第57話【9月28日その8】過熱していく文化祭


 わたしは午前中の受付当番が終わると、文芸部に戻る前に二年一組へと足を運んだ。

 紹介した両親のこともあるが、それ以上に気になることがある。それはサージャント吉田さんの不在をどうしているのかということだ。

 現状だと吉田さんは、あの金髪さんたちといっしょに文化祭を見て回っているはずだ。となるとジョーカーがいないのだ。


 二年一組前の廊下は人で溢れていた。朝に来た時とは混雑具合が違う。

 両親を探したが、すでに案内人と行ってしまったのか、この混雑を見て諦めたのか姿は見えない。

 中ではさらにエンジンのかかってきた芹沢さんが、ちょうど案内人紹介をしているところだった。


「そして五人目は冷静沈着な機械人形オートマタ、コードネーム2B。サージャント吉田の留守をあずかるニーア金沢だぁああ!!」


 心の準備はしていたのだが、またもや想像を越えてきた。

 銀髪ショートのかつらに、顔の上半分を黒の布で覆っている。ゴスロリとボンテージの中間という感じのワンピースはやはり特注なのだろう。丈は短いがその分ニーハイストッキングを履いている。

 全体的に黒で統一された衣装はなにかのコスプレだろうか?


 着る人が着ればオシャレなのだろう。しかし金沢さんは上背こそ吉田さんほどではないが、横幅と体重ではあきらかに勝っていた。

 衣装はぱつんぱつんだし、ストッキングにいたっては伸び切って黒が薄くなっている。申し訳ないがボンレスハムにしか見えない。


 金沢さんは吉田さんとは逆にいっさい喋らず、代わりにポーズを決めていた。しかしその格好で真面目にそんなことをされると、逆におかしさがこみ上げてくる。

 観衆の笑い声を聞きつつ、わたしは二年一組をあとにした。

 どうやら吉田さんがいなくても問題はないらしい。まあ当然だろう、結城先輩がこういう場合のことを考えていないわけがないのだ。



 わたしが文芸部の設営所まで戻ると、そこにはクラスTシャツ姿の早苗先輩が座っていた。開けたドアを通して図書準備室内に向けて喋っているところをみると、結城先輩もいるらしい。

 早苗先輩もわたしに気づいて手を上げた。


「瑞希おかえりー。ちょうど亜子と入れ違いだね、会わなかった?」


 わたしは首を振る。

 どうやら亜子ちゃんもちょっと前までいたらしい。

 亜子ちゃんは文芸部四人の中で最も自由時間が少なく、ほとんどクラスの大正喫茶に拘束される。

 その少ない自由時間にも文芸部を気にするのが亜子ちゃんらしかった。

 図書準備室を覗くと結城先輩が重箱を前にして、北条のおばさんが持ってきてくれたおいなりさんを食べていた。


「おつかれ。有村も手伝ってくれ、このままだとまた俺は動けなくなる」


 それは大変だ。わたしも御相伴にあずかることにする。

 まだちょっと早いがお昼の時間だし、今日はずっと動き回っていたのでお腹もすいていた。

 重箱にはおいなりさんだけでなく、唐揚げや玉子焼き、筑前煮にナムルなどがバランスよく入っている。やっぱりどれもおいしい。

 お昼は屋台でなにか買おうと思っていたので、これは嬉しい誤算である。

 早苗先輩も時々中に入ってきて、それらをつまむ。


「文集のほうはどうです?」


 わたしは食べながら聞いてみた。


「あれから六冊売れたから、全部で九冊だな」

「えっ!? 凄くないですか?」


 このペースなら完売だって夢ではない。


「ああ、かなり順調だな。そういえば有村の友達も買いにきたぞ」


 わたしは箸を止めた。

 頭に浮かんだのは戦慄病棟にいっしょに入った一ノ瀬さんのことだが、なぜ結城先輩が彼女を知っているのだろう。


「なんでわたしの友達だってわかったのです?」


 結城先輩は黙ってわたしの胸を指さした。

 釣られるように下を向いて納得する。わたしはクラスTシャツを着ているのだ、同じものを着ていたらいっしょのクラスだとわかって当然だ。


「買うようにお願いはしていませんから」


 結城先輩から交友関係への義理での販売は止められている。


「彼女が真剣に読んでくれるのはわかっているよ。なにせ買う時に「小説を読むのがこんなに楽しみなのは初めてです」って言ってたからな」


 一ノ瀬さんがそんなことを言っていたとは。驚くと同時に、嬉しさと照れくささがこみ上げてくる。

 早苗先輩も興味を惹かれたらしく会話に加わってきた。


「凄いじゃない、瑞希にそんな熱心な読者がいるなんて。でもさ、二人の話しているのが同一人物なのは間違いないの?」


 わたしと結城先輩は顔を見合わせた。

 言われてみればたしかにそうだ。ミステリマニアの早苗先輩らしい鋭い指摘である。


「えっと、どんな人でした?」

「美人だったな」


 わたしの質問に結城先輩が即答した。

 それを聞いて一ノ瀬さんであることは確信したのだが、同時にちょっと腹も立った。わたしは結城先輩に美人と言ってもらったことなど一度もない。

 早苗先輩も同じように思ったらしく、目つきが険しくなる。


「うわ、やらしー。瑞希の友達をそんなふうに見てるんだ」

「なんでそうなるんだ? 外見的特徴を簡潔に言い表しただけだろうが、現に有村はそれで誰だかわかったみたいだぞ」


 たしかにそうだけれど、それで素直に納得できないのが乙女心である。

 そんなふうにお昼を食べながら会話をしていても、目の前の廊下を通る人はほとんどいない。本当に文化祭をやっているのか疑問に思うほどだ。

 それでも校内放送が企画案内や落とし物の連絡をしていて、いつもと違うことを実感する。

 ちなみにこのアナウンスは教室や体育館、グラウンドには流れていない。発表や出し物の邪魔になるからだ。流れているのは廊下などの一部だけである。


「そういえば今の時間って第二で男装女装コンかあ。見たかったなあ」


 早苗先輩が言っているのは第二体育館での男装女装コンテストのことだ。

 霧高祭のメインイベントだと言う人も多いが、早苗先輩も興味があるらしい。


「行ってきたらいいじゃないか。べつに途中からでも楽しめるだろ?」


 結城先輩は当然のように勧める。しかし早苗先輩はそれに首を振った。


「いや、今はあたしが店番の時間だし」

「ちょうど飯も食い終わったから俺が代わる。何度も言うが俺は店番に不満がないんだよ。だったら見たい企画がある奴がそっちへ行ったほうが、どう考えても有益じゃないか」


 早苗先輩は困った表情を浮かべた。

 理屈では結城先輩の言うことが正しいことはわかっても、だからといって「はい、そうですか」とはいかない。


「有村もいっしょに行ってくるといい」


 結城先輩はわたしにも振ってきた。


「なんでわたしまで? というかわたしが店番をしますから、結城先輩も自由時間をとってください」


「いま飯を食わせてもらったよ。男装女装コンは霧高祭の華だし、見ておくといい。それとこうやっている時間がもったいないから鈴木を連れて行ってくれ」


 それでもちょっと迷った。

 男装女装コンが終わると、わたしは午後の受付の時間なのだ。早苗先輩もクラスに戻らなくてはいけない。結城先輩はその間ずっと店番ということになる。

 しかしわたしが動かないと早苗先輩は行かないだろう。三人ここにいても無駄なのも事実だ。


「わかりました。わたしの午後の受付は二時半までなので、戻ってきたらその後はわたしが店番をしますので」



 結城先輩に促されてわたしと早苗先輩は第二体育館へと向かった。

 入口にあの気さくな文実委員さんはいなかった。代わりの人がいたがこの時間はフリーで入れるらしく、入場管理はしていない。

 中は人でいっぱいで盛り上がっている。

 やはり霧高生が多いが、私服の同年代の人も結構いた。


 ステージに並ぶコンテスト出場者を見て感じたのは、男女ではっきりとした違いがあることだ。

 女装――つまり男性は基本的にウケ狙いである。

 極少数「これが本当に男性?」という、わたしの自信をなくさせる人もいたが、ほとんどは笑わせることが目的だ。


 だが男装――つまり女性はみんな本気である。

 衣装からして本格的だし、立ち姿も凛として気合が入っている。実際に女のわたしでも見惚れてしまう。

 観客からも「ユリさいこー!」とか「キョウコ先輩カッコいい!」などの黄色い声援が上がっている。熱心なファンがいるらしい。


 早苗先輩もスマホでしきりに写真や動画を撮っていた。

 「好きなんですか?」と尋ねると「サブカル系の嗜みよ」と返ってきた。

 そういうものらしい。

 わたしも最初はそれほど興味がなかったのだが、徐々に楽しんでいた。しかし出場者のアピールタイムでハプニングがおこった。

 司会役の男子生徒が流れを切ってステージ中央に立つ。


「出場者、ならびに観客の皆様たいへん申し訳ありません。ただいま事務局のほうから連絡が入りまして、圧倒的な数の推薦を受けて飛び入り参加を認めることになりました。

 御存知の方もいるかもしれません。本日校内でその姿を見た人は、あまりにも強烈なインパクトに目を奪われたことでしょう」


 わたしは確信的な予感を抱いた。


「それでは登場してもらいましょう!

 二年一組の誇る最終兵器リーサルウェポン。サージャント吉田ぁああ!!」


 あ、やっぱり。

 吉田さんは観客の吉田コールに手を上げてこたえている。もっとも初めて見る人は目を点にして固まっていた。早苗先輩もそのひとりである。

 しばらくして呟いたと思ったら「やっぱりハズレじゃない」と酷いことを言う。

 吉田さんはそのままの勢いで、女装部門で優勝してしまった。



 ごった返す第二体育館から抜け出すと、わたしと早苗先輩はそれぞれのクラスへと急いで戻った。

 そしてわたしは午後の受付当番に入ったのだが、これがとんでもない忙しさだった。

 まず純粋に人の数が違う。来場者も確実に増えているが霧高生が多いのだ。

 どうやら自分の出番が終わった生徒が、見物へと流れているせいらしい。


 さらに秩序が失われてきていた。

 徐々にお祭りにありがちな、無礼講、何でもありの状態になってきている。

 そこまで悪質な人はいないのだが、それでも入場制限を振り切って集団で入ってしまう人たちがいたりする。

 わたしは普段出さない大きな声を出したせいで、喉が痛くなってきた。


 そして二時半になっても受付の交代が来ない。結城先輩を待たせているのにと、怒りと焦りがこみ上げてくる。

 結局、交代の男子がやってきたのは三時を回ってからだった。


「すまない、企画が予定通りに終わらなかったんだ」


 そう謝ってきたが主語が曖昧だ。

 企画側の人間なら仕方ないと思うが、参加者だったら「途中で抜けてきてよ」と文句のひとつも言いたい。

 とにかく交代がきたので文芸部に戻ろうとすると「人手が足りないから外のプラカード持ちを呼んできてくれ」と頼まれた。

 なんでわたしがと思ったが、いっしょに受付担当をしていた友達はそのままヘルプに入っているし、中のお化け役に頼むわけにもいかない。

 わたしは心の中で悪態を吐きつつ、廊下の人混みを縫うように走り出した。


 なんとか正門前でプラカード担当者を見つけて戻るように伝えると、すぐに引き返して校舎へと戻った。

 秩序がなくなってきているのは廊下を見てもわかる。

 すでにポスターは指定位置だけでなく、あらゆる壁に貼られていた。窓にまで貼ってあって廊下が薄暗くなっているほどだ。


 わたしが階段を駆け上がっていると、文実委員の女子生徒がそこのポスターを剥がしているところだった。

 ポスターを見ようと階段で立ち止まる人がいると危ないので、優先的に除去しているのだろう。

 その後ろを通り過ぎたところで鋭い声が飛んできた。


「そこの女子、危ないから走らない!」


 わたしは慌ててスピードを緩めると「すみません」と謝りつつ、それでも足を止めることなく階段を上がった。

 周りのくすくす笑いに顔を赤らめつつ文芸部へと急ぐ。

 文化祭もいよいよ終盤を迎えつつあった。


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