遠慮がないため動きもダイナミックで見栄えがする。結城先輩は嫌がるだろうが、ベストペアと呼んでもよい踊りだ。
その後も男装さんが相手の時は、男子相手よりも緊張したり。亜子ちゃんが無事に結城先輩と踊るのも見届けた。
そしてフォークダンスが終わった。
「瑞希ごめん」
早苗先輩が頭まで下げて謝ってくるのに首を振る。吉田さんも近づいてきて、何の責任もないのに申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
みんなにそんな態度を取られると、余計に悲しくなるからやめて欲しい。
そこに結城先輩が近づいてきた。
先輩はわたしの正面で立ち止まると、自らオクラホマミキサーのメロディを口ずさみ始めた。
驚いているわたしに微笑むと、英国貴族のような完璧なボウ・アンド・スクレープをする。
わたしも戸惑いながら、少し遅れてカーテシーをした。
結城先輩はわたしの手を取るとステップを踏み始める。
わたしもそれに遅れないように必死に足を運んだ。
早苗先輩や吉田さん、やってきた亜子ちゃんが手拍子をしながらオクラホマミキサーを歌ってくれる。
すると他の生徒も何事かと集まってきて、わたしと結城先輩を囲むようにしてそれに加わった。
わたしはみんなに注目されて恥ずかしかったが、結城先輩は笑顔だ。
それを見てわたしも余計なことは考えずに先輩の動きに身をあずけた。
二人だけのフォークダンスが終わった。
最後はわたしができる最高のカーテシーをする。それは結城先輩のボウ・アンド・スクレープと綺麗に揃った。
その瞬間、周囲から拍手と歓声が降り注ぐ。
わたしは再び恥ずかしさが襲ってきて耳まで真っ赤になった。
結城先輩が優しく微笑んでわたしを見ていた。
その日の夜。わたしは両親に結城先輩と何を話したのかを聞いた。
父が語るに文芸部でのわたしの様子を話したあと、最後に結城先輩はこう言ったという。
「瑞希さんは相手の気持ちに寄り添える優しさと、それと同じぐらいの芯の強さを持っています。彼女のどこまでも真っ直ぐな姿を見ていると、自分も正しく生きなければならない。そう思うんです」
聞かなければよかった。
どう考えても過大評価だ。そうじゃなかったら両親に対するお世辞だろう。
赤面した顔を見られないように、わたしは自分の部屋に逃げ帰った。
ベッドに寝転ぶとスマホを取り出す。
あまり写真は撮らなかったが、それでもいくつかはある。
文芸部の設営所、正門のアーチ、クラスのお化け屋敷の様子、一ノ瀬さんと撮ったツーショットもある。
仮装をしたスタンプラリーのチェックポイントの人たち、男装女装コンの様子、大正喫茶での亜子ちゃん、星霜完売を記念して文芸部の四人で撮った写真。
そして――デートボックスでの結城先輩との記念撮影。
何度見てもひどい写真だと思う。
むくれて横を向くわたしは可愛さの欠片もない。
結城先輩はそんなわたしを困ったような顔で苦笑しながら見ている。しかしその目はとても優しかった。
先輩の瞳にわたしはどう映っているのだろうか?
厄介な後輩か、それとも――。
フォークダンスでの結城先輩を思い出す。
何も言わずに自ら歌ってわたしを誘ってくれた。
完璧なお辞儀をして、華麗なステップを踏み、わたしをリードしてくれた。
そして優しく微笑んでくれた。
この写真の結城先輩もあの時と同じ目をしている。
どこまでも優しく、大切な何かがそこにあるかのように、わたしを見ている。
――これは素敵な写真かもしれない。
そう思った瞬間、胸が苦しくなった。心臓の鼓動が速くなって、顔が火照ったように熱い。
どうしたのだろう。文化祭の疲れで熱でも出たのだろうか。
さっきまでは平気だった写真をなぜか直視できない。
それでも無理をして見ると、やっぱり胸が苦しくなってきた。
今日は早く寝よう。
パジャマに着替えて灯りを消す。
しかしわたしは再びスマホを手に取った。
そして眠りに落ちるまでずっとその写真を――結城先輩を見つめていた。
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