第59話【9月28日その11】ボックスの中には


 わたしは店番を早苗先輩に任せて文芸部をあとにした。

 遠野司さんのことを話したが、早苗先輩にはあまり響かなかったようだ。言われてみればたしかに、先輩たちと遠野先輩の接点はないのである。

 わたしの思い入れが強すぎるのだろうか。結城先輩はどうだろう?

 わたしは先輩を探すことにした。


 文化祭も残り一時間を切ってラストスパートに入り、いよいよ混沌としてきた廊下を、人を避けながら歩く。

 早苗先輩の劇は観に来たそうだからその後の動きだが、結城先輩が素直に文化祭見物をするとは思えない。

 わたしは先輩のクラスである二年一組に行くことにした。


 さすがにピークの混雑は過ぎたみたいだが、教室前の廊下は人で溢れていた。

 中では声こそ少しかすれていたが、芹沢さんが変わらず司会をしている。

 さすがに食事やトイレ休憩も必要だから出ずっぱりということはないだろうが、凄い体力だ。


「さあ残されたボックスは一番と三番です。運命の女神はどういう結論を下すのでしょう!?」


 芹沢さんの隣に立つ女子生徒を見て驚いた。隣の三組の子である。

 彼女が案内人を求めるとは思えない、ということは――。

 ボックスが開いて出てきたのは、一番からは現場復帰したサージャント吉田さん。そして三番から出てきたのは彼女と同じ三組の男子だった。

 観衆から拍手と冷やかしの声が上がる。

 やはり裏企画のデートボックスらしい。


 ふたりは照れて顔を赤くしながらも、仲良く記念写真に納まっている。

 さらには手を繋いで教室を出て行った。

 ……デートボックスを使うまでもなかったのでは?


「さあ次のお客さんはいませんか? 今なら待ち時間なしですよー」


 芹沢さんがアナウンスしている。さすがにこの時間だとお客さんも途切れるらしい。裏企画の予約者もいないみたいだ。

 そんなことより、結城先輩はいるだろうか?

 廊下には姿がない。ひょっとして中にいるかなと思って首を伸ばすと、教室の隅で関係者然として椅子に座っているのを見つけた。

 やっぱり文化祭見物をしないでここでサボっていたのだ。

 わたしは名前を呼んでみたが喧噪で聞こえないらしい。


「どなたかいませんかー? このままだとサージャント吉田が暴れだしますよー」


 芹沢さんがそんな冗談を言って観衆を笑わせている。

 その時、結城先輩もお客を探すように廊下を振り返った。

 気づいてもらうチャンスだ。わたしは手を振る。


「はい! そこのクラスTシャツの女子!」


 芹沢さんの言葉に周囲の観衆がいっせいにわたしを見る。

 え?


「どうぞ、どうぞー。みなさん道をあけて通してあげて下さい」


 わたしの前が開けて教室の扉まで道ができる。


「いえっ、あの、わたし違います」


 しかしわたしはみんなに押し出されるようにして、あれよ、あれよという間に芹沢さんの隣まで来てしまった。


「ようこそいらっしゃいました! クラスTから一年四組だということはわかりますが、お名前もどうぞ!」

「有村瑞希ですが、あのわたしは違うんです」

「瑞希さんですね、素敵なお名前です。こちらへはどうして?」

「ですからお客ではなくて結城先輩に用が――」

「おおっと! なんと瑞希さん、大胆にも案内人を指名だーっ!」


 観衆からどよめきが起こる。


「いや、ですから違うんです。あのですね――」


「しかも指名したのは我が二年一組、いや霧乃宮高校が誇る天才、結城恭平!

 頭脳だけでなく、運動能力、ルックスにも恵まれ、ついた渾名は皇帝エンペラー

 なにを隠そうこの企画の発案者でもあります!」


 結城先輩、クラスでは皇帝エンペラーと呼ばれているんだ……。

 いや、そんなことより芹沢さん。わざとわたしの話を聞いていない気がする。


「瑞希さん、結城のことはいつから?」

「部活動見学の時に文芸――」

「なんと!? 入学当初からずっと想い続けてきたそうです!」


 やっぱりこの人、確信犯だ。


「それではここで御指名に預かりました結城からも一言いただきましょう」


 結城先輩が椅子から立ち上がる。

 わたしはほっとした。先輩からわたしがデートボックスのお客ではないと言ってもらえば済む話だからだ。

 芹沢さんにマイクを向けられて、結城先輩が答える。


「そうですね、一年生の女子から密かに想われていたとは光栄です。瑞希さんは可愛いですから是非ボックスを引き当てて欲しいですね」

「――と、結城も申しております!」


 わたしは開いた口が塞がらなかった。

 どうして? と結城先輩を見るが、わたしと視線を合わせようとしない。

 それどころか観衆には気づかれていないようだが、どう見ても笑いを堪えている。

 ――やられた。

 わたしは結城先輩を睨みつけるが、先輩は涼しい顔で明後日の方を向いていた。


 これは想定するべきだった。

 結城先輩は頭が良いしルールも守る人だが、生真面目というわけではない。ノリも良ければ空気も読める。

 お客がいなくて停滞しているこの状況だ。瞬時のうちに芹沢さんと結託して、わたしをお客にするなど造作もないことだろう。

 ふたりにとってみれば、鴨が葱を背負って来たようなものだったのだ。


「しかし瑞希さんがどんなに結城を想おうともルールはルール。ボックスは公平に選んでもらいます。それでは案内人に登場してもらいましょう!」


 裏から四人の案内人が出てきたのだが、ちょっと待って欲しい。

 その中のひとりがサージャント吉田さんなのはわかる。だけどなんでニーア金沢さんまでいるのだ?


「ここで瑞希さんには出血大サービス! 当たり枠を増やしました!」


 わたしはもはや乾いた笑いしか出てこない。

 結城先輩がそこに加わった。すると吉田さんが先輩を品定めするように見たあと、こちらを向いた。


「瑞希ちゃん、結城みたいなすかした奴よりあたしのほうがいいわよぉ。今なら特別サービス、格技場貸し切りで寝技四十八手を教えてあ・げ・る」


「おおっと、ここにきてサージャント吉田がその欲望を剥き出しにしてまいりました! 瑞希さん貞操のピンチです!」


 もう好きにしてくださいという気分である。

 カーテンで仕切られたあと、案内人が入ったボックスが再び姿を見せた。


「それでは瑞希さん、ボックスを選んでください!」


 どれを選んでもいっしょなのはわかっている。だがそこで、踊り場の占い師さんの言葉を思い出した。せっかくだから使わせてもらおう。


「四番でお願いします」

「その理由は?」

「占いで今日のラッキーナンバーは四だと言われたので」

「恋する乙女ですねえ。想い人に会うためには占いにも頼る、その健気なところがたまりません!」


 わたしはすでに反論する気力もない。


「それでは端から順に開けていきましょう!」


 一番からはスポーティなショートカット美人さんが出てきた。同性からもモテそうな素敵な人である。

 二番からはわたしたち文芸部員よりもよっぽど文学少女らしい、眼鏡の似合う知的な人が出てきた。

 はっきり言って残りの三人よりも、こちらの女性陣のほうが良いのですが。

 そして三番からはポーズを決めたニーア金沢さん。この人は本当に喋らない。そういうキャラなのか、縛りでもあるのか。

 しかし予定調和である。からくりがわかっていると緊張もなにもなかった。


「さあ、いよいよ残されたボックスはふたつだけ! 瑞希さんは占いのお告げを信じて余裕綽々ですが、果たしてそう上手くいくでしょうか!?」


 今、芹沢さんの眼が怪しく光ったような……。

 ドラムロールが流れる中、わたしは唐突にそれに思い至った。

 これって四番に結城先輩は入っていないのでは?

 わたしが普通のお客なら心配はいらない、確実に結城先輩が入っている。

 しかしわたしは結城先輩の知り合いだ。デートボックスの仕組みも知っているし、さらに強引にお客に仕立てられた。

 となるとボックスの裏で結城先輩がこんなことを言うのは十分考えられる。


「有村は俺の後輩だし、からくりも知っているから逆に引っ掛けてやろう。大丈夫、あいつも空気は読むはずだ、やらせだと告発するようなことはしない。というかほとんどの客はもうわかっているしな。予想外の結果に盛り上がるぞ」


 ……どうしよう、本当にありそうだ。

 その場合、わたしはサージャント吉田さんとデートすることになる。

 もちろん今のわたしは吉田さんが良い人だということを知っている。だからそこまで抵抗はない。

 なんならどこぞの意地悪な先輩とデートするより楽しいかもしれない。

 格技場での寝技四十八手だって冗談……だと思う。

 しかし吉田さんと歩くのは目立つ。知り合いに見られたら絶対に何か言われるだろう。他の生徒にだってスマホで撮られるぐらいは覚悟するべきだ。

 そんなことより――やっぱり結城先輩がよかった。


 大丈夫だ。さすがに先輩だってそこまで意地悪はしないだろう。

 それとも本を取り上げたことをまだ怒っているだろうか。

 ここは占い師の彼女を信じよう。ラッキーナンバーは四なのだ。もし外れたら文句を言いに行ってやる。

 色々な考えが渦巻いて、わたしは祈るように四番のボックスを見つめた。


「瑞希さんも土壇場になって祈りの表情。恋する乙女の願いは叶うでしょうか!?

さあ、オープンです!」


 芹沢さんの手が振り下ろされてドラムロールが鳴りやみ、ボックスが開いた。

 四番のボックスの中には――結城先輩がいた。

 わたしは力が抜けて大きな息を吐いた。


「おめでとうございます! 瑞希さんの祈りは通じました!」


 芹沢さんと目が合うと、彼女はウインクを寄越しながら声には出さないで「ごめんね」と口を動かした。

 やっぱり確信犯でやっていたらしい。


「ああん、瑞希ちゃ~ん。今からでもあたしとチェンジしていいのよお」


 その声に振り向くと、一瞬だけ吉田祐介さんの表情に戻ったサージャント吉田さんが、同じようにウインクしてきた。

 こちらもやはりわかっていたらしい。さすがは結城先輩のクラスメイトの人たちだ。みんな頭の回転も早く、盛り上げることが上手い。


 その結城先輩は隣まで来ると、わたしにだけ聞こえる声で「悪かった」と謝ってきた。

 もちろんわたしは許さない。他の人たちは別だが、先輩にだけは反省してもらわないと。


 記念写真を撮るあいだも、わたしはむくれて先輩と反対を向いていた。

 結城先輩がそれを必死になだめてくる。

 撮影係の人も困ったように「笑ってこっちを向いてくださーい」と言ってきたが、結局そのままシャッターを押した。


 自分のスマホに転送された画像を見てわたしは顔をしかめた。

 ひどい写真だ。

 そっぽを向いたむくれ顔のわたしと、それを苦笑しながらなだめる結城先輩。当然ながらふたりともカメラの方を向いていない。

 後悔した。せっかくなのだからちゃんと撮ればよかった。

 芹沢さんたちに見送られて教室を出ると、結城先輩が重ねて謝ってくる。


「本当にすまなかった。客が途切れて困っていたから、ついな」


 さすがにいつまでもむくれているわけにもいかない。それに実際のところ、そこまで怒ってはいなかった。


「わかりました。わたしも本を取り上げて追い出しましたし、これでチャラにしましょう。ところで優秀な案内人さんはどこに連れて行ってくれるんですか?」


「やっぱりまだ怒っているじゃないか」


 結城先輩は苦笑したあと、ちょっと考える。


「そうだな、昼前にコスプレ姿は見たけど、働いているのを労いに北条の喫茶に行ってみるか?」


 わたしは言われて気づいた。


「ああっ! わたしまだ亜子ちゃんのコスプレ見てないです!」

「なんだ、色々見て回っていたくせに親友の出し物は見てないのか?」


 返す言葉がない。

 教室前までは行ったのだけれど、亜子ちゃんの姿が見えなかったので後回しにしてそのままだったのだ。


「じゃあ決まりだな」


 わたしは結城先輩と並んで、お祭り騒ぎの廊下を歩き出した。


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