第55話【9月28日その6】タロット占い
わたしは二年一組をあとにすると、三年生クラスの出し物と特別棟の文化系部活を見て回った。どこも力の入った展示や企画で、できれば時間をかけて見物したいものばかりだった。
その道中でキルトを履いた男子を見つけて足を止めた。キルトは男性用のスカートでスコットランドの民族衣装だ。
ひょっとしてと思って声をかけると、やっぱり一年八組のスタンプラリーのチェックポイントの人だった。
さらにチマチョゴリを着た女子がいたので声をかける。こちらもやはりチェックポイント係さんだった。
スタンプラリーはまずまず順調である。
しかしそこで時間切れだった。
クラスの受付があるし、その前に早苗先輩の劇も観なくてはいけない。
とりあえず一度文芸部に戻ろうと、わたしは事務棟へと足を向けた。
事務棟は一階が事務室、保健室、放送室、生徒会室。
二階が職員室と校長室。
三階が図書室。
四階が視聴覚室とパソコン室と、用のない生徒はなかなか訪れることがない。
各階は渡り廊下で繋がっているし、特別棟と比べても遠くはないのだが、校舎の孤島などと呼ばれたりしていた。
わたしはその事務棟の階段を上がった。ここは滅多に人が通らない。
だから二階から三階に至る踊り場に人がいて、わたしはびっくりした。
しかもその姿が異様である。
紫色のローブを着てフードを目深に下ろしているのだ。体のラインから女性だということはわかる。
彼女は踊り場の隅に生徒用の机と椅子を置いて、そこに座っていた。
こんな場所に店を構えて文化祭実行委員に警告を受けなければいいけれど、そう思いながら脇を通り過ぎるといきなり声をかけられた。
「よろしかったらどうです?」
驚いて思わず叫びそうになった。
なにがよろしかったらなのだろう?
振り返ると彼女と目が合った。
なんとなくもっと年上を想像していたが、わたしと同い年ぐらいだった。霧高の生徒だと考えれば当たり前である。
その手に握られているのはタロットカード。
つまり彼女はここで占いをやっているらしい。
わたしが躊躇していると、重ねて「どうぞ」と勧められてしまった。
仕方なく机を挟んで反対側の椅子に腰を下ろす。
「何について占いましょうか?」
急にそう聞かれても、占ってもらう予定などなかったのだから困る。
わたしが悩んでいると彼女のほうから提案してきてくれた。
「ここは高校生らしく、将来についてなどはいかがでしょう?」
異論はない。わたしは頷いた。
「占い方法は大アルカナの二十二枚を使用した、
よろしいもなにも、タロット占いには詳しくない。
再びわたしは頷いた。
彼女は机の上にタロットカードを時計回りで円形に広げるようにしたあと、それをシャッフルして山札を作った。
「山を三つに分けてください」
わたしは言われたとおりに三つに分ける。
「今度はそれを好きな順番で戻してください。その際上下を逆にしても構いません」
タロットは正位置と逆位置で意味が変わると聞いたことがある。
わたしはひとつを回転させてから山に戻した。
彼女は一番上のカードを手に取る。
「最初のタロットは現在のあなたを表します」
そう言いながら机の中央に置かれたのは【
わたしの表情に気づいたのだろう、彼女が小さく笑う。
「正位置の
未知なる可能性、自由な発想、身軽な旅立ち、スタート――。
わたしは彼女の言葉を心の中で繰り返した。
「二枚目は障害となるもの、試練と呼んでも構いません」
「三枚目は顕在意識、つまり自覚です」
交差の奥に置かれたのは正位置の【
「四枚目は潜在意識」
交差の手前に正位置の【
「五枚目は過去」
交差の左に逆位置の【
「六枚目は未来です」
交差の右に正位置の【
そこで彼女は目を細めて並べられたタロットを眺めたあと、微笑んでわたしを見た。笑うと意外に可愛らしい顔だった。
「あなたは素直な方ですね。けれども以前は自分に自信を持てずにいました。
しかし今では夢を持っていますし、それを実現できるだけの才能と強さを兼ね備えています。問題はあなた自身が自分の才能を認めておらず、目標が高いと思っていることです」
わたしだってバーナム効果ぐらいは知っている。占い師が誰にでも当て嵌まる抽象的なことを言って、相手に自分はそれに該当していると思わせるテクニックだ。
それがわかっていても、彼女の言葉はわたしを激しく動揺させた。
「七枚目はあなたの立場です」
それまで並べていたタロットの右側手前に正位置の【
「八枚目は周囲の環境」
「九枚目は願望」
「十枚目は結論です」
彼女は大きく息を吐いた。
「稀に見る素晴らしい配置です。逆位置が
さらに強い意志と広い見識を持った人間に守られています。あなたの夢は成就するでしょう。
アドバイスするとしたら今の絆を大切にすることです。もし――」
彼女はそこで言葉を切ると悪戯気に微笑んだ。
「あなたを守る人が意中の方なら、告白してみるのもよいかもしれませんね」
わたしの顔は薄暗い踊り場でもわかるほど赤くなったはずだ。
強い意志と広い見識を持った人間に守られている。
……思い浮かぶ人はひとりしかいなかった。
彼女は涼しい顔でタロットを片付けている。手のひらで転がされたというか、完全に遊ばれた気がする。
ちょっと悔しくなって、困らせるつもりで聞いてみた。
「もっと具体的なアドバイスはもらえませんか?」
彼女は気にした様子もなく微笑む。
「いいですよ。ただし遠い未来視は難しいのです。近い未来、たとえば今日のことでも構いませんか?」
結果がすぐわかるのだからむしろ望むところである。
彼女に言われるままわたしは左手をさし出した。
手相を見るのかと思ったが違った。彼女はわたしの手の平に水晶のような青い石を乗せると、そこに自分の手を重ねる。
思わずバルスと唱えたくなる。
彼女は目を閉じて意識を集中させていたが、囁くように言葉を紡いだ。
「待ち人来たる。ラッキーナンバーは四。探し物は黒を求めよ」
「……テキトーに言っていませんか?」
アドバイスがいきなり朝の情報番組の占いコーナーみたいになった。
彼女は目を開けてわたしを見ると微笑む。
「信じる者は救われますよ」
食えない人だと思う。わたしはお礼を言って立ち上がった。
階段を上ってから振り返ると、ローブ姿が踊り場の薄暗がりに溶け込むようで、少し怖くなった。彼女は実在の生徒なのだろうか?
そんな馬鹿な考えに頭を振って廊下に出た。目の前はもう図書室だ。
廊下の先には文芸部の設営所が見える。
わたしは結城先輩のもとへと歩いていった。
結城先輩はわたしに気づいて本から顔を上げた。
「おかえり。少しは楽しめたか?」
「すみません、だいぶゆっくりしてしまいました。それに早苗先輩の劇も見逃したので、これから行きたいのですよね。その後はクラスの手伝いがありますし……」
結局、午前中は結城先輩に店番を任せることになりそうである。
「だから気にするな。そのために俺は終日居られるようにしたんだからな」
先輩はそう言ってくれるが申し訳ない。午後はなんとしても時間を作らないと。
そんなことを考えていると微かにハーモニーが聴こえてきた。この歌声はアカペラ同好会さんだろう。また宣伝を兼ねてどこかで歌っているらしい。
「ゴーウエスト」と繰り返しているが、聞いたことがある洋楽だった。
「この曲なんでしたっけ?」
「そのままだよ。Village Peopleの『Go West』だな。Pet Shop Boysのカヴァー版のほうが馴染みがあるかもしれない。色々と使われているぞ」
しばらくふたりで歌声に耳をすませていた。
わたしのリスニングでもだいたいの意味はわかった。
「西部開拓のことを理想郷だと歌っているのですよね?」
「他にも西海岸はLGBTに寛容だからそれについての意味もあるらしい。それより有村も行かなくていいのか?」
そうだった、早苗先輩の劇の時間がある。
「すみません、それじゃあお願いします。あ、そういえば文集は売れました?」
肝心なことを聞くのを忘れていた。
「ああ、三冊売れたんだが――」
「凄いじゃないですか!」
まだ午前中の早い時間で来場者の数だって少ない。
すでに三冊売れているのなら順調だろう。しかし結城先輩の表情はそこまで嬉しそうではなかった。
「全部身内なんだよな」
「身内……ですか?」
どういうことだろう。結城先輩の友達が買っていったのだろうか?
「北条のご家族がいらしてな、差し入れだといって置いていった」
そう言いながら結城先輩は背後の図書準備室のドアを開けた。
室内にひとつだけ残された長机の上には三段重ねの重箱が置いてある。
「ひょっとして……」
「ああ、おいなりさんだ」
夏休みの合宿で亜子ちゃんの家にお邪魔した際に、結城先輩が絶賛したおばさんの得意料理である。
「皆さんでと仰っていたし、俺ひとりじゃ食べきれないからな。有村も遠慮しないで食べてくれよ」
おばさんの料理は文句なしにおいしいのだが、作りすぎるのが問題だ。
「了解です。それじゃあ北条家の皆さんで三冊なのですね?」
「いや。最初はひとり一冊買おうとしたんだが、親父さんが自分たちで買い占めるのはよくないと反対したんだ。ただ、お祖母さんが棺桶に入れたいから自分用のも是非にと言ってな」
「棺桶って……縁起でもない。お祖母さんはまだまだお元気ですし、制服を着たら亜子ちゃんと双子で通用しますよ」
「俺もそう言ったんだけどな」
亜子ちゃんのお祖母さんは肌もつやつやで皺もない。年齢がわからないうえに、亜子ちゃんとそっくりなのだ。
「あれ? でもそれじゃあ二冊ですよね。あと一冊は?」
「有村のご両親だな」
わたしは一瞬固まったあと、大声を上げてしまった。
「はあっ!? うちの親が来たんですか!?」
文化祭に来るなんて一言も聞いていなかった。
「娘がお世話になっていますとご挨拶されて、普段の様子を聞かれたから少し話をさせてもらった」
「話って……どんなことを話したのです?」
詰め寄るわたしにたいして、結城先輩は口元に軽く笑みを浮かべるだけで答えてくれない。
わたしは睨んだ。
「変なことを言っていないですよね?」
「変なことっていうのは具体的にはどういうことだ? 有村は北条と違って、あまり学校のことを話さないそうだな。ご両親が心配するから少しは話したらどうだ」
わたしは顔が赤くなった。
うちの親は結城先輩にいったいなにを言ったのだろう。
「なにを聞かされたんですか、教えてください!」
すると結城先輩は急に真剣な表情になる。
「いくら家族でも許可なく会話の内容は教えられないな。そんなおしゃべりな奴を有村は信用できるか?」
そう言われたら、もうなにも聞けない。
わたしが黙り込むと、結城先輩は慰めるように笑いかけてくる。
「なにを話したかについてはご両親に聞いてみたらいい。俺が話しても構わないと言っていたと伝えてな。
ほら、鈴木の劇の時間なんだろ?」
たしかに急いで行かなければもう間に合わない。
結城先輩と両親の会話は気になるが、とりあえず後回しだ。
「それじゃあお願いします。お昼前には戻ってきますから」
わたしは結城先輩に頭を下げると廊下を走りだした。
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